このページでは既存ページから転載し,アレクサンドルネフスキー聖堂(エストニア),タリン大聖堂/聖母マリア大聖堂(同),聖オレフ教会(同),精霊教会(同),聖ニコラス教会(同),木造の教会(同),聖ヤコブ教会(ラトビア),リガ英国教会(同),リガの聖母受難教会(同),リガ大聖堂(同),聖ペテロ教会(同),聖ヨハネ教会(同),十字架の丘(リトアニア),聖ペテロ&パウロ教会(同),ヴィリニュス大聖堂(同),聖アンナ教会(同),ペルナルディン教会(同),ロシア正教教会(同),聖ミカエル教会(同),夜明けの門(同),聖テレサ教会(同),聖霊教会(同),トラカイ教会(同),聖ミカエル教会(同),聖ゲオルギ教会(同),イエズス教会(同),カウナス大聖堂(同),ベラート聖マリア教会(アルバニア),ベラート三位一体教会(同),聖テオドロス教会(同),聖イバン教会(モンテネグロ),ブドヴァ聖三位一体教会(同),ブドヴァ聖サヴァ教会(同),サンタクララ教会(同),コトル聖母マリア教会(同),聖ジェームズ教会(ボスニアヘルツェゴビナ),イエスの聖心大聖堂/カトリック大聖堂(同),セルビア正教教会/サボルナ教会(同),ウジツェの木造教会(セルビア),聖サヴァ教会(同),聖ミカエル大聖堂(同)の写真を載せました.
アレクサンドルネフスキー聖堂(Alksandar Nevski Cathedral)
1710年大北方戦争からロシア帝国の支配下となっていた1900年に建立されたそうである.2世紀近く続くロシア支配に高まる反露意識の中で,ロシアが宗教的に,政治的にロシア帝国支配を再強化するために建立されたようだ.
以上バルト海諸国紀行2014/タリンのページから.
タリン大聖堂(聖母マリア大聖堂)(The Cathedral of Saint Mary the Virgin in Tallinn)
大聖堂はカトリックの場合街に一つだけ置かれた主教座のあるカトリック教会だそうで,サイズ的な呼称ではないと聞いている.ただエストニア観光情報局のページを見ると,『ルター派の教会』(つまりプロテスタント)と記されており,現在はきっとそれが正しいのでしょう.
以上バルト海諸国紀行2014/タリンのページから.
聖オレフ教会(Saint Olaf's Church)
1267年,ノルウェーの聖人となった聖オレフ(Saint Olaf)を祀り建立されたそうだ.西方教会連合の一つとして,ローマカトリックの教義にも基づいていたようだ.ただ途中の宗教改革などがあり,1950年にはバプテスト教会(プロテスタント教会の一つ)に転換し,今日に至っているようだ.
以上バルト海諸国紀行2014/タリン(続)のページから.
精霊教会(Holy Spirit Church)
14世紀建立という純白八角形の塔を持つゴシック様式の教会.段々形状の薄いファサードはドイツ風で,ピック通り横の1684年製という大きな時計も特徴的だ.当時の市庁舎(この後訪れる)と聖霊教団救貧院の礼拝堂として建てられ,当時他の教会が主にギルド会員や貿易商など比較的豊かな人たちを信徒としていたのとは対照的であったそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/タリン(続)のページから.
聖ニコラス教会(St. Nicholas Church Tallinn)
聖ニコラス(St. Nicholas)とはキリスト教が公認された4世紀の修道士で,船乗りの守護聖人とされるそうだ.バルト海交易で潤った現在のスウェーデン領居住ドイツ商人がここタリンに移り住んで,1230年に建立したそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/タリン(続)のページから.
造の教会(a wooden church at the Estonia open air museum)
ストニア野外博物館の木造教会だ.屋根も藁葺のようだ.
以上バルト海諸国紀行2014/タリン(続)のページから.
聖ヤコブ教会(St Jacob's Cathedral)
古めかしいレンガに濃い緑青色,見るからに歴史のありそうな外観だが,1225年カトリック教会として建立され,15世紀に一度建て直され,1522年にラトビア初のプロテスタント教会に転換され,布教拠点になったそうだ.そして後に,再びカトリック教会に戻った歴史があるそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/リガのページから.
リガ英国教会(St. Saviour's Church)
19世初頭,イギリスのビジネスマンがラトビアを新しいマーケットとして大挙して進出,中には事業に失敗,破産する人もまた多く出たそうだ.そんな一文無しになったり,見捨てられたりした同胞の救済ということもあって,1857年に建立されたということだ.
以上バルト海諸国紀行2014/リガ(続)のページから.
リガの聖母受難教会(Our Lady of Sorrows Church)
白い外壁と薄青の屋根が清楚な雰囲気だ.1785年,当時のリボニア(現ラトビアとエストニア両共和国から成る地方)のリガ,つまりこの場所に建立され,1860年の再建で今の姿になったようだ.
以上バルト海諸国紀行2014/リガ(続)のページから.
リガ大聖堂(Riga Cathedral)
1211年建造以降,18世紀後半まで増改築が繰り返され,ロマネスク,ゴシック,バロック様式,さらにアールヌーボー(独語でユーゲントシュティール)様式などが混在しているのだそうだ.バルト三国における聖堂としては最大級だそうで,現在はルーテル教会,つまりプロテスタントであるルター派の大聖堂であるそうだ.ルター派の大聖堂というのはあまり出合ったことがなかった.
以上バルト海諸国紀行2014/リガ(続)のページから.
聖ペテロ教会(St Peter's Church)
1209年,リガ市街で火災があったが石造りの聖ペテロ教会は難を逃れたという記録が残るそうだ.つまりその頃は既に存在した訳で,後に幾度か改築され,ゴシック様式,ロマネスク様式,初期バロック様式が加わったそうである.また第二次大戦の爆撃でも大きく破壊されたが,修復され,1991年のソ連崩壊で信教の自由を復活した新生ラトビアから,大聖堂同様ルーテル教会として使われているという.
以上バルト海諸国紀行2014/リガ(続)のページから.
聖ヨハネ教会(St. John's Church)
ドイツ風の段々状前面壁が特徴的だ.1234年という早い時代に,ドミニコ修道会礼拝所として建設されたのが最初で,後に宗教改革で,福音ルーテル教会に転換されたそうである.途中幾度か修復や,改修が行われているのは他の教会と同様であろう.
以上バルト海諸国紀行2014/リガ(続)のページから.
十字架の丘(Kryi Kalnas/the hill of crosses)
殆ど無数の十字架が立てられているように見える.キリスト像,聖母マリア像や小さなロザリオも見える.立て方は乱雑で,奉納者が望む位置に好き勝手に置けるようだ.発祥は定かでないものの,ロシアに対する1831年11月蜂起の後から立て始められたと見られているそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/十字架の丘のページから.
聖ペテロ&パウロ教会(Church of St. Peter and St. Paul Vilnius)
1668年,ロシアからの解放を記念して建設が始められ,ヴィリニュスを代表するバロック様式で,外装に7年,内装には主に名の知られたイタリア人彫刻家が当たり,30年もの工期を要したそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュスのページから.
ヴィリニュス大聖堂(Vilnius Cathedral)
ギリシャ神殿のような大聖堂.1251年,リトアニア大公国の初代王ミンダウガス公がドイツ十字軍騎士団の圧力に屈し,恭順の意を示すためにロマネスク様式で建てられたということだ.ただ公が暗殺されると,またキリスト教も捨てられ,以前の自然崇拝に戻ったりするのだが,1387年,ヨガイラ公の時代になると再びキリスト教に改宗され,本教会も再建されたそうだ.そして現在のギリシャ風になったのは,18世紀の大改築のときだという.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュスのページから.
聖アンナ教会(St. Anne's Church)
15世紀初頭,リトアニア大公国のヴィータウタス大公(在位1401~1430年)が木造建築で創建.冠した聖アンナ(Anna)はイエスの母マリアさまの母親で,カトリックでの聖人だそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
ペルナルディン教会(Bernardine Church)
ペルナルディン教会の正式名はフランシスコ会シトー修道会の教会 (the Church of St Francis from Assisi(Bernardine))で,15世紀半ば木造で建てられたそうだ.教会は単にお祈りのためだけでなく,防衛のためにも使われたそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
ヴィリニュスのロシア正教教会(Russian Church)
ペルナルディン教会から少し離れてロシア正教教会が見えた.キに斜めーを加えた屋根の十字架がそれを物語っていた.ヴィリニュスにはロシア人が14%も住むという.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
聖ミカエル教会(St. Michael's Church)
リトアニア大公国首相だったレオサピエカ(Leonas Sapiega)の命で,1594年から1604年にかけて建てられたルネッサンス様式の教会だそうだ.1633年に没したレオサピエカと家族の墓は今もここに残っているようだ.1655年のコサックの襲撃などで破壊されたが,幾度か改修が繰り返されだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
夜明けの門(the gate of dawn in Vilnius)
敵の攻撃から街を守り,また旅行者を祝福するために宗教的要素の門で,屋根に十字架が架り,内部のチャペルには聖母マリアの肖像画(イコン)が掲げられている.外からでも近づけばガラス窓越しで覗くことができる.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
聖テレサ教会(St. Teresa church)
リトアニア大公国の副首相だったステーポナスパツァス(Steponas Pacas)の保護と資金で1633~1650年に建造されたそうだ.建設に当たったのは スイス生まれのConstantino Tencalla (1610~1647年)という大聖堂礼拝堂建設も担当した人物だそうだ.初期バロック様式であるが,当時主流のレンガ造りではなく,高コストの花崗岩と大理石の豪華な創りだそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
聖霊教会(church of the holy spirit)
ピンクの門の先にあるのが面白い.ロシア正教教会だそうだが,ねぎぼうずのドームもなく,典型的正教会風ではない.バロック風だそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュス(続)のページから.
トラカイ教会(Trakai church)
トラカイの街のシンプルデザインの教会.他ではゴシック様式など凝ったものを多く観てきただけに,驚く.
以上バルト海諸国紀行2014/トラカイのページから.
聖ミカエル教会(St. Michael the Archangel Church, Kaunas)
カウナスがロシア帝国支配下であった1891~1895年にかけて,正教のカウナス要塞として新ビザンチン様式で作られたそうだ.ということで,教会としては新しい方ではなかろうか.
以上バルト海諸国紀行2014/カウナスのページから.
聖ゲオルギ教会(St. Georgi church)
1468年に建設が始まり,1503年完成というゴシック様式の教会. シトー会の修道院(Bernardine Monastery)も併設されていたようだ.レンガ造りのようで,比較的シンプル,濃いレンガ色と相まって力強い外観だ.
以上バルト海諸国紀行2014/カウナスのページから.
イエズス教会(St. Francis Church & Jesuit Monastery)
17世紀建立で,修道院併設のイエズス教会.他の教会同様,ソ連占領下では他用途に転用され,独立回復後教会に復活したそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/カウナスのページから.
カウナス大聖堂/聖ペテロ&パウロ大聖堂(Kaunas Cathedral/St Peter and St Paul's Cathedral)
赤いレンガ造りの外側は直線主体の比較的さっぱりした形態だが,ゴシック様式だそうで,1671年頃建てられたそうだ.内部は多くの彫刻やフレスコ画で埋められ,とても見応えがある.
以上バルト海諸国紀行2014/カウナスのページから.
ベラート聖マリア教会(The church of st. Mary Blachernae)
ベラート城内にあって,剥がれ落ちているところもあるが,なかなか鮮明な壁画が残されている.聖書に因み,1578年からニコラオノフリ(Nikolla Onufri)という大変著名な画家によって描かれたということだ.
以上南バルカン紀行2013/ベラートのページから.
ベラート三位一体教会(Church of Holy Trinity)
三位一体とは,父なる神,その子キリスト,聖霊の三者が一体であるということだそうである.そしてここはその名を冠した教会ということになる.内城(本丸)の直ぐ手前にあり,14世紀の建立だそうで,この城塞内では一番大きいように見える.
以上南バルカン紀行2013/ベラートのページから.
聖テオドロス教会(St. Todri Church,XVI Cent.)
半ば朽ちた案内板に表題の教会名が記してあった.XVI Cent.は16世紀でいいのだろうか? またSt. TodriはSt. Theodoros同じらしいので,聖テオドロス教会でもいいのであろう.聖テオドロス(759~829年)という人は皇帝レオン5世と対決し,イコン擁護を貫いた神学者として有名であるそうだ.
以上南バルカン紀行2013/ベラートのページから.
聖イバン教会(St. Ivana church)
別名聖ヨハネ教会(St. John church)と呼ばれるそうだ.7世紀の古い教会跡に,15世紀になって建立されたカトリック教会だそうだ.
以上南バルカン紀行2013/ブドヴァのページから.
ブドヴァ聖三位一体教会(Church of Holy Trinity)
セルビア正教の教会で1804年建立と比較的新しいようだ.モンテネグロは多くの民族が暮らすが,およそ半分がモンテネグロ人,半数がセルビア人ということだ.
以上南バルカン紀行2013/ブドヴァのページから.
ブドヴァ聖サヴァ教会(Church of Saint Sava)
2世紀頃の古い教会跡に,12世紀に建てられたそうだ.渋い色あいの小ぢんまりした佇まいが海との対比で美しい.聖サヴァは数日前見物したペーチ総主教修道院建立に関わったセルビアで代表的な聖人であり,ここも当然セルビア正教の教会であろう.
以上南バルカン紀行2013/ブドヴァのページから.
サンタクララ教会(Franciscan Monastery of St. Clara)
ベネディクト会の女史修道院の左隣に建てられている.外見はごくシンプルであっさりしている.オスマントルコの襲撃を恐れ,自ら破壊したフランシスコ会女史修道会の修道院後に,再建したという.教会は聖クララを守護聖人として祀っているそうだ.
以上南バルカン紀行2013/コトルのページから.
聖母マリア教会(Church of our Lady)
コトル湾に浮かぶ青いドームに青いキャップの鐘楼の建物は聖母マリア教会.島は聖母マリア岩礁島ということだ.
以上南バルカン紀行2013/コトルのページから.
メジュゴリエの聖ジェームズ教会(St. James Church)
メジュゴリエは人口4000人くらいという小さな街(村)で,主にクロアチア系民族が住むという.何の変哲もない村であったのだが,1981年の『聖母マリアの出現』以来,徐々に注目されてきたそうだ.まあ,私たちのような野次馬もある程度来るであろうが,カトリック信徒の巡礼者が多く訪れるそうだ.
以上南バルカン紀行2013/メジュゴリエのページから.
イエスの聖心大聖堂(カトリック大聖堂)(Cathedral of Jesus' Heart)
1889年に完成したという,カトリック教会ヴルフボスナ(Vrhbosna)大司教座の大聖堂であるそうだ.ボスニアヘルツェゴビナで最大だという.
以上南バルカン紀行2013/サラエボのページから.
セルビア正教教会(サボルナ教会)(Saborna crkva=Orthodox cathedral)
尖塔の形などが正教会風だ.ボスニアヘルツェゴビナでは最大のセルビア正教大教会で,19世紀後半,ブルガリアの建築家アンドレイダミャノフの設計で建造されたそうだ.新バロック風古典様式で,高い鐘楼はかなり遠くからも見えるようだ.
以上南バルカン紀行2013/サラエボのページから.
ウジツェ(Uzice)の木造教会
ボスニアヘルツェゴビナからセルビアに入国した直後に見えた.とても美しい.
以上南バルカン紀行2013/ベオグラードのページから.
聖サヴァ教会(Cathedral of Saint Sava)
とても大きな建物だが,正教系教会では世界最大級だそうだ.本大聖堂はセルビア正教会の創立者聖サヴァ(St. Sava:1175頃~1235年)を祀った教会で,ここは1595年異教徒であるオスマン帝国のスィナンパシャ(Sinan Pasha)によって聖サヴァの遺体(不朽体というそうだ)が焼かれた跡地で,そこに建てられたということだ.
以上南バルカン紀行2013/ベオグラードのページから.
聖ミカエル大聖堂(Cathedral of St. Michael)
クネズミハイロ通りと交差する道を行くとセルビア正教大聖堂に行き当たった.19世紀セルビア公ミロシュオブレノビッチ一世の建立で,後期バロック風ということだ.
以上南バルカン紀行2013/ベオグラードのページから.