このレーニン峰BC編では,7月3日パミールアライ山脈レーニン峰BC(アチクタシBC)で朝を迎え,花を眺め,朝食後レーニン峰山麓のハイキングに出掛け,午後には山脈と反対側の湖水方面を歩いた.そして更に一泊し,翌7月3日朝焼けのレーニン峰を楽しみ,朝食後パミールアライを離れ,次に向かったときの写真を載せました.
7月3日アチクタシBCに朝が来た.爽やかな朝だ.パミールアライ山脈は高山だけに完全に雲が取れることは難しいか....?雲の動きを見守りながら,しばし待つ.
レーニン峰(Lenin Peak:7,134m)が概ね頂きを見せた.レーニン峰はキルギスタンとタジキスタン国境に位置し,比較的登り易い7,000m峰として人気があるのだそうだ.現に本BCにいる人達は私たちだけがハイカーで,他はすべてクライマー,多くはレーニン峰目指す,のように見える.
添乗Toさんに頂いた資料では一般ルートはここから右方向4,300mのABC(アタックBC)まで歩き,次に斜面中腹のC2,次に西(右)の北西尾根に出てC3,次に尾根をそのまま登りC4,次に登頂.日程的には一日目はC1まで,二日目C2まで,三日目C3.....と進むようだ.
これに対して,ABCまでは同じで,そこから北東尾根方向に乗り,そこから攻めるコースもあるそうだ.上より難度が高いそうだ.
さらにABCから写真正面に北面を登るルートもあるそうだ.多分急峻な氷の壁で,一番大変そうに見える.
BCから見えるパミールアライ山脈左側(西側)はガイドTさんによるとサリジャル峰(Peak Sary Jal)と言うらしい.それも姿を見せてきた.とても幅広く大きな山だ.
ただSary Jalでググっても出てこないので,書き違えたかな....
大きなダイニングテントには続々と滞在者が集まってくる.テント青い仕切りの先がキッチンになっており,皆の朝食を準備し,こちらの各テーブルに運んでくれる.並べられた食べ物を覗いてみると,どのテーブルも同じであるようだ.
多くの人はこれからの天気予報を見ながらアタックのチャンスを窺っているのだと思われる.
食事の前にテント周辺を歩いた.辺り一面花だらけで,下のような花が咲いていた.
さてダイニングテントで朝食を頂くと,私たちはレーニン峰山麓方向にハイキングに出掛けた.ハイキングガイドには当アチクタシBC専属山岳ガイドの一人Mさん(写真右端)が付いていってくれることになった.Mさんは名前からしてもロシア系のようで,立派な身体つきだ.私たちハイキングの付き合いはどうやら手持ち無沙汰のため,のようで,これまでレーニン峰登頂は何度も果たし,2,3日後にはガイドとして登り始める予定だそうだ.
南の方向に歩き始めると,直ぐに遊牧民のユルトが数戸あった.調理用のかまども見える.
添乗Toさんからの資料によると,アチクタシBCの名は元々ここアチクタシ牧場(Achik Tash medow)に由来するという.アクサイトラベル(Ak-Sai Travel社)がここの土地使用権(或いは所有権)を得て,テントや関連施設を整備しているという話だ.
そして遊牧民もこの土地から去ったのではなく,こうして夏の間,キャンプ地と併せて放牧場として活用している訳だ.
ガイドMさんの話ではアチクタシBCの標高は3,600m,遭難慰霊碑を経て,最終地滝見の丘が3,900mということだ.遭難慰霊碑までは極めて緩やかなトレイルで花が多く,道草を喰いながら歩くにいい.
上述のレーニン峰ルートのアタックBCおよびC1までは馬が行けるそうで,荷揚げの馬数頭が私たちを追い抜いて行った.主に食料やクライマーの装備でしょうか.
アチクタシBC直ぐ右脇の山だ.名前は思い出せないが4,700mくらいと聞いたように思う.上部は雪山だ.レーニン峰アタックの前に,高度順応,足慣らしのため登る人が結構多いそうである.
トレイルは花ばかりで,道草に好適だ.どうしてこんなに花が多いのだろう.
トレイルの左手に行くと氷河とそのモレーンが見える.写真右側にモレーンに覆われた氷河の終端が見えるのだが岩石で覆われ見えづらい.北半球にある多くの氷河と同じように終端はやはり後退しているのであろうか.
そのうち遭難慰霊碑のあるネギが原に着いた.ここで一服だ.ネギが原は別に栽培しているという訳ではなく,野生のネギが密生していると云うことだ.山岳ガイドMさんが,一本引き抜いて,根本をこすり,『ほらネギでしょう』とかじって見せてくれた.
1991年,レーニン峰登頂を目指し,夜間C2テントに宿泊中のクライマーを雪崩が襲い,43名の命が奪われたそうだ.左はその慰霊碑で,右はその中の幾人か個人の碑だ.
一度に多くの犠牲者が出た,雪崩のトリガーは地震で,予知が難しかったようである.またお手洗いでテントを離れていた一人だけは辛うじて難を免れたということだ.
ネギが原からは急に山っぽくなる.つまり,トレイルは砂地の急斜面に変わる.
暫く上ると滝見の丘になった.この丘からは先に滝の流れが見える.滝の上流は雪の残る峰々があるのでそれらの雪解け水なのであろうか.滝壺の下の方の池が深そうに見える.
ところでガイドTさんによると,これまで案内した日本人はネギが原くらいまでで,滝見の丘まで上ったケースはなかった,今回がはじめてです,とのことだ.まあ,ネギが原までは花いっぱい,その上はあまりなくガレ気味ですのでその傾向は判ります.
滝見の丘からは上りと同じルートで下った.ここは滑り易いので注意して下る.やがてネギが原の深い緑が見えてきて,ホットする.やはりネギ,いや緑はいい.
帰り道は氷河モレーン脇のお花畑を下った.
エンドモレーン近くを仔細に見ると,岩に覆われ殆ど灰色であるが氷河の氷が覗いている.岩がなければ真っ白できれいなのだが....とぼやいても始まらないが....
そしてアチクタシBCに戻ってきた.戻り口に池があり,地形の関係か忘れな草とキンポウゲが密生している.
アチクタシBCに戻り,ダイニングテントで昼食を頂戴した.ダイニングテント脇にはこのようなユルトがあり,『ラウンジルーム』なる表札が掲げられている.
で,覗いてみると内部はこんなで,内心いくらか期待したバー,居酒屋....的雰囲気は微塵もない.談話室的ユルトかな~
期待の背景にはいくらか理由がある.つまりイスラム国キルギスタンは現在ラマダンの期間中で,それでなくともお酒はご法度なので,今はとんでもない.ただアチクタシBC所有のAk-Sai Travel社はロシア人系CEOの経営,クリスチャンでお酒は問題ない.日本の旅行社が手を組んだ理由にそのお酒の自由度も一つであると.....まあ,そんな風に聞いたことがあったのだ.
ついでにアクサイトラベル(Ak-Sai Travel)のアクサイがどうも『悪妻』に響くのだが....と言うと,ガイドTさんが詳しく説明してくれた.アクサイトラベルのCEOはロシア系女性(キルギス国籍)で,アクサイ(Ak-Sai)という川の畔で現在の旦那はんに愛を告げ,結婚後,旅行会社を設立し社名をその愛の川名にしたのだという.な~るほど.
昼食後,午前とは反対方向,北の湖方面に歩いた.こちらは緩やかな丘を上ったり降りたりする.花は午前以上に咲き乱れている.
湖水は流れこむ水に依存するのかターコイズブルーに輝ききれいだ.かと言って流れこむ川が見える訳ではなく,丘からの雨水が流れ落ちてくるのであろうか.
この辺りではマーモットが顔を覗かせることがある.近づくと必ず穴に逃げ込むが.マーモットはエーデルワイスの根っこが大好物だそうだ.エーデルワイスだらけだから食べるに不自由なく,コロコロしている.
丘と湖が織りなす凹凸は,凹部に水が溜まった池で,乾季が続けば干上がってしまう,ようにも見える.実際は安定して水を湛えているようだ.それにしても一面花また花の光景が続いている.
山岳ガイドMさんがいきなり湖にドボンと飛び込み,泳いだ.BCに滞在中は毎日散歩の途中に飛び込むのだそうだ.水温は15℃くらいということで,かなり低い.誰も追随しなかったし,私には絶対無理だ.やはりタフな人たちだ.とても敵わないな~
なおBCにはシャワー設備があるが,私たちのグループメンバーは,風邪を恐れて誰も浴びなかった.ましてやMさんに『皆さんもどうぞドボンと』と勧められて,飛び込む人が居るはずなかろう.
赤いハゲ山があった.ここには草が生えてない.植物が育ちにくい土壌なのであろうか.こればかりではつまらないが,数少ない山であればこれもまた彩りだ.
たっぷり花を見て,キャンプサイトに戻った.
そして山岳ガイドMさんとはここでお別れだ.ありがとうございました.2,3日後のレーニン峰アタックお気を付けて.
ハイキングから戻りしばらくしてダイニングテントに集まった.春雨サラダ,TDさん提供のほうれん草とベーコンのスープ,チキン,スイカ....などのようであった.
アチクタシBC2泊目の朝が明けた.この日はきれいにレーニン峰が赤く焼けた.なかなか美しい.
陽は徐々に高くなり,赤みが減り,照らす範囲が広がっていった.
左の鋭い尾根はレーニン峰とは別の山の尾根であろうが,切り立つ様が印象的だ.
お隣には遊牧のユルト群に近接してキャンプ用テントが並んでいる.Ak-Sai Travel社のサイトより規模は小さいようだが,同じような黄色のテントだ.なお写真の枠外左にはさらに別のキャンプサイトもあったように思う.
お隣のサイトに小さな池があり,逆さパミールアライ山脈が映しだされていた.池には葦のような草が生えており,ちょっと邪魔なのだが,実はこれがさざ波を防いでいるのだと同行のMさんに教えてもらう.な~るほど.
私たちのサイトに戻る途中大きな池を通る.やはりさざ波は収まっておらず,パミールアライ山脈は映し出されない.ちょっと残念.
キャンプサイト周辺はちゃんと牧場としての機能も維持している.そして空いた牧草地には,馬に跨った牧童が馬を引き連れてきた.カッコいい.牧場として機能するのは,標高の高いここはもちろんキャンプサイトと同様,夏の間だけだそうだ.
散歩の後,ダイニングテントでサイト最後の朝食を頂いた.ここでの食事の一部は朝昼晩共通のように毎回出てくるものがあるような.....ビスケットなど.まあ,これも最後となった.
ダイニングテントで食事が終わり,大きなザックで出て行く人たちがいる.多分レーニン峰のクライマーであろう.数日天候が順調であることを祈りたい.
軍用車が到着し,大勢の兵士が降り立った.キルギス軍兵士だそうだ.キルギスタンの国境が山である部分はとても多く,防衛上山岳訓練は大事だそうだ.
キルギスタンには規模は小さいが,陸,空,防空三軍あり,志願制,召集制の混成で,召集対象年齢は18~27歳で,18ヶ月間(または高等教育者12ヶ月間)服務があるそうだ.
ミールアライ高地のキャンプを楽しんだ私たちは,小型バスに分乗し元来た道を辿り,高地を下りサリモゴル村に向かった.