このD20:トルカへ編では11月25日,チョムロンを出て,ジヌー,ニューブリッジ,ランドルックを経由し,トルカ到着までの写真と記事を掲載した.
6時前に目を覚まし,外を眺めるとやはり雲.今日もだめかな~と思って,支度をしてダイニングルームに行く頃になると,一部雲が切れて,北東の山がチラリと見えるようになった.急遽トーストと目玉焼きのお皿を持って,庭のテーブルで食べることにした.
同時に全部見えることはなかったが,アンナプルナサウス,ヒウンチュリ,マチャプチャレがチラリと見える.
ヒウンチュリの右,マチャプチャレの左奥に見える峰は何だろう? 地図で見るとガンガプルナやアンナプルナⅢの方角であるが.....
庭のテーブルではニュージーランドのカップルと隣り合わせた.アンナプルナに2泊し,昨夕ここまで下り,泊まったそうだ.BCでは天候が良く,よく見渡せたそうだ.そうか,上の方では雲が無かったんだ,昨日のイランの連中も行っていれば....と人ごとながら残念に思った.
話題がNZに及び,「北島,南島どっちが好きか?」と訊かれる.う~ん,南かな,北も悪くないけど,と当たり障りなく応える.いや~やはり南ですよ,南島のクイーンズタウンのさらに南,観光客の来ない所に住んでますので,だそうだ.多分,ネパールのこの辺よりさらに人が少ないだろうね.マウントクックこそ登ってないが,NZの主だった山は歩いたそうで,ぜひNZの山歩きも,と言ってくれた.できればそのうちにね.
もう少しよく見えてくるかな~と思いながら,ロッジの庭で粘ってみた.しかし寧ろ雲は増えるばかりで望み薄だ.いつもより30分遅く,8時にスタートすることになった.
チョムロンの村内はきれいに石畳が敷かれた立派な道が通っている.昨日イラングループと昼食を食べた茶屋辺りに来ると,タダパニ/ジヌー分岐点に差し掛かり,ジヌー側に折れて下り始めた.
下は,チョムロンでの写真
チョムロンからジヌー(Jhinu)まではかなり急な下り道となる.ただ道はいいので心配は要らぬ.途中,家畜止めのゲートがあって,家畜の通行が制限されている.どうしてか?とGさんに問うてみたら,冬用干草収穫エリアとして保護してあるため,と云うことだった.ふむふむ.
地図を見ると,ジヌーは広い範囲に散らばっているようであるが,ここはキムロンコーラ手前の集落.ここの茶屋でお茶にしたがあまり温泉の雰囲気は感じられない.タトパニもそうであったが,硫黄などの成分があまり含まれていないのであろう.で,温泉そのものはどうか?ここは湯がぬるくて,ちょっと...というのがGさん評.特にこの日は寒かったので,露天で低温の湯に入るのは無理そうだ.
下は,ジヌーの写真あれこれ
下は,ジヌー辺りで咲いていた花
ジヌーから先もキムロンコーラの谷をめがけて下る.やがてキムロンコーラの小さな橋に出合う.
これを渡ると今度は登りになる.少し行くと視界が開けて,明るい段々畑と点在する農家が見えてくる.
ニューブリッジ(New Bridge)村もまた広い範囲に分布している.ブリッジそのものは,この先に現れるモディコーラに架かる新しい吊り橋を指し,ニューブリッジ村はモディコーラ両岸に分布するようである.
モディコーラを渡ると,稲の畑があったり,バナナの木があったりと南国的景観が見られるようになる.この辺りは1,340mとチョムロンからは800mくらい下がったので暖かく,まあそんなものであろうか.
下は,ニューブリッジ付近の景色
こうした滝があちこちにある.落差は結構あるので長い年月で水路はかなりえぐられている.ネパールでは滝や泉の水は家畜の汚水などで汚染されているためそのままでは飲料に適さない,と言われている.あちこちの村で,比較的安い価格で飲料水を販売しているのを見かける.これらの飲料水は薬品で消毒しているそうだ.
なお,ボトル入りのミネラルウオーターは,カトマンドゥではRs15(20円くらい)と安いが,高地では当然高くなり,10倍以上になる.水は重く,運搬費用がかかるので当然であろう.
多分日本で菜の花は春のような気がするが,ランドルック(Landruk)辺りでは今が盛りの畑が見られる.からし菜も似た花を咲かすので,Gさんに訊いてみたがやはり菜種のようである.
いよいよランドルックの村に着いた.起伏のある村に農家が点在している.農家の軒先では乾燥させた殻付き粟の実を棒で叩いて脱穀する作業があちこちで見られた.こちらの家庭では学校から戻り,制服のままの学童もお手伝い.忙しそうだ.
背後に積み重ねられたトウモロコシが見られるが,こちらは実を離さないで,そのまま保存する.食べる段階で一粒ひとつぶにするのだと思う.どうしてでしょうね?
ランドルックの茶屋ではトマトスープと野菜モモの昼食を食べた.モモであるが,形がギョーザ風ではなく丸い.味はさして変わらないと思った.
下は,ランドルック辺りの眺め
ランドルックを出てまた長閑な場所を行くと小さな発電所があってかすかなうなり声を上げていた.このサイズでは数軒程度の電灯分くらいであろうか?いや,意外にも一つの村を賄う程度の電力か?いずれにしてもプライベート若しくはごく小さなコミュニティ用だ.
たまたま黒い犬の後を歩いていくと,ヤギの親子に出合った.ヤギは授乳中で,犬が近づくと,角を向けて犬に襲い掛かってきた.別に犬がヤギに喧嘩を売ったり,吼えたりした訳ではなく,単に行きがかり上ヤギに近接しただけだったのだ.犬はほうほうの体で立ち去った.ヤギより犬が圧倒的に強いと思うが,子を守ろうとする母ヤギの勇敢さには感動した.ヤギの目は空ろ,と常々思っていたが,ちょっと見直す必要がありそうだ.
午後2時過ぎ,トルカ(Tolka)の村の終わり端にあるこのロッジに到着し,泊まることにした.RAMはランダムアクセスメモリではなく,雄牛のようである.その手前に数軒のロッジがあったが,ここが一番眺めがいいそうだ.ご覧の通り展望小屋もある.道路を挟んで向こう側にはテント泊トレッカーのキャンプサイトもあった.
少ししたら,途中追い抜いたオランダ4人組がやってきて,ここに落ち着いた.ただ飲み屋さんは手前に多いそうで,オランダグループのガイド氏とポーター氏は早々と出掛けて行った.そして,まだ明るいうちに,少しだけご機嫌になって帰ってきた.いい酒だと思う.
遅くなって,米メーン州からという若い女性が,若い女性ガイドを伴ってやってきた.女性のガイドは珍しいと思う.ポカラでトレッキングパーミット申請したが,手間取り,ポカラ出発が午後になってしまったのだそうだ.メーンの女性は自身も旅行業で,タイでの仕事が済み,休暇を取ってここら辺りからゴラパニに歩くそうだ.
RAMロッジの軒下でアクセサリーをいっぱい付けた大奥さんが脚をさすっていた.グルン族だそうで,高価なアクセサリをたくさん身に付けるのが慣わしだそうだ.だから女の子がたくさんいる親は経済的には大変らしい.また母親が亡くなったとき,それらを受継ぐのは女の子に限定されるそうだ.脚は,6年前タクシーにぶつけられて以来だそうで,直らないと言う.この辺にタクシーは無いので,ポカラ辺りに出たとき不運に見舞われたようだ.
食事の後,部屋に戻り暫くするとネパール音楽の調べが聴こえてきた.ポーターの人たちが集まって,楽器演奏に唄と踊りを加えて楽しんでいる.延々と続き,9時過ぎにお開きになったようだった.
下は,トルカまでの写真