キリスト教会(9)

このページでは既存ページから転載し,ボレロードのエチオピア正教会(エチオピア),アルバミンチの正教会(同),ティムカット祭(同),岩山のアブレハアツベハ教会(同),ウクロキルコス教会(同),シオンの聖母大聖堂(同),デブレビルハンセラシ教会(同),ファシリデス帝の沐浴場(同),ウラ・キダネ・ミフレット修道院(同),ナクタラブ教会(同),ガブリエル=ラファエル聖堂(同),リバノス聖堂(同),ラリベラの聖ジョージ教会(同),アジスアベバの聖ジョージ教会(同),フェロール共同大聖堂(スペイン),イギリス人カミーノ開始点モホン(同),フェロールの白黒2教会(同),カランサの聖マリア礼拝堂(同),ネダのサンタマリア教会スヴィアのサン・マルティーノ修道院(同),ポンテデウメのサンティアゴ教区教会(同),ベタンソスのサンティアゴ教会(同),ベタンソスのサンフランシスコ教会(同),ベタンソスのサンタマリアドアゾゲ教会(同),コスのサンエステバン教会(同),レイロのサンタエウラリア教区教会(同),アルデミルのサンペドロ教区教会(同),ブスカスのサンパイオ教会(同),ポウロの教区教会(同),カミーノの十字架(同),サンカエターノ教区教会(同),羊飼いのチャペル(同),カルメリタスデスカルザス修道院(同),サンタクララ修道院(同)の写真を載せました.

ボレロードのエチオピア正教会(エチオピア)

ボレロードのエチオピア正教会(エチオピア)

ボレロードのエチオピア正教会(エチオピア)

首都アジスアベバの横丁には比較的最近造られたエチオピア正教会があった.なかなか立派な造りだ.エチオピアのおよそ半分余りはエチオピア正教徒というから,この辺りも信徒が多いのでしょう.

以上エチオピア紀行2020/アジスアベバへのページから.

アルバミンチの正教会(エチオピア)

アルバミンチの正教会(エチオピア)

アルバミンチの正教会(エチオピア)

アルバミンチの通りからはかなり大きく立派な正教会が見えた.アルバミンチにはイスラム教徒も多く,モスクももちろんあるそうだ.加えてプロテスタント教会もあるのだそうだ.ただどちらも直接目にすることはできなかったが.

以上エチオピア紀行2020/アルバミンチのページから.

ティムカット祭(エチオピア)

ティムカット祭(エチオピア)

ティムカット祭(エチオピア)

エチオピア正教で最重要行事であるティムカット祭が各地で執り行われる.写真は首都アジスアベのバジャン・メダ(Jan-Meda)広場でエチオピア正教会総主教(patriarch)はじめ司祭や僧侶が取り仕切り進行する場面である.

ティムカット祭とは1月19日を挟んで3日間に渡り開催されるキリストのヨルダン川で受けた洗礼を祝う行事で,旧約聖書にある十戒を収めた「契約の箱」(聖櫃/アーク)を象徴するミニキュアレプリカ「タボット」を僧侶が特定の教会(普通エチオピアで人気高い大天使聖ミカエル教会が多いようだ)から持ってきて,ベルやトランペットを奏で,香を焚き,聖なる水(ここではプール)脇にて豪華な装束の司祭や僧侶がタボット周りで水を撒き,改めて十の戒めを新たにする,ということだ.聖水に変わったプールの水は私も掛けてもらった.

以上エチオピア紀行2020/ティムカット祭のページから.

岩山のアブレハアツベハ教会(エチオピア)

岩山のアブレハアツベハ教会(エチオピア)

岩山のアブレハアツベハ教会(エチオピア)

岩山のアブレハアツベハ教会が現れた.手前の前室は石を積み上げたように見えるが,本堂は岩山が掘られて建設されているように見える.本教会はテグレ最古の岩窟教会で,335年~340年アブレハ王(Abreha)と彼の双子の兄弟で共同摂政のアツベハ王(Atsbeha)によって建立されたそうだ.壁や天井には多くの壁画が描かれている.ヨーロッパの多くの教会が用いるフレスコ画ではなく,岩壁に貼り付けたカンバスに描かれているそうだ.

以上エチオピア紀行2020/テグレの岩窟教会のページから.

ウクロキルコス教会(エチオピア)

ウクロキルコス教会(エチオピア)

ウクロキルコス教会(エチオピア)

この教会は岩山を十字形外側を切り出して,また内部は上述のアブレハアツベハ教会同様,柱を残し抉り取って部屋にした造りだ.上述のアブレハアツベハ教会に比べて壁画やイコン類は少なく,さっぱりしている.13世紀,襲来したユダヤ教徒が火を放ち,柱や天井が焼かれたそうだ.現在壁画が少ないのはそのためのようだ.

以上エチオピア紀行2020/テグレの岩窟教会のページから.

シオンの聖母大聖堂(エチオピア)

シオンの聖母大聖堂(エチオピア)

シオンの聖母大聖堂(エチオピア)

アクスムでシオンの聖母大聖堂(Church of Our Lady Mary of Zion)に行った.外観は円筒状本堂に十字形に張り出した部分があるようだ.この教会では代々のエチオピア皇帝が礼拝し,一時中断したが,帝政の終焉まで続いたという.歴史をたどれば,元々モーセの十戒石板のアークを収めるためソロモン王がエルサレムに建立した神殿の場所がシオンの丘だった.そして前述のエザナ王の時代(4世紀),1,400年前にソロモン王から奪い取ったアークを保管するために,シオンの名を冠してこの教会が建てられたという.以来イスラムの破壊や,また女人禁制の伝統があったので,ハイルセラシェ皇帝が女性も参拝可能な形に近年建て替えたとのことだ.なお現在石版を収めた礼拝堂は別棟となっており,厳重に管理されている.

以上エチオピア紀行2020/アクスムのページから.

デブレビルハンセラシ教会(エチオピア)

デブレビルハンセラシ教会(エチオピア)

デブレビルハンセラシ教会(エチオピア)

ゴンダールでデブレビルハンセラシ教会(Debre Birhan Selassie Church)を訪れた.1630年初めてゴンダールを首都に定めたファシラダス皇帝(Fasiladas)の孫イアス帝(Iyasu)が1690年代に建立したのが始まりという.ただ最初の建物は火災で消失し,今見ているのは18世紀後半再建されたものという.本堂は長円型で全体が漆喰で固めた列柱に囲まれた回廊が巡らされ,その内側石壁内に礼拝堂と至聖所が配置されている.回廊は礼拝前に気持ちを整える前室の機能も担っている.土壁に貼られたカンバスに描かれた壁画は見事で,壁は戦う姿,天井は無数の智天使(Cherubim ケルビム)だ.

以上エチオピア紀行2020/ゴンダールのページから.

ファシリデス帝の沐浴場(エチオピア)

ファシリデス帝の沐浴場(エチオピア)

ファシリデス帝の沐浴場(エチオピア)

ファシリデス帝(在位1632~1667年)は熱心なエチオピア正教の保護者でもあった.そしてポルトガルとの同盟強化を図ったとき,一時民衆のカトリックへの改宗が増えた.すると慌ててイエズス会の土地の没収や追放など行い,また民衆の正教会への再改宗を迫ったということだ.そして写真手前の再改宗の洗礼プールを建設したということだ.

以上エチオピア紀行2020/ゴンダールのページから.

ウラ・キダネ・ミフレット修道院(エチオピア)

ウラ・キダネ・ミフレット修道院(エチオピア)

ウラ・キダネ・ミフレット修道院(エチオピア)

タナ湖クルーズでセギ半島に行き,ウラキダネミフレット修道院を訪れた.本堂は円筒型で,3つの同心円円筒で,外側が前室,中間が礼拝堂,中心は覗けない至聖所になっている.特に礼拝堂内側壁には多くの絵が描かれている.

以上エチオピア紀行2020/バハルダールのページから.

ナクタラブ教会(エチオピア)

ナクタラブ教会(エチオピア)

ナクタラブ教会(エチオピア)

ラリベラでは先ずナクタラブ教会を訪れた.同教会は自然の横穴洞窟に,幾らか削るなど手を加え,壁や階段を組み入れた構造に見える.そしてたまたま結婚式が賑やか(エチオピア正教は概して賑やか)に執り行われていた.エチオピアンスタイルの歌舞入り聖歌などで賑やかだ.こうしたお祝い事については私たち見物人も暖かく迎い入れて,写真も全く問題ない.

以上エチオピア紀行2020/ラリベラのページから.

ガブリエル=ラファエル聖堂(エチオピア)

ガブリエル=ラファエル聖堂(エチオピア)

ガブリエル=ラファエル聖堂(エチオピア)

私達はラリベラ第二グループ教会群から回った.その中の一つはガブリエル=ラファエル聖堂(Biete Gabriel-Rufael)で,他と同様岩山を縦に掘り込んで作られている.ガブリエル聖堂とラファエル聖堂は連なり,アクスム王国衰退期の7世紀ころ,当初要塞や王宮として建設され,12~13世紀頃ザグウェ朝時代に聖堂に転換されたようである.なお聖ガブリエルは「受胎告知」等神のメッセンジャーとして知られる大天使,聖ラファエルはユダヤ教に由来するキリスト教3大天使の一人.薬剤師で盲人,病人,精神障害,旅人の守護者.魚や杖を持っている絵が多い.

以上エチオピア紀行2020/ラリベラのページから.

リバノス聖堂(エチオピア)

リバノス聖堂(エチオピア)

リバノス聖堂(エチオピア)

やはり第二グループ教会群の一つリバノス聖堂(Biete Abba Libanos).屋根部分の岩石は削り取らず,自然のままの岩を屋根としている.外壁にクラックがあるように見えたが,内部は傷みがなく,石の表面はつるつるだ.

以上エチオピア紀行2020/ラリベラのページから.

ラリベラの聖ジョージ教会(エチオピア)

ラリベラの聖ジョージ教会(エチオピア)

ラリベラの聖ジョージ教会(エチオピア)

ラリベラ岩窟教会と言えばこの聖ジョージ教会が示されるほど有名.正十字状屋根からその形状のまま深さ30mまで掘り進み,建物(十字)は縦横12m x 高さ13m(他に階段状土台あり)であるそうで,次に側面から内部に削り進んで部屋を作ったことになる.岩は火山凝灰岩ということだ.これまで見てきた教会同様,ラリベラ帝の建立指示で始まったが,これが最後で後継者時代に完工したようだ.

以上エチオピア紀行2020/ラリベラのページから.

アジスアベバの聖ジョージ教会(エチオピア)

アジスアベバの聖ジョージ教会(エチオピア)

アジスアベバの聖ジョージ教会(エチオピア)

首都にも大きな聖ジョージ教会が建てられている.こちらはエチオピア正教会の大聖堂(St George's Cathedral)で,エチオピア正教総本山に相当するのではなかろうか.1911年建立と比較的新しく,八角形の外形が特徴的だ.新古典主義様式というが,少なくとも外見は古典的には見えない(もちろん私見).

以上エチオピア紀行2020/アジスアベバのページから.

フェロール共同大聖堂(スペイン)

フェロール共同大聖堂(スペイン)

フェロール共同大聖堂(スペイン)

イギリス人のカミーの開始点フェロールの共同大聖堂(Co-Cathedral of Ferrol).白い壁に黒い角の稜線,それに多数の窓などが特徴だ.また大聖堂だけあって,幾つかの棟が組み合わされ,複数の尖塔を有している.先ずはここで巡礼クレデンシャルを発行してもらい,最初のスタンプを押してもらった.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/フェロールのページから.

イギリス人カミーノ開始点モホン(スペイン)

イギリス人カミーノ開始点モホン(スペイン)

イギリス人カミーノ開始点モホン(スペイン)

ハーバーの内側にイギリス人のカミーノ開始点を表すもモホン(mojon 標識)があった.ただCamino de Santiago, Camino Inglesとは記してあるが,ここが開始点とか0m地点とかは一切書かれてない.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/フェロールのページから.

フェロールの白黒2教会(スペイン)

フェロールの白黒2教会(スペイン)

フェロールの白黒2教会(スペイン)

フェロール港脇に白黒2教会が互いに近くに建てられていた.多分教派が異なるのでしょうね.右の黒い(茶色)教会はごく一般的なデザインだが,左の白いのは,手前の鐘楼がなければ,一般の集合住宅と見紛うほど,殆ど教会らしくない(個人的見解).いや~こうした造りもあるのですね~とびっくりした.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/フェロールのページから.

カランサの聖マリア礼拝堂(スペイン)

カランサの聖マリア礼拝堂(スペイン)

カランサの聖マリア礼拝堂(スペイン)

海岸脇を進むと小さな礼拝堂,カランサの聖マリア礼拝堂(Capela de Santa Maria de Caranza)があった.小さいが,平面図は十字型の建物になっている.教区内18,000人の住民を対象に3人の司祭がここを含む教区内の教会のミサ等を捌いているようだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼1日目:ネダへ のページから.

スヴィアのサン・マルティーノ修道院(スペイン)

スヴィアのサン・マルティーノ修道院(スペイン)

スヴィアのサン・マルティーノ修道院(スペイン)

やがてスヴィアエリアに入り,サン・マルティーノ修道院(mosteiro de San Martino)がこの赤い屋根白い壁の修道院,教会が見えた.ロマネスク様式の教会だそうだが歴史は古く,修道院は8世紀に設立され,16世紀までは修道女も居たが,その後去ることになったようだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼2日目:ポンテデウメ のページから.

ネダのサンタマリア教会(スペイン)

ネダのサンタマリア教会(スペイン)

ネダのサンタマリア教会(スペイン)

羊の放牧地から少し進み,ネダのサンタマリア教会(Iglesia De Santa Maria de Neda)に出合う.鐘楼のある塔を除くと四角い箱を組み合わせて造ったようなシンプル構造の外見だ.全体的にはバロック様式で,内部にはゴシック様式彫刻もあるそうだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼2日目:ポンテデウメ のページから.

ポンテデウメのサンティアゴ教区教会(スペイン)

ポンテデウメのサンティアゴ教区教会(スペイン)

ポンテデウメのサンティアゴ教区教会(スペイン)

坂を上るとサンティアゴ教区教会(Iglesia parroquial de Santiago)が建てられていた.本教区教会の始まりは16世紀に遡るが,寺院の屋根,星空のアーチは14世紀くらいのものが受け継がれたらしい.また塔のあるファサードはガリシアのバロック様式の傑作とされているそうだ.祭壇画は16世紀ルネサンスの頃にできたようで,またこの大工の家の聖家族(マリア,ヨセフ,イエス)のような解り易い立体像も多い.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼2日目:ポンテデウメのページから.

ベタンソスのサンティアゴ教会(スペイン)

ベタンソスのサンティアゴ教会(スペイン)

ベタンソスのサンティアゴ教会(スペイン)

アルベルゲ(Albergue de Peregrinos "Casa da Pescaderia")から少し行ったところに広場があり,そこのこのサンティアゴ教会(Iglesia de Santiago)が建てられていた.ただドアは閉ざされ中は見えなかった.15世紀,地域の領主が当初ロマネスク様式で建立し,後ゴシック様式も加わったようだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼3日目:ベタンソスへのページから.

ベタンソスのサンフランシスコ教会(スペイン)

ベタンソスのサンフランシスコ教会(スペイン)

ベタンソスのサンフランシスコ教会(スペイン)

ルベルゲを通り越した先,サンフランシスコ教会(Iglesia de San Francisco)を訪ねることにした.石積み赤い瓦屋根の構造物が幾つも組み合わされている.13世紀に建てられた既存の修道院の上に14世紀後半ゴシック様式で建てられた教会ということだ.多くの棟の重なりがあるが,全体的に簡素な纏まりを見せている.教会内部には写真のようなアミューズメントパーク的演出も見られ,興味深い.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼3日目:ベタンソスへのページから.

ベタンソスのサンタマリアドアゾゲ教会(スペイン)

ベタンソスのサンタマリアドアゾゲ教会(スペイン)

ベタンソスのサンタマリアドアゾゲ教会(スペイン)

次いでベタンソスのサンタマリアドアゾゲ教会(Igrexa de Santa Maria do Azougue)を訪れた.先ずファサードの素晴らしく力強い造形に感動する.鐘楼が身廊に直線状に配置されるのではなく,正面に並列して置くという,一見安楽な設計に走ったように見えるが,それが違うのですね....私はとても気に入りました.当教会は15世紀に建立され,1748年にフレームが新しいものに置き換えられたということだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼3日目:ベタンソスへのページから.

コスのサンエステバン教会(スペイン)

コスのサンエステバン教会(スペイン)

コスのサンエステバン教会(スペイン)

コスの村に入ると身廊が一つの小さな教会があった.サンエステバン教会(San Esteban)で,墓地も併設しているのでアベゴンドのコス教区の墓地と教会の複合体(Parroquia y Cementerio de San Esteban de Cos)ということだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼4日目:ブルマのページから.

レイロのサンタエウラリア教区教会(スペイン)

レイロのサンタエウラリア教区教会(スペイン)

レイロのサンタエウラリア教区教会(スペイン)

暫く歩くとレイロのサンタエウラリア教区教会(Parroquia de Santa Eulalia en Leiro)と称される教会があった.バロック様式ということだ.飾り気が無いとまでは言えなくも,他でゴージャスな教会をいっぱい眺めてきた目にはさっぱりして見えます.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼4日目:ブルマのページから.

アルデミルのサンペドロ教区教会(スペイン)

アルデミルのサンペドロ教区教会(スペイン)

アルデミルのサンペドロ教区教会(スペイン)

オルデスのエリアに入り,白い壁のアルデミルのサンペドロ教区教会(Parroquial de San Pedro de Ardemil)を通過した.オルデス市の含まれるサンペドロ教区の人口は1,000人余りということだ.教区にはこの教会以外にも別の教会があるようだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼5日目:シグエイロのページから.

ブスカスのサンパイオ教会(スペイン)

ブスカスのサンパイオ教会(スペイン)

ブスカスのサンパイオ教会(スペイン)

ブスカスの村に入るとサンパイオ教会(grexa de San Paio de Buscas)があった.ロマネスク様式のこの教会は,建立年は不明だが,18世紀と19世紀に改装されたということだ.写真は外壁にディスプレイされたサンパイオ(San Paio)像で,何でも14歳頃侵入したイスラム軍に誘拐され,セビリアに連れられ,最終的には切り刻まれ殉教し,グアダルキビール川に放り込まれたということだ.この像は,正に首がナイフで切られた場面である.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼5日目:シグエイロのページから.

ポウロの教区教会(スペイン)

ポウロの教区教会(スペイン)

ポウロの教区教会(スペイン)

ポウロの村ではポウロの教区教会(Igrexa parroquial de Poulo)が見えた.少なくとも外見は傷み方が激しく,気の毒なくらいだ.20世紀初頭に最後の修復が成された,つまり100年くらい手が掛けられずにきたわけで,ちょっと厳しいですね.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼5日目:シグエイロのページから.

カミーノの十字架(スペイン)

カミーノの十字架(スペイン)

カミーノの十字架(スペイン)

巡礼路カミーノにはしばしばこうした十字架が立てられている.サンティアゴカテドラルまではそう遠くなさそうだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼6日目:サンティアゴのページから.

サンカエターノ教区教会(スペイン)

サンカエターノ教区教会(スペイン)

サンカエターノ教区教会(スペイン)

サンティアゴ市内に入り,先ずサンカエターノ教区教会(Parroquia de San Caetano)と呼ばれる教会に立ち寄った.担当の方が居られ,一通り説明して頂いたのだが....理解できず申し訳ありません.主祭壇逆U型背面いっぱいに装飾されているのはなかなかユニークだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼6日目:サンティアゴのページから.

羊飼いのチャペル(スペイン)

羊飼いのチャペル(スペイン)

羊飼いのチャペル(スペイン)

カテドラルに近くなり,羊飼いのチャペル(Capilla de Pastoriza)を通過した.羊飼いは多分イエスキリストのことでしょうね.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼6日目:サンティアゴのページから.

カルメリタスデスカルザス修道院(スペイン)

カルメリタスデスカルザス修道院(スペイン)

カルメリタスデスカルザス修道院(スペイン)

カルメリタスデスカルザス(Carmelitas Descalzas)と言う修道院があった.直訳すると褐色の裸足のような意味合いらしい.裸足のカルメル会勲章がガリシアにあった最初の修道院で,18世紀半ば設立されたそうだ.花崗岩の石積み構造で,シンプルで堅実な外観を提している.写真中央はエルカルメンの聖母像ということだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼6日目:サンティアゴのページから.

サンタクララ修道院(スペイン)

サンタクララ修道院(スペイン)

サンタクララ修道院(スペイン)

美しいファサードの大きな建物があった.サンタクララ修道院(Convento de Santa Clara)と呼ばれるそうだ.1260年アルフォンソ10世の妻の持参金で設立され,後に孫娘の修道院の寄付により拡大されたそうだ.現在の建物は17世紀~18世紀に花崗岩の石積みで建設されたということだ.

以上イギリス人のカミーノ紀行2019/巡礼6日目:サンティアゴのページから.


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