このページではラクダの仲間(ヒトコブラクダ:dromedary camel,フタコブラクダ:Bactrian camel,リャマ:llama,アルパカ:alpaca,グアナコ:guanaco,ビクーニャ:vicuna)を既存ページから転載し,ワルグラのヒトコブラクダ(アルジェリア),ホールルーリ遺跡のヒトコブラクダ(オマーン),ムグセイルのヒトコブラクダ(同),ソンクル湖のフタコブラクダ(キルギス),オリーブ山のヒトコブラクダ(イスラエル),トゥニ湖近くのリャマ(ボリビア),サハマのアルパカ(同),サハマのビクーニャ(同),トゥヌパ火山のリャマ(同),ビリャマルのアルパカ(同),コロラダ湖先のビクーニャ(同),ヴァケリアのリャマ(ペルー),ジュンガル盆地のフタコブラクダ(中国ウイグル),アルタイのフタコブラクダ(同),ウルホのフタコブラクダ(同),昭蘇平原のフタコブラクダ(同),パイネ国立公園のグアナコ(チリ),鳴沙山のフタコブラクダ(中国甘粛省),タバンボグドBCのフタコブラクダ(モンゴル),チャカのフタコブラクダ(中国青海省),シナイ山(エジプト),パルミラ遺跡(シリア),ペトラ遺跡(ヨルダン),ドーハ牧場のヒトコブラクダ(カタール),サナアのヒトコブラクダ(イエメン),ザビードのヒトコブラクダ(同),サイユーンのヒトコブラクダ(同),クチャのフタコブラクダ(中国ウイグル),トルファンのフタコブラクダ(同),サクサイワマン丘のアルパカ(ペルー),マチュピチュのリャマ(同),メルズーカ大砂丘のヒトコブラクダ(モロッコ),マンセールのヒトコブラクダ(パキスタン),ジャイプールのヒトコブラクダ(インド),ギザのヒトコブラクダ(エジプト),ダハシュールのヒトコブラクダ(同)で撮ったラクダやその仲間の写真を載せました.
ワルグラのヒトコブラクダ(アルジェリア)
3頭のラクダが一人のドライバーに引き連れられて道路を横切っていった.ベドウィン族,いやアルジェリアであるからトゥアレグ族(Tuareg)の人であろうか.
以上アルジェリア紀行2018/ワルグラのページから.
ホールルーリ遺跡(Khor Rori)のヒトコブラクダ
ホールルーリ公園ゲートを潜ると,なぜかラクダがたくさん歩いている.放牧が盛んなようだ.公園内で放牧....とちょっと不思議だが,長い伝統なのであろう.
以上オマーン縦断2016/ホールルーリ遺跡のページから.
ムグセイル(Mughsail)のヒトコブラクダ
オマーン南部に来るとラクダが急激に多くなる.写真のように群れを成している場合もある.ラクダは単に散歩しているか,たまに草を喰んでいるようであるが,荷物を運んでいるとか,車を牽いているといった姿を見ることはない.
ガイドKさんには,ベドウィンの飼っているラクダはレースに出場し,稼ぐと聞いていたが,皆が皆レースに出場とは考え難いし....
以上オマーン縦断2016/フィザヤのページから.
ソンクル湖(Song Kol Lake)のフタコブラクダ
ソンクル湖のユルトで一夜明け,朝食後少し行くとソンクル湖畔にラクダがポツリ一頭佇んでいた.キルギスタンにラクダは多くないが,重量物運搬役としていくらか飼われているという.
以上キルギス紀行2016/ソンクル湖畔のページから.
オリーブ山(Mt. Olives)のヒトコブラクダ
エルサレムのオリーブ山朝は光線方向がいいので,見晴らしが効き,大勢の観光客が詰めかけていた.ラクダも一頭待機していた.きっとパレスチナ人所有であろう.
以上イスラエル紀行2015/マダバのページから.
トゥニ湖(Laguna Tuni:4,425m)近くのリャマ
コンドリリ峰近くになるとリャマが多くなる.土地や気候がリャマだけに適しているのであろう.なお先方に見えるはワイナポトシ(Huayna Potosi:6,088m)だ.
以上ボリビア紀行2015/コンドリリ展望ハイクのページから.
サハマ(Sajama)のアルパカ
サハマの街を去り,再び南に進んだ.道端でアルパカが歩いていた.これまでラパスから昨日のトマラピ辺りまでは専らリャマであったが,Caさんのお話ではこの辺りからはアルパカも飼育されているのだそうだ.気候などがアルパカにも適するのであろう.耳にリボンを着けてもらって可愛い.
以上ボリビア紀行2015/タフアへのページから.
サハマ(Sajama)のビクーニャ(vicuna)
ビクーニャもリャマやアルパカ同様ラクダの仲間だそうで,そんな顔付きをしている.ただ,ビクーニャは全体の体型が,鹿とかガゼルやインパラのようにスリムだ.それと,ビクーニャは野生で家畜ではないということだ.
以上ボリビア紀行2015/タフアへのページから.
トゥヌパ火山(Thunupa Volcano)のリャマ
ウユニ塩湖から立ち上がるトゥヌパ火山(Thunupa Volcano)に上がると,たくさんのリャマが朝食で,枯れ草を食んでいた.
以上ボリビア紀行2015/ウユニ経由ビリャマルのページから.
ビリャマル(Villamar)のアルパカ
ビリャマルのロッジを出発した.今日も快晴だ.暫く行くと砂地に灌木の生えた斜面にアルパカがいた.こちらからも眺めているが,アルパカも警戒し,こちらを見ている.
以上ボリビア紀行2015/クエテナチコへのページから.
コロラダ湖(Laguna Corolada:4,280m)先のビクーニャ
コロラダ湖を離れ,さらに南に向かった.標高は上がり,地面は再び荒涼としていった.つまり草は少なくなったのだが,ビクーニャは走り回っている.アルパカやリャマといった競争相手がいないので好んでこうした土地にいるのかもしれない.
以上ボリビア紀行2015/クエテナチコへのページから.
ヴァケリア(Vaqueria)のリャマ
私たちトレッキングパーティーのリャマ4頭がリャマ方(リャマドライバー)のおやじさんに引き連れられていく.頼みますね.
以上ブランカ山群トレック紀行2014/ヴァケリアのページから.
ジュンガル盆地(Dzungarian basin)のフタコブラクダ
原油を組み上げるポンプが木下順二夕鶴の影絵のように首を上下させている.そしてなぜか群れてないラクダが悠々と散歩しているのは面白い取り合わせに映る.
以上天山北路を行く2013/ジュンガル盆地のページから.
アルタイ(Altai)のフタコブラクダ
自主的に結構本気で駆けているようで速い.後ろで追い立てている人も見当たらないので,ラクダ同士の遊びなのであろう.
以上天山北路を行く2013/アルタイ(阿勒泰)のページから.
ウルホ(烏爾禾)(Urho)のフタコブラクダ
間近に眺めるとフタコブラクダは実に大きい.でも山が2つあるので,人は一人しか乗れないかな?そう言えば,アラブ方面ではヒトコブラクダに人が,たまに二人乗っている光景に出合うことがあるか,ここではあまり人の乗っている姿を見ない.
以上天山北路を行く2013/ウルホ(烏爾禾)のページから.
昭蘇平原(Zhaosu grasslands)のフタコブラクダ
昭蘇石人の草原にはラクダが飼われていた.ラクダは痒い顔を石柱で掻いている.脇にいるのは子供のようだ.ところでこの四角い石柱は,石人を作った部族が,当時自分たちのテリトリーを,他部族に知らしむために立てた印だそうだ.これを越えて侵入してきたら敵と見なし,殺し,そして石人となってからはその周りに石として並べたのであろう.
以上天山北路を行く2013/イーニン(伊寧)のページから.
パイネ国立公園(Paine np)のグアナコ
アルゼンチンからチリに入るとグアナコ(Guanaco)が見えた.アルパカ,リャマ,ビクーニャと並び,アンデス原産,南米のラクダ科動物の一つだそうだ.アルパカ,リャマは家畜化されているが,グアナコはビクーニャ同様野生のままだそうだ.
以上パタゴニア紀行2013/パイネへのページから.
鳴沙山(mt. Min Sa)のフタコブラクダ
鳴沙山は敦煌市街から数kmの近くから連なる砂山.鳴沙(日本語で鳴砂)であるが,実際自分で歩いてみてもよく判らなかった.耳と音感がしっかりした人なら判別できるのであろう.一部区間ラクダを楽しんだ.
以上河西回廊を行く2011/莫高窟と楡林窟のページから.
タバンボグドBC(Tawan Bogd B.C.)のフタコブラクダ
タバンボグドBCトレッキングで,途中まではロシア製4WDで荷が運べるのだが,終盤は無理で,これらのラクダが運んでくれた.下山時はラクダが雪で足を滑らせ,荷がバラけて大変だった.
以上モンゴルの旅2009/タバンボグドBCのページから.
チャカ(Chaka/3,300m)のフタコブラクダ
高所のこのチャカ辺りでは,フタコブラクダが荷役として活用されている.
以上チベットの旅2007/チャカ(茶カ)のページから.
シナイ山(Mount Sinai)のヒトコブラクダ
ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の聖地シナイ山(2285m)の中腹まで,ハイカーの登山下山をサポートするラクダ.
以上中東の旅2006/シナイ半島のページから.
パルミラ遺跡(Palmyra)のヒトコブラクダ
パルミラ遺跡には多くの観光客が訪れ,こうしたラクダも待機していた.
以上中東の旅2006/パルミラのページから.
ペトラ遺跡(Petra)のヒトコブラクダ
ペトラ遺跡もまた抜かりなく,ラクダ,馬,馬車,ロバ....いろいろ取り揃えている.
以上中東の旅2006/ペトラのページから.
ドーハ(Doha)牧場のヒトコブラクダ
ドーハの街は近代都市で,とてもラクダが歩く雰囲気には見えない.実際この牧場の周辺は住宅街,とは言っても砂漠っぽい住宅街ではあるが,で農地などは一切ないのだ.ラクダは色々なイベントとかレースつまり競駝で活躍するために存在するようだ.ここの牧場では沢山のラクダが飼育され,また取引やレンタルの場としても供される場所だそうである.
以上イエメンの旅2006/ドーハのページから.
サナア(Sanaa)のヒトコブラクダ
サナアはイエメンの首都だが,なぜかラクダが店先にいたりする.どうやら他でも見かけたように,ごま油を交代で挽くラクダで,このラクダは今非番で待機中の様子であった.
以上イエメンの旅2006/サナアのページから.
ザビード(Zabid)のヒトコブラクダ
ザビード付近の村で,ごまの実を入れた臼の杵をラクダが廻すごま油挽きの光景を見かけた.左が仕事中のラクダでアイマスクで目隠しされており,右は休憩中のラクダである.「目隠しは目が回らないためか?」と問えば,「そうだ」と言う.そうなのかな~?
以上イエメンの旅2006/ザビードのページから.
サイユーン(Sayun)のヒトコブラクダ
ハドラマウト渓谷のサイユーン近郷風景だ.遊牧民のテントのように見えるので,ラクダも連れているのであろう.
以上イエメンの旅2006/サイユーンのページから.
クチャ(Kucha)のフタコブラクダ
クチャの塩水渓谷を抜けると荒れた平原となり,先に天山山脈が見えてくる.平原にはラクダ草であろうか,ブッシュが生えており,ラクダがそれを食んでいる.
以上新疆ウイグルの旅2005/クチャのページから.
トルファン(Turpan)のフタコブラクダ
トルファン火焔山の麓にあるゼベクリク千仏洞は渓谷の断崖途中に掘られている.石窟の中には壁画と仏像があるが,その多くは破壊されている.それでもなかなか見応えがあり,観光客も多い.ラクダはそんな観光客向けだ.
以上新疆ウイグルの旅2005/トルファンのページから.
サクサイワマン丘(Sacsayhuaman Hill)のアルパカ
サクサイワマン丘からはクスコの街全体を見下ろすことができる.そしてアルパカを連れた写真モデル(大体撮影料US$1だが)があちこちで現れてくれる.
以上南米の旅2004/クスコ(続)のページから.
マチュピチュ(Machu Picchu)のリャマ
マチュピチュ遺跡には,村で飼われているリャマが現れて写真モデルを務めてくれる.この場所にはとても似つかわしい.
以上南米の旅2004/マチュピチュのページから.
メルズーカ大砂丘(Merzouga)のヒトコブラクダ
メルズーカの砂丘に来るには,エルフードから,最初は道のあるところ,続いて道の無い沙漠/砂漠を4WDで暗闇を長時間駈けて,このラクダステーションに至り,砂丘の麓まで乗って行ける.ラクダ使いはベルベル人,1頭に2人乗りで,長~い影の写真は日の出直後戻る途中である.
以上モロッコの旅2003/メルズーカ大砂丘のページから.
マンセール(Mansehra)のヒトコブラクダ
ラクダの運送屋さん.車が入れないような斜面や狭い道路で需要が多いそうである.
以上パキスタンの旅2003/マンセール辺りのページから.
ジャイプール(Jaipur)のヒトコブラクダ車
インドの公道上を通行するいろいろな乗り物には,ラクダ車(馬よりラクダが多い),牛車(たまに働いている牛さんもいる),水牛車(働くのは専ら牛より水牛の役目),馬車,ロバ,象のタクシー....いろいろあっておもしろい.
以上インドの旅2002/いろいろのページから.
ギザ(Giza)のヒトコブラクダ
クフ王のピラミッド前を行く観光用ヒトコブラクダ.ここのらくだ御者は曲者だ,最初1US$の約束で乗せて,降りるとき,らくだを屈めさせないで(これだと位置が高く降り難い)「20US$!」って言う,まあ万事こんな調子で,観光が重要産業のエジプトでいいのかな~
以上トルコ/エジプトの旅2002/ギザのページから.
ダハシュール(Dahshur)のヒトコブラクダ
赤いピラミッド前の警備警官はラクダに乗っていかにもエジプトらしい.でも写真を撮るにはチップがいるらしく,ガイドさんがまとめて払っていたようだった.
以上トルコ/エジプトの旅2002/ダハシュールのページから.