このページでは既存ページから転載し,旅先のあちこちで撮った子供たちの写真を集めました.場所として,アルマトイ,ビシケク,イシククル湖,ヒワ,イチャンカラ,マリィ,メルブ遺跡,シトライモヒホサ,ブハラ,サマルカンド,ペンジケント,タシケント,西寧,タール寺,シャチュンゴンパ,シャンリド,シガツェ,サキャ,チョモランマ展望点,シェカール,ティンリー,エレバン,エチミアジン,トビリシ,バクー,マンマンディ,蘇州,杭州,玉龍雪山,奔子欄,明永村,広州,セントカトリーナ修道院,モーセの泉,アレッポ,パルミラの訪問地から選びました.
アルマトイ/パンフィロフ戦士公園の子
第二次世界大戦時,モスクワを防御したパンフィロフ将軍率いる28人の部隊を弔うために造られた公園だそうである.とても広く,大きな樹が繁り,大勢の市民が寛いでいる.
以上中央アジア2007:アルマトイのページから.
ビシケクで肩車の子
キルギスのビシケクで一番大きいデパートだというツムデパートには大勢の買い物客がつめかけていた.この子はお父さんの肩で大いに満足そう.ツムデパートそのものは洗練されてはいない.
以上中央アジア2007:ビシケクのページから.
イシククル湖岩絵野外博物館の子
イシククル湖畔の岩絵野外博物館で,一人遊んでいた.頼んだらポーズをとってくれた.
以上中央アジア2007:イシククル湖のページから.
イチャンカラで柱を彫るヒワの少年
ヒワの内城,イチャンカラにはいろいろな工房が点在していた.ここは木工の工房で,少年がのみで円柱に彫刻を施していた.親方がデザインし,大まかに刻んだあと,細部を少年たちが削り込んでいる風であった.
以上中央アジア2007:ヒワのページから.
ヒワの市場でスイカを売る少年
ヒワのバザールの夕方,一仕事終えて,売れ残りの商品を味わうところ.
以上中央アジア2007:ヒワのページから.
ヒワで自転車に乗る子
ヒワの夕方,自転車の二人.楽しそうだ
以上中央アジア2007:ヒワのページから.
トルクメニスタン音楽演奏のマリィの少年
マリィの農家の庭先でトルクメニスタン音楽を披露してくれた.
以上中央アジア2007:マリィのページから.
玉突き台に上がったマリィの子
ご主人が絵描きというマリィの農家を訪問した.料理の準備で当家の奥さんとご姉妹が集まり,従っていとこが集合し大家族になった.玉突き台に上がったところをパチリッ!
以上中央アジア2007:マリィのページから.
メルブ遺跡グヤウルカラで遊ぶ子
ここはメルブ遺跡の一つ,日干しレンガで築かれたグヤウルカラ.近所の子の遊び場になっている.
以上中央アジア2007:メルブ遺跡のページから.
シトライモヒホサを訪れた小学生
ブハラ王国最後のアミール,アミルハーンの離宮シトライモヒホサを訪れた小学生.多分地元の子だと思う.
以上中央アジア2007:ブハラのページから.
彫金に勤しむブハラの少年
ブハラはチャシュマアユブ廟近くの路上で,少年はタガネ一本と小さなハンマーで彫金に励んでいた.
以上中央アジア2007:ブハラのページから.
サマルカンドに入る手前の村の子
サマルカンドに入る手前にのサマルカンドの看板があった.そこでささやかな土産物を販売したり,記念写真用にとロバを引いてきたりする村の子.なかなかいじらしい.
以上中央アジア2007:サマルカンドのページから.
ルダーキ記念博物館見学の子
タジキスタンのペンジケントでルダーキ記念博物館を見学する家族.ルソグド人の古代都市の遺跡であるペンジケント遺跡から発掘された色鮮やかな壁画が興味深い.
以上中央アジア2007:ペンジケントのページから.
ペンジケントで矢絣の子
タジキスタンのペンジケントで矢絣模様の衣服を着けた子に出会った.どうやら矢絣はウズベキスタンに限らずこの辺一帯の伝統衣装のようだ.
以上中央アジア2007:ペンジケントのページから.
ペンジケントで自転車の子
兄弟であろう,ペンジケントで自転車に乗る子がいた.気を付けてね!
以上中央アジア2007:ペンジケントのページから.
タシケントのバイオリン弾き
タシケントの路上でバイオリンを演奏していた少女.クラシック音楽だったので少し驚いた.
以上中央アジア2007:タシケントのページから.
タール寺巡礼の子
西寧のタール寺に母親に連れられて巡礼に訪れたチベット族の少年.盛装であったが暑いので脱いでしまった.
以上チベットの旅2007:西寧のページから.
シャチュンゴンパ近くの子
14世紀に建立された名刹シャチュンゴンパはチベット仏教寺院だが,山門から本堂,断崖のお堂まで,中国建築様式である.元々そうであるのか文革後の改修でそのようになったのかは不明である.ゴンパ近くの民家も中国様式が多い.どうやらこの辺りは漢民族が相当多いようである.この子たちも漢族かな~?
以上チベットの旅2007:西寧のページから.
シャンリドで回族イスラムレストランの子
シャンリドはイスラム教徒の回族が多く住んでいるそうで,ここのイスラムレストランでラーメンの昼食となった.キッチンを覗くと,家族総出で麺打ちから始め,仕上げてくれた.この子はそのレストランで末の子.
以上チベットの旅2007:ゴルムドのページから.
シガツェの市場の子
チベット第2の都市シガツェで,市場を覗くと兄弟と見られる子が一緒に遊んでいた.チベット族は少数民族なので一人っ子政策の中国で,2人(または3人だったか?)まで許容されるという.
以上チベットの旅2007:シガツェのページから.
サキャの親子
南寺と北寺で知られるサキャの通りを歩くチベット族の親子.
以上チベットの旅2007:サキャのページから.
チョモランマ展望点にやって来た子
カツォーラを越え,ヒマラヤへの起点シェカールに向かう途中,チョモランマ(エベレスト)展望点があった車を止めるとどこからか子供たちが寄って来た.
以上チベットの旅2007:シェカールのページから.
シェカールで洗濯の子
漢料理店の前でハンカチを洗濯していた子.家の中からおもちゃを持ってきて,全く言葉を理解しない筆者に一所懸命説明してくれる.?とした顔をしても,一方的にめげることなく話してくれた.
以上チベットの旅2007:シェカールのページから.
夕日を浴びたティンリーの子
ティンリーの宿からはチョオユーがよく見える.夕日を浴びてまぶしそうだった,ごめんね.
以上チベットの旅2007:ティンリーのページから.
エレバン青空市場を行く親子
エレバンの一角に広場があり,青空市場があった.親子が散歩がてらショッピングを楽しんでいた.
以上コーカサスの旅2007:エレバンのページから.
エチミアジンで小枝と冠の子
イースター前のエチミアジン大聖堂は大勢の信徒で溢れていた.礼拝に訪れ,猫柳の小枝を持ち,冠を着けた子に出会った.
以上コーカサスの旅2007:エチミアジンのページから.
トビリシメテヒ教会の子
礼拝でメテヒ教会を訪れていた子たち.とても友好的で,彼女らから近づいてきてくれた.
以上コーカサスの旅2007:トビリシのページから.
トビリシのハマム近くで会った子
トビリシのハマム近くで会ったこのハンサムボーイもまたとても友好的で,皆からの色々なポーズの希望に応えてくれていた.
以上コーカサスの旅2007:トビリシのページから.
トビリシのルスタベ通りの子
ルスタベ通りで会ったこの子たちも,「写せ,うつせ」と言ってくれた.撮って,モニターで見せると満足してタバコを吸い始めた.
以上コーカサスの旅2007:トビリシ(続)のページから.
さらにトビリシのルスタベ通りの子
ルスタベ通りで会ったこの子たちも,皆で「写せ,うつせ」と言ってくれた.ありがとう.上の子らより年下で,たばこはやらないようだ.
以上コーカサスの旅2007:トビリシ(続)のページから.
トビリシの公園の親子
宿泊したホテル近く,国会議事堂に間近なこの公園は,木も多く市民が寛ぐにいい場所だ.
以上コーカサスの旅2007:トビリシ(続)のページから.
バクー/シルヴァンシャー宮殿近くの子
シルヴァンシャー宮殿近くで遊んでいた子.宮殿を背景にモデルを頼んだ.
以上コーカサスの旅2007:バクー(続)のページから.
バクー/シェマハ門の子
シェマハ門近くで遊んでいた子たち.門に連なる城壁を背後にモデルをしてくれた.
以上コーカサスの旅2007:バクー(続)のページから.
ゾロアスター教会で礼拝の子
マンマンディのゾロアスター教会で礼拝の場を見せてもらった.青空の下,音楽が演奏され,子供たちは末席で半ば戯れ,とてもリラックスした様子に見えた.
以上コーカサスの旅2007:マンマンディのページから.
家族で蘇州平江路を歩く子
平江路は蘇州で一番大きな通り「干将東路」近くにあるエリア.古い街並みを保存している.散歩で行き交う市民が多く見られる.
以上江南の旅2007:蘇州のページから.
杭州西湖の親子
湖畔を散歩している親子に出会った.写真撮っていいですか?と訊ねたら,湖をバックに顔を向けてくれた.
以上江南の旅2007:杭州のページから.
玉龍雪山麓の子
玉龍雪山のもう牛坪に登るリフト乗り場まで行く.もう牛は中国語でヤクのことだそうで,周囲にはヤクの干し肉を並べた土産店がいくつかあった.この子はそんなお店の子.
以上雲南省の旅2007:玉龍雪山のページから.
奔子欄(ベンツェラン)で買い物の子
奔子欄(ベンツェラン)は山間の小さな町.学校帰りの子が果物を買い求めていた.おやつであろう.
以上雲南省の旅2007:奔子欄(ベンツェラン)のページから.
明永村の子
明永村はチベット族の村.明永氷河ハイキングの途中で出会ったこの少年は家のお手伝いであろうか,山道を単独で歩いていた.
以上雲南省の旅2007:明永のページから.
広州沙面で見かけた親子
1861年のアヘン戦争で,イギリスやフランスの租界地となり,今も多くの欧風建物が残っている.中国に主権が戻った現在,たくさんの木々や広場は現在市民の憩いの場となっている.
以上雲南省の旅2007:広州のページから.
セントカトリーナ修道院で見かけた赤ちゃん
セントカトリーナ修道院はエジプトのシナイ半島にあるが,キリスト教の修道院.エジプト内にもキリスト教徒は居るが,他国より巡礼に来る人も多いようだ.この赤ちゃんはどこからかな?
以上中東の旅2006:シナイ半島のページから.
モーセの泉で土産物を売っていた娘さん
モーセの泉の露店で,ささやかなネックレスを買ったら,快く笑顔でポーズをとってくれた.
以上中東の旅2006:シナイ半島のページから.
アレッポで自転車を楽しむ子
アラブ服にカーフィーヤ(ターバン)の男,少し浅黒い顔の男の子が中東圏にいることを強く印象付ける.そんな中東で,一般的には自転車はあまり好まれてはいないと思う.そんな環境で少年たちの自転車は目を引いた.
以上中東の旅2006:アレッポのページから.
アレッポ城へ駆け入る若い娘たち
非イスラム教徒か?イスラム教徒か?一人を除き,非イスラム圏と同じ格好の若者が明るく元気に駆け上がって行く.シリアではキリスト教徒が13%を占めるというから結構多いようだ.
以上中東の旅2006:アレッポのページから.
パルミラの子たち
砂漠を越えパルミラのホテルにバスが到着するとバスの周りに子供たちが集まってきてくれた.
以上中東の旅2006:パルミラのページから.
さらにパルミラの子たち
どんどん集まって,芸を披露してくれた.いや~愉快な子たちだね~特に中央の子のガキ大将ぶりは,本来の子供らしさを発揮し,とても昔の日本の子のように思えた.
以上中東の旅2006:パルミラのページから.