モスク,メドレセ,ミナレットなど(1)

このページでは既存ページから転載し,モスク,メドレセ,ミナレットなどのイスラム建築を扱い,ウルムチの清真寺(ウイグル),アバクホジャモスク(同),エイティガール寺院(同),ヤルカンドのモスク(同),マリクワト村のモスク(同),ケリヤのモスク(同),蘇公塔(同),トルファンのモスク(同),コタキタバルのモスク(マレーシア),シディサハブモスク(チュニジア),ケルアンのグランドモスク(同),トズールのモスク(同),スースのグランドモスク(同),アルファモスク(同),ハッサンの塔(同),アッタリン神学校(同),カラウィーンモスク(同),クトゥビアモスク(同),ベシャムのモスク(パキスタン),イマームモスク(イラン),シェイクロトフォラモスク(同),イスファハンの金曜モスク(同),ウルグベクメドレセ(ウズベキスタン),ティラカリメドレセ(同),シェルドルメドレセ(同),ビビハニムモスク(同),バラハウスモスク(同),カラーンモスク(同),リャビハウズメドレセ(同),メスキータ(スペイン),クトゥブミナール(インド),アヤソフィア(トルコ),ブルーモスク(同),モハメドアリモスク(エジプト)の写真を載せました.

ウルムチの清真寺

ウルムチの清真寺(Mosque in Urumqi)

ウルムチの清真寺(Mosque in Urumqi)

ウルムチ二道橋バザール界隈には4本のミナレットを従えた大きな清真寺,つまりモスクが建てられている.”清真”はイスラムの意のようで,例えば機内食に”清真”と記されていたり,街のレストラン看板に”清真”と掲げられているのをよく見かける.これは食品に豚肉などイスラムで不都合な食品が使われていないことを表している,とすぐ判った.

以上新疆ウイグルの旅2005/ウルムチ(前半)のページから.

アバクホジャモスク

カシュガルのアバクホジャモスク(Abak Hoja mosque in Kashgar)

カシュガルのアバクホジャモスク(Abak Hoja mosque in Kashgar)

アバクホジャ一族の墓(香妃の墓)に併設されたモスク.柱など主構造体は木だ.装飾はイランやウズベキスタンの様式とよく似ているように思う.またコーランの一節であろうか,壁に飾り文字が見られるが,これはウイグル文字か?アラビア文字か?尤もウイグル文字は60%はアラビア文字と共通で,残りもよく似ているので,ウイグル文字の読める人はアラビア文字でも大体読めるそうである.

以上新疆ウイグルの旅2005/カシュガルのページから.

エイティガール寺院

カシュガルのエイティガール寺院(Id Kah Mosque of Kashgar)

カシュガルのエイティガール寺院(Id Kah Mosque of Kashgar)

日本語でエイティガールと書くと,Eighty-girlかと思いきや,さにあらず,ペルシャ語で「祭を行う場所」という意味らしい.このモスクは新疆ウイグルで最大,いや中国最大のモスクだそうである.15世紀中ごろ,カシュガルの統治者シャクルミールによって建立されたそうである.レンガ造りで,黄色く塗られている.礼拝堂の内部は140本の柱が林立し,一度に6千人収容できるそうである.

以上新疆ウイグルの旅2005/カシュガルのページから.

ヤルカンドのモスク

ヤルカンドのモスク(Mosque in Yarkand)

ヤルカンドのモスク(Mosque in Yarkand)

ヤルカンド王陵の横にはモスク(右下の写真)もあって,金曜日ではなかったが,幾人かお祈りしている姿が見られた.

以上新疆ウイグルの旅2005/ヤルカンドのページから.

マリクワト村のモスク

マリクワト村のモスク(Mosque at Malikewate)

マリクワト村のモスク(Mosque at Malikewate)

マリクワト故城に向かうには,普通の道路から,片田舎へ通じるダートの道を暫く走り,やがて車も入れないような所に至る.マリクワト村の入り口辺りだ.マリクワト村には道の脇に小さなモスクがあった.古びているが鮮やかな彩色タイルが印象的だ.

以上新疆ウイグルの旅2005/ホータンのページから.

ケリヤのモスク

ケリヤのモスク(Mosque in Keriya)

ケリヤのモスク(Mosque in Keriya)

砂漠を越えケリヤ(中国名:于田)の街に入る.街の一画には大きなモスクが目立つ.モスク前には市場があった.両者とも人が大勢集まるところで,一箇所に設ければ効率的なわけだ.

以上新疆ウイグルの旅2005/ケリヤのページから.

蘇公塔

トルファンの蘇公塔(Sugong minerat at Turpan)

トルファンの蘇公塔(Sugong minerat at Turpan)

1779年,トルファン郡の王スライマン(蘇来満)が,父エミン(額敏)を記念して建てたミナレットで,蘇公塔若しくは額敏塔とも呼ばれているそうだ.塔のすぐ脇にはモスクがあり,内部を見せてもらった.メッカの方向を示すミフラーブがあり,床にカーペットが敷いてある広い礼拝堂だ.柱,壁,天井全て木造のイスラム建築様式だ.

以上新疆ウイグルの旅2005/トルファン(続) のページから.

トルファンのモスク

トルファンのモスク(Mosque in Turpan City)

トルファンのモスク(Mosque in Turpan City)

市内住宅街の一画にあった.ウイグル文字に並んで「南関大寺」の漢字も刻まれている.はてどう云う意味か?トルファン南側ゲートにあるモスク...??

以上新疆ウイグルの旅2005/トルファン(続)のページから.

コタキタバルのモスク

コタキタバルのモスク(Mosque in Kota Kinabalu)

コタキタバルのモスク(Mosque in Kota Kinabalu)

コタキタバルを出て,車でキナバルの登山口に向かった.道で出会った今度の光景は,完全にイスラム国を意識させるに十分なモスクのある風景だ.4本のミナレットにタイル貼りのドーム,なかなか立派なモスクだ.それと,中東とかだと,歴史あると言えばそうに違いないが,今にも崩れ落ちそうなモスクが結構あるが,ここのモスクは真新しくて,ちゃんとメンテナンスされているように見える.現在の経済力の差異がそのまま出ているのかも知れない.

以上キナバル山2005/登り口へのページから.

シディサハブモスク

ケルアンのシディサハブモスク(Sidi Sahab mosque in Kairouan)

ケルアンのシディサハブモスク(Sidi Sahab mosque in Kairouan)

サハブはアラビア語で友人の意味,イスラム教の創始者,預言者ムハンマドの忠実な従者にして専属の床屋のアブ・ザマ・エル・ベラウィ,通称シディ・サハブが眠る霊廟として7世紀に建てられたそうである.マグレブで最も美しい霊廟の1つといわれそうで,壁,床には美しいアラベスク模様のタイルが貼られている.

以上チュニジアの旅2005/ケルアンのページから.

ケルアンのグランドモスク

ケルアンのグランドモスク(Great mosque of Kairouan)

ケルアンのグランドモスク(Great mosque of Kairouan)

グランドモスク内部(inside Great mosque of Kairouan)

グランドモスク内部(inside Great mosque of Kairouan)

最初は671年ウクバ・イブン・ナーフィーによって建てられたそうである.何度かの修復を経て,現在のものは862年建立され,その後修復が続けられているようである.仔細に見ると柱の文様はどうやら一つではなく,内部も改修が繰り返されたことが窺える.

以上チュニジアの旅2005/ケルアンのページから.

トズールのモスク

チュニジア/トズールのモスク(Mosque in Tozeur)

チュニジア/トズールのモスク(Mosque in Tozeur)

レンガを凹凸をもたせて積み上げることで浮き出し模様を形成している.ここに来るまでにもあちこちで見かけたが,ここトズールではあらゆるところで見かけるようになる.ところで外壁の色からすると日干しレンガのように見えるが,このミナレットはかなり大きい建物であり,やはりちゃんと焼成したレンガかな~?....気にかかる.頂部の濃いグリーン瓦はモロッコのグリーンと似ているかな~青空にマッチする色だ.

以上チュニジアの旅2005/トズールのページから.

スースのグランドモスク

スースのグランドモスク(Grand Mosque of Sousse)

スースのグランドモスク(Grand Mosque of Sousse)

スースのメディナ,スークの入り口にあるグランドモスクは9世紀に建立されたそうである.

以上チュニジアの旅2005/場所のページから.

アルファモスク

ラバト/アルファモスク(Alfer Mosque in Rabat)

ラバト/アルファモスク(Alfer Mosque in Rabat)

ラバトの広い王宮前広場を挟んでアルファモスクと称するモスクがあった.ベージュの連続アーチ,直線の屋根が青空に映える.円柱でなく四角柱型のミナレットはどうやらマグレブイスラム諸国の標準様式らしい.

以上モロッコの旅2003/ラバトのページから.

ハッサンの塔

ラバト/ハッサンの塔(Hassan Tower in Rabat)

ラバト/ハッサンの塔(Hassan Tower in Rabat)

白い多くの石柱(360本もあるらしい)が立っているのは,1755年のリスボン大地震のとき崩壊したモスク跡だそうだ.その背後のある四角い塔が高さ44mのハッサンの塔.1195年,ムワヒド朝のヤーコブマンスールが88mの塔を目指したが果たせなかった未完の塔だそうだ.

以上モロッコの旅2003/ラバトのページから.

アッタリン神学校

フェズのアッタリン神学校(Medersa Attarine of Fes)

フェズのアッタリン神学校(Medersa Attarine of Fes)

1323~25年アブサド王朝時代に建てられたそうで,ここも緑の屋根が美しい.噴水や馬蹄形アーチも典型的なイスラム様式であろう.やっぱりこの屋根の濃い緑と白い壁は強烈な太陽光の下でこそ輝くと思った.

以上モロッコの旅2003/フェズのページから.

カラウィーンモスク

フェズのカラウィーンモスク(Kairouine Mosque of Fes)

フェズのカラウィーンモスク(Kairouine Mosque of Fes)

メディナの中ほどにあるこのカラウィーンモスクは,現在のチュニジア,カイラワーン地方出身の富豪の亡命者の娘ファティマによって857年に建造されたそうである.現存するのどうか?見なかったのではっきり判らないが955~956年にミナレットができて全体が完成したという.当初は普通のモスクとして使用されていたが,後にコーランの大学として使われ,世界最古の大学の1つであるそうだ.現在の形になったのはアルモハッド朝(1147-1269)時代で,2万人を収容でき,北アフリカでは最大の規模であったそうだ.

以上モロッコの旅2003/フェズのページから.

クトゥビアモスク

マラケシュのクトゥビアモスク(Koutoubia Mosque of Marrakech)

マラケシュのクトゥビアモスク(Koutoubia Mosque of Marrakech)

クトゥビアとは「本屋の」という意味だそうである(多分アラビア語).モスクには神学校が併設され,その図書館には数万冊の蔵書があったそうであるから,周りにも本屋さんが多かったのであろう.写真のクトゥビアの塔は,12世紀ムワヒド朝時代に建立されたクトゥビアモスクのミナレットで高さ60メートルくらい,四角柱状の4つの面にはそれぞれ異なる装飾が施されているようである.

以上モロッコの旅2003/マラケシュのページから.

ベシャムのモスク

パキスタン/ベシャムのモスク(a mosque at Besham)

パキスタン/ベシャムのモスク(a mosque at Besham)

カラコルムハイウェイを進むとやがてインダス河と交差するベシャム辺りでモスクがあった.

以上パキスタンの旅2003/チラースへのページから.

イマームモスク

イスファハン/イマームモスク(Imam mosque in Esfahan)

イスファハン/イマームモスク(Imam mosque in Esfahan)

イマーム広場の南にはイマームモスクが立っている.金曜早朝に広場に行ったとき,イマーム広場には多くの人がテントや地べたで毛布に包まり寝ていた.木曜の夜から,翌日のイマームモスクでの金曜礼拝に望むため地方から出てきた人々が広場で露営していたようである.

以上イランの旅2003/イスファハンのページから.

シェイクロトフォラモスク

イスファハン/シェイクロトフォラモスク(Sheikh Lutfollah mosque in Esfahan)

イスファハン/シェイクロトフォラモスク(Sheikh Lutfollah mosque in Esfahan)

イマーム広場を挟んでアリカプ宮殿の真正面にあるモスク.1602年から17年かけて建設されたそうだ.旧王室専用のモスクで,イマーム広場下に専用地下道があって,王族は表に出ることなく行くことができたそうである.

以上イランの旅2003/イスファハン2のページから.

イスファハンの金曜モスク

イスファハン/金曜モスク(Friday mosque in Esfahan)

イスファハン/金曜モスク(Friday mosque in Esfahan)

世紀に既に建立されたという,イスファハンで最も古いとされる金曜モスク.金曜日はキリスト教徒の日曜日と同じ安息日で,集団礼拝の重要な日だ.イラン/イラク戦争ではイラク側のターゲットにされミサイルが命中したこともあるそうな.

以上イランの旅2003/イスファハン3のページから.

ウルグベクメドレセ

サマルカンド/ウルグベクメドレセ(Ulugh Beg madrasah in Samarkand)

サマルカンド/ウルグベクメドレセ(Ulugh Beg madrasah in Samarkand)

サマルカンドのレギスタン広場で,写真左側のメドレセ(イスラム神学校).1420年チムールの孫ウルグベクが建てたそうだ.当初イスラム神学の講堂として建てられたが,後に天文学,哲学,数学などの研究の場,大学の役目も果たした.50の寄宿舎があり,100人の学生が住み,ウルグベク自身も数学を教えていたそうだ.

以上ウズベキスタンの旅2003/サマルカンドのページから.

ティラカリメドレセ

サマルカンド/ティラカリメドレセ(Tilla Qori madrasah in Samarkand)

サマルカンド/ティラカリメドレセ(Tilla Qori madrasah in Samarkand)

レギスタン広場中央のティラカリメドレセ,入り口の案内標識はウズベク語とロシア語(多分),と英語で「メドレセはサマルカンドにおける時の権力者ヤラングトシュ・バハドゥルの命によって1660に建立された」と記されているようだ.1階建てと2階建ての建物がある.たしか1階建ての部分は先生の部屋があり,2階建ての上は教室で,下は学生の宿舎......だったかな?現在1階部分はお土産物屋さんになっている.

以上ウズベキスタンの旅2003/サマルカンドのページから.

シェルドルメドレセ

サマルカンド/シェルドルメドレセ(Sherdor madrasah in Samarkand)

サマルカンド/シェルドルメドレセ(Sherdor madrasah in Samarkand)

案内標識を比べると中央のティラカリメドレセより少しふるいようだ.17年かけて1636完成.当時のサマルカンドの支配者ヤラングトシュバハドゥルの命によるものだそうだ.ここのドームがまたグリーンがかったブルーで美しい.入り口の木製ドアが年月を物語っているようだ.しかし何よりも,正面入り口のライオンと人面が,偶像崇拝をタブーとするイスラム教の建物に描かれていることに驚く.なおシェルドルは「襲いかかるライオン」の意だそうである.またこの模様はそのままウズベキスタン通貨「200スム紙幣」の絵柄にもなっている.

以上ウズベキスタンの旅2003/サマルカンドのページから.

ビビハニムモスク

サマルカンド/ビビハニムモスク(Bibihanum mosque in Samarkand)

サマルカンド/ビビハニムモスク(Bibihanum mosque in Samarkand)

ティムール大帝が愛妻ビビハニムに贈ったというモスク.ティムールの死後3年目,1404完成の中央アジア最大級のモスク.1399年,インド遠征で勝利を納めたティムールは,最大のモスクを造ろうと,インドやペルシャ等から建築家,技師,職人を集めた.石工だけでも200人,ペンジケント郊外の山からの石の切り出しには500人が当たったという.ただ短時間で造るため検証不十分な設計若しくは安普請のため頻繁に壊れ,長年にわたって修復が続けられているようだ.

以上ウズベキスタンの旅2003/サマルカンドのページから.

バラハウスモスク

ブハラ/バラハウスモスク(Bolohauz mosque in Bukhara)

ブハラ/バラハウスモスク(Bolohauz mosque in Bukhara)

バラハウスとは泉とか池のことで,そこにあるモスクなのでバラハウスモスクと称するという.構造上大きな特色があり,天井が細くて堅いカラガチという木の柱で支えられている. 壁は他のウズベクの典型的様式,つまりレンガの上にタイルを貼った構造であることが壊れかかった部分から垣間見ることができる.現在も使われ当日の礼拝時刻が入り口に掲げられている.

以上ウズベキスタンの旅2003/ブハラのページから.

カラーンモスク

ブハラ/カラーンモスク(Kalyan mosque in Bukhara)

ブハラ/カラーンモスク(Kalyan mosque in Bukhara)

カラーンモスクは1516年建造.1万人が礼拝できたといい,サマルカンドのビビハニムモスクに次ぎ,中央アジアで2番目に大きかったそうだ.現在も金曜礼拝に使われているようだ.

カラーンミナレットとして知られる塔の高さ46.5mは中央アジア第1を誇り,地震多発地帯で土の塔が倒れなかったのは,土中に10mの起訴部分を埋め込んであるのと,壁に良質の煉瓦を使っているからだという.煉瓦を縦,横に積み,太陽の具合で壁の模様が変化するようにできているのが面白い.狭い入り口から暗い(ほんとに暗い)100段余の階段を登り, 頂上に到着すると,そこには窓が開けられ 下界が一望できる.18~19世紀のブハラハン国時代には罪人をこの塔から落としたと....ああ怖い.

以上ウズベキスタンの旅2003/ブハラのページから.

リャビハウズメドレセ

ブハラ/リャビハウズメドレセ(Lyabi Khauz madrasah in Bukhara)

ハラ/リャビハウズメドレセ(Lyabi Khauz madrasah in Bukhara)

リャビハウズとは池のことで,この池は8角形,深さ5mほどのようだ.水の増減に応じて池の縁に降りられるように階段がついているようだ.リャビハウズメドレセはこの池の辺にある神学校なのでこのように通称されるのだろう.

以上ウズベキスタンの旅2003/ブハラのページから.

メスキータ

コルドバ/メスキータ(Cordoba Mezquita)

コルドバ/メスキータ(Cordoba Mezquita)

メスキータ内部(inside Mezquita)

スキータ内部(inside Mezquita)

コルドバは,756年に成立したムーア人ウマイヤ朝の首都で,イスラムであるから,街の中心は大モスクであるこのメスキータであったそうだ.

やがて15世紀末,キリスト教勢力によるレコンキスタが完了,つまりムーア人イスラム勢力がイベリア半島から追われ,メスキータもカトリック教会に改装された.ただしキリスト教徒がメスキータを破壊することなくそのままカトリックの教会に転用したそうである.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/コルドバのページから.

クトゥブミナール

デリー/クトゥブミナール(Qutab Minar)

デリー/クトゥブミナール(Qutab Minar)

クトゥブミナールは西暦13世紀初頭,イスラム王朝が建設したモスクなどの集合体.その中で,勝利記念塔は5層に分かれ,第3層までアイバクの時代(アイバクが1層,2,3層目は娘婿)に建造し,上部は14世紀に付け足されたそうだ.塔は円柱形だが,赤砂岩で作られた表面はひだ状で,縦方向にいくつも溝が走っている.1993年世界文化遺産指定されたようだ.

以上インドの旅2002/デリーのページから.

ブルーモスク

イスタンブール/ブルーモスク(Blue Mosque(Sultan Ahmet Camii))

イスタンブール/ブルーモスク(Blue Mosque(Sultan Ahmet Camii))

無数のモスクがあるイスタンブールの街で最も著名なモスク.正式名は,1616年にこれを建造したスルタン・アフメット1世に因みスルタンアフメットジャミィ(Sultan Ahmet Camii)であるが,内部の模様が青みがかったタイルが使用されているためブルーモスクと呼ばれるようになったそうだ.6本の尖塔(ミナレット)を有するのも特有のことらしい.(普通は1~4本くらい)

以上トルコ/エジプトの旅2002/イスタンブール旧市街のページから.

アヤソフィア

イスタンブール/アヤソフィア(Hagia Sophia)

イスタンブール/アヤソフィア(Hagia Sophia)

アヤソフィアの内部(inside Hagia Sophia)

ヤソフィアの内部(inside Hagia Sophia)

ビザンチン建築の粋を集め,325年キリスト教を認めたコンスタンティヌス帝によって聖堂として建築された.その後災害に見舞われたのち,532年ユスティヌアス帝によって現在の姿に再現された.ところが13世紀にコンスタンティノーブルを攻略したオスマントルコはその後モスクに改築,ミナレットを建て壁や天井のモザイク画を漆喰で塗り固めてしまった.つまり東ローマ帝国時代,東方正教会の総本山だったが,オスマン・トルコによる征服後は事実上イスラム教の総本山となった.現在は博物館として公開されている.

以上トルコ/エジプトの旅2002/イスタンブール旧市街のページから.

モハメドアリモスク

カイロ/モハメドアリモスク(Mohamed Ali Mosque)

カイロ/モハメドアリモスク(Mohamed Ali Mosque)

モハメドアリモスクの内部(inside Mohamed Ali Mosque)

モハメドアリモスクの内部(inside Mohamed Ali Mosque)

エジプト人の90%がイスラム教の信徒で,カイロには多くのモスクがあり,中でも有名なのがこのモハメドアリモスク.1857年エジプト独立の功労者,ムハンマドアリ氏が建設したそうである.

以上トルコ/エジプトの旅2002/カイロのページから.


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