このページでは既存ページから転載し,モスク,メドレセ,ミナレットなどのイスラム建築を扱い,アバタバードのモスク(パキスタン),シャーファイサルモスク(同),ナイロビのモスク(ケニア),アルマトイ郊外のモスク(カザフスタン),ブラナの塔(キルギス),キルギス(同),ムハマドアミンハンメドレセ(ウズベキスタン),カリタミナル(同),イスラムホジャミナレット(同),ジュマモスク(同),クトルグティムールミナレット(トルクメニスタン),セイットジュマールアッディンモスク跡(同),アシハバードのモスク(同),マリィで建設中のモスク(同),ミルアラブメドレセ(ウズベキスタン),ナディールディバンベキ(同),チャルミナールメドレセ(同),ドルティロヴァット(同),バクーのモスク(アゼルバイジャン),アレッポのグレートモスク(シリア),ウマイヤドモスク(同),アンマンのモスク(ヨルダン),サナアのモスク(イエメン),アルアシャエルモスク(同),ザビードのグレートモスク(同),モカのアルシャドリモスク(同),ジブラのグレートモスク(同),アルワ女王のモスク(同),クバットゾームモスク(同),アルムフダールモスク(同),アルハジャレンのモスク(同)の写真を載せました.
パキスタン/アバタバードのモスク(Mosque in Abbottabad)
パキスタンのモスクのデザインは多様で,中東など他のイスラム国と違って統一性はあまり見られないような気がする.つまりいろいろな構造や色彩のモスクが見られる.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/ベシャムへのページから.
イスラマバードのシャーファイサルモスク(Shah Faisal mosque in Islamabad)
先ず外観が伝統的様式と著しく異なり,近代的,いやステルス爆撃機を連想させられるくらいだ.全体では4本のミナレットがモスクらしさを物語っていると思う.なかなか美しい.一度に15,000人が礼拝できるという世界最大級の巨大なモスクだ.本モスクはイスラム総本山メッカを擁するサウジアラビアはファイサル国王の寄進によって建造されたそうである.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/イスラマバードにて のページから.
ナイロビのモスク(Mosque in Nairobi)
ナイロビの街で写真のモスクがあった.周囲には髪を完全に覆うスカーフの信徒が見えた.英国支配の遥か以前,7世紀にはインド洋に面したケニア東部,モンバサ辺りを中心にアラブ人が到達し,栄えたようだ.15世紀になるとポルトガル人が進出し,一時期アラブ人の勢力が衰えるが,18世紀後半アラブ人が盛り返した歴史があるようだ.なのでキリスト教よりイスラムの方がどうやら早く入ったようである.現在イスラム教徒は国民の20%くらいと聞いた.
以上キリマンジャロの旅2007/ナイロビへ のページから.
アルマトイ郊外のモスク(Mosque in a suberb of Almaty)
アルマトイ郊外で見かけたモスクの色はカザフの色,青と白で彩られていた.ただ中東などと比べるとモスク自体はあまり目に付かない.ソ連時代の宗教禁止が大きく尾を引いているそうであるが,現在イスラム復活に向けあちこちでモスク再建がされているようだ.
以上中央アジアの旅2007/アルマトイのページから.
キルギス/バラサグン遺跡のブラナの塔(Burana tower at Balasugan, Kyrgyz)
バラサグン遺跡で代表的な建造物.11世紀創建のミナレットで,高さ25mの焼きレンガ造り.バラサグンの王に娘が生まれたとき,「あなたの娘は18歳で殺されてしまうだろう」と占い師に言われたそうだ.王はそうなっては大変なので,見張り塔を兼ねてこのミナレット,ブラナの塔を建立したそうだ.だが悲しいことに,娘が18歳になったとき王自身が娘に差し入れたブドウの房にサソリが潜んでいて,噛まれて亡くなってしまったという.
以上中央アジアの旅2007/バラサグンのページから.
キルギスのモスク(a Mosque in Kyrgyz)
イシククル湖の近くで眺めた小さなモスク.若干ロシア正教教会を髣髴させる形態の金属屋根が特徴的だ.少なくとも中東では見ることができないと思う.
以上中央アジアの旅2007/イシククル湖のページから.
ヒワのムハマドアミンハンメドレセ(Mohammed Amin Han medrese in Khiva)
本来1,853年創建のメドレセ(神学校)であったものであるが.現在はホテルとして利用されている.世界遺産なので古いまま保存する必要があろうから,結構大変であろう.
以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.
ヒワのカリタミナル(Kelte Minar in Khiva)
ミナルはミナレット.基礎の部分の直径が14.2mで,高さは26m,普通のミナレットより太いのがとても印象的だ.実はムハマドアミンハンの命令で1852年に着工したが,途中で本人がペルシャと戦い戦死したため工事中止になり,このようなずんぐりした形状になったらしい.本来は高さ109mの建築計画だったそうだ.でもこの太い形の方がインパクトがあるように思う.
以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.
ヒワのイスラムホジャミナレット(Islamhodja minaret in Khiva)
1908年にヒワハン国のイスラムホジャが建てたこのミナレットは56mの高さがあるそうだ.遠くからもよく目立つ.脇にはメドレセが建てられている.
以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.
ヒワのジュマモスク(Juma Mosque in Khiva)
ジュマモスクとは金曜のモスクの意で,他所でもよく用いられる名称のようだ.10世紀建立でヒワ最古のモスク.写真の礼拝堂は18世紀の建設だそうであるが,付属のミナレットは創建当時からのものだという.礼拝堂を支えている木柱は212本あるそうであるが,皆デザインが違うところが面白い.ガイドの話では,このモスク建設には柱の数だけの建築家が携わり,各持分の柱に思い思いの思想を込めた結果だという.一方近所の廃屋から転用したという説もあるらしい.
以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.
クフナウルゲンチのクトルグティムールミナレット(Kutlug Timur minaret in Kunya Urgench)
14世紀にジョチウルスのホラズム総督クトルグティムールによって建設されたミナレットだという.なのでアムルティムールとは全く関係ないそうだ.中央アジア最長の67mの高さを誇るミナレットとなるようだ.
以上中央アジアの旅2007/クフナウルゲンチのページから.
アナウ遺跡のセイットジュマールアッディンモスク跡(Sayyid Jamal ad Din at Anau)
アナウ遺跡全体は新石器時代,紀元前4,000年(または7,000年ころ?)に遡るそうであるが,このモスクは比較的最近のもので,ティムール朝地方総督が15世紀に建たというモスクで,龍の装飾が施されていたそうである.
以上中央アジアの旅2007/アシハバードのページから.
アシハバードのモスク(Mosque in Ashgabat)
アシハバードでモスクはそれ程目立たない.ここも旧ソ連時代に減ったのであろう.それでも宿泊したニサホテルの窓からは4本のミナレットを持つ大きなモスクが一つ見えた.イスタンブールのブルーモスクに少し雰囲気が似る.夜もライトアップされ,かなり目立つ.トルクメニスタンではロシア人以外はイスラム教徒だそうなので,今後また増えていくのでなかろうか.
以上中央アジアの旅2007/アシハバードのページから.
マリィで建設中のモスク(Mosque under construction in Mary)
街のメインストリートの端の方で,4本ミナレットの大きなモスクが建設中であった.ドームが出来上がり,今青いタイルを貼る作業が進行中のようである.
以上中央アジアの旅2007/場所のページから.
ブハラのミルアラブメドレセ(Mir-i-Arab Medressa in Bukhara)
カラーンモスクに面して建っている.教室のある校舎は2階建てで,両脇に二つの青いドームが付いている神学校.現在も神学校として使用され,宗教が規制されていた旧ソ連時代にもここだけは活動を許されていたと云う由緒ある神学校だそうだ.
以上中央アジアの旅2007/ブハラ(続)のページから.
ブハラのナディールディバンベキメドレセ(Madrasse of Nadira Divan-bigi in Bukhara)
リャビハウズの少し奥に,ナディールディバンベキメドレセという神学校があった.この神学校はプレートによれば1622年に建てられたようだ.門の上部にはイスラムで禁止されている鳳凰と人の顔をした太陽が描かれている.鳳凰は神学生が無限に探求し,人の顔をした太陽は権力者自身を表現している......だったかな~?
以上中央アジアの旅2007/ブハラ(続)のページから.
ブハラのチャルミナールメドレセ(Chor Minor Madrasseh in Bukhara)
チャルミナールは4本のミナレットの意味だそうだ.イスラム建築は対称性を重んじることが多いが,この4本のミナレットは皆別々の装飾が施されているところが面白い.伝説によると,インドからこの地方に来ていた金持ち商人が,国に残してきた4人の娘のことを思い出し,寂しがって,4本のミナレットを造るように頼んだ.娘たちの顔が少し違ったので,ミナレットのタイルの装飾も違うようになった,ということだ.ふむふむ.
以上中央アジアの旅2007/ブハラ(続)のページから.
シャフリサブスのドルティロヴァット建築郡(Mosque at Doruttilovat memorial complex)
ドルティロヴァット建築郡に,ウルグベクによって,15世紀に建てられたというコクグムバズモスクが含まれていた.このモスクの内部はなかなかきれいな絵が描かれている.タイルではなく,プラスターの上に直接絵の具で描かれたものだ.
以上中央アジアの旅2007/シャフリサブスのページから.
アゼルバイジャン/バクーのモスク(Mosque in Baku)
バクーがイスラム国に見えない理由の一つに,街を見渡したときモスクがなかなか見当たらないことと,アザーンもなかなか聞こえてこないことがある.そう思っていたら,丘の上に上がり,このモスク(スンニ派だったか?)に案内されることになった.割と小規模で新しい外観だ.礼拝堂ではお祈りしている姿が見られた.
以上コーカサスの旅2007/バクーのページから.
アレッポのグレートモスク(Great Mosque of Aleppo)
アレッポ旧市街スークのすぐ近くにあるグレートモスクは元々はウマイヤ朝が715年に建立し,45mのミナレットは11世紀になって建てられたそうだ.また1260年モンゴル軍の侵入/破壊に遭い,その後に再建されたようだ.他のモスク建立の際,ここの建築様式が参考にされたようだ.
以上中東の旅2006/アレッポのページから.
ダマスカスのウマイヤドモスク(Umayyads Mosque in Damascus)
ウマイヤ朝の支配下,715年に建築された(一説には705年ウマイヤ朝がキリスト教の教会をモスクに改造した)世界最古のモスク.建設には10年余が費やされたそうである.イスラム4大聖地の1つだそうで,シリア国内はもちろん,周辺のイスラム諸国から巡礼ツアーが訪れるようである.
以上中東の旅2006/ダマスカスのページから.
アンマンのモスク(Mosque in Amman)
宿泊したアンマンのホテル近くにあった小さなモスク.ミナレットとGHz帯くらいのアンテナの並ぶシルエットが現在イスラム社会らしい.
以上中東の旅2006/場所のページから.
サナアのモスク(Mosque in Sana'a)
モスク内部(inside Mosque in Sana'a)
サナア旧市街にはこのような様式の高層住宅,モスク,お店等が建ち並び,なかなかインパクトがある.1986年には世界遺産登録されたそうだ.モスクだけでも100余に達するそうで,その中の1つを覗かせてもらったら,なかなか荘厳な感じの礼拝の間が広がっていた.
以上イエメンの旅2006/サナアのページから.
ザビードのアルアシャエルモスク(al-Asha'ir Mosque in Zabid)
ザビードの街は819年,時のアッバース朝の総督によって創設され,さらにここを首都とする国家が建設されたそうだ.国を学問で振興させるべく,モスク付属のマドラサ(メドレサ)を拡充し,これがアラブ世界初の大学,アルアシャエル大学の起源になったという.世界遺産ではあるが,補修が不十分で,2000年には危機遺産リストに載せられたそうである.
以上イエメンの旅2006/ザビードのページから.
ザビードのグレートモスク(Great Mosque of Zabid)
ザビードは13世紀から15世紀にかけてイエメン王国の首都であり,そのザビードのグレートモスクもまた歴史に名高いということだ.
以上イエメンの旅2006/ザビードのページから.
モカのアルシャドリモスク(al-Shadeli mosque in Mokha)
1,500年代から1,600年代,モカはコーヒー輸出港として隆盛を極め,当時人口は5万人に達し,1,614年オランダが最初の商館を設置したそうだ.それがこのような寂れ,住民が少なくなってしまったモカではあるが,モスクはこのように立派なものが建てられている.
以上イエメンの旅2006/モカのページから.
タイズのアシュラヒアモスク(Asharafya mosque in Taiz)
アシャラフィーアモスクは白い2つのミナレットが特徴だ.タイズの街を見下ろす高台にある. 2つのミナレット正面方向から眺めると「パリのノートルダム寺院と少し似ている!」という意見があるそうである.ただ,筆者は「たしかに2つの尖塔という共通点があるも,色も形も全く違うし,あのように精緻かつゴテゴテした感じも受けないし,.....」と甚だ懐疑的である.ところでタイズのアザーンは尋常でない.つまり未明の4時半頃から5時半くらいまで別々の方向から別々の音色,リズムで引っ切り無しに聞こえてくる.これまで経験したどのイスラム都市と比べても圧倒的に際立った回数と音量だ.
以上イエメンの旅2006/タイズのページから.
ジブラのグレートモスク(Great mosque of Jibla)
アルワ女王のお墓を守るために建立されたというモスクだ.白い大きなミナレットを含めて亡き女王専用のモスクのようだ.
以上イエメンの旅2006/ジブラのページから.
アルワ女王のモスク(Mosque of Queen Arwa in Jibla)
中央のミナレットがスライフ王朝最後の女王,アルワ女王自ら建立したと伝えられるモスク(Mosque of Queen Arwa in Jibla).1,046年頃アリーが父を継いでサナアに王国を建国.しかし程なくアリーが亡くなり,その妻アルワが女王としてサナアからジブラに首都を移し,1,067年~1,130年この地で治世をおこなった,ということのようだ.なのでアルワ女王のモスクは900年程昔の建立となろうか.
以上イエメンの旅2006/ジブラのページから.
ジブラのクバットゾームモスク(Qubbat Bayt az-Zum mosque in Jibla)
エジプトの影響を受けたというクバットゾームモスク.その辺がエジプト風なのかな~?
以上イエメンの旅2006/ジブラのページから.
タリムのアルムフダールモスク(Al Muhdar mosque in Tarim)
真っ白で美しい.ミナレットは50mの高さで,1915年に建立されたということであるからそう古い訳ではない.細かい格子など精緻な作りであるが,やはり日干しレンガ造りで白い漆喰で覆われた構造のようだ.漆喰は泥と比べて圧倒的に耐水性が高く,建物全体の耐久性を大幅に高めるそうである.ただ漆喰は高価であり,このように全部が漆喰で覆われた建物は稀で,多くは一部だけが白い建物が多い.
以上イエメンの旅2006/タリムのページから.
アルハジャレンのモスク(Mosque in Al Hajarain)
アルハジャレンには複数のモスクが在るが,このモスクはとりわけ大きく立派だ.
以上イエメンの旅2006/アルハジャレンのページから.