このページでは既存ページから転載し,ベイトエッディーン宮殿に遠足の子(レバノン),サイダ海の城塞見物から戻った子(同),ベイルートスークの母子(同),ソフィア教堂庭で鳩と遊ぶ子(中国),大連中山広場で遊ぶ親子(同),大連レトロトラムの祖父母と孫(同),カリマバードの結婚披露宴の子(パキスタン),パスーロッジを訪れた子(同),ケバブ屋見習いの息子さん(同),アボタバードの子どもたち(同),デコ店のお店番(同),カタのお堂前の少女(ネパール),ティジ祭で着飾った子どもたち(同),チョデゴンパの小坊主の皆さん(同),バラドシト村の子(オマーン),ミスファットアルアブリーン村の姉妹(同),ニズワの子(同),タルディク峠の子(キルギス),サリタシュの子(同),サリモゴル先の子(同),叙事詩を詠う少女(同),サリモゴルの子(同),ジャララバードの子(同),コチコルの男の子(同),コチコルの女の子(同),ボコンバエバの子(同),鷹匠見習いの子(同),カラコルの子(同),ドゥンガンモスクの子(同),カルカラ谷の母娘(同),カルカラ谷の子(同),ウォンディポダンの子(ブータン),ヌブデン村の子(同),ブムタン(同),キキラ峠近くの子(同),トンサの子(同),パロの子(同)の写真を載せました.
ベイトエッディーン宮殿に遠足の子(レバノン)
いろいろ部屋を見て,中庭に出た.中学生であろうか,遠足に訪れたようで,噴水の周りで歓声を上げ,スマホで写しあっている.楽しそうだ.スカーフはないし,制服もないし結構なことだ.
以上レバノン紀行2018/シューフ山地のページから.
サイダ海の城塞見物から戻った子(レバノン)
海の城塞見物から戻ったところに小さなテント休憩所があった.私達も,この目のくりくりした可愛い子も橋の袂に戻るとここで一休みした.
以上レバノン紀行2018/サイダ(またはシドン)のページから.
ベイルートスークの母子(レバノン)
ベイルートスークの通りにはベビーカートを押し,キックボードを走らす母子の姿があった.リノベーションされたスークには平で十分幅広い道があるのだ.
以上レバノン紀行2018/ベイルート市内のページから.
ソフィア教堂庭で鳩と遊ぶ子(中国)
ソフィア教堂は広い庭に建てられ,公園のようになっている.ここで寛ぐ家族連れの姿も多い.それとハルビンには児童公園がとても多い.ただ一般的に言えばそこに居るのは児童ではなく,お年寄りが圧倒的に多いそうだ.解ります.
以上中国東北紀行2018/ハルビンのページから.
大連中山広場で遊ぶ親子(中国)
中山広場に着いた.中山は孫文の別名(号),孫中山のことで,もちろんあの1911年辛亥革命の立役者だ.中山広場で親子が遊んでいる.どこの国でも見られる平和な光景だ.
以上中国東北紀行2018/大連のページから.
大連レトロトラムの祖父母と孫(中国)
大連にはわざわざ昔風にデザインされたトラムが運行されている.また孫の世話は祖父母というのがかなり一般的だそうで,そうした祖父母と孫の組み合わせでトラムを楽しんでいる.
以上中国東北紀行2018/大連のページから.
カリマバードの結婚披露宴の子(パキスタン)
カリマバードSさんの家庭で,弟さんの3日続きの結婚披露宴が催された.食事やダンスなどで祝うのだが,子供を含め女性はダンスなどに参加できない.心なしかこの子もちょっと寂しそうに見える.
以上バトゥーラ氷河トレック2017/カリマバードへのページから.
パスーロッジを訪れた子(パキスタン)
バトゥーラ氷河のトレッキングが完了し,パスーロッジに下山し,ここでお茶の休憩となった.とてもいい観光地で家族連れ行楽客も訪れている.この子は女の子,男の子?
以上バトゥーラ氷河トレック2017/カリマバードに戻るのページから.
ケバブ屋見習いの息子さん(パキスタン)
パキスタンで代表的な料理,ケバブ(Kebab)の露店.日本のヤキトリと比べて串が金属で巨大だ.後ろでは跡取り息子さん(と勝手に決めつけた)が親父さんの一挙一動を見守り,やがて首尾よく跡が告げるようワザを学んでいるところだ.いい息子さんだ.
以上バトゥーラ氷河トレック2017/ベシャムへのページから.
アボタバードの子どもたち(パキスタン)
アボタバードの子どもたちは根っからの商売人で,子供だましのようなアクセサリーをよく解らない言葉で売りつけてくる.でもごめん,要らないんだ~すると今度は,写真を写せ~と寄ってきた.これがその結果だ.将来タフなネゴシエーターに成長しそうな予感がした.がんばれ.
以上バトゥーラ氷河トレック2017/イスラマバードに戻るのページから.
デコ店のお店番(パキスタン)
パキスタン名物デコトラの部品や加工を専門とする街を訪れた.このお店は布地のキャップのような形態のひらひらさせる部材を専門に販売している.そしてこの少年がお店番をしていら.ひらひらの銀色帯部分は反射部材で,単なるデコでなく,夜間の反射板の役目を兼ねているようだ.
以上バトゥーラ氷河トレック2017/イスラマバードに戻るのページから.
カタのお堂前の少女(ネパール)
旧ムスタン王国城壁入口トンネルを潜り抜けると,このようなカタを奉納するお堂があった.ここはマニ車堂前と違って若い女の子が腰を下ろしている.ティジ祭のお祭りで学校がお休みなのであろう.
以上ムスタン紀行2017/ローマンタンの街のページから.
ティジ祭で着飾った子どもたち(ネパール)
ローマンタンの街はティジ祭のお祭りで子どもたちが着飾っている.
以上ムスタン紀行2017/ローマンタンの街のページから.
チョデゴンパの小坊主の皆さん(ネパール)
チョデゴンパは初代ロー王アメパル(Ame Pal)の13世紀建立と云う大変歴史あるサキャ派の主要ゴンパだ.歴代高僧の居住地で,宗教行事中心地だったそうだ.多くの小坊主の皆さんが属しているようだ.ゴンパは学校教育機能も有しており,仏教に加えて一般科目も教科に加わっているという.
以上ムスタン紀行2017/ローマンタンの街のページから.
バラドシト村(Bald Sayt)の子
世が世であればバラドシトフォート屋上で敵の動きを監視する歩哨をしていたであろうが,今は私たち観光客に愛嬌を振りまいている男の子.実際丘の右の一番高いところにある高い建物はバラドシトフォート(砦)だったと思う.こんな山奥の村でも砦が必要だったということだ.
以上オマーン縦断2016/バラドシト村のページから.
ミスファットアルアブリーン村(Misfat Al Abreyeen)の姉妹
ミスファットアルアブリーン村(Misfat Al Abreyeen)の子どもたちが寄ってきて,モデルになってくれた.とても可愛い.皆姉妹であろうか?
以上オマーン縦断2016/ミスファットアルアブリーン村のページから.
ニズワ(Nizwa)の子
有名なニズワ金曜家畜市場(スーク)にヤギを連れてきた男の子.ヤギの扱い練習中のようだ.
以上オマーン縦断2016/ニズワの街のページから.
ワヒバ砂漠(Wahiba Sands)の子
ワヒバ砂漠デザートキャンプに休暇で来ていた家族のお子さんたち.手前一番小さい子が尤もらしい正装姿でおかしいし,かわいい.
以上オマーン縦断2016/ワヒバ砂漠のページから.
タルディク峠(Taldyk Pass)の子
標高3,615mのタルディク峠(Taldyk Pass)で,コークやファンタの空き瓶に馬乳酒を満たし,販売しているそうだ.ちょうど夏休み期間中で,家のお手伝いをしているのであろう.がんばっているね.
以上キルギス紀行2016/オシュからパミールへのページから.
サリタシュ(Sarytash)の子
まだあどけない顔からして多分5歳位であろう,が馬に跨がり颯爽と私たちの前に現れた.この子の歳にしては実に巧みな手綱さばきだ,いや~将来楽しみだな~
以上キルギス紀行2016/オシュからパミールへのページから.
サリモゴル(Sarymogol)先の子
サリモゴルの先,放牧村ユルト群からダートの道までは結構距離があり,車が出ようとした矢先になって子どもたちが集まってきてくれた.ありがとう.
以上キルギス紀行2016/オシュからパミールへのページから.
サリモゴル(Sarymogol)で叙事詩を詠う少女
キルギスにはマナス叙事詩という有名な詩があるという.そしてこのマナス叙事詩を詠う専門家がいるのだが,普通青年層以上が一般的で,このような若い子(ブニサさんのお孫さん6歳)が....とガイドTさんも大変驚いたそうだ.本人がさらに幼い頃に興味を示し,習い始めたのだそうだ.
以上キルギス紀行2016/サリモゴル村のページから.
サリモゴル(Sarymogol)の子
機嫌よかった男の子を寝かせるために先ずこの揺りかごにぐるぐる巻きにする.しかもおしゃべりできないよう口に揚げパン(ボルソック)が咥えさせられる.その巻き方はめちゃくちゃきつい.男の子も束縛され,不快なのであろう泣き始めた.すると今度は揺りかごを左右に激しく揺らした.かわいそうに.
以上キルギス紀行2016/サリモゴル村のページから.
ジャララバード(Jalal-Abad)の子
ジャララバードのルクソラさん宅を訪ね,昼食を頂いた.両手にお孫さんを抱えてくれた.
以上キルギス紀行2016/カルダマ峠のページから.
コチコル(Kochkor)の男の子
コチコル村レストラン庭先で遊んでいた男の子.
以上キルギス紀行2016/ボコンバエバのページから.
コチコル(Kochkor)の女の子
同じくコチコル村レストラン庭先で遊んでいた女の子.
以上キルギス紀行2016/ボコンバエバのページから.
ボコンバエバ(Bokonbayevo)の子
ボコンバエバの鷹匠さん宅を訪ねたが,留守で,代わりにお子さんたちが出迎えてくれた.
以上キルギス紀行2016/ボコンバエバのページから.
ボコンバエバ(Bokonbayevo)の鷹匠見習いの子
上鷹匠さん宅のご長男で,鷹匠を目指しているそうだ.頑張ってね.
以上キルギス紀行2016/ボコンバエバのページから.
カラコル(Karakol)の子
カラコルのロシア正教教会,三位一体教会には平日であるが信徒の人々が礼拝に訪れている.
以上キルギス紀行2016/カラコルのページから.
カラコルドゥンガンモスク(Dungan Mosque in Karakol)の子
カラコルの中国風建築のモスクに礼拝に訪れた母娘であろう.
以上キルギス紀行2016/カラコルのページから.
カルカラ谷(Karkara)の子
山羊取り合戦ウラクタルトゥシュ応援の家族だ.写真いいですか,と訊いたら,こんな風にポーズを取ってくれた..
以上キルギス紀行2016/カルカラ谷(2)のページから.
カルカラ谷(Karkara)の子
ペット扱いの羊は庭に留まりお嬢さんの遊び相手だ.
以上キルギス紀行2016/スキタイ古墳のページから.
ウォンディポダン(Wangdue Phodran)の子
下校中の高校生であろう,皆同じ柄の伝統服ゴを着ている.通学の生徒や学生はゴ着用の義務があり,また学校毎にユニフォームとして同じ柄のゴ(女生徒はキラ)着用となるそうだ.
以上ブータン紀行2016/ウォンディポダンのページから.
ヌブデン村(Nubding village)の子
屋根付き簡易市場の空きスペーでは子どもたちが遊んでいた.就学前の子はゴやキラではなくごく普通の服装だ.
以上ブータン紀行2016/東西横断道のページから.
ブムタン(Bumthang)の子
ここはヨトンラ峠を越え,ブムタン県に入り,ブータン国二番目に長い(1.5kmくらい)真っ直ぐな道路辺りだ.ゴとキラの制服姿,中学生であろうか,が帰宅中だ.
以上ブータン紀行2016/東西横断道のページから.
キキラ峠(Kiki La)近くの子
背中にテキストや文房具を入れた(多分)リュックを背負い,下校中の小学生だろう.キラを着ているので下校中と判るのだ.ブータンでは同じ学年でも年齢は必ずしも同じではないそうだ.入学年齢は本人(両親)が選ぶらしい.
以上ブータン紀行2016/トンサのページから.
トンサ(Trongsa)の子
ここはトンサの商店街.キラを着た下校中の小学生にレンズを向け,いい?と訊いたらポーズをとってくれた.ありがとう.左の子は学校で頂戴した花マルかな?
以上ブータン紀行2016/トンサのページから.
パロ(Paro)の子
二階レストランの下に小さな雑貨屋さんがあり,この子が笑顔を見せてくれた.店主の奥さんに訊いたら1歳と4ヶ月という.
以上ブータン紀行2016/パロのページから.