宮殿,城,砦など(1)

このページでは既存ページから転載し,ブダペストの漁夫の砦(ハンガリー),ブラチスラバ城(スロバキア),ウィーンのシェーンブルン宮殿(オーストリア),同シェーンブルン宮殿,同ベルベデーレ宮殿,同ホーフブルク王宮,プラハ城(チェコ),ドレスデンのツヴィンガー宮殿(ドイツ),同レジデンツ城,ブハラのアルク城(ウズベキスタン),ミラノのスフォルツァ城(イタリア),ベネチアのドゥカーレ宮殿(同),グラナダのアルハンブラ宮殿(スペイン),セビリアのアルカサル(同),シントラの王宮(ポルトガル),オビドスの城(ポルトガル),セゴビアのアルカサル(スペイン),マドリード王宮(同),カトマンドゥのハヌマンドカ(ネパール),ジャイプールのナハルガルフォート(インド),同風の宮殿,同アンベール城,同シティパレス,同水辺の宮殿,アグラ/ファテープルシークリー(インド),同アグラ城砦,イスタンブールのトプカプ宮殿(トルコ),同イェレバタン地下宮殿,アナトリアのスルタンハーヌ(トルコ),モンタザ宮殿(エジプト),ストックホルム宮殿(スウェーデン),アメリエンボー宮殿(デンマーク),イオラニ宮殿(ハワイ)の写真を載せました.

漁夫の砦

ブダペスト/漁夫の砦(Halaszbastya at Budapest)

ブダペスト/漁夫の砦(Halaszbastya at Budapest)

1905年に建築され,そもそも王宮を守る聖なる任務に当たっていたのが漁夫達であったためこのような名がついたようだ.ただ,砦とは称しても実際には外敵との戦争の舞台として戦火にさらされることはなく,実際は展望台程度の役割であったようだ.また,かつてここに猟師組合があって宮の丘の「市場」を守っていたことに由来する,と云う説もあるようで,こちらがより正しいかも.

以上中欧の旅2003/ブダペストのページから.

ブラチスラバ城

スロバキア/ブラチスラバ城(Bratislava Castle in Slovakia)

スロバキア/ブラチスラバ城(Bratislava Castle in Slovakia)

”テーブルを逆さにしたような”と形容されるブラチスラバ城であるが,日本人的には ”碁盤若しくは将棋盤を逆さにしたような”という方がぴったりくるような気がする.

以上中欧の旅2003/ブラチスラバのページから.

シェーンブルン宮殿

ウィーン/シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn in Vienna)

ウィーン/シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn in Vienna)

17世紀から歴代のハプスブルク家の支配者たちが増改築を繰り返して1713年に完成した同家夏の宮殿.ベルサイユ宮殿に対抗して建てられたそうで,この壮麗な宮殿は,外観がバロック様式,内部がロココ様式というが,この違いが分からないのがちょっと寂しい.何にしても豪華絢爛,ゴテゴテ....と云う訳で必ずしも筆者のティストにマッチするとは言い難い(端から相手にされないであろうが,一応).1815年のウィーン会議では舞踏会場になった.1400室(すごい!!)もある部屋のうち,現在は40室を公開しているというが,撮影禁止なのが残念.

以上中欧の旅2003/ウィーンのページから.

ベルベデーレ宮殿

ウィーン/ベルベデーレ宮殿(Schloss Belvedere in Vienna)

ウィーン/ベルベデーレ宮殿(Schloss Belvedere in Vienna)

ベルベデーレとはラテン語で「美しい景色」という意味で,300年位前のオスマントルコとの戦いで有名な将軍「オイゲン公」の夏の離宮として造られたそうだ.シンメトリーな外観はバロック建築の代表作の1つとされる.宮殿内部は現在美術館になっているようだ.

以上中欧の旅2003/ウィーンのページから.

ホーフブルク王宮

ウィーン/ホーフブルク王宮(Hofburg palace in Vienna)

ウィーン/ホーフブルク王宮(Hofburg palace in Vienna)

ホーフブルク王宮は13世紀に築かれ,ハプスブルク家が滅亡する1918年までの640年間,ハプスブルク皇帝の居城であったそうだ.旧王宮,新王宮,スイス宮と2つの庭園などを含む敷地の総面積は240,000平方kmにも及ぶそうだ.新王宮が完成する20世紀までに歴代の王が修築/拡張を進めたため,いろいろな時代の建築様式の特徴がミックスされているそうである.

以上中欧の旅2003/ウィーンのページから.

プラハ城

チェコ/プラハ城(Prazsky Hrad in Prague, Czech)

チェコ/プラハ城(Prazsky Hrad in Prague, Czech)

プラハにあって,かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城で,現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府が置かれているそうだ.

以上中欧の旅2003/プラハのページから.

ツヴィンガー宮殿

ドレスデン/ツヴィンガー宮殿(Zwinger palace in Dresden)

ドレスデン/ツヴィンガー宮殿(Zwinger palace in Dresden)

17世紀にアウグスト強王が建てたザクセン王国の栄華を象徴する宮殿.どこまでが宮殿でどこからが別の施設なのか実はよく理解できなかったのであるが.......

以上中欧の旅2003/ドレスデンのページから.

レジデンツ城

ドレスデン/レジデンツ城(Residenzschloss in Dresden)

レスデン/レジデンツ城(Residenzschloss in Dresden)

ザクセン王の居城として13世紀に建てられたもので,現在の形になったのは20世紀初頭だという.やはり第2次世界大戦で大打撃を受け,1989年から修復工事が始まったそうが,少なくとも中庭は工事中の形跡は見えなかったので終わったのかも知れない.

この写真は「君主の行列」の壁画( Fuerstenzug)で,レジデンツ宮殿裏手通りにあるシュタールホーフ外壁にザクセン王国の歴代の王をタイル上に焼き付けたもの.約25000枚のマイセン陶磁器のタイルを使用し,長さ約100mだそうだ.レンズの樽型歪曲が少し気になる.

以上中欧の旅2003/ドレスデンのページから.

アルク城

ブハラ/アルク城(Ark in Bukhara)

ブハラ/アルク城(Ark in Bukhara)

「アルク」は城,砦の意味だという.だからアルク城と言うと「城城」となって本来はおかしいのであろうが,まあ......居城が初めて建設されたのは2000年も前のことで,以来ブラハハン国の王が住み,現在の城塞の基礎ができたのは6世紀頃と,とても古い歴史を有する.その後も破壊と再建,修復が繰り返され18世紀にほぼ今の形になったそうだ.

以上ウズベキスタンの旅2003/ブハラのページから.

スフォルツァ城

ミラノ/スフォルツァ城(astllo Sforzesco in Milano)

ミラノ/スフォルツァ城(Castllo Sforzesco in Milano)

ミラノに到着し,先ずは雨のスフォルツァ城見物からスタートすることになった.ミラノに残る中世最大の城だそうで,かつての領主ヴィスコンティ家の城跡に,フランチェスコスフォルツァ公爵の命により築城されたそうだ.城の四隅には円形もしくは方形櫓が設けられていた.

以上イタリアの旅2003/ミラノのページから.

ドゥカーレ宮殿

ベネチア/ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale in Venezia)

ベネチア/ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale in Venezia)

サンマルコ寺院に隣接する白い宮殿.ベネチアの最高権力者である「ドージェ」が執務を行い,また住居として使用した建物だそうだ.ゴージャスな柱や壁の装飾,彫像で囲まれている.円柱上部のイチジク文様はローマ帝国の遺跡でよく見られる様式によく似ているようだ.

以上イタリアの旅2003/ベネチアのページから.

アルハンブラ宮殿

グラナダ/アルハンブラ宮殿(Alhambra in Granada)

グラナダ/アルハンブラ宮殿(Alhambra in Granada)

アルハンブラ宮殿は異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体なのだそうだ.アルハンブラはアラビア語で「赤い城」が原義と言われるが,写真のように赤いレンガもあるが白い漆くい壁が多く,決して真っ赤か,と云う印象ではない.アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは,イベリア半島最後のイスラム王国,グラナダを首都としたナスル朝(13世紀-15世紀)の時代に入ってからであるそうだ.そして夜を徹して行われた拡張工事での照明用たいまつが赤々と宮殿を染めた,という説が有力らしい.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/グラナダのページから.

セビリアのアルカサル

セビリア/アルカサル(Alcazar of Sevilla)

セビリア/アルカサル(Alcazar of Sevilla)

アルカサルは元々アラビア語の定冠詞(Al)+砦,城の意で,英語のThe Castleに相当するようだ.TheをAlに替えて,AlCastleとすると確かにアルカサルに近くなる.では誰のお城だったのか?アルカサルはスペイン(全土かな?)を統治した歴代国家の別邸で最古の非宗教建築だそうだ.とは言ってもイスラム時代の城をレコンキスタ後,キリスト教徒の王が改築したものらしい.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/セビリアのページから.

シントラの王宮

シントラの王宮(Sintra National Palace)

シントラの王宮(Sintra National Palace)

シントラはリスボンから約30km.周囲は緑の木々で覆われた小高い山々(シントラ山系というそうだ)で,シントラ城はその中心にある.王家の夏の離宮で,元々は,14世紀にジョアン1世がイギリスから迎えた妃のために建てたそうで,後に狩猟用の別荘として使われていたそうだ.一帯には貴族や富豪たちの館も点在するようだ.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/シントラの王宮のページから.

オビドスの城

ポルトガル/オビドスの城(Obidos Castle)

ポルトガル/オビドスの城(Obidos Castle)

オビドスは城壁に囲まれた人口1000人以下だという小さな街で,「谷間の真珠」という名誉ある称号があるようだ.1282年,ディニス王(在位1279~1325)という時の権力者が,この村にすっかり魅了された王妃イザベルに,村を丸ごとプレゼントしたのだそうだ.旧お城は,現在ホテルとして運用されているという.人気があり,なかなか予約をとるのは大変らしい.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/オビドスのページから.

セゴビアのアルカサル

セゴビア/アルカサル(Alcazar of Segovia)

セゴビア/アルカサル(Alcazar of Segovia)

ディズニー映画「白雪姫」に登場する城のモデルにもなったというカスティーリャ王の居城.建物だけモデルになったのか?元になるストーリーも城にあったのであろうか?12~13世紀に建築されたが,大部分は15~16世紀に増改築され今の姿になったようだ.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/セゴビアのページから.

マドリード王宮

マドリード王宮(Royal palace of Madrid)

マドリード王宮(Royal palace of Madrid)

建築材料は御影石で,2800室もの部屋があるそうだ.そんなたくさんの部屋どうするんだろう?とつい貧乏性の筆者は言葉を発しそうになる.11世紀にマドリードをイスラムから奪回して以来,王の居城となってきたそうだ.ただし,1734年火災に遭い,多くの美術品とともに焼け落ちる事件があり,現在の建物は1764年に再建されたものだそうだ.再建を命じたフェリペ5世は完成を見ることができなかったが,次のカルロス3世から,アルフォンソ12世がフランスに亡命する1931年まで,歴代の王の居城だったそうだ.王宮前の銅像はフェリペ4世.

以上スペイン/ポルトガルの旅2002/マドリードのページから.

ハヌマンドカ

カトマンドゥ/ハヌマンドカ(Hanuman Dhoka in Katmandu)

カトマンドゥ/ハヌマンドカ(Hanuman Dhoka in Katmandu)

左の赤い布が被せられているのが猿神ハヌマンの像.ここの門がハヌマン門(Hanuman Dhoka)であるが,旧王宮もハヌマンドカと呼ばれているそうである.昼過ぎのためか牛さんが気持ち良さそうに寝そべっている.

以上ネパール2002/カトマンドゥのページから.

ナハルガルフォート

ジャイプール/ナハルガルフォート(Nahargarh fort in Jaipur)

ジャイプール/ナハルガルフォート(Nahargarh fort in Jaipur)

ナハルガルフォートの中の最初の砦はジャイプールのマハラジャ,ジャイスィン2世(スワイジャイシン:Sawai Jai Singh)によって主に1734年に築城され,後にスワイラムシン(Sawai Ram Singh)が拡張したようだ.

以上インドの旅2002/ジャイプールのページから.

風の宮殿

ジャイプール/風の宮殿(Hawa Mahal in Jaipur)

ジャイプール/風の宮殿(Hawa Mahal in Jaipur)

ジャプールのシンボルともなっているのがこの風の宮殿.窓からテラスに通り抜ける風の音が聞こえる,というのがその名の由来だそうだ.1799年,当時のマハラジャPratap Singhによって建設されたそうだ.イスラム教の影響か(?),夫以外の男性には顔を見せられない王妃や宮廷の女官たちのために建てられたものだという.

以上インドの旅2002/ジャイプールのページから.

アンベール城

ジャイプール/アンベール城(Amber palace in Jaipur)

ジャイプール/アンベール城(Amber palace in Jaipur)

ジャイプールの旧市街から,11km離れた山の上にある城塞宮殿.ジャイプールの街が建設されるまでは,ここが王国の首都であったという.城の歴史は954年にまでさかのぼり,サワイジャイスィンが1727年にジャイプールに宮殿を移すまで6世紀もの間,アンベール城がこの地方の中心であったという.

以上インドの旅2002/ジャイプールのページから.

シティパレス

ジャイプール/シティパレス(Jaipur City palace)

ジャイプール/シティパレス(Jaipur City palace)

シティパレスはジャイプールの街を造ったジャイスィン2世によって建てられた.ジャンスィン2世はラージプート族と呼ばれる,お隣のイスラム勢力であるパキスタンと戦った勇敢な人達の指導者だそうだ.現在子孫が利用しているが,一部公開し,博物館として当時の武器,衣服,絵画といったものを公開している.

以上インドの旅2002/ジャイプールのページから.

水辺の宮殿  (a palace on the lake)

ジャイプール/水辺の宮殿(a palace on the lake in Jaipur)

ジャイプール/水辺の宮殿(a palace on the lake in Jaipur)

ナハルガルフォートの王族が時々この水辺に下り,楽しむための宮殿だったという.

以上インドの旅2002/ジャイプールのページから.

ファテープルシークリー

アグラ/ファテープルシークリー(Fatehpur Sikri of Agra)

アグラ/ファテープルシークリー(Fatehpur Sikri of Agra)

ファテープルシークリーとは”勝利の都シークリー”と云う意味なのだそうだ.ムガール帝国第3代アクバル皇帝は世継ぎに恵まれない事を憂いていたそうだ.そこでアグラから40kmのシークリーに住む聖者サリーム・チシュティーを訪ね,相談した.その後首尾よく王子ジャハンギールをもうけたアクバルは聖者に感謝し,聖者の住まうこの地(シークリー)に新都市を造営し,都をアグラからここに移すことにした.またちょうどその頃,グジャラート地方の戦に勝利したこともあり,新都の名前は”ファテープルシークリー”になったそうな.

以上インドの旅2002/アグラのページから.

アグラ城砦

アグラ城砦(Agra fort)

アグラ城砦(Agra fort)

1565年,これまたムガール帝国第3代皇帝アクバルによって建設されたムガール帝国権力の象徴.実戦向きの堅固な城だが,内部には華麗なるモスクや宮殿を備えている.ムガール帝国時代,デリーのラールキラーとともに皇帝の居城であった.建築資材として赤砂岩を多用した典型的なムガール様式建物で,前述のように当初第3代アクバルによって造営された後,ジャハーンギール,シャージャハーンと代々の皇帝が増築を重ねていったようだ.1983年世界文化遺産に指定された.

以上インドの旅2002/アグラのページから.

トプカプ宮殿

イスタンブール/トプカプ宮殿(Topkapi palace in Istanbul)

イスタンブール/トプカプ宮殿(Topkapi palace in Istanbul)

ボスポラス海峡,金角湾とマルマラ海の出会うところに,15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であったのがトプカプ宮殿.トプカプ宮殿は様々な建物が迷路のようにつながっていて,豪奢を極めた宮殿の中で,スルタンと家来たちが生活し,統治していたという.宮殿の外側,第一庭園と呼ばれるところは,樹木の生い茂る見事な庭園だ.第二庭園の右側,糸杉とプラタナスの木陰になる場所はかつての宮廷の調理棟で,現在は帝国のクリスタル,銀,中国陶磁器のコレクションの展示館となっている.日本の,確か伊万里焼だと思う,も少し展示されていた.左側は,スルタンの多くの妻たちと子供たちが暮らした部屋が残るハーレムであるが,時間切れで残念ながら入場できなかった.

以上トルコ/エジプトの旅2002/イスタンブール旧市街のページから.

イェレバタン地下宮殿

イスタンブール/イェレバタン地下宮殿(Yerebatan Sarayi in Istanbul)

イスタンブール/イェレバタン地下宮殿(Yerebatan Sarayi in Istanbul)

ブルーモスクの少し北に位置し,地下貯水池でイェレバタンの地下宮殿(イェレバタンサルヌジュ )と称される.現在は博物館として内部が見学できるようになっているが,本来はこの柱の上まで水で満たす巨大タンク(長さ140m×幅70m)として機能する.

以上トルコ/エジプトの旅2002/イスタンブール旧市街のページから.

アナトリアのスルタンハーヌ

トルコ/アナトリアのスルタンハーヌ(Sultanhan in Turkey)

トルコ/アナトリアのスルタンハーヌ(Sultanhan in Turkey)

13世紀初期にセルジュークのスルタンアラッディンケイクバットによって作られた隊商宿である.アナトリアを行き来した隊商の逗留地として使われ,盗賊の襲撃から護るため高い城壁で覆われ,入り口の門は夜間ロックされたという.つまりキャラバンサライ(Caravan Sarai)の一種だ.城壁には見張り用の階段が内側に設けてあった.

以上トルコ/エジプトの旅2002/シルクロードのページから.

モンタザ宮殿

アレキサンドリア/モンタザ宮殿(Montazah palace in Alexandria)

アレキサンドリア/モンタザ宮殿(Montazah palace in Alexandria)

たまたまアレキサンドリアで宿泊したシェラトンモンタザホテルの目と鼻の先にあった.建物内部に入ることはできないが,外から眺めてもイスラム様式の造りがすばらしい.トルコ風とフィレンツェ様式の混ざったものだそうで,明るい壁の色あいが地中海沿岸にとてもマッチしているような気がする.現在この宮殿は迎賓館として使用されているそうだ.

以上トルコ/エジプトの旅2002/アレキサンドリアのページから.

ストックホルム宮殿

スウェーデン/ストックホルム宮殿(Stockholm Royal palace)

スウェーデン/ストックホルム宮殿(Stockholm Royal palace)

衛兵交代見学のため王宮に集う観光客で大勢だ.比較的華やかな先導隊に後続する地味な服装の兵隊が実務にあたる衛兵.スウェーデン軍から3日間ごとの交代で衛兵当番にあたるそうで,バッキンガム宮殿の衛兵等に比べるといかにも素人くさく,ピシッとした感じがまったく見られない.しかし名誉のために申し添えれば,本当の戦闘場面になったらこちらが遥かに強いであろう.

以上スカンジナビアの旅2001/スウェーデンのページから.

アメリエンボー宮殿

デンマーク/アメリエンボー宮殿(Amalienborg palace of Denmark)

デンマーク/アメリエンボー宮殿(Amalienborg palace of Denmark)

コペンハーゲンだけでも沢山の宮殿があるそうで,アマリエンボー宮殿は現女王様が住む宮殿だそうだ.広場を4つの建物がぐるっと囲むようにして建っている.そしてこの王宮は大きな船が停泊できる岸壁近くに位置し,王宮の先に,一旦は建設費不足で中断し,長年を要して完成したというロマネスクバロック教会が見える.

以上スカンジナビアの旅2001/デンマークのページから.

イオラニ宮殿

ハワイ/イオラニ宮殿(Iolani palace of Hawaii)

ハワイ/イオラニ宮殿(Iolani palace of Hawaii)

イオラニ宮殿の門に掛けられたハワイ王朝の紋章.イオラニ宮殿はハワイ王朝最後の王カラカウアが即位して8年目の1882年に建てられた宮殿で米国内にある唯一の(まあ「民主主義」のアメリカでは当然かな~?)宮殿.当時の金額で35万ドルという大金を要したそうで現在は博物館として公開されているそうだ.またこの辺りは1824年に死去したカメハメハ2世とその妃の墓地があったそうで,他所に移った今でも亡霊のうわさが.....とか.

以上ハワイの旅2000/ホノルル市街のページから.


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