このページでは既存ページから転載し,カレーシュドライバ(チュニジア),トズール(同),パクディン(ネパール),タドコシ(同),白馬蔵族郷(中国四川省),九寨溝峠(同),弓杠嶺(同),雪宝頂峠(同),海子溝(同),ヌワラエリア(スリランカ),ラバト(モロッコ),メクネス(同),フェズ(同),メルズーカ(同),カスバ街道(同),トドラ峡谷(同),アイトベンハットゥ(同),マラケシュ(同),ファンタジアショー(同),インダス(パキスタン),フンザ(同),タキシラ(同),ウィーン(オーストリア),プラハ(チェコ),タシケント(ウズベキスタン),ナボイ(同),バルセロナ(スペイン),セビリア(同),セビリア郊外(同),アグラ(インド),ベルガマ(トルコ),ダハシュール(エジプト),ストックホルム(スウェーデン)の写真を載せました.
トズールのカレーシュドライバ(Caleche driver in Tozeur Oasis)
この方がカレーシュ(馬車)でオアシスの大ナツメヤシ畑を案内してくれた.二人掛け御者席の一方が空いていたので,「ここに乗ってもいいですか?」と訊ねたら「どうぞ」と言ってくれた.御者席に掛けたのは初めての経験であるが,後ろの馬車部分より高い位置に,前向きにあるのでよく見えてなかなか良かった.
以上チュニジアの旅2005/トズールのページから.
トズール(Tozeur)
自らの餌を運んでいるのだろうか?まあのどかな光景だ.でもロバがあちこちにいるという訳ではなく,やはりここでもかなりそれなりに稀な光景なのではないだろうか.
以上チュニジアの旅2005/トズールのページから.
パクディン(Phakding)
トレック初日はパクディンまで進みここでテントを張った.テントの直ぐ脇には馬も居るけど,馬ならまあ心配なかろう.
以上タンボチェトレッキング2004/3日目:2004年10月22日(金)のページから.
タドコシ(Thadokoshi)
たまに高度障害で具合が悪くなって馬で下る人も見かける.
以上タンボチェトレッキング2004/8日目:2004年10月27日(水)のページから.
白馬蔵族郷(Baima Tibetan Township)
白馬チベット族の人々は山腹に共同で焼畑を開き,ソバや麦等を栽培してヤクやヤギを飼育し生活を送ってきたそうだ.近年は,漢方薬材採取を主な現金収入源としているそうである.同族は伝統的な暮らしが根強く伝えられ,羽つきの白いフェルト帽と色鮮やかな民族衣装を日常的に身につけ,固有の白馬チベット語を話すそうである.
以上四川省の旅2004/白馬蔵族郷のページから.
九寨溝峠(Jiuzhaigou Pass)
白馬蔵族を過ぎ,谷あいの道を進み,さらに山を上ると峠に差し掛かる.近くを見渡すとかっこよく馬を駆る少年がいた.多分チベット族であろう.
以上四川省の旅2004/九寨溝1のページから.
弓杠嶺(Conggangling)
九寨溝を出て整備された道路を走る.所々にチベット族の村が見える.暫くして弓杠嶺3525mの標識が現れる.地形のせいであろう,この辺り一帯は深い霧に包まれていた.長江(揚子江)の源はこの辺りに発するという.またその川はここでは岷江と呼ばれるそうである.ここ弓杠嶺では,赤いケシの原種を見ることができる.
以上四川省の旅2004/川主寺のページから.
雪宝頂峠(Snow Treasure Peak pass)
雪宝頂峠に来ると,色々な高山植物が咲き,雪宝頂を望む眺めが素晴らしい.何台かのバスが停まれる広場があり,大きなチョルテンにはタルチョーが風に舞っていた.この辺のチベット族は標高が高いので家畜,特にヤクで生計を立てているのであろう,途中でヤクの干し肉作りを見せてもらった.ここでは観光用の馬を引く何人かのチベット族女性が客を探している.同業者が多いのでなかなか大変そうな様子ではあった.
以上四川省の旅2004/川主寺のページから.
海子溝(Haizi Gully)
大姑娘山の登りもここから始まるという海子溝に出かけた.雨は最初ぱらつく程度であったが,途中から少し強くなってきた.あまり降ると,道が谷のようになって危険だということで途中で下ることになった.まあ,天気が悪ければ見晴らしも利かないし,その方がいいだろう.
以上四川省の旅2004/日隆のページから.
ヌワラエリア(Nuwara Eliya)
ヌワラエリアの朝,交通整理に当たっていたかっこいい騎馬警官.
以上スリランカの旅2004/ヌワラエリアのページから.
ラバト(Rabat)
モハメッド5世廟の衛兵が,1195年頃のムワヒッド朝建設という壁の前に立つ.ムワヒッド朝はリビア東部のマグレブ諸国,スペインのアンダルシア地方までがその版図であったそうである.
以上モロッコの旅2003/ラバトのページから.
メクネス(Meknes)
夕暮れ時,ロバが両脇には布袋,背には干草と人を載せて歩いている.ロバはいつも目いっぱい荷物を背負わされて気の毒と言えば気の毒,周りでは「あ~,ロバに生まれなくて良かった!」というため息,いや安堵の声が漏れていた.それにしてもモロッコはロバの多い国である.
以上モロッコの旅2003/メクネスのページから.
メクネス(Meknes)
多くの夜店がメクネスの広場で営業している.集まり,帰宅する人が多いから馬車やタクシーもきわめて多い.ちょっと怖くてこの中を歩き廻る勇気がなかった.それにしてもイスラムの国なので屋台では酒類はあまりないであろうから,つまらないと言えばつまらない?まあ,あくまで部外者の勝手な感想に過ぎないが.
以上モロッコの旅2003/メクネスのページから.
フェズのメディナ(the Medina of Fes-El-Bali)
フェズの旧市街メディナはフェズエルバリと呼ばれるそうだ.荷車,ラバやロバが行き交う.なんと言ってもこれが狭い道を通るときは大変,何しろロバは両脇に荷物を背負わされ,それが狭い通路を通るので,荷物やロバの身体と簡単にぶつかってしまうのである.
以上モロッコの旅2003/フェズのページから.
フェズのユダヤ人街(the Jewish Quarter in Fes)
フェズの王宮に隣接してユダヤ人街(メラー)があった.元々イベリア半島などから逃れたユダヤ人はこの地で塩の取引等で一定の地位を得ていたそうだ.現在はここに多くは残っていないがここ出身のユダヤ人はモロッコとイスラエル両方の国籍を得ている人が多いそうである.
以上モロッコの旅2003/フェズのページから.
メルズーカ(Merzouga)
メルズーカの砂漠で遊牧民のテントを訪問させてもらった.この辺の遊牧民は個人単位で自由に生活を営み,普通数十頭の羊を飼っており,朝草の生えているところまで連れていって,夕方また連れて帰るということだ.
以上モロッコの旅2003/メルズーカ大砂丘のページから.
カスバ街道(Casbah Road)
いつも荷物を目いっぱい背負わせているロバは,人だってこのとおり2人も載せて大変だね~
以上モロッコの旅2003/カスバ街道のページから.
トドラ峡谷(Todra Gorges)
峡谷両側には高い岩壁がそそり立っている.ここはロッククライミングの名所でもあるそうだ.ここでもロバが大男を乗せて進む.
以上モロッコの旅2003/トドラ峡谷のページから.
アイトベンハットゥ(Ait Benhaddou)
この川は今の季節(乾季)は干上がっていることが多いのであるが,つい先だってまで雨が降り続いていたためか,ご覧の通り,幾ばくか流れている.お陰でこの馬子やロバ子さん達もビジネスが可能になって喜んでおられるであろう.筆者は,行きは馬,帰りはロバを選んでみた.
以上モロッコの旅2003/アイトベンハットゥのページから.
マラケシュ(Marrakech)
私たち旅行者にとって,馬車とかロバとか日常見慣れない乗り物はインパクトが強い.それでこうして写真にする.でも,車は当然としてバイクや,バスなど殆どどこでもありふれた乗り物が馬車よりず~と多いのだ,一応念のため.
以上モロッコの旅2003/マラケシュのページから.
ファンタジアショー(Fantasia Show)
これがファンタジアのハイライト,銃を掲げ馬で駈け,終わりに空に向けて銃を放つ.この音が夜空にとてつもなく大きく響く.ファンタジアは100年以上の長い歴史を持ち,出陣に際しての儀式が発端であったそうである.当初は銃でなく弓であったそうな.
以上モロッコの旅2003/マラケシュのページから.
インダス(Indus)
かつてインダスに沿って中国(ウイグル)からパキスタン,インドへのシルクロードがあった.現在はカラコルムハイウェイが走り,大型トラックが通行できるようになった.ただ少し街道を逸れれば馬はとても有用で,所々で見ることができる.
以上パキスタンの旅2003/インダスのページから.
フンザ(Hunza)
フンザの里にも陽が当たり,ホテルの前を珍しく馬で通学する子が通り過ぎていった.きっと良家の子であろう.
以上パキスタンの旅2003/フンザのページから.
タキシラ(Taxila)
タキシラ博物館前の通りを眺めているといろいろ行き交う.このような馬車もなかなか風情がある.
以上パキスタンの旅2003/ガンダーラのページから.
ウィーンのホーフブルク王宮(Hofburg in Vienna)
ホーフブルク王宮は13世紀に築かれ,ハプスブルク家が滅亡する1918年までの640年間,ハプスブルク皇帝の居城であったそうだ.馬車がよく似合う.
以上中欧の旅2003/ウィーンのページから.
プラハ(Prague)
プラハ旧市庁舎前広場は,このときたまたまアイスホッケー対カナダ戦がどこかで行われていると云うことで,巨大スクリーンにその模様が映し出され,チアガールも舞台に上り,大観衆が大声援で観戦していた.一方観光客は写真のようにゆったりと.
以上中欧の旅2003/プラハのページから.
タシケントのティムール広場(Amir Timur Square in Tashkent)
イラクから中央アジアにまたがるティムール帝国(1370~1500)の建国者,アミルティムール(?~1405).その名を冠した広場を末裔が馬で行く.
以上ウズベキスタンの旅2003/タシケントのページから.
ナボイ(Navoin)
ロバに跨った二人の少年が通りかかった.子供とは言え,二人も載せてロバもほんとに大変だね~
以上ウズベキスタンの旅2003/その他のところのページから.
バルセロナ(Barcelona)
サンタルシア教会前広場ではクリスマス市場が開かれ,多くの人で賑わっていた.おまわりさんも大忙しだ.
以上スペイン/ポルトガルの旅2002/バルセロナのページから.
セビリア(Sevilla)
こちらもおまわりさん.
以上スペイン/ポルトガルの旅2002/セビリアのページから.
セビリア郊外(Suburb of Sevilla)
広い丘の牧場では馬と牛が飼われていた.
以上スペイン/ポルトガルの旅2002/セビリアのページから.
アグラ(Agra)
脇を目隠しされた馬は前だけを見てひたすら走る.かなり速い.
以上インドの旅2002/いろいろ のページから.
ベルガマ(Bergama)
ベルガマは,紀元前2~1世紀にペルガモン王国の都として栄えたヘレニズム都市があった地だ.たくさんの遺跡が残されている.
以上トルコ/エジプトの旅2002/ベルガマのページから.
ダハシュール(Dahshur)
2頭立てのロバ車,のどかだね~ エジプトではロバや馬はまだ実用レベルでかなり稼動しているようだ.中には雲助紛いの観光駱駝タクシーもいるが....
以上トルコ/エジプトの旅2002/ダハシュールのページから.
ストックホルム王宮の衛兵(Guards in the Stockholm palace)
交代のため王宮に向かう衛兵.馬の後ろに,華やかな先導隊と後続する地味な服装の兵隊が続く.スウェーデン軍から3日間毎の交代で衛兵当番にあたるそうだ.
以上スカンジナビアの旅2001/スウェーデンのページから.