このカルカラ谷編では,7月8日カラコルの街を見物した後,車で馬牧場に行き,ここでランチを頂く.次いでカルカラ谷キャンプへ進み,到着後ここで花ハイクに出掛け,夕刻戻りキャンプサイトで夕食を頂き,テントで休んだときの写真を載せました.
カルカラ谷はマーカー19に位置している.標高は2200mくらいだ.
ブルジェバリスクは当地を調査したロシアの探検家プルジェバリスキーに因むカラコルの旧名(今でも使われているようだが).
この日のルートはややこしいので,7月8日のGPSトラックを赤線で示した.
カラコルの街見物を終えた私たちの車は北上し,途中で東の未舗装路に折れた.ランチ予定の馬牧場(Horse farm)を訪れ,ランチを頂くためだ.
この辺りはそれなりに高い標高にあると思うが,比較的フラットで,空には入道雲が見えている.
東に向け走る途中は麦畑が目立った.間もなく刈り入れを迎えるのか,少し倒れ気味の茎もある.
暫く進み馬牧場(Horse farm)が見えてきた.幾つかの建物が見える.馬牧場とあるからには少なくともどれか1つは厩舎であろう.
牧場に到着し,先ずはこの競走馬の厩舎を見せてもらった.説明を聞くと通路の両側には血筋のいい馬がいくらでもいるらしい.私にはちょっと判断できないのだが....何でも昨年の競馬での優勝馬も一頭いるそうだ.
厩舎の馬はもちろん外に出て,運動やトレーニング’することが大事だ.そこで牧場所属の牧童たちが一頭一頭引き連れて,グラウンドを駆けたり,あるいは痒いので横にならせて砂浴びさせている.まあ,馬主もそれなりにいろいろやることがあるわけだ.
さてこちらが馬主,ファーム主のオスカル(Oscar:50歳)さん.ソ連崩壊後29歳から土地購入を始め,途中キルギスタンの農業大臣を歴任,現在この農場を一代で築き上げ,しかもここから離れた場所にはさらに300haの農地を所有しているそうだ.
農場では150人を雇い,馬以外牛や,養鶏,樅の木の植林など手がけ,玉子や果物の生産,食肉加工,また若手の指導に注力しているそうだ.
樅の木(Ara-too:アラトー)が大切にされていることは,以前モルド峠のページで触れ,実際立派な林を見てきた.
さてオスカルさんはこの農場でその樅の木を小さな苗から育て上げることを事業化している.写真はその畑で,これは1年,これは2年...と説明を聞く.意外に成長に年月を要することが分かった.
樅の木畑の脇に生えていた.これはマリファナ(大麻草)と似ているが....そうかな?
丘の見晴台から,『あそこから,~こっちまで私の農場です.山の向こうにも300haの土地を確保してます』と,気が遠くなるような話を聞く.
もちろん花も多いが一例として.
立派なダイニングユルトでごちそうになった.その前に氏が成功し,現在の姿があるのも,100%以上奥様の力添えがあったからこそと,お料理を運んでくれた奥様に感謝の言葉が述べられた.
まあ色々あるであろうが,大臣経験もある事業成功者の手柄話に終わらず,現に今もこうしてご夫妻で旅行者への食事という地味なサービスを提供する姿勢は大したもんだと思う.頂きま~す.
メインはビーフと野菜の煮込み料理を頂戴した.殆ど食べ終えた段階で,お皿が空に近いが美味しかった.どうもごちそうさまでした.
ランチを頂戴し,お暇し車で去る途中,(ガイドTさんの説明で)本馬牧場従業員という馬上の人たちとすれ違った.これから食事の時間なのでしょうか.お気をつけて.
馬牧場を離れ一旦元来た道を引き返し,A363街道の出合うと北に進路をとった.ここからは舗装道路で順調に進む.
給油のため停車した場所には金色の像があった.サリモゴル村ブニサ家の6歳の女の子が聞かせてくれたあのマナス叙事詩の主人公でしょうか.マナス像はキルギスであちこちに建てられていると聞く.
ドライバーAcさんはセルフサービスで給油だ.キルギスタンは幾らか原油を産するが僅かで,石油製品や天然ガスは輸入に頼っているようだ.カザフスタンやロシアからが多いようだ.
タイアップではそれまでのA363街道からA362街道に入り,今度は真東に走る.相当進み草原を走っていると向こうから来る馬車と行き違った.馬自体はとても多いのだが,馬車を見るのは後にも先にもこのときだけだった.
農道とかあまりなく,自然の草原や丘陵が圧倒的に多いので馬車は使えず,またこのようなA362街道であれば車が便利ということであろう.
大型トレーラーに蜂の巣箱を積み,花を追って移動,滞在を繰り返すようだ.野草が豊富なので規模が大きい.また移動タイプだけでなく,定住住居の周りに小規模に巣箱を並べている光景にもよく出くわす.
緑の丘に馬が遊んでいる.この辺りはもうカザフスタン国境間近で,間もなくキルギス軍のチェックポストが待っていた.そこではパスポートを提示し,通過した.
チェックポストからはカルカラ川(これが国境線)の谷沿いの狭い未舗装路を南下した.緑豊か,天山を望み美しい眺めだ.
午後3時半,カルカラ谷キャンプサイトに到着した.ここはAk-Sai Travel社専用サイトだ.別の場所には他社のキャンプサイトがあるようだ.
到着するとサイトスタッフの皆さんの歓迎を受け,また紹介をしてもらった.皆さんどうぞよろしく.
客用黄色いテントは国境カルカラ川に沿って2列並んでいた.全部で20張りくらいであろうか.レーニン峰麓のアチクタシBCと比べて小規模だ.ただ敷地は広大で,増設の余地はいくらでもある.現にトイレや洗面コーナーまでテントから距離があって困るくらいだ.
またサイトにはサウナもあるのだが,私たちは例によって,部屋の温度や湯冷めとか気になり,結局誰も入らなかった.
テントが割り振られ,荷物を入れた.テントはRed Foxブランド,アチクタシBCと同じタイプだ.またベッドとブランケットがあり,電気が引き込まれている.電気は24時間使えて助かる.ただ,アチクタシBCのテントはインナーの下側,前室を含めて板張りであったが,ここは板張りはなく地面直にインナーテントが張られる.まあベッドがあるので問題ない.
なおシェラフはアチクタシBCで使用して,個人名タグを付したものが配られた.ここは寒くなく,またブランケットもあり,全く問題なかった.実は私には次の南イニルチェク氷河BCで大きな試練が待っていたのであるが.....
キャンプサイトの奥の方にはキルギス軍大型機のヘリポートがあり,駐機していた.まあ随分大型で,さすが軍用機だ.天気次第だが,良ければ朝一番南イニルチェク氷河BCに向け,飛ぶ予定だ.
キャンプで一休みし,カルカラ川と反対側丘の花ハイクに出かけた.きれいな草原であるが,こちら側にも小川が流れ,遊牧地なので生地雷にも注意が必要だ.
目の前を馬の群れが進んで行く.何と子馬が4頭も混じっている.この春産まれたのでしょうか.
そして私たちはA先生の案内で,花や薬草いろいろ見て廻った.
小雨も降るし,夕方になったのでキャンプサイトに引き上げてきた.雲の動きは急で,怪しげな黒雲も往来する.一方部分的には陽がある場所もある.カルカラ川畔には西から低く陽が射し,カザフスタンの丘を照らし,人や木立の長い影を投影する.
ところでカルカラ川の流れは急だが,幅は狭く,その気があれば渡れそうだ.ただ対岸の丘にはカザフ監視兵が双眼鏡とライブルで.....とのことだ.
キャンプサイトにはダイニングユルトとキッチンユルトが並んで建てられていた.横からの光線できれいに浮かび上がっている.
なおダイニングユルトは客用テント数に比例するように普通のサイズだ.
やがて西の空は雲が多いながら,その雲が赤く染められた.さてこれは明日朝の天気が期待できるということかな?
この日はラグマンやピロシキだった.ビールは辺境の地に来たので,350ソム(5ドル)と急騰した.しかしそれでもたかが知れている.なお不思議なことにこの値段は翌日ヘリで上る南イニルチェック氷河BCのサイトでも同じで,感心することになる.
隣に座ったドライバーAdさんが誕生日と聞き,『飲みますか?』とビンを傾けようとしたら,手で遮られ,その手を床に伸ばし,『やはりこれだよ』と云う仕草でウオッカのボトルを持ち上げた.
Adさんにはビールは全く効かず,やはりウオッカ以外ないそうだ.このウオッカは上等な一品で,私たち皆にも振る舞ってくれた.また一緒に仕入れたというケーキ(Adさんには似合わない感じだが)も配って下さった.ありがとう.そして皆でハッピバースディAdさんの歌を唄ったのだった.