この日はカルボックを発ち,途中プルネを経由し,プクタルゴンパ手前の沢に入り遡る.ザリンドクサを目指したが途中で止めて引き返し,ゲルク派の名刹プクタル僧院に到着.この庭を借りてテント泊となる.
2012/7/21カルボックの朝が明けた.昨晩の強風は治まり,穏やかな朝だ.周囲の山には陽が射し輝き始めた.
カルボックのキャンプサイトのツァラップ川対岸の斜面には3,4の小さな建物が貼り付いている.尼僧院と僧坊など関連施設だそうだ.いくら平らな土地が少ないとは言いながら大変な場所だ.
私たちはこの日も行程が長いと云うことで極めて早い時間,6時半くらいにカルボックを出発した.
少し行くと先方に緑と集落が見えてきた.暫く後に通過するスリエ(Surie)辺りのようである.それなりの戸数があるのであろう,トレイルは頻繁にマニ塚を通過する.もち論コルラの約束事に則りその左側を.
暫く歩くとツァラップ川対岸に広い草地を望むようになる.とても美しい.この後,今日私たちも通過し,そして明日宿泊予定のプルネ(PurneまたはPurney)だ.
このトレイルでもまた反対方向に歩くトレッカーに出会う.背中に陽射しを受け,順光方向の景色を見ながら歩けるのがいいであろう.
スリエの先辺りに来るとツァラップ川(Tsarap River)とカルギャック川(Kargyak River)の合流点に至る.合流点の内側にあるのがプルネの集落で,ツァラップ川はその北東側から流れてきて,ここで90度ターンし,これまで沿ってきた北西に向かう.
川の流れからするとカルギャック川がむしろ真っ直ぐに合流後のツァラップ川に繋がり,私たちの歩くメイントレイルもその方向だ.但し,この後訪れるプクタル僧院は合流前(上流の)のツァラップ川に沿う脇道にあるので,一旦カルギャック川を渡ることになる.
下は,カルボックからツァラップ川合流点までの写真
合流点を過ぎて,トレイルはカルギャック川沿いとなり,ほんの少し行くと橋があり,対岸のプルネに渡ることができる.木製だがしっかりした橋で安心して渡れる.
橋の先で二人の青年とすれ違った.マウンテンバイカーだ.ただ流石,一般トレック用のトレイルをバイク走行は無理なようで,馬でバイクを運んでいる.私たちのスタートしたガラシサ辺りからはバイクで駆けるのであろう.
プルネに着いた.翌日宿泊予定のキャンプサイトで一休みした.プルネはプクタル僧院訪問を主目的とする人も数多く,ここ基地として2泊するケースが多いという.そのため,ここは他のサイトと比べてかなり繁盛しているという.茶店の価格設定も若干強気らしい.でも広々しているし,水や緑も豊富でいい所だ.
プルネで休憩後,ターンしたツァラップ川沿いのトレイルを北東に向けて進んだ.トレイルは幅広く,かつて無いほどいい道だ.
私たちはプクタル僧院で引き返すのであるが,トレイル自体はトンデラというパスを越えて,先日訪れたトンデ僧院のあったトンデまで繋がっているそうだ.恐らく大変なトレイルであろうとは想像するが.
快適な道をどんどん行くとツァラップ川に架かる長い吊り橋があってこれを渡る.渡って右に折れるとその先にプクタル僧院(Phuktal Gompa)があった.
ここも山の斜面に貼り付き,上部に大きな洞穴が空いている.きっとこのゴンパを創建したお坊さんが瞑想し,また後世の坊さんもまたここに篭るのだな~と,直ちに思った.
プクタルゴンパの手前の敷地には直営のゲストハウスがあった.2,3の客室に広いダイニングルーム,お手洗いなど備えている.私たちはここのテーブルで,Gさんが持参してくれたお弁当ランチとなった.お茶はゲストハウスで出してもらった.
ダイニングルームではハンガリーからという二人の青年に出会い,2,3言葉を交わした.ところで途中会うトレッカーは仏,独など以外に,こうしてハンガリーとかポーランドとか,旧共産圏も含めて欧州のトレッカーは多い.一方欧州以外,アジアや豪州,米州の人はあまり見かけないように思う.添乗Yさんの話に依れば,著名な仏写真家のザンスカール関連著作が,欧州でよく読まれているのが理由の一つであろうということだ.
下は,一旦プクタルゴンパに行くまでの写真
プクタルゴンパでランチの後,ザリンドクサ(Zarin Doksha)に向かうため,ゴンパ手前西側の沢のトレイルへと下った.一部分だが急坂で,段差が大きく,馬が通るのは無理かな~と思われる場所もある.
ところが,結果としてザリンドクサまでは行かず,途中で引き返し,プクタルゴンパまで戻り宿泊となった.しかしこの時点ではザリンドクサまで行き,そこでキャンプの予定だったのだ.
沢に降りると,これに沿うトレイル,と言ってもはっきりしない踏み跡だが,をどんどん登った.プクタルゴンパに水を供給するのであろう,むき出しの鉄管(写真左下)が配置されている.
ザリンドクサのドクサ(Doksha)は放牧地,ネパールのカルカ(Kharka)のようなものだと思われる.だが沢の底を,左右に渡りながら進んでも一向に谷を抜ける気配が感じられない.それと普通,馬がとっくに追い越して行く時間になっても,馬がやって来ない.馬が行かないと,私たちの食料もないし,寝るテントもない.....
ということで,ザリンドクサ行きは中止し,プクタルゴンパに戻り,そこで宿泊するように計画変更となった.
私たちは来たときの沢を逆に辿り,引き返すことになった.サポート隊の皆さんはまだ見つかってない.斜面から滑落などの事故でなければよいが....と気掛かりだ.私たちがプクタルゴンパに引き上げても,皆さんが見つからないことにはどうしようもないことに変わりはない.ガイドSさんとGさんが探し廻ってくれているが,なかなか見つからない.
私たちは3時半頃無事プクタルゴンパに戻った.ただこの時点でもまだサポート隊の手がかりはなかった.そのうちSさんとGさんが道のないところまで足を運んで,ようやく見つかったそうだ.やはり沢に降りるトレイルは馬が危ないなどの理由で,沢より東の尾根のルートを通り,ザリンドクサに向かっていたそうである.連絡を受けたサポート隊が下ってくる様子を,プクタルゴンパで眺めていたが,総じて傾斜はきつく,また脆そうに見えた.ご苦労様でした.
馬も到着し,プクタルゴンパ直営ゲストハウス前広場にテントを張ってもらった.これまでになく広々している.ザリンドクサ行きを止めたので,翌日の行程は極めて短く,余裕ができた.時差設定の関係であろう,日本の7月の日暮れと比べて,この辺は遅く,8時頃まである程度明るい.きれいな水も出るので,洗濯もできた.
下は,プクタルゴンパに再び戻るまでの写真
明日は時間がたっぷりできたので,早朝にプクタルゴンパを訪れて,朝の勤行を見せてもらうことになった.そしてその後ゆっくり,プルネに下る予定だ.