このページでは既存ページから転載し,聖ガブリエル教会(イスラエル),受胎告知教会(同),聖ヨセフ教会(同),カナ婚礼教会(同),正教カナ婚礼教会(同),パンの奇蹟の教会(同),山上の垂訓教会(同),ペテロ首位権の教会(同),聖ペトロの家教会(同),聖誕教会(パレスチナ自治区),聖カテリーナ教会(同),最後の晩餐の部屋(イスラエル),マリア永眠教会(同),鶏鳴教会(同),ヴィアドロローサ(同),聖墳墓教会(同),主の祈りの教会(同),主の涙の教会(同),マグダラのマリア教会(同),万国民の教会(同),ラパス大聖堂(ボリビア),サンフランシスコ教会(同),マリアアウキシアドラ教会(同),エルアルトの教会(同),トマラピ村の教会(同),テック川の教会(ベネズエラ),カナイマ村教会(同),ワラス教会(ペルー),ワラス大聖堂(同),カルワス大聖堂(同),ワリパンパ教会(同),ポーランド女王聖母教会(ポーランド),聖十字架教会(同),聖アレクサンドル教会(同),ヴィジトキ教会(同),カルメル教会(同),聖ヤン教会(同),バベル大聖堂(同),聖ペテロ&パウロ教会(同),聖アンドリュース教会(同),ドミニカン教会(同),聖マリア教会(同),キンガ姫の聖堂(同),ヤスナグラ修道院(同)の写真を載せました.
聖ガブリエル教会(Church of St. Gabriel)
石造りの比較的シンプルデザインの外観だ.十字軍時代,および17世紀の教会のあった基礎の上に,聖母マリアの受胎告知を記念し1967年に建立されたギリシア正教の教会だそうだ.
以上イスラエル紀行2015/ナザレのページから.
受胎告知教会(The Church of the Annunciation)
受胎告知教会はベージュとピンクの明るい石の組み合わせで洒落たデザインの建築だ.中東で最も大きなキリスト教会だそうで,ファサードには大天使ガブリエルとマリア,および4人の福音書著述者(左からマタイ(12使徒の一人),マルコ,ルカ,ヨハネ(バプテスマと異なる))が各象徴(天使,ライオン,牛,鳶)を連れたレリーフが刻まれている.
以上イスラエル紀行2015/ナザレのページから.
聖ヨセフ教会(St. Joseph's Church)
受胎告知教会の直ぐ左隣りに聖ヨセフ教会はあった.聖ヨセフ教会に入ると直ぐ主礼拝堂になっていた.カトリック教会にしては比較的地味なインテリアデザインに映る.そして礼拝者は少ないながら,土曜日なのにミサが執り行われていた.白い装束の神父さんの背後には十字架と聖家族の像が見えていた.
以上イスラエル紀行2015/ナザレのページから.
カナ婚礼教会(Wedding Church in Kafr Kanna)
さてこの教会は,イエスが最初に奇跡を起こしたことを讃えて建立された教会として有名なのだそうだ.つまり母マリアとともに招かれたイエス(当時はまだ無名,ただの大工のせがれ)は,婚礼の途中,多分賄いを手伝っていたのでしょうか,『ワインが無くなってしまった』と母から聞かされ,6個の瓶に水を満たし,それを酒席に運ぶようにと指示したそうだ.そして運ばれてきた水瓶を覗くと,水は良質のワインに変わっていたということだ.
以上イスラエル紀行2015/カナのページから.
ギリシャ正教カナ婚礼教会(Greek Orthodox Wedding church)
小径を挟んだ斜向かいにギリシャ正教の婚礼教会があった.ナザレの受胎告知教会と同じように,カナでも婚礼のあった場所の同定解釈に違いがあるようだ.
以上イスラエル紀行2015/カナのページから.
パンの奇蹟の教会(Church of Multiplication of the Loaves and the Fishes)
パンの奇跡とは,イエスがガリラヤ湖から舟で上がったとき,あるものは病の癒やしを求め,そしてあるものは空腹を満たさんと5000人もの群衆がイエスの下に集ったそうだ.このときイエスの弟子は僅か5つのパンと2匹の魚しか持ちあわせていなかったが,それで5000人の空腹を満たしたのだそうだ.
以上イスラエル紀行2015/ティベリアのページから.
山上の垂訓教会(Church of the Beatitudes)
1938年フランシスコ会が建立し,八角形回廊はイエスの説いた『八福』に因むそうだ.八福は,心の貧しい人々は幸いである,天の国はその人たちのものである,....などの八つで,この丘で説いたという.
以上イスラエル紀行2015/ティベリアのページから.
ペテロ首位権の教会(Church of the Primacy of St. Peter)
この教会に名を冠したペテロ(ピーター,ピエトロとも)は後に一番弟子として働く人だ.礼拝堂の祭壇は自然の形のままの大きな岩で,磔刑に処され,3日後に復活したイエスが弟子に食事を与えた台で,『イエスの食卓』と呼ばれているそうだ.
以上イスラエル紀行2015/ティベリアのページから.
聖ペトロの家教会(Church of St. Peter)
シナゴーグの近くに聖ペトロの家教会(Church of St. Peter)が建てられている.SF映画の宇宙船のような形がユニークで面白い.1990年に完成した新しい建築のようだ.
以上イスラエル紀行2015/ティベリアのページから.
聖誕教会(church of the Nativity)
正面に聖誕教会,その右には手前に張り出すように大きなアルメニア教会,左手樹木の向こう側辺りに聖カテリーナ教会が見えている.この3つが¬の字状に繋がっている.聖誕教会はローマカトリック,ギリシャ正教,アルメニア教会の共同管理(区分所有)だそうで,まあときどき喧嘩も起こるらしい.
以上イスラエル紀行2015/ベツレヘムのページから.
聖カテリーナ教会(St. Catherine's Church, Bethlehem)
聖誕教会直ぐ隣りに建てられている.フランシスコ会の手で,1882年に建立され,その後現代風に改築されてきたそうだ.昔パレスチナゲリラ立てこもり事件が起きたことがあるそうだ.本堂屋根上にはマリア像が,前には聖書学者ヒエロニムスの像が建てられていて,足元は協力者パウラのサレコウベだそうだ.ヒエロニムスは上記誕教会を建立したローマ帝国のコンスタンティヌス帝より若干後の世代で,ギリシャ語新約聖書をラテン語に,ギリシャ語とヘブライ語原典の旧約聖書をラテン語に翻訳した人だそうだ.
以上イスラエル紀行2015/ベツレヘムのページから.
最後の晩餐の部屋(the Room of the Last Supper)
この二階の部屋が,イエスが大祭司カイアファまたはカヤパ(Caiaphas)に捕らえられる前の晩,12人の使徒とともに最後の晩餐をとったところだそうだ.現在の建物は十字軍が建てたもゴシック様式建築なので,実際は1000年下った後の建物であるが,場所自体はここだったのでしょう.
以上イスラエル紀行2015/シオンの丘のページから.
マリア永眠教会(Basilica of St. Mary)
ここシオンの丘に,10年の工期を経て1910年に完成したというネオロマネスク様式の教会は,エルサレム最大の教会だそうだ.この近くで聖母マリアが永眠し,またここにはビザンチン時代の聖シオン教会があったそうでその遺構に建てられたそうだ.
以上イスラエル紀行2015/シオンの丘のページから.
鶏鳴教会(The Church of Saint Peter in Gallicantu)
イエスが最後の晩餐の席で,一番弟子ペテロに対し,鶏がコケコッコーと鳴く前までに『イエスなんて知らない』と三度繰り返すであろう,と言われたことに因む教会だ.入り口の金属扉に,イエスがペテロに告げる場面のレリーフが刻まれている.左青い服のイエスが,『お主は』と,右手人指し指でペテロを指し,左手3本指を立て『3回言うだろう』と,告げ,右赤い服のペテロが左手を胸に,『けっ,決して左様なことは!』のシーンだ.また背景は最後の晩餐列席の12使徒だ.既にユダはトンズラした後か?
以上イスラエル紀行2015/シオンの丘のページから.
ヴィアドロローサ:苦難の道(Via Doloros)
イエスが死刑判決を受け,茨の冠を被らされ,十字架を背負わされて歩いた道ヴィアドロローサ(Via Dolorosa:苦難の道)の第1留(ステーション):ピラトの官邸跡,第2留:鞭打ちの教会,第3留:イエスが最初につまづいた場所,第4留:マリアの教会,第5留:シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所,第6留:ベロニカの教会,第7留:イエスが2度目に倒れた場所,第8留:聖ハラランボス・ギリシア正教会,第9留:聖墳墓コプト教会,第10留~第14留:聖墳墓教会内各所と続く.
以上イスラエル紀行2015/ヴィアドロローサのページから.
聖墳墓教会(The Church of the Holy Sepulchre)
上記ヴィアドロローサの終わり,イエスキリストが磔刑に処され,葬られたとされるゴルゴタの丘に建っている.ギリシャ正教系の正教会,アルメニア使徒教会等含め,すべてのキリスト教徒の総本山であろう.
以上イスラエル紀行2015/ヴィアドロローサのページから.
主の祈りの教会(Church of the Pater Noster)
イエスが弟子たちにどのように神に祈ればいいのかと訊かれ,祈りの文言,つまりまあ定型文を教えたという場所に建てられたそうだ.
以上イスラエル紀行2015/オリーブ山のページから.
主の涙の教会(Dominus Flevit Church)
イエスがガリラヤ湖から上京してきた頃,このオリーブ山に立ち,西の神殿の丘を眺めて,やがてこの都は滅ぶであろうな~と予感し,涙を流したそうである.
以上イスラエル紀行2015/オリーブ山のページから.
マグダラのマリア教会(Church of Maria Magdalene)
ロシア皇帝アレクサンドル3世の母マリアを記念して,同皇帝によって建てられたというロシア正教の教会.
以上イスラエル紀行2015/オリーブ山のページから.
万国民の教会(church of all Nations)
古代ローマ皇帝テオドシウス一世が4世紀に建てた教会に起源するカトリック教会という.イエスが処刑前夜,最後の晩餐の後3人の弟子(3高弟ペテロ,ヨハネ,ヤコブ)を連れてここに来て,最後の夜を苦しみながら岩に掴まり神に祈ったとされ,『苦悶の教会』(Basilica of Agony)の別名,いや本来の名と言うべきか,があるそうだ.
以上イスラエル紀行2015/オリーブ山のページから.
ラパス大聖堂(La Paz Cathedral)
ムリリョ広場に面し,ラパス教会の総本山なのであろう.1830年代に建設が始まったそうで,ネオクラシック様式とバロック様式が融合した作りだそうだ.鐘楼,礼拝堂本体ともになかなかドッシリ力強いデザインだ.
以上ボリビア紀行2015/ラパスの街のページから.
サンフランシスコ教会(Catedral de San Francisco)
サンフランシスコ教会最初の建設はラパスの街の始まりと同時の1548年ということだ.既に450年も前のことだ.ただその後一旦暴風などで倒壊し,18世紀になり現在の姿,バロックとメスティソのミックス様式再建されたそうである.
以上ボリビア紀行2015/ラパスの街のページから.
マリアアウキシアドラ教会(Maria Auxiliadora church)
ソポカチ地区にあり,メアリーヘルプの大聖堂と称され,何でも聖母マリアの擁護者としてキリスト教の信仰に関わるらしい.
以上ボリビア紀行2015/ラパスの街のページから.
エルアルト教会(church in El Alto)
エルアルトの街を通ると,キリスト教会や教会の案内が見える.新しい街なので教会のデザインもシンプルで質素な造りだ.
以上ボリビア紀行2015/エルアルトの街のページから.
トマラピ村の教会(church at Tomarapi)
サハマハイキングのロッジ脇に古いキリスト教会が建てられている.スペインが進出してきた16世紀に建立された(途中修復はあるだろうが)そうだ.現在周りには然程住居は無いし,住民も少なさそうだが,往時布教のため建てられたのであろう.
以上ボリビア紀行2015/サハマのページから.
テック川の教会(Tek river church)
テック川キャンプに進むと小さく新しいキリスト教会だあった.こんな原野の真ん中で,周りには何も民家は見えないし,それに先住民ペモン族は必ずしもクリスチャンではないようだし....教会は,特に年末,クリスマスの頃ロライマ山を訪れる米欧観光客の礼拝のために用意され,神職の人もそのときだけ赴く,ということだった.
以上ギアナ高地トレック紀行2015/テック川キャンプに下るのページから.
カナイマ村教会(Canaima church)
カナイマ村のホテルの近くに小ぢんまりしたキリスト教会があった.石を漆喰で固めたモザイク模様が美しい.森を離れ定住した先住民はキリスト教徒(多分カトリック)になった人が多いのであろう.
以上ギアナ高地トレック紀行2015/エンジェル滝キャンプへのページから.
ワラス教会(Church of Huaraz)
ワラスの街を仔細に眺めてみると,キリスト教会が幾つか見えた.人口6~7万人ということだから,所定区画毎に建っているのであろう.
以上ブランカ山群トレック紀行2014/ワラスのページから.
ワラス大聖堂(Huaraz Cathedral)
ワラスの中心部には南米の街のお約束通りアルマス広場が設けられ,正面に大聖堂が建てられていた.大聖堂が傷んでいるようであるが,現在は傷みのためかどうか定かでないが使用されて居らず,その右手の三角屋根の教会が大聖堂として機能しているそうである.
以上ブランカ山群トレック紀行2014/ワラスのページから.
カルワス大聖堂(Carhuaz Cathedral)
カルワスの街もスペインの征服地であるのでやはりアルマス広場とその正面に大聖堂が建てられている.
以上ブランカ山群トレック紀行2014/カルワスのページから.
ワリパンパ教会(Church of Huaripampa)
ワリパンパの村外れになかなかユニークで美しいデザインのキリスト教会があった.やはり最奥の教会ということになる.ペルーでは9割方カトリック教徒と聞くので,カトリック教会であろうが,とても印象深い.
以上ブランカ山群トレック紀行2014/ヴァケリアのページから.
ポーランド女王聖母教会(the Church of Our Lady Queen of the Polish Crown)
別名ポーランド軍の大聖堂(Field Cathedral of the Polish Army)と呼ばれ,1701年建立という.1944年に一旦完全に破壊され,バロック様式で再建されたそうだ.ポーランド軍兵士がお祈りし,またポーランド軍の主要な軍事的宗教的行事を執り行っているそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワのページから.
聖十字架教会(St. Cross church)
2つの尖塔を持つバロック様式で17世紀末の建設という.ポーランドの偉人フレデリックショパン(Fryderyk Chopin:1810~1849年)の心臓が柱の下側に収めれているそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワ(続)のページから.
聖アレクサンドル教会(Holy Trinity Church)
円筒形がとてもユニークだ.19世紀初頭に建てられ,ワルシャワ蜂起で一旦破壊され,1958年に修復されたという.
以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワ(続)のページから.
ヴィジトキ教会(Kosciol Wizytek/Church of St. Joseph)
1664年に建設が始まり,1741年に竣工というから長い工期を要したようだ.二次大戦の空爆では奇跡的に壊滅を免れたという.ショパンがオルガンを弾いていたという.
以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワ(続)のページから.
カルメル教会(Carmelite Church)
頂部の青い球と,両側の得利が変わっている.18世紀の建立でネオゴシック様式ということだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワ(続)のページから.
聖ヤン教会(Archicathedral Basilica of St. John the Baptist)
メッシュ状模様の三角のあるファサードが特徴的で,ゴシック様式という.14世紀建立とワルシャワで最も古く,歴代王の戴冠式や1791年,ポーランド最初の憲法発布式(註)など,重要な歴史的行事が執り行われたという.ワルシャワ最初のオルガンもここで作られたそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワ(続)のページから.
バベル大聖堂(Wawel Cathedral)
バベル大聖堂は11世紀の建立で,増改築が繰り返され、ゴシック様式,ルネサンス様式,バロック様式などの要素を加えながら幾度となく工事されてきたそうだ.歴代のポーランド王の戴冠式が執り行われ,また国王や国の英雄の墓所があるという.
以上バルト海諸国紀行2014/クラクフのページから.
聖ペテロ&パウロ教会(Church of St. Peter and St. Paul Krakow)
いかにもバロック風外観だ.教会前の道沿いにはキリストの12使徒の像が並んでいる.
以上バルト海諸国紀行2014/クラクフのページから.
聖アンドリュース教会(St. Andrew's Church)
11世紀末には既に建てられていたという歴史ある教会.現在はロマネスク様式.
以上バルト海諸国紀行2014/クラクフのページから.
ドミニカン教会(Dominican Church)
トラム通りに建つのがいかにもゴシック様式のドミニカン教会.修道院も併設され,13世紀に異教徒寺院の跡に建てられたそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/クラクフのページから.
聖マリア教会(Church of the Virgin Mary Krakow)の聖壇
1222年建立というレンガ構造ゴシック様式の教会.左右不揃いの高い塔はレンガ造りでは最も高い方だという.特に礼拝堂最奥の聖壇は見事だ.観音開きのような構造の衝立(Altarpiece)は高さ13mと巨大で,15世紀ヴィトストフォシュ(Veit Stoss)という人の作で,聖母マリア被昇天の様子を表現しているそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/クラクフのページから.
キンガ姫の聖堂(Chapel of St. Kinga)
ヴィエリチカ岩塩坑の地底に,天井高さが10m,奥行き54m,幅16mというかなり広い地下礼拝堂.敬虔なキリスト教徒坑夫が,守護神である聖キンガを祀るため作り上げたそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/ヴィエリチカのページから.
ヤスナグラ修道院(Jasna Gora Monastery)
1382年,当時この地を治めていたオポーレ公ヴワディスワフオポルチクに招かれたハンガリーのカトリックの司教団が建設したということだ.大事なのは,この『ヤスナラの聖母』,若しくは『黒いマドンナ』と呼ばれる聖母マリアのイコンがここに祀られていることだ.一例として17世紀の大洪水時代スウェーデンに侵略された際,この修道院だけは包囲され絶体絶命だったに拘らず奇跡的に助かった.この黒いマドンナのご加護に違いない,といったことだそうだ.
以上バルト海諸国紀行2014/チェンストホーバのページから.