このページでは既存ページから転載し,ソフィアのバニャバシモスク(ブルガリア),プロブディフのイマレットジャーミア(同),プロブディフのジュマヤモスク(同),レーのモスク(インド),エディルのネエスキモスク(トルコ),エディルのユチュシェレフェリモスク(同),エディルのセリミエモスク(同),パムッカレのモスク(同),コンヤのメヴラーナ博物館(同),コンヤのインジェミナーレ神学校(同),コンヤのアラアッディンモスク(同),ユルギュップ(カッパドキア)のドゥアエリモスク(同),ガジアンテップのモスク(同),シャンルウルファのルズワニイェモスク(同),シャンルウルファのメヴリディハリルモスク(同),カイセリのフナトゥハトゥンモスク(同),サフランボルのモスク(同),敦煌のモスク(中国),烏鞘嶺のモスク(同),ネウム先のモスク(ボスニアヘルツェゴビナ),コスキ・メフメッドパサモスク(同),クアラルンプール国立モスク(マレーシア),クアラカンサーのウブディアモスク(同),ベシャムのモスク(パキスタン),ウルギーのモスク(モンゴル),サグサイのモスク(同)の写真を載せました.
ソフィアのバニャバシモスク(Banya Basha Mosque)
エディルネ(トルコ)のあのセリミエモスクの設計などで有名なオスマン帝国を代表する建築家ミマールスィナン(Koca Mimar Sinan)の設計によるもので,1566~1567年に建設されたそうである.石とレンガ造りで,これまで幾度か補修改修がなされているそうだ.現在ブルガリアではイスラム教徒は少数であるが,金曜礼拝には500人程度,祝日には1000人ほど集うということだ.
以上東欧紀行2013く2012/ソフィアのページから.
プロブディフのイマレットジャーミア(Imaret dzhamiya)
15世紀オスマン帝国総督の息子シハベティンパシャにより建立されたそうだ.当時周辺はトルコ人居住区でハマムや隊商宿があったあったそうだ.訪れたときは礼拝中でなかったので,礼拝堂内部を覗かせてもらった.正面の一段高い所にミフラーブのある,写真のように比較的質素な造りだ.
以上東欧紀行2013く2012/プロブディフのページから.
プロブディフのジュマヤモスク(Dzhumaya dzhamiya)
最初は14世紀オスマン帝国ムラト1世の時代,ここに在ったブルガリア正教聖堂を壊し,築かれたそうだ.そしてムラト2世 (1421~1451年) の時代になると,これが大幅に改築され,石とレンガを交互に並べたビザンチン様式と中世ブルガリア様式のミックス様式というユニークな構造だという.オスマン帝国がバルカン半島に建てたモスクでは最も古く,また大きいモスクになるそうだ.なおジュマヤモスクは金曜モスクの意のようだ.
以上東欧紀行2013く2012/プロブディフのページから.
レー(Leh)のモスク
インドヒマラヤ山中のレーは元々仏教徒主体の街であるが,近年はイスラムが勢力を伸ばし,ざっと眺めただけでもモスが3つも見えた.写真はその中の一つ.デザインはインド風だ.
以上ザンスカールを歩く2012/レーへのページから.
エディルネのエスキモスク(Eski Mosque(camii))
正面の赤白ストライプの美しいエスキモスクのエスキ(Eski)とは古いと云う意味で1414年竣工とされ,確かに相当古い.そしてモスクには神学校(メドレセ)やハマム,バザールなども併設された大きなコンプレックスだったそうだ.
以上トルコ紀行2012/エディルネのページから.
エディルネのユチュシェレフェリモスク(Uc Serefeli Mosque)
オスマン帝国スルタン,ムラト2世の建立だそうだ.ユチュシェレフェリとはモスクの右側入り口に建つミナーレ(ミナレット)で,『3つのバルコニー』の意だそうだ.ミナレットは大きいが特別美しいとは感じないが,写真の回廊の造形やアラベスク模様はなかなか見事だと思う.
以上トルコ紀行2012/エディルネのページから.
エディルネのセリミエモスク(Selimiye Mosque)
オスマン帝国スルタンセリム2世の命で,当時の帝国の都エディルネに,1569年~1574年にかけて建立された大モスク.非トルコ人の異教徒,しかも当初奴隷の身分であったというミマールスィナン(Koca Mimar Sinan)という,後にトルコを代表する著名な建築家の設計だそうだ.2011年ユネスコ文化遺産に登録された.
以上トルコ紀行2012/エディルネのページから.
パムッカレのモスク(a Mosque at Pamukkale)
パムッカレのホテルから大きなモスクが2つ見えた.これはその中の一つで,アルミドームでまだ新しい建築だがなかなか美しい.
以上トルコ紀行2012/パムッカレのページから.
コンヤのメヴラーナ博物館(the Mevlana museum)
旋回舞踏(スーフィーダンス)で知られるメヴラーナ教団の創始者メヴラーナ師(我が師の意で,本名はジェラルディンルーミーというそうだ)の霊廟が祀られている.元々はモスクであるが,アタチュルクが初代大統領に就任したとき,政教分離の一環として,教団は解散,旋回舞踏は禁止となり,1927年この霊廟兼モスク,修道場は博物館となったそうである.
以上トルコ紀行2012/コンヤのページから.
コンヤのインジェミナーレ神学校(Ince Minare)
インジェミナーレ(Ince Minare)とは細いミナーレ(ミナレット)という意味だそうだ.私たちは単にその外観を眺めに来ただけだが,肝腎のその細いミナーレは無くなっており,基部が残されている.1267年,イスラム神学校として造られたものだそうだが,現在は彫刻など展示した博物館として使われているようだ.
以上トルコ紀行2012/コンヤのページから.
コンヤのアラアッディンモスク(the Alaeddin mosque)
1220年,この時代の統治者セルジューク朝スルタン,カイクバード一世によって建立されたそうだ.そして今もちゃんとモスクとして機能している.
以上トルコ紀行2012/コンヤのページから.
ユルギュップのドゥアエリモスク(Duayeri Gamii)
ユルギュップ商店街の新しいモスクで,門にDUAYERl GAMii(Gamii=モスク)1976と記されていた.かなり新しい.僅かに異なる色のレンガを積み上げた模様が美しい.
以上トルコ紀行2012/カッパドキアのページから.
ガジアンテップのモスク(a Mosque in Gaziantep)
ガジアンテップ城塞の少し手前にあったモスク.セルジューク朝時代の建立というから相当古い.ファサードの力強いストライブが印象的だ.
以上トルコ紀行2012/ガジアンテップのページから.
シャンルウルファのルズワニイェモスク(Rizvaniye Mosque)
預言者アブラハムが火炙りの刑に処せられたとき,焼けた薪は飛び散り,丘の下に落ちた火が水に変わり池となり,薪が魚になったということだ.そしてこの池が聖なる魚の池(バルックルギョル/Balikligol)と呼ばれ,一神教の聖地として多くの信徒を集めている.また対岸には後のオスマン帝国時代の建立というこのルズワニイェモスク(Rizvaniye Mosque)が見える.
以上トルコ紀行2012/シャンルウルファのページから.
シャンルウルファのメヴリディハリルモスク(Mevlidi Halil mosque)
山の崖下に建てられたこのメヴリディハリルモスク自体はつい最近のものだそうだが,この奥にアブラハム生誕の洞窟モスク(同名のようだ)があるようだ.巡礼者が多いので,新たに大きなモスクを横に建てたようである.
以上トルコ紀行2012/シャンルウルファのページから.
カイセリのフナトゥハトゥンモスク(Hunat Hatun mosque)
1238年セルジューク朝スルタンのアラディンカイクバード一世(Alaeddin Keykubad 1)の奥さんフナトゥハトゥン(Sultana Hunat Hatun)に依って築かれたモスクであるそうだ.カイセリの大通りに広場を挟んで建てられている.内部も含めて地味な色であるがなかなか重厚である.
以上トルコ紀行2012/カイセリのページから.
サフランボルのモスク(a Mosque at Safranbolu)
サフランボルにはたくさんのモスクが建てられている.多くはオスマントルコ時代に建設されたようだ.これはその中の一つで,庭には日時計が据えてあった.お祈りの時間を確かめるためのものであったようだ.
以上トルコ紀行2012/サフランボルのページから.
敦煌沙州市場のモスク(a Mosque at the Dunhuang market)
沙州市場の近くにモスクがあった.2本のミナレットが夕陽に輝いている.敦煌は莫高窟や楡林窟で有名な仏教の街として知られる.しかし回族やウイグル族,さらにシルクロードの要衝であっただけに遠くイランやウズベク族,タジク族,カザフ族....などイスラムの人たちもそれなりに住んでいるのであろう.
以上河西回廊を行く2011/莫高窟と楡林窟のページから.
烏鞘嶺のモスクのモスク(a Mosque at the Wushaoling pass)
武威を出て烏鞘嶺を越えた先を走っているとこのモスクが見えた.壁に記されるのが甘粛省なのでアラビア文字系統のウイグル文字ではなく漢字で,少し変わった印象を受ける.
以上河西回廊を行く2011/武威のページから.
ネウム先のモスク(a Mosque at the outside of Neum)
ヘルツェゴビナ(ボスニアヘルツェゴビナの南側の地方)に入るとミナレットに丸いドームのモスクを車窓からときどき見かけるようになった.イスラムの国に入ったんだな~と認識を新たにする.
以上バルカンの旅2011/モスタルのページから.
モスタルのコスキ・メフメッドパサモスク(Koski Mehmed pasa Mosque, Mostar)
1617年建立というコスキメフメドパサモスク(Koski Mehmed pasa Mosque)はモスタルのネレトヴァ川の畔(左岸)に建てられ,スタリモスト橋からよく見える.ミナレットは一本で比較的シンプルな造りに見える.紛争時には相当破壊されたであろうし,それ以前ユーゴスラビア連邦人民共和国時代,宗教が抑圧されて時代を経て今なお多く残っていることに感心する.
以上バルカンの旅2011/モスタルのページから.
クアラルンプール国立モスク(Kuala Lumpur National Mosque)
少し閉じた青い傘のような斬新なデザインが現代のモスクと感じさせる.1965年に完成したそうだ.写真,ミフラーブをメッカの方向に向けた大きな礼拝堂もなかなか美しい.アラベスクのタイルやステンドグラスも実に精緻なもので見事だ.
以上マレーシア紀行2011/クアラルンプールのページから.
クアラカンサーのブディアモスク(Ubudiah mosque at Kuala Kangsar)
一目見て大変美しいと思った.クアラルンプールで見た国立モスクも現代風清楚でなかなかだが,このウブディアモスクは伝統様式美を備え,白や褐色,金といった色彩がゴージャスだ.
以上マレーシア紀行2011/クアラカンサーのページから.
ベシャム(Besham)のモスク
ラシュファリトレックを終えて,ベシャムで一泊した.翌朝イスラマバードに向けて走っていると傍らに質素なモスクがあった.首都のファイサルモスクなどを別にすればパキスタンにはこうした比較的簡素なモスクが多いように見える.
以上ラシュファリトレック2010/イスラマバードから帰国のページから.
ウルギー(Ulgii)のモスク
モンゴルでは異色のカザフ族,イスラム主体のバヤンウルギー県県庁所在地ウルギーの早朝眺めたモスク.県庁所在地といっても人口の疎らな地であるので,多分このモスクがモンゴル最大なのではなかろうかと思われた.
以上モンゴルの旅2009/ウランバートルのページから.
モンゴルの小さな村サグサイ(Sagsay)の小さなモスク
ウルギーで飛行機から降り立ち,4WDで進むとサグサイ(Sagsay)の集落,と言ってもごく疎らだが,に着いた.モンゴルの中で,ここバヤンウルギー県だけはカザフ族が90%を占め,言語はトルコ系のカザフ語,宗教はイスラムで他エリア(仏教が多いそうだ)とはかなり違うそうである.村には小ぢんまりした質素なモスクが建てられ,中を覗かせてもらった.ミフラーブとその脇に説教台のある礼拝堂と,また入り口近くにはメドレッセ(神学校)の小部屋があり,アラビア語のコーランを備え,アラビア文字の説明シートが掲げてあった.
以上モンゴルの旅2009/ホブド川畔へ行くのページから.