このページでは既存ページから転載し,デュモルド川(パキスタン),スカムツォク(同),コボルツェ(同),ゴレⅠ(同),ゴレⅡ(同),コンコルディア(同),ランタン村(ネパール),マナンガ(ケニア),マナンガ(タンザニア),シャル寺(チベット),トンパゴンパ(同),タルチェン(同),グゲ王国遺跡(同),イェチョン(新疆ウイグル),エンギザル(同),アクベシム(キルギス),イシククル湖(同),タラス(カザフスタン),ヒワ(ウズベキスタン),アハルテケ馬(トルクメニスタン),トルクメンアバード(同),ウズベク国境(ウズベキスタン),サマルカンド(同),サマルカンドのバザール(同),ヤルツァンポ河(チベット),ギャンツェ(同),サキャ(同),シェカール(同),ロンボク(同),ティンリー(同),ラローラ(同)の写真を載せました.
デュモルド川(Dumordo River)を遡上する
ビアホー川に沿って歩き進むと,やがてデュモルド川に行き当たる.目指すジョラはこの対岸に位置するが,近くには橋がなく,吊り橋のある上流まで一旦デュモルド川を遡る.回り道であるが,橋がそこにしかないのでやむを得ない.荷役の馬も足場のあまり良くない道を進む.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/ジョラへ進むのページから.
スカムツォク(Skam Tsok:3,300m)辺り
上方のキャンプサイトに荷を上げ,役目を終えたロバが下の村まで下っていく.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/スカムツォクへ行くのページから.
コボルツェ(Khoburtse:3,940m)辺り
バルトロ氷河のサイドモレーンを上方へと進んだ.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/コボルツェへのページから.
ゴレⅠ(Gore Ⅰ:4,100m)辺り
石が堆積したバルトロ氷河の上,ゴレⅠ辺りを進む.先方はガッシャーブルムⅡ峰と右背後のⅣ峰.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/ゴレⅡへ行くのページから.
ゴレⅡ(Gore Ⅱ:4,380m)辺り
ゴレⅡ辺り,氷河上を進む.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/ゴレⅡへ行くのページから.
コンコルディア(Concordia:4,650m)にて
コンコルディアのキャンプサイトにいると,ブロードピークBCに荷を上げ,役目を終え,空荷になった馬が下って行った.
以上バルトロ氷河トレッキング2008/コンコルディアへ行くのページから.
ランタン村(Langtang Village:3,500m)の朝
ランタン村でトレッキング4日目の朝を迎えた.ロッジの部屋で目覚めて温度計を見ると,0℃だった.この日は天気が悪いし,風も強い.水溜りは凍り,吐く息は白くなる.ランタン村住民が家畜を追って畑に出る頃,我々はその様子を眺めつつ上方へと足を進めた.
以上ランタン/ヘランブートレッキング2008/トレック第4日目(3/20)のページから.
ケニアのマナンガ(Mananga, Kenya)
ナイロビを出て暫く走るとサバンナの原野に至る.ケニア/タンザニア国境のの町マナンガ辺りの街道で馬が横切る.首輪も何も付けてないが....飼い主も見えないし.....??
以上キリマンジャロの旅2007/モシへのページから.
タンザニア/マナンガ(Mananga, Tanzania)にて
ロバであろう,アリューシャ国立公園からタンザニア/ケニア国境のマナンガへ向かったとき眺めた.いでたちからするとマサイ族のようだ.
以上キリマンジャロの旅2007/アリューシャ国立公園のページから.
シャル寺(Shalu Monastery)
シャル寺は美しい壁画が数多く残ることで知られている.ゲルク派起源の地で,11世紀に建設されたという相当古い寺だそうだ.
以上カイラスの旅2007/シガツェのページから.
トンパゴンパ(Sakya gompa)
トンパの集落に達すると丘の上にゴンパが見えた.壁に引かれた白と赤のストライプが特徴のサキャ派のゴンパで,トンパゴンパと称するようだ.住職が出張中で不在であったが,担当の僧が内部を見せてくれた.他の寺同様,壁や柱はカラフルに彩色され,色々な仏やラマの像が並んでいた.
以上カイラスの旅2007/バルヤンのページから.
タルチェン(Darchen:4,675m)
マナサロワールからタルチェンへ向かった.野生の鹿や家畜の馬が草を食む平原が広がっていた.
以上カイラスの旅2007/タルチェンのページから.
グゲ王国遺跡(Ruins of Guge Kingdom)
グゲ王国麓の広場でランチを食べた.麓村の農家では立派な白馬を飼育していた.
以上カイラスの旅2007/グゲ王国遺跡のページから.
イェチョン(Yecheng)
イェチョンへ向かうときの写真で,いやがる牛を引くロバがとても面白い.
以上カイラスの旅2007/イェチョンのページから.
エンギザル(Yingisar)
カシュガルの手前,エンギザル付近の田園地帯を越える辺りでは,ロバ車が行き交っている.既に実が収穫された後のトウモロコシの茎を満載し,ロバ車が行く.きつい仕事だが,ちょっと見ではロバの顔は笑っているようにも見える.しかし,実は大変なのだ.
以上カイラスの旅2007/カシュガルのページから.
キルギス/アクベシム(Ak Beshim)
ビシケクから2時間近くかかって無事目的地アクベシムに到着した.しかし周りはアラトー(天山山脈)に囲まれた普通の畑にしか見えない.立て看板も一切無い.....と思いきや,一応車のゲートらしきものがあった.まあ昔から,あるがままに維持(?)されているのであろう.ただ今も盗掘,いや宝捜しは結構自由に行われているようではあるが.....
以上中央アジアの旅2007/アクベシムのページから.
キルギス/イシククル湖(Lake Issykkul)
カッコい~!!この人は大きな道で馬に乗っていたが,所謂カウボーイとして野原で牛を追っている姿をみることもしばしばだ.
以上中央アジアの旅2007/イシククル湖のページから.
カザフスタン/タラス(Talas)
この風景は7月15日だ.カウボーイが茶色一色の大地を行く.7月と言えば,草繁る頃....と思うが,どうして緑がないのだろう?ガイドに訊くと,「もう今年の新緑は終わってしまった.また来年の春,緑でいっぱいになる」ということだ.それでもなかなか納得できないでいるのだが.....
以上中央アジアの旅2007/タラスのページから.
ウズベキスタン/ヒワ(Khiva)
ヒワのバザールを行くロバ車.
以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.
アシハバードのアハルテケ馬(Akhal Teke Horses in Ashgabat)
遊牧の伝統を有するトルクメン人にとって,馬は切っても切り離せない存在だそうだ.なかんずくトルクメニスタン固有種のアハルテケ馬は優れた駿馬としてトルクメン人の誇りで,国宝級の扱いだそうである.アハルテケは紀元前よりアレキサンダー大王や漢の武帝にも献上されてきたそうで,アレキサンダー大王が遠征のとき騎乗したのもアハルテケだったという.砂漠に暮らす馬では最も持久力があり,4152kmの砂漠を84日間で横断し,そのうち3日間は水無しで走ったという記録があるそうだ.
以上中央アジアの旅2007/アシハバードのページから.
トルクメンアバード(Turkmenabad)
トルクメンアバードで昼食を済ませ,再びバスで東に行くと,程なくアムダリヤ川に至る.フローティング式の橋が架かっていたが,以前他所で同じ形式の橋でのバス転落事故があったそうで,バス通行は許可されないという.約800mを歩いて渡ったが,景色が見えてちょうど良かった.ただし撮影は禁止.
以上中央アジアの旅2007/トルクメンアバードのページから.
ウズベク国境(Uzbek border)
トルクメニスタン/ウズベキスタン国境では一人ひとりの審査に時間がかかる.先に終えた者は建物内に留まることが許されず,炎天下のウズベク側路上に出る.幸いこちら側にも待機中の大型バスが止まっており,この陰に腰を下ろして待つことにした.退屈な時間が過ぎ行く中,ロバが通りかかり,我々を幾らか癒してくれた.
以上中央アジアの旅2007/ブハラのページから.
ウズベキスタン/サマルカンド(Samarkand)
サマルカンド入り口辺りでロバを連れた子.矢絣の衣装がいかにもウズベキスタン風だ.
以上中央アジアの旅2007/サマルカンドのページから.
ウズベキスタン/サマルカンド(Samarkand)
こちらもサマルカンド入り口辺りの少年.やはり騎馬民族の末裔,乗馬が巧みだ.
以上中央アジアの旅2007/サマルカンドのページから.
サマルカンドのバザール(Samarkand Bazaar)
バザールへの輸送手段は殆どトラックであるが,このようなロバ車もたまに見かける.
以上中央アジアの旅2007/サマルカンドのページから.
ウズベキスタン/サマルカンド(Samarkand)
サマルカンドの市内でロバの散歩(?)
以上中央アジアの旅2007/サマルカンドのページから.
チベット/ヤルツァンポ河(Yarlung Zangbo River, Tibet)
ヤルツァンポ河脇の小さな町で休憩を取った.北からの道と合流する場所であるが,地名は判らなかった.小さな雑貨店や食堂が幾つか軒を並べ,鶏や牛,馬などの家畜が飼育されていた.
以上チベットの旅2007/シガツェ(日喀則) のページから.
チベット/ギャンツェ(Gyantse)
ギャンツェはラサ,シガチェに次ぐチベット第3の都市.かつてインドとチベットを結ぶ幹線街道沿いにあって,交易の中心地として,また白居寺の門前町として栄えたそうである.その頃はシガチェより大きな都市だったそうだ.ただ最近ではシガチェのタシルンポ寺が栄え,町もそれに連れて人口増大したため,ギャンツェは3番目となったようだ.
以上チベットの旅2007/ギャンツェのページから.
サキャ(Sakya)
サキャの南寺はチベット仏教四大宗派の一つサキャ派の総本山で,元朝の国師にもなったパスパという人が1268年にトゥム川の南岸に建立した寺だそうだ.寺も,周囲の住宅も白と黒と赤銅色に塗り分けられているが特徴的だと思った.
以上チベットの旅2007/サキャ(薩迦)のページから.
シェカール(Shegar)
シェカールはどうやらニューティンリーとも称するようでややこしい.道の両脇には,多分多くは漢族の,雑貨店,食堂,旅館等が並んでいた.ただ,放し飼い若しくは野良の犬がたくさんいて,ぶらぶら散歩するのはちと怖かった.
以上チベットの旅2007/シェカール(協格爾)のページから.
ロンボク(Rongbuk)
標高5,150mのパンラから標高5,000mのロンボクまでは高いところが続く.それでも川が流れ,村があって,きれいな麦畑があることに感心してしまう.空はますます澄み渡り,乾いた風が心地よいが,4WDは容赦なく乾いた土を巻き上げて進んだ.
以上チベットの旅2007/ヒマラヤのページから.
ティンリー(Tingri)
ティンリーでは多くが酪農を営んでいるようだ.日干しレンガを作っているところや,街道脇には商いをする店も並んでいる.赤い布を織り込んだヘアスタイルのチベッタン男性は手綱さばきが鮮やかだ.
以上チベットの旅2007/ティンリー(定日)のページから.
ラローラ(Lablungla pass:5,050m)
ティンリーを出てラローラ(標高5,050m)に向かった.チベット族の家族も馬車で放牧場か畑に向かう.
以上チベットの旅2007/ジャンム(樟木)のページから.