このページでは既存ページから転載し,サモス修道院(スペイン),聖ラザロ礼拝堂(同),ラメルセド修道院(同),バルバデロのサンティアゴ教会(同),ポルトマリンの聖ニコラス教会(同),オスピタルの小礼拝堂(同),パラスデレイの聖ティルソ教区教会(同),フロレス聖域のサンフアン教会(同),ボエンテのサンティアゴ教区教会(同),アルスーアのサンティアゴ教区教会(同),サンタルチア教会(同),モンテドゴソ(同),サンタマリア教区教会(同),サンティアゴ大聖堂(同),サンフランシスコ修道院教会(同),サンマルティン修道院(同),ノートルダムドアフリク大聖堂(アルジェリア),ティパサのバシリカ大聖堂跡(同),ジェミラ洗礼堂(同),サパ教会(ベトナム北辺),ベイルート郊外の教会(レバノン),ビブロスの聖ジョンマルク教会(同),カディーシャ渓谷の教会(同),聖ミハエル教会(同),シャーレ杉保護区入り口の礼拝堂(同),ブシャーレ杉保護区マロン派教会(同),私達の待っている聖母マリア教会(同),ハリッサ大聖堂とレバノンの聖母(同),ソフィア教堂(中国ハルビン),カラコルの三位一体教会(キルギスタン),ビシュケクのロシア正教会(同),ベラパイス修道院(北キプロストルコ共和国),聖ヨハネ教会(キプロス),聖十字架教会(同),山中の教会1(同),山中の教会2(同),アラカ教会(同),ポディトゥ聖堂(同),キコス修道院(同),聖キリヤキ教会(同),パフォスの正教会(同),聖ラザロ教会(同)の写真を載せました.
サモス修道院(スペイン)
サモスの街に入る手前でサモス修道院を眺めた.エクステリアが統一された複数の建物がある.相当大きい.修道院は谷あいの地にあり,周囲は全て緑の山に囲われている.ただ残念ながら中は見せてもらえなかった.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼27日目:サリアへのページから.
聖ラザロ礼拝堂(スペイン)
アルベルゲ(Albergue San Lazaro Sarria)の直ぐ近所,アルベルゲの名にもなっている聖ラザロ礼拝堂(Capela de San Lazaro)があった.随分コンパクトな建物で,かわいらしい.聖ラザロ(San Lazaro)はイエスの友達で,一度亡くなって棺に収まっていたが,それを知ったイエスが「ラザロよ起きなさい」と言ったところ蘇ったというあの人だ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼27日目:サリアへのページから.
ラメルセド修道院(スペイン)
サリアの丘の上のメルセド修道院(Convento de la Merced)にやって来た.石造りの随分大きな建物だ.最初13世紀に建設が始まり,この本体正面はルネッサンス様式ということだ.広い中庭を囲うようにアーチ型列柱の回廊が巡らされている.回廊は本体より古くロマネスク様式からゴシック様式への移行期の様式になるという.回廊の二階部分は格子窓の並ぶ部屋のようだ.修道士さんの住まう部屋なのであろうか.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼27日目:サリアへのページから.
バルバデロのサンティアゴ教会(スペイン)
サリアからしばらく進むとバルバデロという小さな村を通過した.村の教会はバルバデロのサンティアゴ教会(Iglesia de Santiago de Barbadelo)<と呼ばれるようだ.教会庭を囲むように集合墓地が築かれていのだが,平面状に並べるには敷地が足りなくなり,4階建ての立体構造になっていた(尤もここだけに限らないが).
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼28日目:ポルトマリンへのページから.
ポルトマリンの聖ニコラス教会(スペイン)
橋を渡りポルトマリンに着くと,坂のアーケードを上ると広場に出て,そこでこの聖ニコラス教会(Iglesia de San Nicolas)に出合う.ちょっと見,屋上の凹凸模様などから教会ではなく城塞のようなデザインだ.でもバラ窓などはやはり教会であろうか.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼28日目:ポルトマリンへのページから.
オスピタルの小礼拝堂
オスピタルの巡礼路を行くと,脇にごく小さなチャペルがあり,聖母マリア像が据えられていた.私も含めて多くの巡礼者がここでスタンプを押してもらった.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼29日目:パラスデレイへのページから.
パラスデレイの聖ティルソ教区教会(スペイン)
パラスデレイでは西の外れに泊まっていたので,今朝は西端へと歩く.途中聖ティルソ教区教会(Parroquia de San Tirso de Palas de Rei)があった.本体はかなり歴史があり,鐘楼はまだ新しいように見える.実際教会は12世紀終わりに建てられ,ロマネスク様式の半円形アーチや装飾のある柱はその当時のままであるらしい.鐘楼はロマネスク様式が保存されず,簡略化され改修されたようだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼30日目:リバディソ・ダ・ バイショへのページから.
フロレス聖域のサンフアン教会(スペイン)
フロレス聖域のサンフアン教会(San Juan de Furelos Sanctuary)礼拝堂内部を見せてもらった.主祭壇は複数の青い円柱で囲まれた内側に一体の男性立像が祀られている.この方がサンフアン(聖ヨハネ)なのでしょうか.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼30日目:リバディソ・ダ・ バイショへのページから.
ボエンテのサンティアゴ教区教会(スペイン)
こちらがボエンテのサンティアゴ教区教会(Igrexa Parroquial de Santiago de Boente)の礼拝堂.外観に劣らず内部も白を基調としたシンプルでさっぱりしたデザインだ.主祭壇の像はサンティアゴ教会なので当然であろうが杖を携え,ひげを蓄えたサンティアゴである.私達巡礼者には解り易い.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼30日目:リバディソ・ダ・ バイショへのページから.
アルスーアのサンティアゴ教区教会(スペイン)
アルスーアの街を進むとアルスーアのサンティアゴ教区教会(Parroquia de Santiago de Arzua)に出合う.異なる教区だが教会名が同じものはこれまでもあった.使徒サンティアゴに捧げられ,この地域に古代からあった寺院の上に建てられたそうだ.鐘楼(の一部か)は建設当時から維持されてきたもので,正面3つの丸窓を備えた石積み壁は新しく修復された部分のようだ.1936年から1942年の間,軍の兵舎として使用された歴史があるそうだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼31日目:ペドローソへのページから.
サンタルチア教会(スペイン)
サンパイオのサンタルチア教会(Iglesia de Santa Lucia y San Paio)に至り,中を見せてもらった.主祭壇には大きな羽をもった人物像が置かれている.この人がサンタルチアなのでしょうか.検索してみると,283年生まれの聖女で,304年に殉教したという.目と視覚障害者の守護聖人として,カトリックの少ない北欧でも尊敬されているという.それとサンタルチアと聞くとイタリアの歌を思い浮かべるが,正に彼女のことを称える歌だということだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼32日目:サンティアゴ・デ・コンポステーラへのページから.
モンテドゴソ(スペイン)
ンテドゴソ(Monte do Gozo)とは喜びの丘の意だそうで,カミーノ巡礼者がサンティアゴカテドラルを初めて目にして歓喜することに由来するそうだ.私の老眼では尖塔が少し見えたような.....丘には巨大な十字架のモニュメントが据えられていた.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼32日目:サンティアゴ・デ・コンポステーラへのページから.
サンタマリア教区教会(スペイン)
アザバチェリア広場(Plaza de La Azabacheria)から写したコルチセラの古いサンタマリア教区教会(Parroquia de Santa Maria la Antigua de la Corticela).サンティアゴ大聖堂はすぐそこであろう.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼32日目:サンティアゴ・デ・コンポステーラへのページから.
サンティアゴ大聖堂(スペイン)
32日目にしてサンティアゴ大聖堂(Catedral de Santiago de Compostela)に到着した.いや~大きいですな~また広場も大きく余裕ありますね.ゴロンゴロンして達成感を表現している人もいる.
とにかくサンティアゴのおかげか,あるいは神のおかげか,無事歩けたことに感謝したい.以前バスで来て見物したときとは違って,達成感,いや自己満足を抱くことができた.良かった.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼32日目:サンティアゴ・デ・コンポステーラへのページから.
サンフランシスコ修道院教会(スペイン)
サンティアゴ大聖堂到着の翌日,補修工事中の大聖堂の代わりにここサンフランシスコ修道院教会(Convento de San Francisco)で巡礼者ミサが執り行われた.
サンフランシスコ教会は道路から少し下がった位置にある大きな建物だ.Conventoは修道院の意味だそうなので,修道士さんの居住空間や修道の場も備えているのでしょう.歴史を遡ると,アッシジの聖フランチェスコの巡礼で1214年ここを訪れたのが始まりで,その後基本的な修道院が建設されたが18世紀に一部を残し崩壊し,17〜18世紀バロックと新古典主義様式で再建されたようだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼後のページから.
サンマルティン修道院(スペイン)
カテドラルは修復工事中で,私は入れないと思い込んでいたが,打ち上げお食事会前に愛知のSkさんより「いや,一部入って見ることができますよ」と聞き及び,慌てて修復工事中の建物に入ったら,それはサンマルティン修道院(Monteiro de san martin pinario)だった.
でもこのサンマルティン修道院もなかなかすごい装飾で驚いてしまった.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼後のページから.
ノートルダムドアフリク大聖堂(アルジェリア)
ノートルダムドアフリク大聖堂はフランスの植民地だった1858年~1872年にかけネオビザンティン建築様式で建造され,『アフリカの(d'Afrique)聖母マリアの(Notre-Dame)大聖堂(Basilica)』(Basilica of Our Lady of Africa)と名付けられ,カトリックのアフリカ本山に相当するのあろう.
以上アルジェリア紀行2018/アルジェ(前)のページから.
ティパサ(Tipaza)のバシリカ大聖堂跡
ティパサ遺跡は最初紀元前7世紀頃,古代フェニキア人によって作られ,その後2世紀にローマの植民都市となり,軍事的拠点として繁栄.カルド通り,デクマヌス通り,神殿,浴場,円形劇場,闘技場等々造られ,後にキリスト教が公認されバシリカ大聖堂が建設された.
以上アルジェリア紀行2018/ティパサ遺跡のページから.
ジェミラ洗礼堂跡
古代ローマのジェミラ遺跡には,ローマ帝国コンスタンティヌス帝が出したミラノ勅令によってキリスト教が公認されたのが313年で,その直後に造られたとみられるジェミラ洗礼堂跡が残されている.
以上アルジェリア紀行2018/ジェミラ遺跡のページから.
サパ教会(ベトナム北辺)
サパ広場(公園)に立ち,見上げると,サパ教会(Holy Rosary Church)が高く佇んでいた.白い石ブロックを積み上げた(そのため the Stone Churchの別名もあり)シンプルで美しい外観だ.仏支配下の1920年,仏建築家設計で建立されたカトリック教会だ.インドシナ戦争で一部破壊されたが1995年現在の姿に修復されたということだ
以上ベトナム北辺の旅2018/サパのページから.
ベイルート郊外の教会
ベイルート郊外を走っているとキリスト教会が見えた.比較的新しく建てられたように見える.キリスト教徒も,主流のマロン派に加え,ギリシア正教,カトリック,プロテスタントなど多くの宗派が入り組んでいるようである.
以上レバノン紀行2018/ビブロス遺跡のページから.
ビブロスの聖ジョンマルク教会(レバノン)
1115年頃,攻め入り,勝利した十字軍が聖ヨハネ教会(St. John's Church)として建立したそうだ.聖ヨハネはヨルダン川でイエスに洗礼を施したあのヨハネだそうだ.南側の壁はローマ様式,入り口のある北側の壁はアラブ様式となっているのが特徴だという.言われてみるとたしかに入り口ピロティはアラブ風だ.ただ当初の聖ヨハネ教会は18世紀にマロン派の聖ジョンマルク教会(Church of St. John-Mark)に改宗したそうで,併せて建物も改修されたのかもしれない.
以上レバノン紀行2018/ビブロス遺跡のページから.
カディーシャ渓谷の教会(レバノン)
カディーシャ渓谷脇を走っていると2つの教会が見えた.この辺りはマロン派信徒が多いと聞くので同派教会であろうか.
以上レバノン紀行2018/カディーシャ渓谷のページから.
聖ミハエル教会(レバノン)
聖ミハエル教会に入れてもらい,先ず主祭壇を眺めた.驚いたことに中央には大天使聖ミハエル(ミカエル,マイケル)が悪魔を踏み,剣をかざしている大きな絵が掲げられていた.これはちょっと珍しいのではないでしょうか.また天井を見上げるとやはりイエスの生涯を描いたフレスコ画で満たされている.
以上レバノン紀行2018/カディーシャ渓谷のページから.
ブシャーレ杉保護区入り口の礼拝堂(レバノン)
ブシャーレ杉保護区入り口に聖母子像を祀った小さな礼拝堂があった.保護区はブシャーレの範囲にあるので,マロン派の礼拝堂であろう.積まれた石灰岩(多分)ブロックの織りなす僅かづつ異なる淡い色あいモザイクがきれいだ.
以上レバノン紀行2018/ブシャーレ杉保護区のページから.
ブシャーレ杉保護区マロン派教会(レバノン)
林の中の一角に,名前は失念したが小さなマロン派教会があった.前日ここで結婚式が執り行われたそうだ.Cedars of Godの名のついた林の中であるので,まさに結婚式にはふさわしかろう.主祭壇中央にはキリスト像が,左下にはマリア像,右下にはキリスト抱いた聖ヨセフか?とにかく男性,の像があった.コンパクトながら全般に落ち着いたデザインの美しい教会だ.
以上レバノン紀行2018/ブシャーレ杉保護区のページから.
マグドゥーシュ村の私達の待っている聖母マリア教会(レバノン)
サイダから少し南下し,そして内陸に入りマグドゥーシュ村を訪れた.そして『私達の待っている聖母マリア教会(Our Lady of Awaiting church)』または別名『マントラの聖母マリア教会(Our Lady of Mantara church)』を見せてもらった.本教会はメルキットギリシャカトリック教会(Melkite Greek Catholic Marian shrine)ということだ.メルキットとは何でもビザンチン儀式キリスト教会ということで,イエスがここサイダで宣教中,聖母マリアがここの洞窟で帰りを待っていたと云ういわれに基づくそうだ.
以上レバノン紀行2018/サイダのページから.
>ハリッサ大聖堂とレバノンの聖母(レバノン)
ハリッサの高台に来ると超モダンなデザインのマロン派ハリッサ大聖堂があり,そしてレバノンの聖母(Our Lady of Lebanon)像が立つ.1904年仏からの寄贈で,高さ7m,重さ13トンあり,手はベイルートの方向に向けられているそうだ.またその台座は螺旋状石造りで,底部周囲64m,上部周囲12m,高さ20mということだ.多くの巡礼者が訪れるそうだ.
以上レバノン紀行2018/ハリッサの高台のページから.
ソフィア教堂(中国ハルビン)
日露戦争(1904-1905年)2年後の1907年,帝政ロシア兵士の軍用教会として創建され,以降拡張工事が行われ1932年に現在のこの姿になったそうだ.日露戦争時日本人も1000人以上住んでおり,勝利したのだが,ハルビンのロシア統治は継続されたのであろう.ドームの形や,その上の斜め棒の加わった十字架の形で正教会だと判る.ただ現在ロシア人はおらず,また当地中国市民の正教徒も殆ど居ないようで,教会は廃止され,ハルビン開拓期からの写真や模型を展示する博物館になっている.
以上中国東北紀行2018/ハルビンのページから.
カラコルの三位一体教会(the trinity church in the city of Karakol)
ロシア正教の教会だ.木造教会を見る機会はあまりないので,先ず木造であることにびっくりする.また相当傷みが現れており,木造故の維持の大変さを感じる.当初1872年に石造りで創建されたが,それから間もない1890年地震で倒壊.そして5年後の1895年今度は教会庭のポプラ材などの木造で再建され,補修されながら今の姿にあるそうだ.
以上キルギス紀行2016/カラコルのページから.
ビシュケクのロシア正教会(Bishkek Russian Orthodox Church)
カラコルの三位一体教会を除き,キルギスタンではロシア正教会が見えな~と不思議に思っていたのだが,首都ビシュケクでようやく見えた.
以上キルギス紀行2016/帰国のページから.
ベラパイス修道院(Bellapais Monastery)
13世紀初頭,エルサレムから逃れてきたオーガスティン派修道会(カトリック系)によって建立されたそうだ.そして16世紀オスマン帝国支配下に入った後に,正教教会に転換され,存続が認められたようだ.そこで写真のごとくイコノスタシス(iconostasis/聖障)が設けられることになった.さらに近年イスラムの時代が続いた筈だが,破壊されたり,あるいはモスクに転換されずに今日に残されたのは幸いだったであろう.
以上キプロス紀行2016/ギルネ(またはキレニア)のページから.
聖ヨハネ教会(Cathedral of St. John)
オスマン帝国統治下の1662年,ニコフォロス(Nikiforos)大司教がフランコビザンチン様式の修道院礼拝堂として建立したという.そして控え目な外観はオスマン支配下にあったためという.一方金ピカで,煌々と輝くクリスタルシャンデリアのインテリアは,期待していなかった訪問者を驚かすそうだ.私も内外の差にびっくりした.
以上キプロス紀行2016/南ニコシアのページから.
聖十字架教会(Holy Cross Church)
正教会であり,キプロス国旗ではなくギリシャ国旗だけが掲げられている.ギリシャとの合併指向の強い派閥なのであろうか.教会名に冠した『聖十字架』であるが,1307年,フランク占領下のレフカラの司教であったオリビアノス(Olivianos)による,金色のレフカラ十字架の下部に記された碑文,それは現在の教会の東側,イコノスタシス背後のフレスコ画に基づくらしい.
以上キプロス紀行2016/レフカラのページから.
山中の教会1(a church in the mountains 1)
山に向かう途中見かけた教会.十字に下にハの字,まとまって『ホの字』のロゴに見える.さてどう云ったいわれの教会なのでしょうか.
以上キプロス紀行2016/トロードスのページから.
山中の教会2(a church in the mountains 2)
やはり山に向かう途中見かけた教会.現代風デザインの教会だ.お堂の形が正教十字架と同じように縦横比同じになっているようだ.この点西欧に多いカトリック教会の,縦に長く,横はそれより短い張り出し構造の教会と違っていると思われる.
以上キプロス紀行2016/トロードスのページから.
アラカ教会(Araka church)
世界遺産対象9教会の一つで,トロードス山中ピツイラ(Pitsilia)地方にある. ビザンチン時代からヴェネツィア時代までの長い期間,キリスト教会や修道院は海賊や,侵略軍の影響を避けるためこうした山中に建立するケースが多かったそうだ.
アラカ教会は随分と変わった教会だ.教会本体は石造りなのだが,風雨,それにたまに降るという雪から保護するため全体を本体より大きな木造建屋で囲った構造になっている.主礼拝堂に入った.かなり小振りな礼拝堂で,調度品やフレスコ画など全般的にクラシックな香りだ.
以上キプロス紀行2016/トロードスのページから.
ポディトゥ聖堂(Panagia tis Podithou)
広い屋根(テラコッタだそうだ)はアラカ教会と似ているが,一層急勾配で,一重である.外壁は格子ではなく,石積みの頑丈な構造に見える.それと上部はガラス窓で,いくらか新しさを感じさせる.ポディトゥ聖堂は石の二重構造で,同じ二重でも外側が木の柱や格子のアラカ教会と異なっている.
以上キプロス紀行2016/トロードスのページから.
キコス修道院(Kykkos Monastery)
これまでのアラカ教会,ポディトゥ聖堂に較べて,建物や描かれたモザイク画,フレスコ画が圧倒的に新しく,やたらめったら多く描かれている.聖ルカの描いたマリアのイコンは特に貴重で,厳重に保管されているそうだ.ただしその模写のようなモザイク画は見ることができる.
以上キプロス紀行2016/トロードスのページから.
聖キリヤキ教会(St Paul's Pillar and Church of Agia Kyriaki)
ビザンチン時代遺構の一部に,この聖キリヤキ教会(Church of Agia Kyriaki)が建っている.この教会は13世紀に建てられたそうだ.非常に古い時代,元々何らかの教会が存在し,AD59年地震で破壊された小さなラテン教会の跡地に,再建されたり,オスマントルコ軍の侵略で破壊されたりしながら,現在の姿になっているようだ.
以上キプロス紀行2016/パフォスのページから.
パフォスの正教会(Orthodox church in Paphos)
街道脇に立派な正教会が見えた.形や配色はこれまでと同様だ.ということで,キプロス(南)は殆ど全てがキプロス(ギリシャ)正教会なのだと思った.
以上キプロス紀行2016/ラルナカのページから.
聖ラザロ教会(Church of Saint Lazarus)
ラザロ(Lazarus)はイエスの友人だったそうだ.ラザロが30歳の頃のある日,ラザロが病気と聞いたイエスは彼の住まいのあるエルサレム郊外ベタニアを訪ねた.だが既にラザロは葬られ,4日経ったと知る.イエスは彼の死を悲しみ,涙を流しながら,『ラザロよ出てきなさい』と言うと,布に巻かれたラザロは棺から出てきたという.
以上キプロス紀行2016/ラルナカのページから.