このページでは既存ページから転載し,デチャニ修道院(コソボ),ペーチ総主教修道院(同),リェヴィシャの生神女教会(同),プリズレンカトリック教会(同),カトリック小聖堂(同),聖母マリア教会(同),聖ディミトリア教会(マケドニア),マザーテレサ記念教会(同),聖クリメント大聖堂(同),聖ソフィヤ大聖堂(同),聖パンテレイモン教会(同),聖ヨヴァンカネオ教会(同),リラの僧院(ブルガリア),ボヤナ教会(同),聖ゲオルギロタンダ聖堂(同),聖ネデリャ教会(同),聖ソフィア教会(同),アレクサンドルネフスキー大聖堂(同),聖ニコライ聖堂(ロシア正教会)(同),聖ペトカ教会(同),プロブディフの聖マリア教会(同),カザンラクのロシア正教会(同),イワノボ岩窟教会(同),クレツレスク教会(ルーマニア),シナイア僧院(同),サスキズ要塞教会(同),ビエルタン要塞聖堂(同),シギショアラのルーマニア正教会(同),シギショアラ旧市街の山上教会(同),シギショアラ旧市街のカトリック教会(同),シギショアラ旧市街のドミニコ会修道院付属教会(同),ブラショフの黒の教会(同),ブラショフの聖ニコラエ教会(同),ブカレスト郊外の教会(同)の写真を載せました.
デチャニデチャニ修道院(Visoki Decani Monastery)
当修道院であるが,今から700年近く前の1327年,ときのセルビア王ステファンウロシュ3世デチャンスキ(←ここの地名デチャニに因むそうだ)という方によって建立され,また同王の遺体が安置されているということだ.現在殆どアルバニア人(モズレム)の地であるコソボ内にセルビア人建立のセルビア正教のしかも総本山とも言うべき総主教座が置かれていたという大変な聖地で,敵地にあってもセルビア人は何が何でも死守しなければ,ということだ.NATO軍の一員としてイタリア軍兵士が警護に当たっている.
以上南バルカン紀行2013/デチャニのページから.
ペーチ総主教修道院(Patriarchate of Pec Monastery)
セルビア正教会の修道院で,ここの教会建築物群は,セルビア大主教および総主教(こちらが上位かな?)の主教座で,また霊廟となっているそうである.大まかに言って,先に見物したデチャニ修道院の尼さんの修道院といった位置付けであるようだ.
以上南バルカン紀行2013/ペーチ(またはペーヤ)のページから.
リェヴィシャの生神女教会(church of our lady of ljevis)
セルビア正教会の聖堂で,12世紀の建立というからとても古い.石造りか,いや少し赤味を帯びているのでレンガ造りか?なかなかどっしりしたデザインだ.長いオスマン帝国支配下ではモスクに転用され,やがて20世紀初頭ようやく正教会に戻された歴史があるそうだ.本教会は前日見物したデチャニ修道院やペーチ修道院と共にユネスコ世界遺産『コソボの中世建造物群』に含まれるということだ.
以上南バルカン紀行2013/プリズレンのページから.
プリズレンカトリック教会(Prizren Catholic church)
プリズレンの中心部広場からの坂道にカトリック教会があった.なかなか立派な教会だ.少ないがアルバニア人カトリック教徒のための教会で,問題無いということだ.仮にセルビア正教会なら大変,多分破壊される,とのことだ.
以上南バルカン紀行2013/プリズレンのページから.
カトリック小聖堂(Catholic small temple)
上の大きな教会の道路を挟み向いにごく小さな聖堂があった.
以上南バルカン紀行2013/プリズレンのページから.
聖母マリア教会(Cathedral of the Helping Lady)
中心部広場の坂を上るとCathedral of the Helping Ladyという案内板が掲げられた教会があった.やはりカトリック教会のようである.圧倒的にイスラムの街なのであろうが,カトリック教徒もそれなりに住んでいるようである.
以上南バルカン紀行2013/プリズレンのページから.
聖ディミトリア教会(the Church of St. Dimitrija)
マケドニア正教の教会であるそうだ.東方教会(正教会)は国毎に国の名を冠した正教会組織を作るものなのだそうで,ここではマケドニア正教となるようだ.
以上南バルカン紀行2013/スコピエのページから.
マザーテレサ記念教会(Mother Teresa memorial church)
1979年ノーベル平和賞受賞,最近(2016年)列聖されたマザーテレサを記念する教会.訪れたときはまだ建設中だった.なおマザーテレサはアルバニア人だが,ここスコピエ生まれだ.
以上南バルカン紀行2013/スコピエのページから.
聖クリメント大聖堂(St. Kliment Ohridski)
随分新しいデザインであるが,マケドニア正教の大聖堂で,そして首都スコピエにあるのでマケドニア正教の総本山であるそうだ.1972年から94年にかけて建設されたそうだ.
以上南バルカン紀行2013/ビトラのページから.
聖ソフィヤ大聖堂(Church of St. Sophia)
11世紀建立(このときの模型庭にあり),後の増築でオフリド最大の教会だそうである.石と瓦の実にどっしりした造りだ.
以上南バルカン紀行2013/オフリドのページから.
聖パンテレイモン教会(Church of St. Panteleimon)
オフリド最古の教会の上に復元されたものだそうだ.オリジナルの基礎部分には鉛シートが敷かれ,その上に石とレンガをセメントで固めた構造の新しい建物が建設されている.鉛シートは元の部分によく倣い,圧縮強度も十分なのであろう.
以上南バルカン紀行2013/オフリドのページから.
聖ヨヴァンカネオ教会(Church of St. John at Kaneo)
1290年の建立で,一度14世紀に火災に遭い壊れたが,長いこと隔てた1968年に再建されたそうだ.素朴で落ち着いた色彩がオフリド湖畔というロケーションにマッチし,なかなかの景観を見せてくれる.オフリド湖対岸はアルバニアだが,向こう1/3程度がアルバニア領になるそうだ.
以上南バルカン紀行2013/オフリドのページから.
リラの僧院(Rila Monastery)
僧院は10世紀,第一次ブルガリア帝国の終期に,リラの聖イオアンが創設したとされるそうだ.以来ブルガリア統治者から後援され,国民の支持を得たという.14世紀末になるとオスマントルコの襲撃等で破壊されることもあったが,ロシア正教会の支援などで何とか持ち直し,また火災に遭ったこともあったがやはり国民の援助で修復されたという.本堂である聖母聖堂正面および左右に巡らせた回廊にはびっしりとフレスコ画が描かれている.これでもかというほど,隙間なく描かれている.モチーフはよく理解してないが,キリスト,天使,聖人,最後の審判,天国と地獄.....といったものが多いようだ.
以上東欧紀行2013/リラのページから.
ボヤナ教会(Boyana Church)
ボヤナ教会はブルガリア正教会の2階建て教会堂で,元々10世紀後半~11世紀初頭に建てられたそうだ.後に幾度か改修,増築され,今見る形になったのは19世紀半ばということだ.増築されたにしては決して大きくはなく,寧ろコンパクトな教会に見える.r礼拝堂のフレスコ画は鮮明で,聖母,キリスト,聖人....等々,顔の表情が生き生きしており,信徒でなくとも理解し易い印象を受ける.ボヤナ教会が世に良く知られるのは,これら13世紀に遡るというこれらの絵があるからということだ.
以上東欧紀行2013/ボヤナのページから.
ソフィアの聖ゲオルギロタンダ聖堂(St. George Rotunda)
ブルガリア大統領官邸の裏側(中庭)にあった.ローマ帝国支配下の4世紀,皇帝コンスタンティヌス一世(在位306~377年)の頃の創建だそうで,周囲には発掘中のように見える浴場跡などの古代ローマ遺跡とまとめて整備されたもののようだ.4世紀初頭はまだローマ帝国内でキリスト教は未公認で聖堂ではなかったが,暫くし,公認されると洗礼堂に転用され,多くの信者の洗礼に活用されたということだ.
以上東欧紀行2013/ソフィアのページから.
ソフィアの聖ネデリャ教会(St Nedelya Sofia cathedral)
ブルガリア正教会ソフィア主教職の聖堂で,石やレンガの他に木材も使われた構造だそうだ.10世紀の建立で,途中改修や増築が何度もなされたそうだ.側面の円柱上の連続アーチなどはモスクなどのイスラム建築様式そっくりに見える.でも縦格子状ドームなどはとてもユニークで,遠くからも目立つデザインだ.1925年,ブルガリア共産党が,事件の2日前に暗殺された将軍コンスタンティンゲオルギエフの葬儀に出席中の国王ボリス3世暗殺を狙った爆破テロ事件がよく知られているそうだ.国王は無事だったものの,市民150人以上の犠牲者が出たそうだ.
以上東欧紀行2013/ソフィアのページから.
ソフィアの聖ソフィア教会(St. Sofia Church)
6世紀,古代ローマ劇場の上に,ビザンチン様式で建てられたというから非常に古い.上述のアレクサンドルネフスキー大聖堂の左手前に位置し,その建設よりはるか遡る第二次ブルガリア帝国の時代は本聖ソフィア教会がソフィアの主大聖堂だったそうだ.
以上東欧紀行2013/ソフィアのページから.
ソフィアのアレクサンドルネフスキー大聖堂(Alexander Nevsky Cathedral)
ブルガリア正教会の大聖堂.名のように聖アレクサンドルネフスキー(St. Alexander Nevsky)を記念する聖堂だそうだ.ウラジーミル大公国の大公(在位1252~1263年)で,中世ロシアの英雄として讃えられている人物だそうだ.大聖堂はドームが交差するバシリカ建築と呼ばれるそうで,金メッキの中央ドーム直径は45mとでかく,鐘楼は50mの高さがあるそうだ.大きい!
以上東欧紀行2013/ソフィアのページから.
ソフィアの聖ニコライ聖堂(ロシア正教会/Russian Church)
いかにもロシア風な比較的小さな建物だ.1882年露土戦争後,オスマン帝国からのブルガリア解放を記念して,ロシア帝国によって建立されたそうだ.オスマン帝国時代にはモスクが在った場所だそうで,いかにも主権を取り戻したときにふさわしい.当地在住ロシア人のため,ロシア大使館公式の教会で,大使館の近隣になるそうだ.聖堂名前は,慣習でロシア帝国皇帝,後に列聖されたニコライ二世の名を冠したものだそうだ.
以上東欧紀行2013/ソフィアのページから.
聖ペトカ教会(Church of St. Petka)
ブルガリアの聖ペトカ(St. Petka)と呼ばれる11世紀の聖人に捧げられた教会で,馬具工たちの守護者だったそうだ.16世紀の建立だが,ポイントはその頃はオスマン帝国の支配下にあり,それでもキリスト教会建設が認められたことだそうだ.ただ条件があり,コンパクトで,あまり目立ってはならぬ,と云うことだったそうで,そのためこうした慎ましやかな教会になったという.
以上東欧紀行2013/ソフィアのページから.
プロブディフの聖マリア教会(The Virgin Mary Church of Plovdiv)
ジュマヤモスク脇から丘に展開される旧市街に入る道を上ると,坂の途中にこの聖マリア教会があった.ピンクの鐘楼が目立つ.教会の名からすると,ブルガリア正教ではなく,カトリックの教会だったかな~?ここで結婚式を挙げる人達が多いそうである.
以上東欧紀行2013/プロブディフのページから.
カザンラクのロシア正教会(Russian Orthodox Church in Kazanlak)
シプカ峠から『バラの谷』に下り,平地に差し掛かる頃左手にこの教会の建物が見えた.ロシア正教会ということだ.ブルガリアの国民の多くはブルガリア正教徒だというが,ロシア正教の人達も幾らかいるとのことだ.
以上東欧紀行2013/カザンラクのページから.
イワノボ岩窟教会(Rock-Hewn Churches of Ivanovo)
第二次ブルガリア帝国時代,日本では鎌倉時代の1200年代から修道士らによって作られ始められ,13~14世紀にフレスコ画が描かれ,後のブルガリア正教会総主教ヨアキムと云う方がここに居を構えた14世紀初頭から17世紀までの間,修道士たちがここで生活を営むようになっていたということだ.『最後の晩餐』のフレスコ画は,有名なレオナルドダヴィンチの作品より古く,14世紀には既に完成していたそうだ.
以上東欧紀行2013/イワノボのページから.
クレツレスク教会(Biserica Cretulescu)
ブカレスト革命広場前,18世紀建立で,ブカレストでは一番古いルーマニア正教の教会になるそうだ.2つの尖塔やレンガと漆喰で固められた外観が歴史を感じさせる.尖塔の上の十字架の横線(棒)がよく観ると3本ある.
以上東欧紀行2013/ブカレストのページから.
シナイア僧院(Sinaia Monastery)
シナイア僧院と通称される施設は,教会や僧坊など幾つかの建物から成るコンプレックスで,写真はその中のルーマニア正教の大きな教会(Biserica Mare).ルーマニア王国最初の皇帝カロル一世(Carol I 1866~1914)が1846年に建立したそうだ.
以上東欧紀行2013/シナイアのページから.
サスキズ要塞教会(Fortress church Saschiz)
一見要塞には見えない.しかし高層構造で窓は下部になく,上部のみに設けられていたりするところからするとやはり要塞的だ.これを含めて幾つかの要塞聖堂は『トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群』(旧名:ビエルタンとその要塞聖堂)(Villages with Fortified Churches in Transylvania)として1993年世界遺産(文化遺産)に登録されている.
以上東欧紀行2013/ビエルタンのページから.
ビエルタン要塞聖堂(Fortified Church in Biertan)
最初カトリックの聖マリア聖堂が12世紀に建てられたが,現在の聖堂は16世紀初頭ゴシック様式で建設されたものだそうだ.そして途中マルティンルターの宗教改革がここトランシルヴァニア地方にも広まったことを受けて,プロテスタントの聖堂へと変換されたようである.但し,敷地内には幾つかの建物があり,その中の一つはカトリックの礼拝堂として継続しているようである.
要塞聖堂は要塞として,オスマン帝国やハプスブルク帝国(神聖ローマ帝国)の軍から守る役目があった.そのため三重の城壁や見張り塔などが設けらている.ここも前記『トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群』の一部を成している.
以上東欧紀行2013/ビエルタンのページから.
シギショアラ新市街のルーマニア正教会(Romanian Orthodox Church of Sighisoara)
シギショアラ新市街のルーマニア正教会.現在は一番多くの信徒を抱えるであろうルーマニア正教の教会は新市街の一画に建てられていた.大きのでとても目立つ.
以上東欧紀行2013/シギショアラのページから.
シギショアラ旧市街の山上教会 (Church on the Hill)
正式には聖ニコラウス教会(Biserica din Deal)というのだが,普通山上教会と呼ばれるそうだ.当初カトリックの聖堂として建立され,ゴシック様式で完成したのは1525年だそうである.ただし,完成から20年後くらいにはルーテル派の教会に転換されたそうである.教会脇には付属の山上学校もあって,現在もドイツ語学校として役割を担っているそうである.
以上東欧紀行2013/シギショアラのページから.
シギショアラ旧市街のカトリック教会(Sighisoara Catholic Church)
シギショアラ旧市街業種毎に守護神を祀る組合会館を建て,また教会も建立したようだ.このカトリック教会は大工業界の大工の塔近くにあった.
以上東欧紀行2013/シギショアラのページから.
シギショアラ旧市街のドミニコ会修道院付属教会(Dominican Church)
13世紀,ドミニコ会修道院の付属聖マリア教会として建立されたそうだ.16世紀にはルーテル派(プロテスタント)の教会に転用されていたそうだ.元々ゴシック様式だが,火災の補修や改修で,部分的にルネサンス様式やバロック様式が採り入れられているそうだ.このアングルから眺める限り一般的ゴシック様式よりシンプルで力強い印象を受ける.
以上東欧紀行2013/シギショアラのページから.
ブラショフの黒の教会(Biserica Neagr)
同じ場所にあったそれまでの教会に代わり,1477年に作られたそうだ.1689年オスマン帝国とハプスブルク帝国軍の戦いで大火が起こり,それで焼け焦げて黒くなり,黒の教会と呼ばれるようになったそうだ.後期ゴシック様式で,高さ65mということだ.正教ではなくプロテスタント教会(ルター派)だそうで,本来の正式名は聖マリア教会ということだ.
以上東欧紀行2013/ブラショフのページから.
ブラショフの聖ニコラエ教会(Biserica Sfntul Nicolae)
当初ゴシック建築様式で建立されたが,その後バロック建築様式で建て替えられたという聖ニコラエ教会(はブラショフ中心部ではなく,外れたところ,スケイ地区に建つルーマニア正教会.1292年建立だそうだが,当時ブラショフは既にザクセン人の支配下で,ルーマニア人は真当な市民権がなく,こうした外れの区域に自分たちの正教会を建てたのだそうだ.
なお聖ニコラエはユーマニアで代表的な聖人の一人なのであろう,聖ニコラエ教会の脇にお墓があった.
以上東欧紀行2013/ブラショフのページから.
ブカレスト(Bucharest)郊外の教会
ブカレスト空港からバスでブラショフへ向かった.ルーマニアはルーマニア正教会を主に,プロテスタントやカトリックを加え,国民の殆どはキリスト教徒ということで所々に教会が見える.町や村の教会は小規模でシンプルなデザインの造りが多いようだ.
以上東欧紀行2013/ブラショフのページから.