パドゥムへgo to Padom by car

2012/7/18の行程マップ

2012/7/18の行程マップ(拡大可)→

この日は先ずザンラ尼僧院やザンラ王宮などを見物し,その後車でトンデ僧院に寄り,更に南下しパドゥムに到着し,ホテルで荷を降ろす.昼食後はカルシャ僧院で仮面舞踊(チャム)の催される祭りを見物し,夕食には同行Kさん提供のラム料理とビールを美味しく頂いた.


ザンラ尼僧院(Zangla Chomo Gonpa)を訪問

ザンラ尼僧院(Zangla Chomo Gonpa)を訪問

ザンラキャンプサイトで夜が明けた.食事の後,前夜から待機していてくれた車に分乗し,先ずはザンラ村の丘に建つザンラ尼僧院を訪ねた.ここからはザンラの集落と先の山脈までが良く望める.20人くらいの尼僧がいるということだ.ゲルク派のゴンパだそうで,同派のダライラマ14世の肖像画はもちろん掲げられていたが,弥勒菩薩像など,いろいろ祀られている.


歓喜仏(父母仏)の線刻画

歓喜仏(父母仏)の線刻画

お堂の壁に描かれた歓喜仏(父母仏).チベット仏教の寺で歓喜仏の像や,普通の彩色壁画はよく見かけるが,ここの線刻画は珍しい.白い漆喰の上に黒い墨を塗り,線を刻み,口などのポイントは彩色で仕上げ,であろうか.

なおこうした黒地の線刻画の他にも,お釈迦さま,観音さまやパドマサンバヴァの普通の彩色壁画も描かれていた.


夏の農繁期は近所の子も預かる

夏の農繁期は近所の子も預かる

僧院では何人かの幼児を見かけた.尼さんなのに子供がいるのかな~?と疑問が出されたが,『夏の農繁期,所定時間近所の子も預かっているのです』ということで納得.

ところで,人口抑制の意味合いもあったという一妻多夫制の時代,複数の姉妹が居た場合,長女以外はこうした尼僧院に入ったとも聞く.今はどうなんだろう?


下は,ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真

ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め
ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め ザンラ尼僧院(ザンラチョモゴンパ)での写真での眺め

ザンラ王宮(Zangla Khar)を訪問

ザンラ王宮(Zangla Khar)を訪問

王宮と言っても故宮とかバッキンガムとかとは全く違って,江戸時代の小さな庄屋さんのお屋敷,と云った趣だ.ソーラーパネルやパラボラアンテナが江戸時代とは異なるところだ.

かつてグゲ王国やヒンドゥーとのせめぎ合いなど色々ありながら,パドゥム王家などと共にザンスカールを統治してきたのがザンラ王家だそうだ.近年国境不確定でありながらも実効支配下に置いたインド政府の支配下にあるが,かなり辺境の地に位置するため古い伝統がよく維持されている面もあろう.


ザンラ王宮最上階に仏間

ザンラ王宮最上階に仏間

この方が世が世であれば王様という方で,特に最上階に設けられた仏間を案内してくださった.仏像や仮面が備えられ,ゴンパのようである.治世でも仏教が重要な役割を果たしてきたのでなかろうかと窺わせる.もちろん現在も日常生活に活きており,かつてバクラリンポチェやンガリリンポチェと云った高僧がこの王家の出身だそうで,大変な誉れだということだ.


ザンラの丘に建ち,眺めよし

ザンラの丘に建ち,眺めよし

ザンラ王宮はやはりザンラの丘に建ち,スルタンランゴ山やザンスカール川の流れ,ザンラの集落が一望できるいい場所に構えている.こうして眺めると,ザンラ村の周辺こそ緑豊かだが,ザンスカール川に向かって下るに連れ,それが消え,茶色の殆ど不毛地帯に変わっていく様子が判る.いや~厳しい所だ,と改めて思う.


こちらはザンラ旧王宮

こちらはザンラ旧王宮

上の王宮から別の小山の上に建てられた旧王宮に案内してもらった.案内人は若い方で,やはり王家の末裔という.さて旧王宮は上で見せて貰った建物より相当古く,傷みが激しいため,それが転居の理由だったそうだ.放置すれば崩壊寸前と云う状態になっていたのだが,19世紀前半,ハンガリーのアレクサンダーというチベット学者が1年程この旧ザンラ王宮に滞在し,いろいろ研究し,チベット語文献の翻訳や世界最初の辞書編纂を行ったそうだ.(その部屋には記念のプレートが貼られ,残されていた)

そうした研究成果も踏まえ,ハンガリーなどヨーロッパ2,3の国の援助で修復が図られ,現在また内部を見学することが可能となったのだそうである.


ザンラ旧王宮の仏間

ザンラ旧王宮の仏間

旧王宮最上階にも仏間が設けられ,お釈迦さま,ラマ像,チョルテン...などが並び,柱にはタルチョーが巻かれている.また壁には何枚ものタンカが架けられ,古い壁画や経文を記した壁なども見えた.


ザンラ旧王宮から望むザンラの集落

ザンラ旧王宮から望むザンラの集落

ザンラ旧王宮の山の中腹から,ザンラの集落を眺めるとこんな風に見える.やはりほんの一握り,貴重な緑の大地,の印象だ.しかもそれは夏の間だけだから....厳しい環境だ.

白い漆喰で覆われた土のチョルテン群も印象的だ.ひたすら素朴で控えめなデザインがこの地にマッチしているようだ.


下は,ザンラ王宮と旧王宮の写真

ザンラ王宮と旧王宮の写真
ザンラ王宮と旧王宮の写真 ザンラ王宮と旧王宮の写真 ザンラ王宮と旧王宮の写真 ザンラ王宮と旧王宮の写真 ザンラ王宮と旧王宮の写真 ザンラ王宮と旧王宮の写真 ザンラ王宮と旧王宮の写真

トンデ僧院(Thonde Gompa)に登る

トンデ僧院(Thonde Gompa)に登る

ザンラを見物した後,車はトンデ村の前に立ちはだかる山の上のトンデ僧院(Thonde Gompa)に登った.到着し眺めるととても大きなゴンパだ.

当初,11世紀カギュ派の祖師マルパ(Marpa)によって創建されたが,後にゲルク派(Kagyu)に吸収され,この後訪問予定のカルシャ僧院(Karsha Gompa)と並びザンスカールの代表的ゴンパだそうだ.

現在30人あまりの僧が在籍するが,そのうちのかなりの人は『ゲシェー』と呼ばれる学位を目指し,南インドの寺で修行のため出向いているそうだ.


トンデゴンパから望むトンデ村

トンデゴンパから望むトンデ村

65戸,200人くらいが生活するというトンデ村は山に囲まれ,すり鉢状底に貼り付いたように見える.トンデゴンパは囲む山並みの一画に位置し,トンデ村が俯瞰できる.直線でなく,自由曲線で区画された畑の模様が何とも面白い.現在は緑一色だが,今少しするとある区画は黄色に,またある区画は茶色に....と染まり,さらに見応えがあろう.

上側にある四角い囲いは学校の校庭区画だそうだ.この辺りになると緑はなく,どうやら水が供給できないようだ.


小さなお堂と諸仏の像

小さなお堂と諸仏の像

トンデゴンパにはいくつもお堂が並んでいるが,ここはその中の一つの小さなお堂.お釈迦さまを本尊に2体のラマ像や弥勒菩薩(多分)像が並んでいる.背後はやはり諸仏にラマ像が描かれた壁画となっている.

今更ながら仏教はやはり偶像崇拝の世界だな~と思ったりする.


仮面舞踊のマスク

仮面舞踊のマスク

祭りで披露される仮面舞踊(マスクダンス/チャム)のマスクが並んで下げられていた.ドクロを掲げたおぞましい面相が多い.中には人を口で食い千切っている仮面などもあって,びっくりしてしまう.仏教で悪を象徴する役と,その舞が多いためだと思われるが,どうだろう?


下は,トンデゴンパでの写真

トンデゴンパでの写真
トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真
トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真 トンデゴンパでの写真

斜面に貼り付くカルシャ僧院(Karsha Gompa)

斜面に貼り付くカルシャ僧院(Karsha Gompa)

トンデゴンパの見物を終えて,車は一路パドゥムまで走った.そしてこの日から2泊予定のHotel Omasilaに到着し,荷物を部屋に入れ,ランチを頂く.そしてパドゥムの名刹カルシャ僧院(Karsha Gompa)にやって来た.近くに来て望むと,山の岩肌斜面に貼り付くように幾つもの建物が建てられている.元々どの宗派にも属さないゴンパとして建立されたが,15世紀,ゲルク派開祖ツォンカパ(Tsong kha pa)の弟子シェーラプサンポによって拡張され,以来ゲルク派ゴンパとなったそうだ.これまで下から上へとどんどん増設されていったようである.

写真では切れてしまったが,左の谷を挟んで反対側に尼寺も建てられており,姉妹寺の関係にあるようだ.


カルシャ僧院ではお祭り

カルシャ僧院ではお祭り

2012/7/18はカルシャ僧院で催される夏の祭りの最終日だそうだ.そして仮面舞踊(チャム/Cham)も披露されるという.私たちは翌日訪れる予定だったが,急遽予定を繰り上げ,この日やって来た.以前は下から歩いたそうだが,現在は車道が上まで通じており,私たちは車で楽チンだった.

仮面舞踊の行われるお堂前の広場は,これを囲む地面や屋根の上は人だかりで身動きできないほどいっぱいだ.私は後ろの方で,何とか見えないかな~と背伸びをしていると,傍のおじさんが前に居る連中に『前まで通してやってくれ~』(多分)と指示して,見物場所を確保してくれた.ジュレ―!

ところで,ここのお坊さんもまた多くが南インドのゴンパに行って修行中だそうだ.昔はチベットだったが,北京政府の支配下に置かれてから,亡命政府がダラムサラに置かれ,南インド(カルナータカ州だそうだ)にゴンパが建立され,高僧が移り住んだためであるらしい.


順繰りに繰り出される仮面舞踊

順繰りに繰り出される仮面舞踊

花道となっている西の階段から仮面を被った踊り子が下りてきて,広場の反対側まで来て踊りは続けられる.二人ペアの踊りが多く,一通り踊り終えると引き下がり,そして次の組が出場してくる.仮面はトンデゴンパで見たように怖いような,薄気味悪いようなのが多い.ダンスに合わせて,例の長いホーンを含めた楽器のチベット音楽(?)が演奏される.

こうして順繰りに幾つもの組みのダンスが繰り広げられ.きっと仏教に関する長いストーリーが背景にあり,それをダンスで表現したのであろう,と察するが,全く理解できていない....まあ,でもいいことにしよう.

そのうち,いきなり横から手を取られ,怪しいジェル状のものを塗られ,何が何だか解らないで手を引こうとした,その手にさらに液体を注がれた.そして『それを舐めよ』と言っている風だった.譲ってもらった舞台のかぶりつきでは身動きもままならず,とりあえず後ろに下がって,訊いてみる.そして,どうやら何がしかのお布施をと言ってるものと理解し,幾らか渡して解放される.あ~びっくりした.


もうすぐお開きなのにまだまだ集まる

もうすぐお開きなのにまだまだ集まる

登りは車で行ったが帰りは歩くことにした.お堂や僧坊の建物を縫うように道は続く.仮面舞踊も長く続き,そろそろお開きかな,と思われる時もこうして大勢の参拝客が登ってくる.特に若い女性は着飾っている.若い人達にとっては出会いの場にもなっているそうだ.

ザンスカールスタイルの男性も見掛ける.チベットの『チュバ』と同じように見えたので,出会った男性に確認のため訊いてみた.すると男性は『似ています,でも袖の長さが短いです』と手を目の前にかざして見せてくれた.確かにチュバの袖は手の先よりさらに手の長さを加えたくらい長いが,ザンスカール服の袖は指の先くらいでさほど長くはなかった.な~るほど,そうだったんだ~.


カルシャゴンパから望む風景

カルシャゴンパから望む風景

カルシャゴンパの坂を下る時,パドゥムの街とその向こうには左側パドゥムカン(Padom Kangまたは別名Paburigo:5,190m)や右側ジュントンラク(Jungtun Lak)といった峰がよく見える.

またここでは写ってないが左からツァラップ川(Tsarap River)と,右から写真中央のドゥルンドゥル川(Drung Drung River)が流れて来て交わり,ザンスカール川と名付けられた流れが始まるという.なおドゥルンドゥル川は前記パドゥムカンの右側にあるという長大なドゥルンドゥルン氷河(Drung Drung Glacier)から流れ来るそうで,相当冷たいに違いない.


下は,カルシャゴンパでの写真

カルシャゴンパでの写真
カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真
カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真 カルシャゴンパでの写真

Hotel Omasilaで寛ぐ

Hotel Omasilaで寛ぐ

カルシャゴンパをたっぷり見物し,Hotel Omasilaに戻った.2階と3階が客室となっている.3階部分の外壁は日干し煉瓦がむき出しで,化粧壁が塗られていない.資金が枯渇したのであろう.今年の収益で工事できるかな~

働いている人はインド人と言うか,普通思い浮かべる黒っぽいアーリア系の顔立ちの人が多い.南部から季節労働者として来ているらしい.


Hotel Omasilaの部屋

Hotel Omasilaの部屋

まあこんなもんでしょう,ていう感じの部屋だ.陽射しが入り,洗濯物が乾き易かった.夜間は電気も点いてくれた.土地柄,窓の仕上げは雑で,閉めていてもカーテンはかなり風で揺れる.でもまあ,寒い季節ではないので支障ない.


ホテルからの眺め

ホテルからの眺め

パドゥムの中心から車で20分くらいの距離であるが,幾らか高台になるのかよく見渡せる


お風呂は問題

お風呂は問題

こうして写真を見るとちゃんとシャワーも出そう....ところがどっこい,シャワーは出ない.夕方このバケツ一杯の湯をボーイが運んできてくれる.湯はかなり濁っている.これまでの汗が溜まっているので,最初の日は背に腹は代えられないということで,バケツ一杯で何とか身体を洗う.でも,二日目は湯の色と身体の汚れを天秤に架け,『止めとこ』となり,足だけにした.他の人に訊いたら,同じような状況だった.

でも私のとこは,一応水も出たし,トイレも流せた.部屋によってはそれが一切流れなかったそうで,聞けば涙の苦労だったそうだ.ザンスカール故,已むを得ないのであろうか....


美味しいラムにビールを頂く

美味しいラムにビールを頂く

ここはHotel Omasilaのレストラン.ゴンパ風装飾が凝っている.さてこの日は富豪にして太っ腹,同行のKさんが,ザンラの遊牧民から仕入れた若い羊を,シェフのSさんが腕を振るって調理し,振る舞ってくれた.ビールまで付けて頂いて,数々のラム料理は最高に美味しかった.Kさん,ありがとうございます!

これまでもち論普通の肉はなく,柔らかな缶詰の鳥肉程度であった.途中通過した村々の農家でもニワトリが飼われている様子はなかった.ネパール辺りでニワトリは多いのに...と思うが,実はザンスカールでは仏教の殺生を嫌う思想が支配的で,肉類は殆ど食しないということだ.

まあ,こうした困難な環境の中で,いろいろ手筈を整え,ラムを振る舞って下さったKさんにはありがたく思う.



Cannergy'sホームへ