宮殿,城,砦など(2)

このページでは既存ページから転載し,カトマンドゥ王宮(ネパール),ギャンツェゾン(チベット),グゲ王国夏の王宮(同),ヒワのイチャンカラ(ウズベキスタン),メルブ遺跡の大キズカラ(トルクメニスタン),シトライモヒホサ(ウズベキスタン),ブハラ城壁跡(同),シャフリサブスのアクサライ宮殿(同),ラサのノルブリンカ(チベット),ラサのポタラ宮(同),バクーのシルヴァンシャー宮殿(アゼルバイジャン),麗江の木府(中国雲南省),アレッポ城(シリア),パルミラのアラブ城(同),タイズのイマームアフマド宮殿(イエメン),ジブラのアルワ女王の宮殿(同),イエメンのタリム/アルカフ宮殿(同),サイユーンのスルタン居城(同),アルハジャレンでの富豪の宮殿 (同),ワディダハールのロックパレス(イエメン),ヤルカンド宮殿(新疆ウイグル),西安の明代城壁(中国),北京の紫禁城(同),万里長城(同),シギリヤロック宮殿跡(スリランカ),ポロンナルワの王宮跡(同),ラバトの王宮(モロッコ),フェズの王宮(同),フェズ北の砦(同),フンザのバルティット城(パキスタン),テヘランのサーダバード宮殿(イラン),シラーズのエラムガーデン(同),イスファハンのアリカプ宮殿(同),イスファハンの40柱宮殿(同)の写真を載せました.

カトマンドゥ王宮

ネパール/カトマンドゥ王宮(Kathmandu Durbar in Nepal)

ネパール/カトマンドゥ王宮(Kathmandu Durbar in Nepal)

2008年春,王制が廃止され,国王が不在になった宮殿が依然ランドマークの如く夕日に照らされていた.やがて,白い鳥が山の方から大挙して宮殿前の木立に向かって飛んでいった.あちこちから飛んできて,2,3の大木の先が白くなった.

以上アンナプルナ一周トレッキング2008/カトマンドゥ滞在のページから.

ギャンツェゾン

チベット/ギャンツェゾン(Gyantse Dzong in Tibet)

チベット/ギャンツェゾン(Gyantse Dzong in Tibet)

ギャンツェゾン(ギャンツェ城)は14世紀に建設され,1903年のイギリス軍侵攻ではここに立てこもり,徹底抗戦したのだそうだ.ただチベット側にも千人規模の戦死者が出たようである.ギャンツェゾンに登ると盆地状のギャンツェが良く見渡せる.

以上カイラスの旅2007/ギャンツェのページから.

グゲ王国夏の王宮

チベット/グゲ王国夏の王宮(Summer palace of Guge Kingdom)

チベット/グゲ王国夏の王宮(Summer palace of Guge Kingdom)

グゲ王国の遺跡,岩山の頂上には夏の王宮が建てられていた.周囲のトリンの景観を望み,涼しそうだ.地下部には冬の王宮があったようであるが,降りるのが大変なトンネル状の地下階段を下ってみたが,狭い空間が残っているだけだった.既に壊れたのか,或いは非公開なのか不明だ

以上カイラスの旅2007/グゲ(古格)王国遺跡のページから.

イチャンカラ

ウズベキスタンのヒワ/イチャンカラ(Itchan Kala in Khiva)

ウズベキスタンのヒワ/イチャンカラ(Itchan Kala in Khiva)

ヒワはヒワハン国の都として栄えたそうだ.二重の城壁に囲まれており,内城はイチャンカラ(Ichan Kala)と呼ばれ,中世の建造物が多く残っている.またその内部にクフナアルク(Kunya Ark)と呼ばれる宮殿も残っていた.

以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.

トザボーグパレス

ウズベキスタンのヒワ/トザボーグパレス(Toza Bog palace in Khiva)

ウズベキスタンのヒワ/トザボーグパレス(Toza Bog palace in Khiva)

どの時代かハッキリしないがヒワ王朝夏の宮殿だったそうである.今はレストランになっており,ここで夕食をいただいた.そう古くはないので最後の王朝かな?夏の宮殿といっても暑いことに変わりはなく,エアコンを入れると停電になるし,なかなか難儀である.

以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.

大キズカラ

トルクメニスタンのメルブ遺跡/大キズカラ(Grand Kyz Kala of Merv)

トルクメニスタンのメルブ遺跡/大キズカラ(Grand Kyz Kala of Merv)

キズカラは7世紀頃,ササン朝ペルシャ末期の豪族の居城だそうだ.語源はトルコ語のキズカレ=乙女の城,からきているそうだ.なので,40人の女性を囲ったハーレムのようなものとか,女性の社交場だったとか,刺繍等のお稽古事を習うところとか,諸説あるようだ.

以上中央アジアの旅2007/メルブ遺跡のページから.

シトライモヒホサ

ブハラのシトライモヒホサ(Sitoraiy Mokhiy Hosa in Bukhara, Uzbekistan)

ブハラのシトライモヒホサ(Sitoraiy Mokhiy Hosa in Bukhara, Uzbekistan)

シトライモヒホサは月と星の宮殿の意だそうで,ブハラ王国最後のアミールアミルハーンの離宮であったそうだ.ブハラ伝統様式にヨーロッパ様式を加えた仕上げになっている.部屋の壁や柱,天井には多様な装飾が施され,当時宮殿にあった品々,例えば中国や日本の陶磁器などが展示されていた.

以上中央アジアの旅2007/ブハラのページから.

ブハラの城壁跡

ウズベキスタン/ブハラ城壁跡(a castle wall in Bukhara, Uzbekistan)

ウズベキスタン/ブハラ城壁跡(a castle wall in Bukhara, Uzbekistan)

ブハラのイスマイールサマニ廟の近くには写真のような日干しレンガでできた城壁の跡が残っている.当初城壁は5世紀に造られ,それが8世紀のアラブ人侵攻で破壊された.後,10世紀になって,上述のサーマン朝の手で再築されたが,今度は13世紀になってジンギスハーンの軍隊によって破壊されたという.現在見えるのは,さらに新しく,16世紀になって栄えたブハラハン国が造ったもので,大半は1920年侵入したロシア軍が破壊したようである.

以上中央アジアの旅2007/ブハラのページから.

アクサライ

ウズベキスタンのシャフリサブス/アクサライ宮殿(Ak Saray of Shahrisabz)

ウズベキスタンのシャフリサブス/アクサライ(Ak Saray of Shahrisabz)

Ak=白い,Saray=宮殿で,アクサライは白い宮殿の意だそうだ.白は権力と尊厳を示していたとか.因みにシャフリサブスは緑の街という意味だそうだ.ティムールが残した最大の建造物がこのアクサライだそうで,確かに巨大だ.焼きレンガ製で,かなり剥げ落ちているがタイルで覆われている.

以上中央アジアの旅2007/シャフリサブスのページから.

ノルブリンカ

ラサ/ノルブリンカ(Norublingka of Lhasa)

ラサ/ノルブリンカ(Norublingka of Lhasa)

ポタラ宮が本来の宮殿であるのに対して,こちらノルブリンカは,同じくラサにあるが離宮とその庭園.ダライラマ7世によって1755年より建設され,1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏の離宮として機能していたそうである.現在敷地全体が公園になっている.

以上チベットの旅2007/ラサのページから.

ポタラ宮

ラサ/ポタラ宮(Potala palace in Lhasa)

ラサ/ポタラ宮(Potala palace in Lhasa)

7世紀前半,チベットを統一したソンツェンガンポがラサに都をおいた後の世,ダライラマを主とするチベット政府,ガンデンポタンは,1642年チベットの中枢地帯の支持を受けて発足し,その拠点としてラサのこの丘に十数年をかけて建設されたのが本ポタラ宮殿の基礎であるそうだ.たくさんの建物から成り立っているが,紅宮=宗教的なことを行うところと,白宮=政治的なことを行うところ,がメインである.

以上チベットの旅2007/ラサのページから.

シルヴァンシャー宮殿

バクー/シルヴァンシャー宮殿(Shirvanshah's palace in Baku)

バクー/シルヴァンシャー宮殿(Shirvanshah's palace in Baku)

シルヴァンシャー王朝は861年から1539年まで,独立で若しくは隷属的ではあっても継続し,イスラム世界の中では最も長く続いた王朝であるようだ.途中,1235年モンゴル軍侵入で壊滅的被害を蒙るなど,いろいろとあったが,巧妙な政治力が政権を長く維持させたようである.現在の宮殿遺跡は,市城壁の内側に位置し,15世紀に建てられたイスラム建築様式で,宮殿本体,地下墓地,ミナレット付きのシャー(国王)のモスク,Seyid Yahya Bakuviの霊廟,東の入り口,貯蔵庫,浴場などから成っているようだ.

以上コーカサスの旅2007/バクー(続)のページから.

木府

麗江/木府(Mufu palace in Lijiang)

麗江/木府(Mufu palace in Lijiang)

オリジナルの木府は,その昔麗江の土司(土地の少数民族の指導者に皇帝が与えた世襲の官職だそうだ)であった木氏の役所で,元代(1271年―1368年)の建物.清代以降,最近では文化大革命などで,建物は何度も破壊されたそうで,現在の建物は1998年再建されたものだそうだ.

以上雲南省の旅2007/麗江のページから.

アレッポ城

シリア/アレッポ城(Aleppo citadel in Syria)

シリア/アレッポ城(Aleppo citadel in Syria)

アレッポ城は,丘の上に建てられていた元々はハダト神という神の神殿が,ローマ時代に要塞にされ,12世紀にサラディーンの子ガーズィーによって周囲に堀が巡らされて現在の形になったそうである.なが~い,長い歴史があるのだ.

以上中東の旅2006/アレッポのページから.

アラブ城

シリアのパルミラ/アラブ城(Arab castle in Palmyra)

シリアのパルミラ/アラブ城(Arab castle in Palmyra)

パルミラ遺跡を眺めるためにアラブ城に登った.ただしバスで.黄金色とまではいかないが,パルミラ遺跡が夕陽に映えてきれいだ.また,高さ150mの岩山に建つこの城に上るとパルミラが背後にナツメヤシの林が広がるオアシス都市であることが一目瞭然である.十字軍に対抗すべく建てられたのだというアラブ城が建設されたのは12世紀だそうなので,パルミラが栄えた3世紀頃より遥か1000年も後のことだ.

以上中東の旅2006/パルミラのページから.

イマームアフマド宮殿

イエメンのタイズ/イマームアフマド宮殿(Imam Ahmed palace of Taiz)

イエメンのタイズ/イマームアフマド宮殿(Imam Ahmed palace of Taiz)

1962年王政打倒革命が起こり,当時の北イエメンを支配していたイマームのアフマド,実質的に王様,が打倒されたようだ.アフマドの息子アルバドル王子などイマーム一族はサウジアラビアへ逃れたようである.後8年間北イエメンは内戦状態に陥り,やがてイマーム体制は完全に排除されたようである.ここは革命までそのイマームの居城であったそうである.

以上イエメンの旅2006/タイズのページから.

アルワ女王の宮殿跡

イエメンのジブラ/アルワ女王の宮殿(Palace of Queen Arwa in Jibla)

イエメンのジブラ/アルワ女王の宮殿(Palace of Queen Arwa in Jibla)

昔アリーアンニスラウフという人物が居ったそうで,この方が所謂スライフ(またはスレーヒ)王朝の始祖であったそうだ.1,046年ころその息子アリーが父を継いでサナアに王国を建国.しかしアリーはすぐ亡くなり,その妻アルワが女王としてサナアからジブラに首都を移し,1,067年~1,130年この地で治世をおこなった,ということのようだ.

以上イエメンの旅2006/ジブラのページから.

アルカフ宮殿

イエメンのタリム/アルカフ宮殿(Al Kaf palace of Tarim)

イエメンのタリム/アルカフ宮殿(Al Kaf palace of Tarim)

このアルカフ宮殿の名前は,インドネシアやシンガポールを舞台にホテル業などで大成功したアルカフさんー族のかつての宮殿だったことに由来するそうだ.ところでタリムはかなり内陸,しかも陸の孤島的な処であるが,よりによってこの地の出身者が貿易などに携わる人が多いということはでどうしてであろうか?

以上イエメンの旅2006/タリムのページから.

スルタン居城

イエメンのサイユーン/スルタン居城(Sultan palace of Say'un)

イエメンのサイユーン/スルタン居城(Sultan palace of Say'un)

かつてスルタンの居城であったそうで,大きな建物だ.背後の岩山はアイユーブ山と呼ぶそうだ.建物の一部は博物館になっており,確か紀元前数百年前の埴輪のような古いものから比較的新しい時代の写真など,この地方で出土した物品や写真が展示されていた.

以上イエメンの旅2006/サイユーンのページから.

富豪の宮殿

イエメンのアルハジャレン/富豪の宮殿(Colorful palace at Al Hajarain)

イエメンのアルハジャレン/富豪の宮殿(Colorful palace at Al Hajarain)

このカラフルな建物の主はこの町出身の人物,ブックシャーさんという方だそうだ.現在主にサウジアラビアに居住し,年に一度くらいここに帰省するという,そんな富豪の宮殿だという.年一度のために部屋数数十とかの大きな建物とは豪勢だ.でもその外観の趣味は.....アラブ的なのであろうが.....

以上イエメンの旅2006/アルハジャレンのページから.

ロックパレス

イエメンのワディダハール/ロックパレス(Rock palace at Wadi Dhahr)

イエメンのワディダハール/ロックパレス(Rock palace at Wadi Dhahr)

現在眺めるこの建物は1930年代のイマーム,こんどはImam Yahya Hameed Al Ddinという人物が夏の宮殿として上の階を建て増しし,さらにこの近くに別館を建加えた,ということである.なお現在このロックパレスはイエメン政府管理下にあるそうだ.

以上イエメンの旅2006/ワディダハールのページから.

ヤルカンド宮殿

新疆ウイグル/ヤルカンド宮殿(Yarkand palace in Uyghur)

新疆ウイグル/ヤルカンド宮殿(Yarkand palace in Uyghur)

この宮殿の建造された年は不明であるが,ヤルカンド国の初代王は1514~1680年の人物のようだ.日本では義昭は将軍の地位を解任され,室町時代が終焉し,織田信長(1534~1582年)が天下を取った頃に相当するであろう.

以上新疆ウイグルの旅2005/ヤルカンドのページから.

明代城壁

西安/明代城壁(The Ming walls in Xian)

西安/明代城壁(The Ming walls in Xian)

現在西安にある城壁は,唐の長安城をモデルとしてに,1370年代に築かれた,つまり復元されたそうである.レンガ造りで,周囲の長さ約14㎞,高さ12m,上部の幅12~14m,底部の幅15~18mだそうだ.壁と称しても,とても幅広く上部が前述のように12~14mと道路のよう広い.実際兵士の移動など道路として機能したのであろう.

以上新疆ウイグルの旅2005/西安のページから.

紫禁城

北京/紫禁城(the forbidden city of Beijing)

北京/紫禁城(the forbidden city of Beijing)

明,清代の宮殿で,明代初期 (1406-20) に建てられたそうだ.現在は故宮博物館 (Palace Museum) として公開されているが,台北の故宮博物館と比べて展示物は疎らな印象だ.建物の規模は圧倒的に大きいが.

以上北京の旅2004から.

万里長城

北京/万里長城(the Great wall)

北京/万里長城(the Great wall)

この辺りの頂上の上部幅は広い.しかし平らではなくアップダウンが結構ある.でもちゃんと舗装されているので歩き易いし,風雨に対する耐久性もあったであろう.長城の起源は春秋時代にまで遡り,戦国時代には長城の言葉が現れたそうである.当時の長城は特にモンゴルなどの北防に限定されたわけではなく,いわゆる中原の地に建国した国々,つまり斉,中山,楚,燕,趙,魏,秦が互いに長城を築いて外敵の侵入に備えたのだそうだ.なお燕などの北辺城壁については文献に記載があったものが,近年内モンゴル自治区で遺址らしきものが見つかったようである.

以上北京の旅2004から.

シギリヤロック宮殿跡

スリランカ/シギリヤロック宮殿跡(the Royal palace at the top of Sigiriya rock)

スリランカ/シギリヤロック宮殿跡(the Royal palace at the top of Sigiriya rock)

高さ195mというシギリヤロック頂上に立つとなかなか広い.1.6ヘクタールあるようだ.もちろん独立峰なので360度のパノラマが開けている.結構広い王宮や兵舎などの建物跡,それと山のてっ辺だけに最重要な生命線,大きな貯水池が残っている.実父を殺してまで王になったカッサパは,自分自身が尋常でないことを十分に認識し,それ故に今後はいつ自分が殺されるか恐れていたそうだ.その危険を回避する目的でこのようなところに築城したのであるが,それでもごく短期間で滅ぼされたわけである.

以上スリランカの旅2004/シギリヤのページから.

ポロンナルワの王宮跡

スリランカ/ポロンナルワの王宮跡(the Royal palace in Polonaruwa)

スリランカ/ポロンナルワの王宮跡(the Royal palace in Polonaruwa)

レンガ製の壁は厚みが3mもあって,当時は7階建て,現在も3階くらいの高さまで残っている.とても頑丈に見える.1100年頃,パラークラマバーフ一世がこの王宮を建設し,灌漑設備を充実し,首都の発展的構築に大きく貢献したそうだ.そのため彼の治世の間ポロンナルワは交易と農業が栄え黄金時代を迎えたようである.

以上スリランカの旅2004/ポロンナルワのページから.

ラバトの王宮

モロッコ/ラバトの王宮(the Royal palace of central Rabate)

モロッコ/ラバトの王宮(the Royal palace of central Rabate)

数多くの王宮を有するモロッコ国王は,あちこちどのように暮らすのだろうか?

以上モロッコの旅2003/ラバトのページから.

フェズの王宮

モロッコ/フェズの王宮(the Royal palace of Fes)

モロッコ/フェズの王宮(the Royal palace of Fes)

ここフェズの王宮も広い王宮前広場を備え,陽に輝いていた.また,フェズの王宮に隣接してユダヤ人街(メラー)があった.元々イベリア半島などから逃れたユダヤ人はこの地で塩の取引等で一定の地位を得ていたそうだ.

以上モロッコの旅2003/フェズのページから.

フェズ北の砦

モロッコ/フェズ北の砦(North fort in Fes)

モロッコ/フェズ北の砦(North fort in Fes)

こちらの砦は丘に建ち,メディナが一望できるロケーションにある.こうして外敵の侵入を早期に発見し,防御したのであろう.

以上モロッコの旅2003/フェズのページから.

バルティット城

フンザ/バルティット城(Baltit fort of Hunza)

フンザ/バルティット城(Baltit fort of Hunza)

旧藩主(ミール)の居城だったバルティット城.山の中腹にあり,フンザの里を見下ろし,背後が山という城には持ってこいの位置にある.この城は760年程前に築かれたフンザ藩主(ミール)の居城で1845年までは実用に供されていたそうだ.土と石で外回りを固めた城の中の部屋はジェニパルという名の木材が多用され,この地方では一般的な住居構造だそうである.

以上パキスタンの旅2003/フンザのページから.

サーダバード宮殿

テヘラン/サーダバード宮殿(Saad Abad of Teheran)

テヘラン/サーダバード宮殿(Saad Abad of Teheran)

旧パーレビ家の夏の離宮だそうだ.広大な庭園にいくつかの建物が点在する.37畳敷きのイラン最大という絨毯などがあり.大きな木々もすばらしい.

以上イランの旅2003/テヘランのページから.

エラムガーデン

シラーズ/エラムガーデン(Bagh-e-Eram of Shiraz)

シラーズ/エラムガーデン(Bagh-e-Eram of Shiraz)

モハマドゴリーハーンによってガージャール朝時代に造られた庭園だそうだ.ハーンと付くからモンゴル帝国時代か?エラムとはペルシャ語で楽園の意だそうで,シラーズの中では最も花の多い庭園だそうである.特に北側のバラ園が有名だそうだ.糸杉の並木もなかなか見事だと思う.

庭園として有名だが,立派な宮殿も建てられ,精緻な壁画などすばらしいと思った.

以上イランの旅2003/シラーズのページから.

アリカプ宮殿

イスファハン/アリカプ宮殿(Aali Qapou palace of Esfahan)

イスファハン/アリカプ宮殿(Aali Qapou palace of Esfahan)

イマーム広場正面に位置するアリカプ宮殿.アッバース一世の宮殿で,6階建て構造で,18世紀に建てられたそうだ.何でも,イラン初の高層建築だとか?張り出した3階部分は広場を見下ろすテラスとして作られている.ここから王(シャー)が広場で繰り広げられる行事を眺めた訳だ.6階には音楽ホールがあり,音響効果を良くするという楽器や壷模様の付いた壁構造など興味深い.これが余分な反響音を吸収し,音をちょうど良く響かせるのだそうだ.

以上イランの旅2003/イスファハンのページから.

40柱宮殿

イスファハン/40柱宮殿(Chehel Sotoon of Esfahan)

イスファハン/40柱宮殿(Chehel Sotoon of Esfahan)

アリカプ宮殿裏の庭園内に,シャーアッバース1世によって1657年に作られたという.相当古いものだ.正式にはチェヘルソトゥン宮殿であるが,宮殿前室の20本の柱が池に映り,合わせて40本に見えるところから40柱宮殿とも呼ばれるようだ.壁,柱,天井の彫刻が細やかだ.建物は壁も柱も木造建築.かなり傷んでいる.アリカプ宮殿も木造建築であったし,イランでは木造建築も多かったのであろう.外国の旧跡は概して石造り,との観念があり,珍しいと思った.

以上イランの旅2003/イスファハンのページから.


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