このスキタイ古墳編では7月11日朝カルカラ谷のキャンプサイトを発ち,西に進み,スキタイ古墳クルガンに来たときの写真を載せました.
出発したカルカラ谷のキャンプサイトは19,スキタイ古墳クルガンは23の辺りに位置している.
カルカラ谷から西に進むと,蜂の巣箱をいっぱい載せた養蜂トレーラーがあった.随分とたくさんで,びっくりするが移動は簡単で,殆ど載せたり降ろしたりの手間がかからないのだろう.季節に応じて緯度の高低,標高の高低を合わせて考慮し,移動するのでしょう.
以前紫色の一面花畑を眺め驚いたが,今度はピンクの花の絨毯だ.池の脇一面が埋め尽くされている.ガイドTさんによれば,やはり自然にできたものだそうだ.
今回も道からは遠くて,確かめられないのは残念だ.
花の絨毯の正体は,道端で咲いているこの花でしょうか.色あいが似ているように見えるが,果たしてそうか確認できないが.
珍しく白い羊の多い群れだ.
写真右側に一本のボトル.『ハチミツあります』のサインだそうだ.何人か買いたい人がいたので立ち寄る.奥のトレーラーハウスから奥さんが出て来て,注文をとる.
ここの養蜂は上述の大規模養蜂とは違って,庭先に数個~10程度の巣箱を並べた,言わば家庭菜園的小規模なものだ.それでもこうして販売できるほど採れるわけで,花の多い土地柄ならではあろう.
遊牧の家族で,トレーラーハウスは移動が簡単で便利なのでユルトから切り替える人もまま居るようだ.
奥さんは柄杓でタンクからハチミツを掬い,コークなどの空きペットボトルに詰めている.ベトベトし,粘度の高い液体なので,なかなか手間取っているようだ.
ここのお宅のお嬢さん.他の羊は外の放牧地に行ったが,この一頭はペット扱いなのであろう,庭に留まりお嬢さんの遊び相手だ.
背後には七面鳥がいる.ニワトリと同じようにケージが無くとも逃げて行くことはないようだ.
遊牧家族の男衆は,家畜を餌場のある放牧地に放ち,戻ってきたようだ.
その内車はイシククル湖北岸道路に入ってきた.ただまだこの辺りは湖から距離があり,見えない.
道端にはポプラ並木が時々見えるようになる.
広い平原が展開されてきた.色々な作物が見えるが,この左側は綿花のようだ.ところどころに白い花が見える.綿花はウズベキスタンのように大規模ではないが,それなり栽培され,食用油に加工されるそうだ.もちろんコットンにもなるのだとは思うが.
こちらはトラクタで刈り取った後の牧草畑だ.この後はまとめて山にし,干し草飼料,或いは発酵処理するのでしょうか.
馬に跨ったカウボーイに連れられ,牛の群れがイシククル湖北岸道路を進む.進む車に,反対向きの車,色々入り乱れて,ちゃんとそれなりに進む.
イシククル湖北岸道路直ぐ左脇にあったこれがスキタイ古墳クルガン(Scythian Kurgan)だそうだ.お椀を伏せた形の円墳だ.一部窪みがあるが,調査のため発掘し埋め戻していないためのようだ.
一般にこのような墳墓は青銅器時代から遊牧民スキタイ(この地域の諸部族をまとめて指す呼称)の活動したアルタイ地方からコーカサス辺りまで広く分布しているそうだ.ここは紀元前6世紀頃に現れた,スキタイの一部族ペルシャ白人系遊牧民『サカ族』の古墳と見られるという.
上ったクルガンから遠くを眺めると,別の円墳も見える.ここイシククル湖脇には20基ほど集中しており,その中の7割ほどは旧ソ連時代に発掘調査されたそうだ.一つのクルガンにはときの権力者と見られる一人だけが埋葬され,副葬品としては剣などがあるそうだ.副葬品の大半はエルミタージュ博物館にあるとのことだ.
なお山の向こう現カザフスタン側にも同じくサカ族クルガンがあり,有名な『黄金人』が見つかっているのだそうだ.そのレプリカはカザフスタン中央博物館で見れるが,本物はやはりエルミタージュという.
クルガンに上るとイシククル湖東端(の入江か)を望む.穏やかな天気で,湖面は静かで鏡のようだ.
最初のピンクの花は,牧草アルファルファだそうだ.シロツメクサの花に少し似ているように見える.但し丈は高い.
スキタイ古墳クルガン見物が終わり,次のチョルポンアタに向け西進を再開した.ポプラ並木が見事だ.