このページでは既存ページから転載し,キリスト教会,聖堂,修道院など,キリスト教関連施設の写真を集めました.具体的にはアバタバードの教会(パキスタン),ナイロビの教会(ケニア),ゼンコフ教会(カザフスタン),エチミアジン大聖堂(アルメニア),聖フリプスィメ教会(同),セバン湖の教会(同),ハガルシン修道院(同),ハフバット修道院(同),メテヒ教会(グルジア),シオニ大聖堂(同),アンティイコン教会(同),カシュベティ教会(同),ジュワリ聖堂(同),スヴェティツホヴェリ聖堂(同),アラベルディ修道院(同),イカルト修道院(同),シナイ山頂上の礼拝堂(エジプト),セントカトリーナ修道院(同),マダバのギリシャ正教会(ヨルダン),ネボ山とモーセ記念教会(同),アデンの教会(イエメン),ツェルマットの教会(スイス),リンデルワルトの教会(同),サンルイ教会(チュニジア),アギオスヨルギオス教会(ギリシャ),リマ大聖堂(ペルー),リマサンフランシスコ教会(同),ラコンパーニャデヘスス教会(同),クスコ大聖堂(同),サントドミンゴ教会(同),コロンボの教会(スリランカ),アルメニア教会(イラン)の写真を載せました.
パキスタン/アバタバードの教会(Church in Abbottabad)
パキスタンではモズレムが殆どを占めるが,クリスチャンも幾らかいるそうで,イスラマバード郊外には真新しい教会が見られた.シンプルでしゃれたデザインだ.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/ベシャムへのページから.
ナイロビの教会(a church in Nairobi)
近くにキリスト教会があった.日本語が堪能なドライバ,名前は失念したが,によれば,ケニアでは70%がキリスト教徒,20%がイスラム教徒,残り10%がマサイ族などの土着宗教だそうだ.ここもタンザニアと同様イスラム教徒は沿岸部に集中しているのであろうか.
以上キリマンジャロの旅2007/ナイロビから帰国のページから.
アルマトイのゼンコフ教会(Zenkov cathedral in Almaty)
このカラフルな教会は上述のパンフィロフ公園の内側にあって,ロシア正教の教会だ.木造で,日本の伝統的寺社建築と同様釘を使っていないという.それでいて2度の大地震に耐えた強度があるそうだ.1900年代初頭の建立であるが,間もなく突入したソ連時代に信教の自由は無く,この教会もまた封鎖されたか倉庫か何かの用途に供されたようである.
以上中央アジアの旅2007/アルマトイのページから.
アルメニア/エチミアジン大聖堂(Echmiadzin cathedral compound)
聖グレゴリウスというアルメニアでの布教を強力に推し進めた人がいた.あるとき,幻でキリストが地上に降り,金の槌で地上を打つシーンを見た聖グレゴリウスは,これを神のお告げとして,303年ここに木造の教会を建てた.これがエチミアジンの始まりだそうである.5世紀に石造りに建て替えられ,7世紀には修復が行われ,現在の建物は17世紀に再建されたものだそうだ.アルメニア正教の総本山で,カトリックのバチカンに相当するそうだ.
以上コーカサスの旅2007/エチミアジンのページから.
エチミアジンの聖フリプスィメ教会(St. Hripsime church in Echmiadzin)
3世紀後半,ローマにフリプスィメという美しい尼僧がいたそうだ.ローマ帝国ディオクレティアヌス皇帝がフリプスィメをわがものにしようとして言い寄ったが,彼女はこれを拒絶され,アルメニア国王の差し向けた追っ手に惨殺されてしまったのだそうである.後,罪の報いで重い奇病にかかったアルメニア国王は,先にキリスト教に改宗していた妹の忠告で,15年間牢につながれていた聖グレゴリウスを解放した.すると病が癒されたそうな.さらに過去の罪を悔い改めてキリスト教を受け入れ,国教にしたのだという.またこの教会を建設し,地下墓地に聖フリプスィメを葬ったようである.
以上コーカサスの旅2007/エチミアジンのページから.
セバン湖の聖マリアム教会(左)と聖アラケロツ教会(右)
(Saint Mary's Church and Saint Arakelots Church on Lake Sevan peninsula)
セバン湖は2,000mくらいに位置している.湖の西側に半島があり,9世紀建立というこの2つの教会がある.素朴にして長年風雪に耐えた重厚な風格を漂わせている.聖マリアム教会の礼拝堂にはキリストを抱くマリア図が掲げられていた.
以上コーカサスの旅2007/セバン湖のページから.
アルメニア/ジイリジャンのハガルシン修道院(Agartsin monastery in Dilizhan)
樹木が茂る山と谷の景観の中にハガルシン修道院があった.これまでに訪れた教会や修道院同様中世の香りを漂わせている.実際中世アルメニアで,重要な文化的役割を担っていたようであるが,現在常駐の修道僧は居ない様子だった.寺守りの方が一人でここ全体の管理をされているようだ.巡礼者や見学者が来ると,礼拝堂や食堂のカギを開け,蝋燭を渡したり説明をしてくれる.
以上コーカサスの旅2007/ジイリジャンのページから.
アルメニア/ハフバット修道院(Monasteries of Haghpat)
10世紀中ごろから建造が始まったというハフバット修道院.建物は複数が増築で連なったようなスタイルだ.それぞれ別の時代に建て増しされたのであろう.それでも石造りで円錐形の屋根などは,他のアルメニアの教会建築様式と共通であろう.ここも常駐の僧侶や修道士は居ないようである.旧ソ連時代に荒廃した建物を修復し,世界遺産(文化遺産)に登録された経緯があるようで,宗教活動にまで復旧するのはこれからなのかも知れない.
以上コーカサスの旅2007/ハフバット修道院のページから.
グルジア/トビリシのメテヒ教会(Metekhi church in Tbilisi)
メテヒ教会内部(inside Metekhi church)
ムトゥクヴァリ川北側河岸の丘に立つ.歴史は5世紀の殉教者,聖シュシャニック(Shushanik)まで遡り,元々の建物は12~13世紀,モンゴルの侵略で破壊されたようだ.現存の建物は12世紀のゴルガサリ(Vakhtang Gorgasal(i))王(庭のブロンズ像の主)の後継者が居城として13世紀に建設したようである.
以上コーカサスの旅2007/トビリシのページから.
グルジア/トビリシのシオニ大聖堂(Sioni Cathedral in Tbilisi)
グルジア正教会の総本山シオニ大聖堂を訪れた.歴史は6~7世紀くらいまで遡るという.過去に異教徒の破壊やモスクへの転換が何度かあったが,シオニ大聖堂は今も髪の毛とブドウの茎で編んだと伝えられる聖ニーナ(St. NinaまたはNino)の十字架が納められているトビリシの主要教会だという.
以上コーカサスの旅2007/トビリシのページから.
グルジア/トビリシのアンティイコン教会(Anchiskhati Basilica of St Mary in Tbilisi)
6世紀建立でグルジアで最も古い教会の一つだそうだ.Anchiskhatiという言葉がわかり難いが,辞書などで調べると,救世主即ちキリストのイコン,ではなかろうか.Basilicaは広辞苑にも載っており,教会堂のようなので,結局キリストのイコンを抱く聖マリア教会,となろうか.(現在の筆者解釈)
以上コーカサスの旅2007/トビリシのページから.
グルジア/トビリシのカシュベティ教会(Kashveti Church of St. George)
ホテル近く,国会議事堂の向かいにはカシュベティ教会という教会があった.道行く人が,時々立ち止まり十字架を切ったり,お祈りしている姿が見られる.また教会内で灯すのであろう,道端で蝋燭を買い求める人々も多く見られる.
以上コーカサスの旅2007/トビリシ(続) のページから.
グルジア/ムツヘタのジュワリ聖堂(Jvari Church in Mtskheta)
アラグヴィ(Aragvi)川の東岸丘の上にジュワリ聖堂があった.グルジアにキリスト教を伝え広めた後述の聖女ニーナ(St. NinaまたはNino)が最初に十字架を立てた場所に,6世紀半ばに建設された聖堂だそうで,グルジアで最も神聖な場所の一つだそうだ.
以上コーカサスの旅2007/ムツヘタのページから.
ムツヘタのスヴェティツホヴェリ大聖堂(Svetitskhoveli Cathedral in Mtskheta)
4世紀聖ニーナ(St. NinaまたはNino)によって建立されたというグルジアで最古にして最大の教会.現在の建物は11世紀の再建で,337年にキリスト教を国教化したミリアン王夫妻の墓があるそうだ.今もグルジア正教の大きな儀式はここで執り行われるという総本山的寺院のようだ.
以上コーカサスの旅2007/ムツヘタのページから.
グルジア/カヘチアのアラベルディ修道院(Alaverdi monastery in Kakheti)
この修道院の歴史は6世紀まで遡るそうだ.アッシリアの修道僧ジョセフ(Joseph)という人がここアラベルディに落ち着き,建立したそうである.現在も大聖堂の周囲に建てられた僧院には修道僧が暮らしている.ちゃんと家畜もいたし,畑もあった.入り口では担当の修道僧が見学ルールを説明してくれていた.
以上コーカサスの旅2007/カヘチアのページから.
カヘチアのイカルト修道院(Ikalto Monastery in Kakheti)
このイカルト修道院は,前述のアラベルディ修道院から少しテラビ方向に戻ったところに位置している.とてもコンパクトな建物であるが白くて綺麗だ.ここも歴史があり,6世紀に聖ゼノン(St. Zenon)という人が創設したそうである.カヘチアの文化的中心として極めて重要な役割を果たし,当時著名な哲学者が学校(アカデミー)を作ったりしたのだそうだ.そこでは天文,工学,哲学,幾何学....等々教えたようである.
以上コーカサスの旅2007/カヘチアのページから.
シナイ山頂上の礼拝堂(The chapel on the summit of mount Sinai)
シナイ山はユダヤ教聖典(旧約聖書)で,モーセが創造神から十戒を授かったとされる山なのでユダヤ教,キリスト教,イスラム教の聖地.頂上にはユスティニアヌス帝によって築かれたという古代神殿跡に,1934年に建てられた三位一体の礼拝堂がある.気付かなかったが小さなモスクもちゃんと並んで建てられているそうだ.
以上中東の旅2006/シナイ半島のページから.
シナイ半島のセントカトリーナ修道院(St. Catherine Monastery)
セント(聖)カテリーナは294年,エジプトのアレクサンドリアで生まれ.彼女は哲学,医学等を学び,やがて洗礼を受け,クリスチャンになる.4世紀初めの迫害の時代に,彼女は偶像崇拝を非難し,18歳で殉教した.その後10世紀に,彼女の遺体は天使達によって聖カテリーナ山の頂上に運ばれたという伝説が広まったという.遺骨がフランスに移されると,伝説はヨーロッパ中に知れ渡り,シナイ山の修道院はセントカトリーナ修道院として知られるようになったという.
以上中東の旅2006/場シナイ半島所のページから.
マダバのギリシャ正教聖ジョージ教会(St. George's Church in Madaba)
この教会はモザイク地図で有名で,写真のように床に描かれたモザイク地図を見せてもらった.地名がギリシャ文字でなかなか読み難いが,6世紀(だったと思う)のエルサレムを中心とするパレスチナ全域の地図が描かれている.形は歪んでいるがトポロジカルには現在の地図に結構近いようである.
以上中東の旅2006/マダバとネボ山のページから.
ネボ山(Mt. Nebo)
モーセ記念教会(Moses Memorial Church)
モーセの終焉の地とされるネボ山には教会が建てられており,世界中からキリスト教徒の巡礼者が絶えないそうである.モーセ記念教会は,エジプトから来た修道士達によって4世紀ころに建てられたという旧教会の跡と,ビザンチン時代とされる古いモザイク画が残されている.
以上中東の旅2006/マダバとネボ山のページから.
イエメン/アデンの教会(Aden church)
アデンにはイエメン国民のキリスト教徒が2,000人ほどいるそうで,これはその教会.ランボーハウスからほんの少し歩いた場所だ.イスラム風のシンプルな様式を採りいれ,なかなか美しい.なお自国民のキリスト教徒はここアデン以外では皆無だそうである.
以上イエメンの旅2006/アデンのページから.
ツェルマットの教会(Zermatt church)
時計塔の付いたツェルマットの教会は街の中心部にある.ここで落命したアルピニストも埋葬された墓所も街並み同様れいに手入れされている.
以上アルプスハイキング2005/ツェルマットのページから.
グリンデルワルトの教会(Grindelwald church)
アイガー登山の基地,北面を望むグリンデルワルトにも時計塔の付いた教会があった.こぢんまりしているがシンプルなデザインと周りと調和した色合いが秀逸だ.
以上アルプスハイキング2005/グリンデルワルトのページから.
カルタゴのサンルイ教会(Saint Louis church in Carthago)
ビュルサの丘に経つサンルイ教会.1881年統治宣言を下したフランスが,後の1890年建立したキリスト教会だそうである.チュニジア人は100%!!イスラム教徒,キリスト教徒は外国人だけです,と聞くので,専ら外国人のための教会のようだ.
以上チュニジアの旅2005/カルタゴのページから.
リカベトスの丘のアギオスヨルギオス教会(Church of Agios Georgios on mt. Lycabettus)
地下鉄Evangelismos駅を降りてから,リカベトスの丘に登る.やがて19世紀建立というギリシャ国旗を掲げたアギオスヨルギオス教会の鐘楼が見えてくる.
以上アテネの旅2004/リカベトスの丘のページから.
リマ大聖堂(Lima Cathedral)
リマのマヨール広場に面した大聖堂.フランシスコピサロの遺体が安置されているそうである.
以上南米の旅2004/リマのページから.
リマのサンフランシスコ教会(Saint Francis church in Lima)
こちらもリマのマヨール広場近くにああった.1656年の地震により崩壊後1672年再建されたそうである.緻密なペルー17世紀バロック様式が美しい.
以上南米の旅2004/リマのページから.
ラコンパーニャデヘスス教会(La Compania de Jesus (Jesuit Church) in Cusco)
現代のクスコの中心,アルマス広場にあるカトリック教会.
以上南米の旅2004/クスコのページから.
クスコ大聖堂(Cusco Cathedral)
同じくアルマス広場にある大聖堂
以上南米の旅2004/クスコのページから.
クスコのサントドミンゴ教会(Santo Domingo church in Cusco)
現在は,太陽の神殿の一部が残されているに過ぎない.16世紀インカ帝国を征服したスペイン人は,太陽の神殿の石組みだけ利用して現在のサントドミンゴ教会を建設した.そこには,インカ石組みの神殿と言われる部屋がいくつか並んでいる.
以上南米の旅2004/クスコのページから.
コロンボの小さな教会(a smal church in Colombo)
スリランカは仏教徒が多数を占めるが,イスラム教徒も多く,しばしば争いが報道されている.キリスト教徒(カトリック)は寧ろイスラム教徒より多く,人口の一割余りを占めるようだ.写真のような教会や路傍にはマリア像も据えられていた.
以上スリランカの旅2004/コロンボのページから.
イスファハンのアルメニア教会(Armenian Cathedral in Esfahan)
イスファハンには13のアルメニア正教教会があるそうである.ここは観光客に開かれているバンク教会.この周囲にはアルメニア人街が広がっているようである.内部は金色を多用したフレスコがたくさん掲げられている(ただし撮影禁止).アッバース一世が,16世紀初頭に優れたアルメニア職人や商人をイスファハンに呼び寄せたのがこの地区の始まりだそうである.
以上イランの旅2003/イスファハンのページから.