この日2012/7/10(火)はアルチから車でラマユルに移動し,古刹ラマユル僧院を見物.その後南に折れ,ワンラ,シルシルラを経由しトレック開始点フォトクサールに到着した.そしてシェフSさんらキッチンスタッフ,馬14頭と馬方さん(ホースマン)などサポートスタッフの皆さんも集結.ここからテント宿泊に入り,明日から歩く.
2012/7/10(火)朝,アルチのロッジを出て,村人が畑作業の脇を抜け,駐車広場に駐車中の4WDに乗り込んだ.
車は元来た道を辿り,インダスの橋を渡り,右岸路へと戻り,再び西へと向かった.今日も天気は良さそうだ.
やがてカルシ(Khalsi或いはカルツェKaltse)の辺りまで進んだ.この辺りにはチェックポストがあり,暫し停車する.停車中の車目がけてスナックの売り子が寄ってくる.すみません,お腹が空いてないです.インダスはここで北西に逸れ,また西からは別の川が流れ込んでいいる.そして道もまたこの2つの川に沿うように分岐している.片方はインダス川とそれに沿う道はワタリク(Batalik)に向かい,私たちはもう一方のカルギル(Kargil)方向に向かう.
私たちの立ち寄る予定のラマユルはここから程ない距離であるが,カルギルは遥かその先にあって,まあ一日行程であろう.カルギルはパキスタンの実効支配エリアに近く,イスラムの街として知られているそうだ.
ラマユルまでは大した距離ではないのだが,上記分岐点以降急激に高度を上げるつづら折りの道となる.特にトラックはエンジンを唸らせながら登っていく.
つづら折りの道を過ぎると美しい緑の谷が見えてくる.ラマユルだ.昨年までの同じ会社主催のトレッキングは,この写真中程ラマユルの南端辺りから歩き始めたそうだ.そして私たちが午後到着予定のスタート地点フォトクサールまで2日間掛けて歩いたそうだ.ただそこまでは車の通る道が整備されたため,今年は歩かず車で楽ちんと云う行程に変更したという.
ラマユルには後述の大きなゴンパがあるためか村の戸数も結構ありそうだ.村もゴンパも支える元はやはり畑であろうが,こうして眺めると茶色一色の中によく緑茂る土地ができたもんだな~と改めて感心する.
住宅は他のラダック地方同様木材と日干し煉瓦で造られているようで,あたかも保護色のように周りに溶け込んでいる.
下は,アルチからラマユルまでの写真
斜面に貼り付くように本堂初め色々なお堂や,僧坊,チョルテン,確か宿坊も....たくさん建てられている.
11世紀,カギュ派の開祖マロパ(Marpa)の師であるナローパ(Naropa)という人がこの辺の洞窟に篭り瞑想したそうで,今もその洞窟はちゃんとあるそうだ.また,同じ頃,前日アルチのチョスコルゴンパでお馴染み(?)のリンチェンサンポ師(Ringchen Zangpo)もここに訪れ,5つのお堂を建立したと伝えられるそうだ.
まあこうした古い歴史を有するが,19世紀には他民族の侵入で徹底的に破壊され,その後再建された経緯もあるそうだ.そして現在はラダックの代表的僧院の一つとして,多い時は100人以上の僧が集い,修行に励むようである.
私たちが訪れたとき本堂では朝の法会が営まれ,小坊主を含めて20人余りの僧が読経していた.私たちがその周りを歩くのもどうかと思いながらも,興味本位で覗かせて貰った.それでなくとも遊び盛りの小坊主たちはそれが気になるようで,キョロキョロ落ち着かない.さらにそれがトリガーになり,仲間内で遊び始めた.まあ,概してチベット仏教のゴンパでは僧はリラックスした雰囲気で行動するので,これが日常なのだな~と思いもする.
ゴンパには個人でも,グループでも参拝に訪れる.上の方,チョルテン脇のお堂では窓に腰掛け,マニ車を回し,数珠でカウントしながら読経する男性の姿があった.地元の人であろう,村を眺め下ろしながら一心な様子は僧侶以上だ.
ラマユルゴンパの敷地から村の反対側を眺めるとこんな景観が広がっている.『月の世界』と呼ばれるそうだ.うまい具合に侵食され,しかも少し明るい色合いの凹凸が月の表面を連想させたのであろう,最初言い出した人にはデジャヴだったのかも知れない.でもアポロの月着陸以降の時代であれば,月の表面はちょっと違う感じと捉えるであろうから......多分,大昔からそう言われているのでしょう.まあ,その方が夢のようでファンタスティックだし.
ここはゴンパの補修工事現場.こねた泥を型枠に入れ,枠から外そうとしている場面.藁などの結合剤は入っていないようだが....正しくは不明.雨の少ないこの地方には断熱性と湿度維持性,遮音性,経済性等に優れた建材なのであろう.
下は,ラマユルゴンパとそこからの眺め
ラマユルゴンパを見物した後,少し戻って南に行く道に入った.道はこれまた新しい川に沿って付けられている.この車道ができたのはそう昔のことではなく近年のようだ.まだ完成した訳ではなく,途中工事は進行中のようだ.これらの工事にはインドで最も貧しいという中部の州の出稼ぎ者が多く携わっているそうである.確かに黒い顔の人が多いようだ.
暫く走りワンラ(Wanla)の村に入った.ゴンパや小さなお店もあり,まとまった戸数の住宅が並んでいる.正確な線引きは判らないが,この辺りまだラダックのエリアで,ザンスカールではないようだ.
村に木彫り工房がるというので覗かせて貰った.出来上がった作品はとても細やかで手が込んでいる.惜しむらくは,彫ったピースが背後の板に釘で打ち付けられており,精緻な彫りに比べてあまりに雑な感じが残念,ボンドで貼り付けたらどうか....との評が大だった.まあ,流儀の違いなのかも知れないが....
ワンラから車でさらに南下し,広い河川敷のあるハヌッパタ(Hanupatta)手前辺りまで来た.ポプラが美しい.この辺りの茶屋庭先でランチとなった.どうやらまだ会っていない私たちのキッチンスタッフの皆さんが作って用意してくれた弁当のようだ.ゆでジャガイモに玉子などであった.
キッチンスタッフや馬方さんは私たちに先行しており,今日の目的地フォトクサールで合流予定だ.
ランチの後車で南下し,ハヌッパタを通過.ここから先は暫く集落はないようで,徐々に高度を上げるように走り続けた.乾燥した岩山の間を縫う谷川にこれまで通り沿うように道もまた続いている.
やがてシルシルラ(Shillshim la,Sersel la)或いはシシルラと呼ばれる標高4,800mの峠に到着した.チベット仏教の作法通り石が積まれ,タルチョーが風に舞っている.
これから向かうフォトクサール方面の広大な起伏ある大地に,雲の陰とその切れ間の注ぐ強い陽射しのコントラストが美しい.フォトクサールまではあと2時間ほどだという.
下は,ラマユルを出てフォトクサールまでの写真
シルシルラからはゆっくり高度を下げながら進んだ.やがて川の周辺に緑の広がるフォトクサールが見えてきた.奥(写真左側)の方が集落で,手前がキャンプサイトになっていると云う.道は一気に進むのではなく,何度も何度も折れながら徐々に進んでいった.いい眺めだし,期待でワクワクする.
午後3時過ぎ,フォトクサール(Photoksar:4,120m)のキャンプサイトに到着した.テントの前に着くには,大きくはないが早速2つの川の渡渉があった.裸足で痛かったので,明日からはリュックに草履を下げておかなければ.
川が流れ,花が多い広々した川原,いかにもザンスカールという雰囲気の集落,周囲の山々....う~ん,いいところだ.水場はクッキングのために,緑は馬の食事のために必須要件であるが,そうした要件を満たす場所は広~いザンスカールにあってもそう多くはないようである.
私たちをサポートしてくれるシェフのSさんらキッチンスタッフ3人,馬方さん4人,馬14頭が先に到着しテントを張って待っていてくれた.よろしく願いま~す.なお,チーフガイドとシェフは同名でSさん,アシスタントガイドとプライベートポーターも同名でGさん,少しややこしい.ラダックやザンスカールでは特定の守護神などと同じ名前を付けることが多いため,同名の人がやたら多いのだそうだ.無理やり奇抜な名前を付けることも珍しくない国とは対極にありそうだ.
フォトクサールでは既に幾組ものグループがテントを張っていた.広いサイトのようであるが,私たちの直ぐ脇には3張り5~6人のポーランドグループ,上にスイス夫婦+息子さんの家族.....など,ヨーロッパの人達が多いようだ.スイス家族の人達と話してみた.モンブラン近くの片田舎に住んでいるそうだが,立派な家の写真を見せられて驚いた.同行の15歳という息子さんのロッククライミング姿にもびっくり.今回は,お婆ちゃんちに滞在し,同行していないという息子の妹さんを含め家族は普段から地元のアルプスを歩き回っているそうだ.
下は,フォトクサールでの写真
甚だ不案内ながらフォトクサールのキャンプサイトではいろいろ咲いていた.小さめの花びらのエーデルワイスなど踏みつけてしまうほどあったりする.右端のパープルの花はいい香りがする.添乗員Yさんの話ではカモミールだったか?
さていよいよ明日からいよいよトレッキング開始.歩き始める,楽しみだ.天気になって欲しい.