キリスト教会,大聖堂,修道院など(3)

このページでは既存ページから転載し,ブエノスアイレス大聖堂(アルゼンチン),5月広場駅脇の教会(同),花蓮の教会(台湾),ダージリンの教会(インド),ソウルのプロテスタント教会(韓国),サイゴンノートルダム大聖堂(ベトナム),ヤンゴンの教会(ミャンマー),ヤンゴン市庁舎近くの教会(同),ブレッド聖マーチン教会(スロベニア),ブレッドの聖マリア教会(同),ピランの聖ユーリ教会(同),ザダールの聖フランシスコ修道院(クロアチア),ザダールのストシャ大聖堂(同),ザダールの聖ドナト教会(同),ザダールの聖マリア教会(同),シベニク聖ヤコブ大聖堂(同),シベニク聖バルバラ教会(同),スプリット大聖堂(同),ドブロヴニクのフランシスコ修道院(同),ドブロヴニク聖ブラホ教会(同),ドブロヴニク大聖堂(同),コトル聖トリフォン大聖堂(モンテネグロ),コトルの聖ルカ教会(同),コトルの聖ニコラス教会(同),モスタルの聖ペーター教会(ボスニア・ヘルツェゴビナ),ザグレブの聖母被昇天大聖堂(クロアチア),ザグレブの聖マルコ教会(同),ザグレブの聖カトリーナ教会(同),オランダ広場の教会(マレーシア),セントポール教会跡(同)の写真を載せました.

ブエノスアイレス大聖堂

ブエノスアイレス大聖堂(the Cathedral of Buenos Aires)外観

エノスアイレス大聖堂(the Cathedral of Buenos Aires)外観

同大聖堂主礼拝堂内部

同大聖堂主礼拝堂内部

え~っ,これが大聖堂!,とびっくりした.ギリシャの古い建物,グレコローマン様式,..のように見える.でも中に入って見ると,完全に伝統的な大聖堂/カトリック教会のデザインだ.主祭壇前の大礼拝堂の壁や天井は装飾的で荘厳だ.

ごく最近2013年3月に新しく選出された第266代ローマ法王(教皇)フランシスコ一世 (ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ氏)は本ブエノスアイレス大聖堂の出身で,南米からの法王選出は初めてということだ.

以上パタゴニア紀行2013/ブエノスアイレスのページから.

5月広場駅脇の教会

ブエノスアイレス(Buenos Aires)5月広場(Plaza de Mayo)駅脇の教会

ブエノスアイレス5月広場(Plaza de Mayo)駅脇の教会

ブエノスアイレスの5月広場(Plaza de Mayo)駅脇には日曜市場が開かれ,賑わっていた.市場通りにはこのようないかにもカトリックデザインの教会が建てられており,日曜ミサの後で市場を覗くのにちょうど良さそうだ.

以上パタゴニア紀行2013/ブエノスアイレスのページから.

花蓮の教会

花蓮(Hualien)の教会

花蓮(Hualien)の教会

花蓮周辺は先住民が多く住み,多くはカトリック教徒だそうで,教会も多い.大理石工場近くのこの教会の外壁は花蓮らしく石,モザイク状石で覆われ,美しい.

以上台湾めぐり2012/花蓮のページから.

ダージリンの教会

ダージリン(Darjeeling)の教会

ダージリン(Darjeeling)の教会

ダージリンなのでヒンドゥーに加えて仏教徒も多いであろう.それだけでなくこのように立派なキリスト教会もちゃんと存在する.このデザインや古さからするとイギリス統治時代からの建物であろうか?

以上シッキムトレック2012/ダージリンのページから.

ソウルのプロテスタント教会

ソウル(Seoul)のプロテスタント教会

ソウル(Seoul)のプロテスタント教会

ソウルレキシントンホテルの窓から眺めると十字架のネオンサインを掲げた大きな教会が見えた.プロテスタント系教会だそうで,かなり大きい.いやそれどころか,これに隣接する幾つもの建物は全てこの教会の関連施設であるそうだ.韓国では人口の1/3くらいはプロテスタント教徒だそうで,収入の一定割合のお金が教会に寄付されるそうだ.なので教会は非常にお金持ちだそうである.

以上韓国の旅2012/ソウルのページから.

サイゴンノートルダム大聖堂

サイゴンノートルダム大聖堂(Saigon Notre Dame Cathedral)

サイゴンノートルダム大聖堂(Saigon Notre Dame Cathedral)

サイゴンノートルダム大聖堂(Saigon Notre Dame Cathedral)はサイゴン中央郵便局とは目と鼻の先にある.聖母マリア教会,サイゴン大教会と呼ばれることもあるようだ.仏語ノートルダム(Notre Dame)はOur Lady/私達の貴婦人=聖母マリアさまを指しているそうだ.外側の色の如く主建材はレンガで,ネオゴシック様式(Neo Gothic Architecture)だそうだが,建設された1863年~1880年(植民地とされた時代)頃,元はイギリスに発祥しヨーロッパに広まった典型的カトリック教会建築様式であったようだ.なかなか立派な外観で,パリのノートルダム寺院より赤み掛かって見える.内部の装飾は比較的シンプルな印象だ.

以上ベトナム紀行2012/ホーチミン市(サイゴン)のページから.

ヤンゴンの教会

ヤンゴンの教会(a Church in Yangon)

ヤンゴンの教会(a Church in Yangon)

宿泊したPark Royal Hotelからバスで少し行った所にキリスト教会が建っていた.ピカピカなパゴダが林立するヤンゴンだけにかなり目立つ立派な建物だ.

以上ミャンマー紀行2011/ヤンゴンのページから.

ヤンゴン市庁舎近くの教会

ヤンゴン市庁舎近くの教会(a church near to the Yangon city hall)

ヤンゴン市庁舎近くの教会(a church near to the Yangon city hall)

ヤンゴン市庁舎付近は英統治時代の建物が多く残っている.この教会もその当時から在るものであろう.

以上ミャンマー紀行2011/ヤンゴンのページから.

ブレッドの聖マーチン(マルティン)教会

ブレッドの聖マーチン(マルティン)教会(Church of St. Martin in Bled)

ブレッドの聖マーチン(マルティン)教会(Church of St. Martin in Bled)

昼食のレストラン近くに立派な教会が見えていた.尖塔や屋根の模様がシックでとても美しい.聖マルティンは,4世紀の頃,ハンガリーに住まう勇敢な男の子で,ローマ皇帝軍の兵士になるのが夢だった.ある極寒の日,兵役中だったマルティンは寒さと飢えに苦しむ乞食に出会い,自分のマントを剣で半分に切って与えたそうだ.で,その晩,夢にキリストが現れ,いろいろな言葉を聞いたそうな.そして翌朝には切ったマントが元通り復元していたそうである.その後,マルティンは貧民を救う聖職者を志したそうである.そして,やがてマーティンは人々に慕われる立派な司教になったということである.

以上バルカンの旅2011/ブレッドのページから.

ブレッドの聖マリア教会

ブレッドの聖マリア教会(St. Mary's Church of the Assumption in Bled)

ブレッドの聖マリア教会(St. Mary's Church of the Assumption in Bled)

教会に入ると主祭壇の立派な金ピカの聖母マリア像が眼に入る.教会は8~9世紀に建立され,途中ロマネスク様式,ゴシック様式への変遷を経て,17世紀に現在のバロック様式に改築されたそうである.このマリア像もそのバロック様式となっているようである.

教会はブレッド湖中ほどのブレッド島にあり,上陸すると直ぐに教会に登る98段の階段が目の前に立ちはだかる.この教会で結婚式を挙げるのはスロベニアの人たちに人気だそうで,予約でいっぱい,1年待ちとか.ただし花婿は花嫁を抱えてこの98段を登り切るのが慣わしだそうで,登り切る自信のない男は諦めねばならないようだ.

以上バルカンの旅2011/ブレッドのページから.

ブレッド城の礼拝堂

ブレッド城の礼拝堂(chapel of the Bled castle)

ブレッド城の礼拝堂(chapel of the Bled castle)

ブレッド城本丸の一画には小さな礼拝堂があり,中央には現代風デザインの聖マリアと抱かれたキリストの像,そして壁際には右の写真,歴史を感じさせる像があった.でもこの人物がだれであったか.....思い出せない.天井や壁は剥がれかかっているが多くのフレスコ画が描かれている.

以上バルカンの旅2011/ブレッドのページから.

ピランの聖ユーリ教会

ピランの聖ユーリ教会(Cerkev svetega Jurija)

ピランの聖ユーリ教会(Cerkev svetega Jurija)

1334年ルネサンス様式で建立され,17世紀になってバロック様式に改築され,現在はそれらル2様式併せ持つに至ったようだ.夜人気のない後部入り口から眺めただけであるが正面はもちろん天井に至るまで随分華やかでまた他にあまり類を見ないユニークな装飾の印象だ.

以上バルカンの旅2011/ピランのページから.

ザダールの聖フランシスコ修道院

ザダールの聖フランシスコ修道院(Franciscan Monastery)

ザダールの聖フランシスコ修道院(Franciscan Monastery)

フランシスコ会は13世紀初頭イタリア中部のフランチェスコによって始められ,既に16世紀には日本にも入っていたようだ.

以上バルカンの旅2011/ザダールのページから.

ザダールのストシャ大聖堂

ザダールのストシャ大聖堂(Cathedral of St. Anastasia)

ザダールのストシャ大聖堂(Cathedral of St. Anastasia)

守護聖人ストシャの名を冠した聖堂.その聖ストシャとは,4世紀頃キリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝時代,火あぶりの刑で殉教したローマの女性だそうだ.12世紀にロマネスク様式で建設が始まり,途中上述の同胞十字軍に襲われたりしたりもして1324年に完成したそうである.他にも幾度かの破壊される不遇に遭いその都度修復を重ね,現在はロマネスク様式とゴシック様式が入り混じった様式となっているようだ.

以上バルカンの旅2011/ザダールのページから.

ザダールの聖ドナト教会

ザダールの聖ドナト教会(Church of St. Donat)

ザダールの聖ドナト教会(Church of St. Donat)

上からみると十字架の形が圧倒的に多い教会建築の中で円筒型であることが大変珍しい.ローマ遺跡の石材が多く転用され,東方ビザンチン様式なのだとか....9世紀に建立されたそうで,ザダールの象徴的建物となっているようだ.この形状は音響効果が良好でコンサートもに向いているそうだ.もちろん普段の礼拝時の合唱やオルガン演奏にも良かろう.

以上バルカンの旅2011/ザダールのページから.

ザダールの聖マリア教会

ザダールの聖マリア教会(St. Mary's Church in Zadar)

ザダールの聖マリア教会(St. Mary's Church in Zadar)

ルネッサンス様式という丸い形状が特徴的.ベネディクト派修道女の修道院ということだ.天気が悪いせいもあろうが,外観はなかなかシビアな印象だ.ベネディクト会はカトリック教会最古の修道会であるそうだ.

以上バルカンの旅2011/ザダールのページから.

シベニクの聖ヤコブ大聖堂

シベニクの聖ヤコブ大聖堂(Cathedral of St. James, Sibenik)

シベニクの聖ヤコブ大聖堂(Cathedral of St. James, Sibenik)

1400年代初頭からゴシック様式で工事始められ,途中ルネサンス様式が加味され,1555年に完成したそうである.1991年セルビア人部隊によるシベニク砲撃で大規模に破壊されたが,数年の後殆ど損傷のない状態までに修復されたそうである.また建築的観点では,レンガや木の補助材を全く使わず建てられた石造建築の教会としては,世界最大ということだ.2000年世界遺産登録.

以上バルカンの旅2011/シベニクのページから.

シベニクの聖バルバラ教会

シベニクの聖バルバラ教会(Church of St. Barbara, Sibenik)

シベニクの聖バルバラ教会(Church of St. Barbara, Sibenik)

夜なのに3時8分と馬鹿げた時間を指しているな~と思ったら,24時間時計らしい.で,写真のExifデータを見ると18:03となっている.24時間時計といっても午前午後反対になっているような....???

聖バルバラ( St. Barbara)とは正教会,非カルケドン派,一部の東方教会で崇敬される聖人で,建築家や石工,砲手,消防士,鉱夫,囚人の守護聖人である,ということだ.

以上バルカンの旅2011/シベニクのページから.

スプリット大聖堂

スプリット大聖堂(Split Cathedral)

スプリット大聖堂(Split Cathedral)

スプリト大聖堂は元々ディオクレティアヌス帝の霊廟として造られたものを,後の世に教会に転用したのだそうだ.大聖堂内部を見ることはできず単に写真の鐘楼など眺めただけだが,それなりの面白い.6層の鐘楼はロマネスク様式なのだそうだが全然痛んでおらず,石材の合わせ目は隙間なく,表面も真平ら,円柱飾り彫刻もくっきり,そんな風に見える.

以上バルカンの旅2011/スプリットのページから.

ドブロヴニクのフランシスコ修道院

ドブロヴニクのフランシスコ修道院(Franciscan Monastery, Dobrovnik)

ドブロヴニクのフランシスコ修道院(Franciscan Monastery, Dobrovnik)

回廊の石柱の彫刻が一本一本異なることや,回廊上部に上流階級故人の棺などが設置されていると聞いてちょっと驚いた.修道院の入口辺りにはマラブラーチャ薬局(Ljekarna Mala braca)という薬屋さんがあった.ヨーロッパで3番目,1317年開業というのもすごいが,現に今もこうして継続して営業していると聞けばさらに驚く.

以上バルカンの旅2011/ドブロヴニクのページから.

ドブロヴニクの聖ブラホ教会

ドブロヴニクの聖ブラホ教会(Church of St. Blasius, Dobrovnik)

ドブロヴニクの聖ブラホ教会(Church of St. Blasius, Dobrovnik)

聖ブラホ教会(Church of St. Blasius)は14世紀に建てられ,途中火災に遭い,1715年にバロック様式で再建されたそうである.聖ブラホという人はドブロヴニクの守護聖人ということだ.聖ブラホ教会前には剣を翳した若い男の像,騎士ローラントの像というのがあり,ロ-ラントの右腕手からひじまでの長さ(51.2cmだそうだ)は「ドブロブニクの肘」として長さの基本単位とされていたそうだ.

以上バルカンの旅2011/ドブロヴニクのページから.

ドブロヴニク大聖堂

ドブロヴニク大聖堂(Dubrovnik Cathedral)

ドブロヴニク大聖堂(Dubrovnik Cathedral)

大聖堂は最初はロマネスク様式で建てられたが,1667年の大地震で崩壊したため,後にバロック様式で再建されたものだそうだ.中に入ると採光も良好でなかなか美しい.写真中央下側主祭壇正面に,イタリアの画家ティツィアーノの「聖母被昇天」が掲げられているので聖母被昇天大聖堂(Cathedral of the Assumption)とも呼ばれるようだ.「聖母被昇天」とは何か?ウィキペディアを覗かせてもらうと,聖母マリアがその人生の終わりに肉体と霊魂を伴って天国に上げられたという信仰,とのこと.

以上バルカンの旅2011/ドブロヴニクのページから.

コトルの聖トリフォン大聖堂

コトルの聖トリフォン大聖堂(Cathedral of St. Tryphon, Kotor)

コトルの聖トリフォン大聖堂(Cathedral of St. Tryphon, Kotor)

コトルで最も有名とされる元々は809年,その後1166年ロマネスク様式での建立,コトルの守護聖人トリフォン(またはトリプン)を祀ったカトリック教会という.聖トリフォンは3世紀の人で,ワインなどとも関わりがあるらしい.教会には2つの鐘楼があり,右側には時計が付いていり,屋根上の十字架は,よく見かける普通のカトリック十字である.左には建立年の「809」が,右には1200周年記念の「2009」のプレートが嵌めこまれている.アドリア海沿岸も地震多発地帯のようで,つい最近1979年にも大地震に見舞われ,大きな被害を被ったが何とか修復したそうだ.

以上バルカンの旅2011/コトルのページから.

コトルの聖ルカ教会

コトルの聖ルカ教会(Church of St. Luke, Kotor)

コトルの聖トリフォン大聖堂(Cathedral of Saint Tryphon, Kotor)

教会広場にある小さい方,ロマネスク様式の教会で,前記聖堂から少し遅れる1195年に,やはりカトリック教会として建立されたそうだ.ただそれが17世紀半ばになると,多分政治的支配権のせいであろうが正教徒の教会に変わっていったという.ただカトリックも完全に排除するという訳ではなく,19世紀まで両者の祭壇が共存していたとも言われるようだ.なお聖トリフォン大聖堂が大被害を受けた過去2度の大地震(1667年と1979年)に耐えたそうであるから頑丈な造りなのであろう.

以上バルカンの旅2011/コトルのページから.

コトルの聖ニコラス教会

コトルの聖ニコラス教会(Serbian orthodox church of St Nicolas, Kotor)

コトルの聖ニコラス教会(Serbian orthodox church of St Nicolas, Kotor)

素人目にも屋根上の十字架,『き』のようなデザインが東方教会系であることを窺わせている.セルビア正教教会だそうで,1909年建立と新しい.ただいきなり建てられたという訳ではなく,以前在った教会が19世紀末に火災で焼失し,その跡地に10年もの月日を費やして再建されたということだ.東方教会に相応しく(新)ビザンティン様式であるそうだが,上述のカトリックの聖トリフォン大聖堂との違いが,十字架のデザイン以外よく判らないのが悲しい.どちらも2つの鐘楼があるし.....

以上バルカンの旅2011/コトルのページから.

モスタルの聖ペーター教会

モスタルの聖ペーター教会(Catholic Church St. Peter and Paul, Mostar)

モスタルの聖ペーター教会(Catholic Church St. Peter and Paul, Mostar)

モスタルにおけるカトリックの歴史として,1533年に最初のフランシスコ修道院,そうドブロヴニクで訪れたあの修道院の系統,が建立されたそうだ.だが16世紀末頃オスマントルコに攻め入られ,破壊されたそうである.そのため暫くカトリックは自分たちの教会を持てなかったが,ようやく1847年に聖ペーター教会を建立するに至ったそうだ.そして教区の司祭と修道士の本部がそこに置かれたようである.なお現在の建物はかなり新しそうであるので,ボスニアヘルツェゴビナ紛争若しくはそれ以前に破壊され,建て直されたのであろうか.

以上バルカンの旅2011/モスタルのページから.

ザグレブの聖母被昇天大聖堂

ザグレブの聖母被昇天大聖堂(Cathedral of Assumption of the Blessed Virgin Mary, Zagreb)

ザグレブの聖母被昇天大聖堂(Cathedral of Assumption of the Blessed Virgin Mary, Zagreb)

ハンガリーに支配されていた11世紀頃,既に司教座のある教会,即ち大聖堂があったという.その後ロマネスク様式で建て替えられたが13世紀になってモンゴル軍の襲来で破壊(ひどい!)され,その後今度はゴシック様式で建て替えられたそうである.で,さらにその後,オスマントルコ襲来はなんとか凌ぎ(近くに当時の城塞跡が残っている),大地震でダメージを受けたがネオゴシック様式で修復,ついでに2つの高い鐘楼が加えられ,それが現在の基本的な姿となっているようだ.ただこの鐘楼は加工の楽な砂岩で組まれ耐震性に問題があり,より強度の高い石灰岩に取り替えるなどの大工事を行っている最中,のと云うのが今見ている光景ということだ.

以上バルカンの旅2011/ザグレブのページから.

ザグレブの聖マルコ教会

ザグレブの聖マルコ教会(St. Mark's Church, Zagreb)

ザグレブの聖マルコ教会(St. Mark's Church, Zagreb)

15世紀建立のネオゴシック様式であるそうだが,部外者にはとにかくインパクトのある屋根だ.赤,白,茶,青などのモザイク瓦葺きで,左側がクロアチア王国,ダルマチア地方,スラヴォニア(?)地方の紋章,右がザブレブの紋章だそうだ.これらの紋章は最初からあったのではなく,1880年大地震で壊れ,復旧するときに加えられたそうである.間近で見ると絵柄は大変ジャギー(斜線のギザギザ)が目立つ.その昔ディプレイ装置の画素数が少なかった頃,アイコンなどを少ない画素数で苦労してデザインした(デザイン部門の人だが)時代が偲ばれる.

以上バルカンの旅2011/ザグレブのページから.

ザグレブの聖カトリーナ教会

ザグレブの聖カトリーナ教会(Church of St. Catherine, Zagreb)

ザグレブの聖カトリーナ教会(St. Mark's Church, Zagreb)

バロック様式で17世紀の建立だそうだ.聖カトリーナ(St. Catherine)と言えば,5年ほど前に訪れたシナイ半島のセントカトリーナ修道院が思い出される.その聖カトリーナは294年,エジプトのアレクサンドリアで生まれ,哲学,医学等を学び,やがて洗礼を受け,クリスチャンになる.4世紀初めの迫害の時代に,彼女は偶像崇拝を非難し,18歳で殉教したそうで,この教会はその人に因むのではなかろうか.

以上バルカンの旅2011/ザグレブのページから.

オランダ広場のキリスト教会

マラッカのオランダ広場キリスト教会(Dutch Square and the Christ Church)

マラッカのオランダ広場キリスト教会(Dutch Square and the Christ Church)

オランダが強かった頃ここら一帯にいろいろ建設したそうだ.一つはこのキリスト教会で,正面にChrist Church Melaka 1753と書かれており,1753年建立のようだ,Melakaはマラッカのマレーシア語(それと蘭語もか?)だそうだ.オランダがポルトガルに打ち勝って,マラッカを占領した100周年の記念事業として建設が始められ,10年余を経て完成したそうだ.つまり1650年頃には既にオランダが支配していた訳だ.

以上マレーシア紀行2011/マラッカのページから.

セントポール教会跡

マラッカのセントポール教会跡(Ruins of St. Paul Church)

マラッカのセントポール教会跡(Ruins of St. Paul Church)

オランダ広場から少し登った丘の上にセントポール教会跡と,その庭にフランシスザビエル像があった.マラッカ王朝を駆逐し,占領したポルトガル軍が1521年に建立したカトリック教会だったそうだ.当時ヨーロッパではプロテスタント運動が起こり,それまでのカトリックと対立.また丁度大航海時代も始まり,カトリックはアジアに活路を求めた頃だそうで,その布教組織がイエズス会,アジア担当CEOが(聖)フランシスザビエル氏だったということだ.

以上マレーシア紀行2011/マラッカのページから.


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