このカラコル編では,7月7日ボコンバエバとイシククル湖南岸見物後,カラコルに来て民家で夕食を頂き,カラコルのGreen Yardホテルで一泊.そしてあくる日7月8日カラコルの三位一体教会,カラコルバザールを見物し,カラコルの街を歩き,ドゥンガンモスクを見たときの写真を載せました.
マーカー18にカラコルが位置している.
7月7日夕方イシククル湖南岸からカラコルに向かった.カラコルはイシククル湖東端から少し南に行った場所になる.標高1,720mでイシククル湖より120mほど高く位置するようだ.
人口15万人でキルギスタン第4番目というカラコルの街に入ってきた.
カラコルはロシアの探検家プルジェバリスキーが調査の拠点とした街で,Kara(黒い)kol(手)=労働者,の名が付いたようにロシア,ウクライナなどのスラブ系,或いはウイグル人やドンガン人(中国系イスラム教徒)からの労働移民が多かったそうだ.
カラコルの一画にあるこちらウイグル族家庭におじゃました.ウイグル族は元々料理の腕では評判が高い.
ここは中庭で駐車可能,右が母屋,左にキッチンがある.
お手洗いのある裏庭方向にはバラなどたくさん植えられ,美しい.
ところで,これまで食事や宿泊でお世話になった民家はどこも広い土地に,大きめな家が多かった.まあ,そうした大きな家が旅行者を受け入れているのであろうが,少なくとも土地には余裕がありそうだ.
ドライバーAdさん,Acさん含めて皆で座っても大丈夫な広さのダイニングルームだ.いやさらに一列テーブルを置ける余裕がある.
周りには書棚や,飾り棚,食器棚が並び,居間としても活用されるのであろう.
瓶ビールを出してもらったが,プルタブ(黒い輪っぱ部分)付き王冠で栓抜きが無くとも開く.便利だ.
サラダやラグマン(Lagman),ピロシキ(Pirozhkiミートパイのようなもの)などいろいろ出してもらった.中でもピロシキはお昼に続きまたも鴨肉で最高だっだ.ごちそうさまでした.
こちらは賄いを担当して下さったご家族の方々.ありがとうございました.
ウイグル家族の夕食を頂いた後,バスに乗り,Green Yardホテルに着いた.
Green Yardは幾棟かに分かれた小規模なホテルだが閑静なエリアで,落ち着けるとVIPにも人気があるそうだ.
写真はレセプションのある本館前の庭.
左壁にでかでかとWiFiの文字が掲げてある.途上国とか地方都市では客室に電話がなくともWiFiのあるところが多くなった.助かる.
この本館に入るには,専用のスリッパに履き替える.別館客室に入るときもやはり履き替える.これにはちょっと驚いた.もちろん土足で汚れるのを防ぎ,メイドさんの手が少なく済むためであろう.
ここが割り振られた別館の部屋.部屋は広くて,バスタブはないがシャワー室は広く,湯量も十分だ.
それとシーリングライトがあり,明るいのは好きだ.反対に格が高そうであっても,薄暗い部屋はどうも好きになれない.
さて別館で一夜明け7月8日朝になった.朝食のためレストランのある本館へ歩く.庭には手入れの行き届いた花壇があり,季節柄多く咲いている.
レストランは庭に向いた大きな窓で囲まれ清々しい.
朝食は一般的なコンチネンタルスタイルで,普通に美味しかった.特にあんずやさくらんぼの果物が美味しかった.
朝食の後,ちょっと表の通りに出てみた.大きな鎌を手に馬に跨って行く人が見えた.これから牧草であろうか,草刈りに行くのであろう.それにしても鎌のサイズは巨大だ,刃の方向は逆だが日本刀一振りくらいはある.圧倒された.相当の体力がないと振れないだろう.
家々の間から天山(アラトー)が望める.ここから見えるのはちょうどキルギスタンとカザフスタン国境に聳える辺りになろう.
桜木町駅と似たノリか.でも家はしっかりした塀(但し覗けるよう配慮あり)があるし....つまりこれは落書きではなく,アートだ.
道端に咲いていた.シュルマハウセニアニドゥランスかな?
私たちはいつも通り2台のバスで向かった.天気はいいし,道もいい.
先行Adさんの一号車の背面には,下のナンバープレートと同じナンバーが大きく書かれている.日本の大型トラックと同じだ.キルギスタンではこうした小型バス程度以上の大きさの車には大きくナンバー併記が法令で定められているのだそうだ.やはりひき逃げとか多いのでしょうか.
三位一体教会はロシア正教の教会だ.木造教会を見る機会はあまりないので,先ず木造であることにびっくりする.また相当傷みが現れており,木造故の維持の大変さを感じる.
さてその歴史であるが,当初1872年に石造りで創建されたが,それから間もない1890年地震で倒壊.そして5年後の1895年今度は教会庭のポプラ材などの木造で再建され,補修されながら今の姿にあるそうだ.
平日であるが信徒の人々が礼拝に訪れている.正教なのでやはりロシアやウクライナなどスラブ系住民が多いようだ.私たちのドライバーAdさん,Acさんも正教徒だ.
礼拝堂入り口は彫刻を施した木材や壁画で飾られている.ただ彫刻は一部朽ち,壁画は退色している.
礼拝堂に入って見せてもらった.ベンチはなく,イコンが多く架けられている.典型的な正教様式だと思う.
ところで三位一体とは何か.これまでもヨーロッパの幾つかの教会で教えてもらった『父』と『子(イエス)』と『聖霊』が一体で唯一の神である考え....と,聞くのだが,泥縄式に聞いて理解できるものでは....難しい.
朝日の当たる方向から撮った.真横(ここでは1本だが,2本の場合もあろう)と斜めの線に縦線がクロスするロシア正教十字架が,5つの金ネギ坊主尖塔の上に載っている.尖塔屋根は銅板であろうか,緑青色が鮮やかだ.
さて本体はペンキなしの木の素材そのままで,味わい深いが傷みが心配だ.往時のソ連政府,それに現ロシア政府に補修援助を請うているが,色よい返事はないそうだ.
横は庭と果樹園,林となっており,ここから眺めると全体の大きさが解る.左の尖塔下四角い部分はちょうど礼拝堂の上辺りだが,四方が開放されているから鐘楼であろうか.
ここにも階段と入口ドアがあるが,こちらは神父さんなど僧職の方専用口であろう.
カラコルのバザール,中央市場を覗いた.ここは馬乳酒の露店.他国では見られないキルギスタンならではのお店だ.ボトルがコークなどのボトルを転用している.馬乳酒製造業者はカラコル市清掃局とボトル収集代行の協定を結んでいるのかも.さすれば双方に利益が.....ちょっと衛生管理に懸念ありそうだが....
この露店はスイカ,メロン,玉子,オイルと扱い品目を絞っている.最近の日本の著名電機メーカーの戦略と同じ方向だ.経営効率が高そうだ.
このパン屋さんも主に平たいナンを主力商品としているが,ついでに関連商品も置いて,客単価を上げようという戦略のようだ.
キルギスタンの特有性は全くない果物野菜の総合八百屋さん.このバザールだけでも数軒あり,まあ商いとしては安定性が高いであろう.
仔細に見てみるとごく普通のハリウッド映画とかはない.韓国の作品とか多いみたいだ.一体どうなっているんだ....
こうした貨車やトラックに積むコンテナは,ユルトの代わりの移動住宅など,キルギスタンではよく利用されている.このバザールでも店舗用に使われており,右は開店中,左2つはまだ閉店中だ.頑丈で開店/閉店が簡単,さらに必要があれば店舗の引っ越し,転売などの利点もあろう.
ちょっとした工具,ペイントブラシ,グラインダーの砥石.....など並べている.
まだ朝のためかお客さんが少ない.新聞や雑誌が置いてないので,元々あまり待たなくともいいのかも知れない.
広いカラコルのほんの一部だが,これは商店街の一例.比較的広い車道両側にお店が並ぶ.
この辺りでは高層の建物は目立たない.
この2つは無関係でたまたま並んでいるだけ.
ローストチキンのお店は狭い範囲で幾つも見える.ガイドTさんによるとカラコルの人たちはチキンが好きなのだとか.
隣はATM.日本では大体建物内部に設置されるが,外国は道路に面していることが多い.
JICAが協力しているという『一村一品運動』関連ショップ.ハチミツ類,素朴な布製品,ちょっとしたお土産品など並んでいる.ここではキルギス模様入り小さなフェルト羊を買った.
日本も含めどこの国でも多いが,カラコルでも集合住宅一階は店舗が多い.ここの中央分離帯は芝や樹木が生え,広い.いい通りだ.
集合住宅は独立前からのものか,ちょっと年季が入っているように見える.
全然関連なさそうな組み合わせだが,郵便局(右)と旅券局(左)の共同事務所だそうだ.実際単に契約オフィスサイズが大きすぎるのでシェアしただけだそうだ.
ここは切手を買ったり,投函するために訪れた.
パスポート写真の可否が例で示されている.男性はちょっと横向きや,ちょっと傾いている,のはXのようだ.
女性はちょっとややこしい.イスラムなのでスカーフ姿は○だが,顔を多く覆うのはX.またメガネに外界が反射しているがXなのは当然として,笑顔がXなのは,日本でもそうかな.米国などでは○だと思う.
ドゥンガンモスクの入り口門だ.一見モスクとは思えないデザインだ.木造で角が反った屋根など中華風だ.
先ず第一に,ドゥンガンとは中国系イスラム教徒のことで,清代1862年,現陝西省回族イスラム教徒の反乱が鎮圧され,そのときここカラコルはじめ中央アジア各地に逃れたそうだ.そしてそれら回族子孫がドゥンガンというわけだ.
ドゥンガン人は逃れた先で結束し生活し,1907年になるとこの木造モスクを建築したという.中国の釘なし木造工法を応用したようだ.44本の柱があるそうだが,どんぐり,ポプラ,ヤナギといった材木が主に用いられているようだ.
こうして眺めると今キルギスタン各地で見てきたモスクや,中東のモスクとは著しくデザインが異なり,やはり一言で表現すれば『中華風』以外なかろう.だがこれは不思議ではない.例えば新疆ウイグル首都ウルムチに回族(ウイグル族ではない)のモスク南大寺があるが,ドゥンガンモスク以上に中華風(漢風)である.
また脇のミナレットも木造である.一般に円筒形が多いものだが,ここに来るまでにこのような直方体型も見たような.....
波型の屋根が面白く,またユニークだ.壁のモザイクもとても変わっている.なかなかきれいだ.
反っているデザイン,彫刻の模様がやはり独特だ.欧州や中東で,キリスト教会をモスクに転用(例えばイスタンブールのアヤソフィア),その逆にモスクをキリスト教会に転用(例えばコルドバのメスキータ)などある.
しかしここは仏教寺院や道教寺院のモスクへの転用とかでなく,最初からモスクとして設計されたところがおもしろい.
ドゥンガンモスク外観に限定すれば,正面礼拝堂入り口のこのアラビア文字が唯一イスラム的香りを漂わせている感じだ.
いや,ちょっと欠けてしまったが,左に5個の礼拝時刻時計が架けられている.これは正しくイスラムの要の一つだ.
カーペットの模様が珍しい.一つのアーチがちょうど一人ひとり跪く間隔になっているのであろうか.
正面はミフラブであろうが,もちろん偶像的な絵などは一切ない.
ドゥンガンモスク庭には洋梨の木がありたくさん実っている.後一ヶ月くらいで食べ頃か.
入り口や通路を眺めていると,中国系だけでなくいろいろな人がお祈りに,或いは散歩に,見物に訪れている.
こちらはスカーフ姿でおそらくモズレム親子であろう.回族系ではなさそうだが,お祈りであろう.
ところで話は逸れるが,キャセイパシフィック(Cathay Pacific)航空のキャセイ(Cathay)とは中国という意味なのだそうだ.元のロシア語Kitayから少し転じたもので,ここではドゥンガン人だけでなく,普通のキルギス人もキャセイと言うそうである.へ~そうなんだ~
ドゥンガンモスクの見物が終わると,私たちは次の観光地『馬牧場』に向けて,カラコル郊外に出た.いまのところ舗装は途切れておらず,なかなかいい道だ.