レーへfly to Leh

2012/7/8の行程マップ

2012/7/8の行程マップ(拡大可)→

この日2012/7/8はデリーからレーに飛び,高度順応のためレーに留まり,市内ショッピング街,サンカルゴンパ,シャンティストゥーパ,野菜や乾物の市場などを巡った.そしてこの日はここレーのロッジで一泊した.

レーはラダック最大の街で,チベット以上にチベット仏教文化が保存されていると聞いていた.確かにそのように思うが,一方,複数のモスクから大音響のアザーンが流れるのを耳にし,正直驚いてしまった.


早朝Goエアでレーに飛ぶ

早朝Goエアでレーに飛ぶ

デリー到着の翌2012/7/8,殆ど寝る間もなく未明の2時,電話で起こしてもらう.ホテルレストランで簡単な朝食を用意してもらい,ここに集う.関空からのIさんも加わり総メンバー6人となった.どうぞよろしく.

朝食後車でデリー空港国内線ターミナルへ行き,Goエアカウンタでチェックイン.食材など大量の荷物を抱えた添乗Yさんがうまく積み込めるかどうか心配していたが,幸いうまくいったようでホッとする.以前は翌日のフライトに回されたり,何かと上手くいかないことが多かったそうだ.

さて搭乗したGoエア機はA320で,離陸前に写真のように,機内に水蒸気のようなものが大量に注入され,あたかも火事のようで,さては何事かと驚いた.どうやら空調のためだったらしい.で,満席の機はレーに向け定刻の6:30AMより若干早めに離陸した.


インドヒマラヤ上空,ザンスカール辺りを通過

インドヒマラヤ上空,ザンスカール辺りを通過

機が飛び立って少しすると空が明け始めてきた.レーまでは1時間ほどのフライトだ.レーに近づく前にヒマラヤ,しかも今回のトレッキングエリアであるザンスカールの辺りを越える.3-3配列シートの中側に座っていたが,窓側のオーストリア人夫妻が撮影のために一時席を譲ってくれた.そのときのショットがこれだ.思いの外厳しい山々が連なっている.


Goエア機はレー空港に到着

Goエア機はレー空港に到着

定刻にGoエア機はレー空港に到着した.降りた客は観光客,トレッカーや地元の人....色々だが,数は外国人が多いようだ.

天気は意外にも悪く,小雨がぱらついている.完全に乾いている大地と想像していたため,全く予想外だ.荷物を受け取って空港の外に出ると,これからず~っとお世話になるガイドSさんとアシスタントガイドGさんが待ってくれており,車に荷物を詰め込んで乗り込む.お世話になりますがよろしく願います.なおキッチン担当など他のサポートスタッフの皆さんや馬はトレッキング開始するこの3日後から加わる予定だ.

空港周辺は流石インド/パキスタン/中国が領有権主張,インド実効支配下の土地柄だけあってインド軍の存在を知らしめるに足る軍事施設や兵士が配されている.


Munsi continentalロッジに落ち着く

Munsi continentalロッジに落ち着く

空港からはいかにもヒマラヤ地方といった景観の中を20分ほどであったであろうか走り,レーの街に到着した.そしてMunsi continentalロッジに到着した.なかなか広い部屋で点くかどうかはさて置きTVまで備えている.土地柄電気とシャワーは夜間の少しだけの間使えた.レストランも備えており,早速遅めの朝食も頂戴した.ラダックスタイルのスープもおかずも辛いと知る.まあラダックもインドの一部なのだから当然であろうか.

何はともあれ山岳飛行ルートだけに,予定通り飛んでここに着いたことが嬉しい.


Munsi continentalロッジから眺めたレーの風景

Munsi continentalロッジから眺めたレーの風景

茶色の大地,向こうに聳える白い雪山,白く細長いポプラ並木の美しい緑,日干し煉瓦に白い漆喰造りの住宅.....高地乾燥地帯の特徴をよく示している.フンザなどパキスタン北部の眺めにとてもよく似た印象だ.

レーは,19世紀までは独立国家,後インドの領土となったラダック地方最大の街で,人口は3~4万人くらいだそうだ.チベットのグゲ(古格)王国などと近く,昔からチベット文化圏に属していたようである.民族もチベット族に近く,チベット文字を使うがチベット語とは異なるラダック語だそうである.なお私たちがこの後トレックに向かうラダック南のザンスカールもチベット文字を使うがラダック語とは少し似たところがあるも異なるザンスカール語を話すそうだ.


下は,デリーからレーに至ったときの写真

デリーからレーに至ったときの写真
デリーからレーに至ったときの写真 デリーからレーに至ったときの写真 デリーからレーに至ったときの写真 デリーからレーに至ったときの写真 デリーからレーに至ったときの写真 デリーからレーに至ったときの写真 デリーからレーに至ったときの写真

タルチョーの架かる街のモスク

タルチョーの架かる街のモスク

ロッジで一休みの後街の中心部まで歩いてみた.写真はその中心部の通りであるがチベット仏教の慣わしに従い大量のタルチョーが架けられている.ただその先には白いドームのイスラムモスクも見えている.元々仏教徒主体の街で,この通り近くに大きなゴンパ(Gompa Somaと呼ばれるようだ)も見えるが,近年イスラムが勢力を伸ばし,ざっと眺めただけでモスクが3つも見えた.所定の時刻になれば大音響のアザーンも鳴り響いている.


ヒンドゥー国なので野良牛が彷徨う

ヒンドゥー国なので野良牛が彷徨う

インドで,仏教は少数派,イスラムも比較的少ない.やはりヒンドゥーの国だけあって牛が幅を利かしている.野良牛,とは言ってももち論オーナーがいて,放し飼いされているだけであろうが.

なお仏教徒,イスラム教徒の他に,もち論ヒンドゥー教徒も暮らしているそうだが,夏の間だけ事業で訪れている人なども多いそうである.


レーは夏の間の観光地

レーは夏の間の観光地

レーの陸路は夏の間だけで,それ以外は遮断されるそうだ.空路だけは冬も大丈夫なのか?冬の気温は零下30℃にも達するので,地元の人も殆ど動くことは叶わないという.ということで観光は夏の間だけに限られる訳だが,写真のようなチベッタングッズ風のお土産が軒に並んでいる.観光客は欧州人が多いようだ.東洋人はラダキーに似ているので溶け込んでしまい目立たない面もあるかもしれない.


レー王宮と山頂のゴンパ

レー王宮と山頂のゴンパ

街の北東に茶色い岩山があり,中腹にかつてのレー王宮(現在は廃墟),上に赤いゴンパ(Namgyal Tsemo Gompa)が建てられている.ゴンパの背後白い建物は砦だそうで,チベット仏教の都市でしばしば見られる政教一体の機関であったのであろう.ラサポタラ宮で,政治部門の白宮,宗教部門の紅宮の色使いと同じであろうが,寧ろポタラ宮より歴史は古いようである.


ロッジの新築工事

ロッジの新築工事

レーは夏の間だけの観光地であるが,新しいロッジ,ホテル,ゲストハウス....が多く見られ,また写真のように建築中のものも目立つ.夏以外ほぼ客は0であろうから経営的には大変だと思うが.....

このように大きな建物は細いながら鉄筋コンクリート構造の柱と梁に日干し煉瓦の壁を嵌め込んで造るようだ.地震はあまりないようなので強度的には大丈夫そうだ.


下は,レーの街での眺め

レーの街での眺め
レーの街での眺め レーの街での眺め レーの街での眺め レーの街での眺め レーの街での眺め レーの街での眺め

サンカルゴンパ(Samkar Gompa)

サンカルゴンパ(Samkar Gompa)

レーの街から少し北に行ったサンカル(Samkar)にあるゴンパを車で訪れた.建物の色遣いや装飾は他国のチベット仏教寺院と同様だと思われる.

本殿入り口階段で,お坊さんと訪問者らしき人達が談笑している.友人同士が世間話を交わすごく日常的光景のように見受けられたのが印象深い.


ドゥカル(白傘蓋仏母)像

ドゥカル(白傘蓋仏母)像

他のチベット仏教ゴンパ同様,仏像やラマ像,ダライラマ14世の写真(チベットでは禁),現活仏ラマの写真......いろいろ祀られている.その中でこの女性神様像,ドゥカル(白傘蓋仏母)と称するそうだ,はここの本尊で,寺の大きな特徴となっているそうである.千手観音のようにたくさんの手と顔を有し,遍く民衆に目を向け,救ってくれるというのが要旨だったか.手にしたのぼりも大きな意味合いが込められ,説明を受けたのだが....思い出せない.

少し微笑むようでもあり,怒ってもいるようでもある複雑な顔の表情はこれまで眺めた仏像ではあまり例を見たことがない.異質だ.個人的には必ずしもしっくりこない雰囲気ではある.


下は,サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真

サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真
サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真 サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真 サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真 サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真 サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真 サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真 サンカルゴンパ(Samkar Gompa)での写真

シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)

シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)

レーの街と周囲の山々を望む丘に建つ仏塔,シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)を訪ねた.1985年,日本山妙法寺(藤井日達氏が1917年創設の日蓮系宗教団体だそうだ)によって創建された新しいストゥーパ(チョルテン)だそうであるが,現在妙法寺とは袂を分かっているそうである.

ストゥーパの周囲にはお釈迦様の物語を記したレリーフなどがびっしりと嵌め込まれている.参拝客は多く,階段で記念写真の団体が列をなす場面も見える.多くは仏教徒ではなくヒンドゥー教徒のようである.ヒンドゥーから観ると,ブッダは救済の神ヴィシュヌの数多くの『化身』の一つなのだそうだ.ブッダは実在の人物なのに神話の一部に無理やり強引に嵌め込んで....という気がしないでもないが,まあヒンドゥーとはそうしたものらしい.


ストックカンリ(Stok Kangri:6,153m)

ストックカンリ(Stok Kangri:6,153m)

ストゥーパの丘からはザンスカール方面のヒマラヤを望む.この辺りで一番高いというストックカンリ(Stok Kangri:6,153m)も見える.この写真で2つの雪峰の間,少し右寄りの黒い尖った山がそれだそうだ.ここから見る限り背後に在るためか地味な感じだ.

私たちはストックカンリの大分右側(西側)にあって,南下するルートを歩く予定になっている.

反対側(北側)にもまた山々が連なっている.奥の方は中国が実効支配するアクサイチン辺りの山になろうか.


軍事施設多し

軍事施設多し

左側はレー市街の一部,右側は兵舎など軍事施設のようである.何しろここは国際的には国境不確定のカシミールのうちのインド実効支配エリアなので,軍事的には最も重要な前線基地となろう.まあ,こうした状況はパキスタンも,中国も同じだ.パキスタンでは最新鋭戦闘機のスクランブル演習を見たし,チベットでは荒野を立派な軍用道路を兵を乗せた軍用車が駆けていくのを見たものだ.


仏堂に参拝の人達

仏堂に参拝の人達

ストゥーパの少し下に仏像を祀ったお堂があり,お参りした.そしてこの寺にはここに来て30年くらいになるという中村師と云う住職の方がお住まいで,お茶を頂き,お話を聞くことができた.ここではお茶が美味しいという.標高3,600mのため沸点が低く,お茶を入れるに最適温度で沸くからということだ.師は,冬季寒すぎるのでデリーとかヨーロッパに滞在することが多いそうだ.エアインディアとインディアエアラインの合併やパイロットスト,インド政府の狙い....など世俗的な話も興味深かった.


下は,シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真

シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真
シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真 シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真 シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真 シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真 シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真 シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真 シャンティストゥーパ(Ladakh Shanti Stupa)での写真

マニ車

マニ車

道脇にはマニ車があちこち頻繁に配されている.水力式とかは見かけず,普通の手で回す大型タイプが主流なようだ.


レーの街の一部

レーの街の一部

中央に白いチョルテンが見えている.素朴な土を盛ったタイプのものから,白い漆喰で固めたもの,....いろいろあって,マニ車より一層多数見かける.

左下のようにスカーフのモズレム女性を見かけるのもこの街の特徴であろう.


野菜市場

野菜市場

中心街の道路で野菜市場が形成されている.近所の農家のおかみさんが畑で採れたものを売っているようだ.売っている人は相当多く,30~40人くらいは並んでいようか.なお土地柄,葉物野菜は夏のこの時期だけであろう.


乾物市場

乾物市場

野菜市場とは別の場所に設けられた乾物市場.こちらはビニールシートの屋根などが設けられ,常設市場的雰囲気だ.乾物に続いて雑貨のお店なども並んでいる.

ドライフルーツや豆類が多いが,ハエのたかる現物を見るとちょっと引いてしまう.生の野菜が限られた時で,肉類を控える地元民にとって,ビタミンの豊かな乾物やタンパク源の豆類は大変重要な食材であろう.


下は,レーの市場の写真

レーの市場の写真
レーの市場の写真 レーの市場の写真 レーの市場の写真 レーの市場の写真 レーの市場の写真 レーの市場の写真

さてこうしてレーの街に1日滞在し,一通り見て回った.今夜ここで一泊し,明日朝インダス河沿いに車で西進し,アルチ(Alchi/3,165m)まで行く予定だ.



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