このページでは既存ページから転載し,もう牛坪(中国),明永(同),カイロ(エジプト),ギザ(同),ボスラ(シリア),ペトラ(ヨルダン),マナハ(同),アルハジャラ(イエメン),ホデイダ(同),ジブラ(同),アルハジャレン(同),マッツェルモ(ネパール),ツェルマット(スイス),パミール(新疆ウイグル),ウパール村(同),カシュガル(同),エンギザル(同),ヤルカンド(同),ホータン(同),マリクワト村(同),ニヤ(同),クチャ(同),高昌故城(同),トルファン(同)の写真を載せました.
もう牛坪(Yak Meadow)
リフトで標高3600mのもう牛坪に到着した.玉龍雪山が目の前にくっきり見える.玉龍雪山は白い玉龍が尾根に長々と横たわっているように見える,若しくは空を飛翔する銀色の龍のよう見える,ことから名付けられたそうだ.何となくこじつけのような気もしないではないが.....想像力が足りないだけかな?
以上雲南省の旅2007/玉龍雪山のページから.
雲南省/明永(Mingyong)
明永村の海抜は2300m,人口は約300人だそうで,低地にあるため冬でも雪が降ることは殆どないそうだ.明永村の登り口から馬に跨る.普通より少し小型の種類であるようだ.馬で登りきったところに太子廟という廟があった.この辺りは2,900mであるそうだから,随分低いところまで氷河が迫っているわけだ.ここからは明永氷河に沿う板敷きの階段を登り,3,100mの展望地に行った.
以上雲南省の旅2007/明永のページから.
カイロ(Cairo)
カイロで,輸送手段はもちろん車がメインであるが,たまに馬車やラクダ車も通りかかる.
以上中東の旅2006/カイロのページから.
ギザ(Giza)
ピラミッド巡りの馬車.お客様は白い民族衣装のアラブ人だ.
以上中東の旅2006/カイロのページから.
古代都市ボスラ(Ancient City of Bosra)
ボスラは,シリアの首都ダマスカスの南約150km,ヨルダンの国境近くにある都市.2世紀,ローマ帝国のトラヤヌス帝が,このボスラの地に都市を築かせ,7世紀になると,アラブ人の支配下に置かれたようだ.やがて12世紀頃,十字軍の攻撃に備え要塞化されたそうだ.
以上中東の旅2006/古代都市ボスラのページから.
ペトラ(Petra)
地元の人には知られていたのであろうが,ヨーロッパ人が比較的最近になってようやく知るところとなった「幻の都」ペトラのある地は,自然の要塞となっている.また西にガザ,北にダマスカス,紅海にも近く,中東での人や物の行き交う要衝の地でもあったようだ.古代ナバテア人の首都,砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったとされるようである.
以上中東の旅2006/ペトラのページから.
ペトラ(Petra)
都市が作られたのは今からおよそ2300年前頃からで,世界遺産の中で最も古い時代の遺跡の1つであるようだ.そのような古い歴史を有するヨルダンで,ベドウィンなど一部の部族は永い間の伝統的生活様式を現在も維持しているようである.
以上中東の旅2006/ペトラのページから.
ペトラ(Petra)
山の一番上にある修道院に行く道.岩を削って階段状にしてある.この階段も2000年前からあったのであろうか?
以上中東の旅2006/ペトラのページから.
マナハ(Manakha)
かつてこの辺り,サナア州バニーマタルはかの有名な最高級コーヒーの1つ,モカマタリの産地として知られていたそうだ.だが今ではすっかりカートの栽培によって,コーヒー栽培がとって替わられてしまい,栽培面積はとても減ってしまったようだ.モカマタリをしても,やはりカートの収益性にはかなわないということのようである.
以上イエメンの旅2006/アルハジャラのページから.
アルハジャラ(Al Hajara)
標高2,800mの岩山の頂に築かれた城塞都市ハジャラ,若しくは定冠詞Alを付してアルハジャラ.木立ちとかなく見晴らしのよい山の上なので確かに攻め難いであろう.
以上イエメンの旅2006/アルハジャラのページから.
ホデイダ(Hodeida)
漁師が収穫した魚を載せた船は市場脇の船着場に着々と横付けされ,待機している運び屋が魚を市場に持ち込むようだ.小型ボートが多く,近海魚が主なのではなかろうか.また買い付けた魚を内陸の町まで運ぶのであろうか,写真のような馬車も待機している.
以上イエメンの旅2006/ホデイダのページから.
ジブラ(Jibla)
タイズから野を越え行くとここジブラに至る.この辺一帯は丘の上から眺めると木立ちが茂り,いまは乾季で全体的に茶色っぽいものの畑が多く,雨季になれば相当緑豊かになるものと想像される.年間800~1,000mmの降雨量があり,イエメン屈指の穀物地帯であり,アラビア半島全体を見渡しても最も緑豊かな土地なのだそうである.そんな収穫した穀物であろうか,少年がロバで運んでいた.
以上イエメンの旅2006/ジブラのページから.
アルハジャレン(Al Hajarain)
ハドラマウト渓谷を南下し,ムッカラを目指す.やがてこのように山の斜面に貼り付いた小さな町を通過する.この町の前は道が通り,それを挟んで林と川,今は涸れているが,が見える.町の青年が小さなロバに跨り進む.
以上イエメンの旅2006/アルハジャレンのページから.
マッツェルモ(Machhermo:4,410m)
トレック7日目はマッツェルモに泊まった.マッツェルモ氷河から流れ出る冷たい水を馬が啜る.
以上エベレスト街道トレッキング2005/ゴーキョリへ(2/3)のページから.
スイス/ツェルマット(Zermatt)
ツェルマット市条例では普通の車が禁止されているそうで,代わりに馬車や電気自動車がいくらか走っている.
以上アルプスハイキング2005/ツェルマットのページから.
パミール(Pamir)
雪が舞い,ロバも御者も寒そうだ.
以上新疆ウイグルの旅2005/カシュガルのページから.
ウパール村(Upar)
ウパール村(Upar)
馬車とロバ車.徐々に少なくなっていくであろうが,旅行者としては残っていて欲しいものだ.
以上新疆ウイグルの旅2005/カシュガルのページから.
カシュガル(Kashgar)
カシュガルでも車が多くなっているが,ロバ車も今のところまだ健在だ.
以上新疆ウイグルの旅2005/カシュガル(続)のページから.
エンギザル(Yingisar)
エンギザルは刃物の製造販売で知られるそうで,実際広い西域南道に面して刃物の店が軒を並べている.多くは店頭で職人さんが加工している.つまり手作りの現地直販体制で臨んでいる訳だ.
以上新疆ウイグルの旅2005/エンギザルのページから.
ヤルカンド(Yarkand)
ヤルカンド(中国名:莎車)は2000年あまりの歴史を有し,かつて莎車国,渠沙国,ヤルカンドハン国を形成したそうだ.現在農業は綿花や小麦,トウモロコシの栽培を主とし,ハミウリ,ざくろ,葡萄,杏等も産するそうだ.ちょっと最盛期ではないものの,道端で売っていたハミウリをガイド馬さんが調達してくれて,皆で食べてみたが美味しかった.
以上新疆ウイグルの旅2005/ヤルカンドのページから.
ホータン(Khotan)
ポプラ並木にロバ車,ステレオタイプのウイグル観そのままの光景だ.
以上新疆ウイグルの旅2005/ホータンのページから.
マリクワト村(Malikewate)
マリクワト村の入り口に来ると,ろば車が一斉に集まってきて,どの御者も「どうぞこのろば車に!」と売り込みに必死だ.3人くらいづつ分乗してマリクワト故城に向け出発した.
以上新疆ウイグルの旅2005/ホータンのページから.
ニヤ(Niya)
ニヤ(中国名:尼雅)はミンフォン(Mingfenf /中国名:民豊)県の一部のようで,しばしばニヤ=民豊と記されていたりする.ニヤはタクラマカン砂漠を縦断する522kmの砂漠公路南側起点になっている.さてこれからその砂漠公路に向かう.
以上新疆ウイグルの旅2005/ニヤのページから.
クチャ(Kucha)
ここもオアシス都市なので郊外には緑も多い.ウイグルの定番,ポプラとろば車も健在だ.春のこの時期,畑では穀類の種まきであろうか?ポプラ並木の間からトラクタ作業の様子が見えていた.
以上新疆ウイグルの旅2005/クチャのページから.
クチャの金曜バザール(Friday Bazaar in Kucha)
クチャの金曜バザール大賑わい.多分近郷からも集まるのであろうろば車と馬車も結構多い.
以上新疆ウイグルの旅2005/クチャ(続)のページから.
高昌故城(GaoChang Ancient City)
高昌故城は火焔山の麓にあり,トルファン市街から東に約45kmに位置している.紀元前1世紀~紀元後14世紀の間新彊における政治,経済の中心地の一つであったそうである.
以上新疆ウイグルの旅2005/トルファンのページから.
トルファン市街(Turpan City)
馬車で一休み.気持ち良さそうだ.
以上新疆ウイグルの旅2005/トルファン(続)のページから.