巡礼28日目:ポルトマリンへday 28:Portomarin
この巡礼28日目:ポルトマリン編では,2019年6月8日サリアのアルベルゲを早朝出発し,初っ端で道間違えし一旦戻り,ビレイ,バルバデロ,100km地点,フェレイロス,メルカドイロ,ビラーチャを経由し,ポルトマリンに着いたときの写真を載せました.
ポルトマリン付近のGoogleマップmap around Portomarin
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離22.87km,歩行時間5h35min.
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サリアの朝Sarria
サリアの朝,間違い道を行く
サリアのアルベルゲで目覚め,この日は早めの6時半ころ歩き始めた.東の空は朝日に輝いていた.さてアルベルゲは通過してきたサリアの西端にあったので,当然アルベルゲ前の巡礼路をそのまま西に進めばいいのだと勝手に思っていた.
左に入る道標
ということで街道を進んだのだがどうもおかしい.どうやら違うみたいだと気付き,元に戻った.するとアルベルゲを出て間もなくの所にちゃんと大きな道標があり,ここを左折の矢印がしっかり記されていた.
大きな道間違いはこれで3度目だ.やれやれ.
鉄道と一時並行する
巡礼路が左に入り暫く行くと,単線の鉄道と並行する区間になり,暫くして写真の踏切で越える.通勤時間帯なので電車来ないかな~と期待したが,タイミング合わず何も通らなかった.
林の道になる
林の道になる.ただの林ではなく巨木が飛び飛びに生えている.木の名は解らないが,特に根本が太く,比較的低い位置で枝分かれするようだ.
これは牧草でしょうか
一面黄色い花だ.少なくとも菜の花とかではないのでこれは牧草でしょうか.
Bing類似画像検索したら,似ているかな~と思うのがあり,名を見たらalfalfa/ムラサキウマゴヤシというようだ.ウマゴヤシはぴったりだが,ムラサキじゃない.ただもう一度類似画像のページに戻ると,黄色の花にalfalfaの名が付いていた.原種はムラサキだったが,黄色タイプもできたのかな....
牧草地と麦畑
右前方は麦畑,他は牧草地であろうか.巡礼路を兼ねた農道は広く,舗装はなくとも平でとても歩き易い.
それと,前日の巡礼路周辺は山間の傾斜地で,狭目の畑が多かったが,今日の農地は平で広いようだ.
ビレイVilei
ビレイの村
ビレイ(Vilei)の村に入った.朝の陽の光が壁や塀に当たりきれいだ.上記牧草や麦の畑は,隣接しているのでこの村人の所有地かと思う.
ビレイの道標
通過する村は数知れず.ただ殆ど村の名を知らなかったり,知る術がない.そんな中でビレイの村はこのような立派な道標が立ち,解りやすい.
バルバデロBarbadelo
バルバデロのサンティアゴ教会
(Iglesia de) Santiago de Barbadeloの解説板が出ていた.ということでバルバデロ(Barbadelo)の村になったようだ.
1つの身廊と正方形の後陣の構造が特徴で,珍しいそうだ.時間が早かったためか,扉は閉ざされていた.
サンティアゴ教会庭の集合墓地
サンティアゴ教会庭を囲むように集合墓地が築かれている.庭の芝生には幾つかの墓石が置かれているが,ある時代から,その方式では全く足りなくなったのであろう.そこで3次元構造になったわけだ.
バルバデロの畑
バルバデロの畑も広々しており,大型トラクターでの農作業がやり易いと思われる.
この辺りで右膝に包帯をしたイタリア女性Maさんに会い,しばし一緒に歩く.
先ず脚どうしたか訊くと,急ぎ足で歩き過ぎたためかな~と言う.彼女は去年レオンまで歩き,今回はその続きから歩いているそうだ.Maさんは仏語教師なのだが,休暇が少なく2周間で戻らなければならず,サンティアゴまで行かねばならないので忙しいそうだ.でも若いし,レオンからサンティアゴを2周間なら問題ないでしょう.
バルバデロの林の道になる
バルバデロの林の道になった.とてもいい道で快適だ.
ところでMaさんはイタリアの教師だが,仏とか独とかと比べて夏季休暇は一般に短いのであろうか,少なくとも彼女は短い(でも日本の会社よりは長いか)
彼女は高校生くらいの年代の生徒が主なようだが,イタリア人にとって仏語(と西語)は類似点が多く,英語よりず~っと簡単なのだそうだ.そりゃいいですね.
バルバデロの舗装道
バルバデロの巡礼路は舗装道になった.代わり映えしない写真にキャプションだが,これが巡礼の実態だ.でも歩くのは楽しい.
そしてまた牧草地
そしてまた牧草地になった.瑞々しい草の緑が美しい.
カフェに寄る
カフェに寄った.コーヒーとオレンジジュースはあったが,ボカディージョはないという.チョコレートフレーバーの柔らかいものが挟まれたクロワッサンのようなものがあったのでそれにした.まあ歯も悪いことだし,柔らかいのもいいだろうと思うことにした.いや実際それなりに美味しかった.
長い茎の野菜
長い茎の野菜畑があった.わからないのでMaさんに訊いてみた.彼女はブロッコリーの仲間かな~と言う.ブロッコリーならあのぶつぶつの実が付いている筈....と見るが,実はなし.実ではなく,茎を食べる種類かな~
100km地点in100km
石塀があるので放牧地か
この辺りの牧草地は石塀で囲われている.牛を連れてきて放牧する草地なのであろうか.畑の塀は住宅の塀と違って対人用ではなかろうからそれしかない.....いや待てよ,牛を他の放牧地に連れて行くとき,この草地に入り込んで道草を喰うのを防ぐため,ということもありうるな....
ペラデラで一休みの高校生
ペラデラ(Peradela)の標識のある村に入った.そして私達の少し前を歩いていた高校生巡礼団の皆さんが,伴走バンの前で休憩に入った.
伴走バンは高校生の食事や飲料,それにきっとおやつなど積み,適当な場所で先行待機しているようだ.いや~楽チンで,爺には羨ましいよ.
次はミカロスの村
次はミカロス(Mikallos)村の標識があった.100.485kmの表示が出ている.
教会あり
ミカロス標識から少し行くと教会があった.傷みの少ない新しい建設のように見える.左側尖塔の立つ直方体の建物は何でしょう.倉庫いや,墓地か.
サンティアゴまであと100km地点
サンティアゴまであと100.000km地点の道標があった.ここで巡礼スタートし,サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着すれば,巡礼証明書が発行してもらえるので有名.ということで,これより東,昨晩泊まり今朝出てきたサリア辺りから出発するツアーは日本の旅行各社からも販売されている.
さてここに来て,ふ~む,と100.000kmを眺めていると,巡礼路横から,写真撮りましょうかと,いう声が掛かり,タッチしてもらう.声の主は20代後半くらいの白人男性巡礼者で,道標と反対側の石に座り,次から次へとやって来る巡礼者を待機してくれているのだ.グラシアス.
フェレイロスFerreiros
穀物倉庫
次の村に入ってきた.フェレイロス(Ferreiros)かと思われる.
そして高床式直方体の建物があった.多分穀物倉庫かなと思い,通り掛かった二人組の男性巡礼者(多分スペイン人)に訊ねたら果たしてその通りであった.これまでもあったのかも知れないが気付かなかった.これ以降,いろいろなバリエーションを含め,こうした高床穀物庫は至るところで見ることになる.ガリシア農家の特徴の一つなのでしょうね.
立派な角の牛見れず残念
立派な角の牛の看板があった.この地方原産の牛なのであろうか.ぜひ見てみたいものだと思いながら歩いたが,見かけたのはごく普通の赤牛(色だけは合っている)や白黒牛で,長い角はついぞ見れず残念.動物園で保護されているだけかな.
好きな林の道
好きな林の道になった.樹木は大木が多く,実に立派だ.日光の杉並木のミニチュア版といった趣だ.
フェレイロスの村になる
フェレイロス(Ferreiros)の村になった.石造り瓦屋根の家が多いようだ.庇が短いのは前からよく見かけたが,石の壁なので問題ないのでしょう.
フェレイロスは続く
少し牧草地を挟みフェレイロスは続いた.基本的には酪農を生業としている人が多いのだろうか.
魔女が飛んでいる窓
ベランダの前をホウキに乗った魔女が飛んでいく.長く飛んでいるせいか魔女の衣装はほころんできた.
メルカドイロMarcadoiro
メルカドイロの村になる
フェレイロスの次はメルカドイロ(Marcadoiro)の村になった.家々の石壁が黒ずんでいるので長い歴史ある村なのでしょうか.
メルカド(Marcado)の接頭語が付くので,例えば四日市市のように元々(定期)市場があった街なのでしょうね.
牛を放牧地に連れて行く
朝牛を放牧地に連れて行き,夕方連れ戻すのでしょう.牛は普通のホルスタインで,角は長くない.がっかり.
牛列の最後尾,右側にいるのが牧牛犬.
大きな牛に挑む牧牛犬
牛より圧倒的に小さいながら,果敢に牛をコントロールしている.いや~なかなかやるじゃないか.
牧羊犬も大量の羊の群れをコントロールする技は見事だが,牧牛犬は羊ほど素直でなく,またでかい牛を相手にすごい働きで驚く.
ビラーチャVilacha
ビラーチャに入る
メルカドイロを過ぎるとビラーチャ(Vilacha)に入ってきた.住宅の造りは石積みスレート屋根で,上述の村のものと差はないようだ.村人の姿はやはり見かけない.大都市以外どこもそうだが.
牧草刈り取り機
この装置の稼働動画をyouTubeで見たのだが,トラクタの後ろに連結し,6組ほどある,布を取り去った笠の骨を,笠軸を中心にぶん回す仕組みのようだ.笠骨に刃はなく,丸い鋼棒で,切ると言うより,ぶっ千切るという感じだ.6組の傘回転力はトラクター本体から供給されると思う.
ぶっ千切られた牧草は,そのまま地面に置かれるので,トラクターには後に別の装置を連結して集めるのであろう.
なおこの写真はコンパクトに畳まれた状態で,稼働時は,6本の傘が平面状に,自動的に大型ドローンのような形態に展開される.大農園でないと使えないであろう.
ビラーチャのブドウ畑
ビラーチャは主に酪農であろうが,ブドウ畑もあった.ブドウの木は結構な年月ここで育っている太さに見える.木の列間隔が広いように感じられるが,養分供給にはやはりこれくらい必要なのでしょうか.
ミーニョ川畔になる
巡礼路を下るとミーニョ川(Rio Mino)畔に至った.ミーニョ川は350kmの長さでガリシア州で最も長い川という.この川流域には先ほど見たようなブドウ畑や農地があり,それらの水源になっているそうだ.
川は南西方向(この写真では右から左へ)に流れ,幾箇所かにはダムが設けられ,貯水池として,あるいは発電に利用されているそうだ.この辺りは非常に川幅が広く,流れも緩やかだが,多分そうしたダムの一つが下流にあるのだろう.
対岸はポルトマリン
川沿いの巡礼路を行くと,橋が架かり,対岸には斜面に展開されるポルトマリンの街が見える.
橋はこれまでよく見かけたアーチ石橋ではなく,ごく現代的な石に比べ軽量なコンクリート橋だ.普通歴史的建造物に驚くものだが,それが多かったゆえ,こうしたごく普通のものにちょっと驚く.チトおかしいが.
橋を渡る
橋の袂に来たのでここを渡る.なお橋の名前は新橋(New Bridge)で,使えるのかどうか不明だが古い橋も架けられている.
新橋の端には歩道が設けられ,それがまた巡礼路でもある.
ポルトマリンPortomarin
橋を渡るとポルトマリン
橋を渡るとポルトマリン(Portomarin)だった.渡った先の階段を上ると,2階建てゲートがり,そこをくぐり抜ける.写真はそのゲートをくぐる手前からの一枚だ.新橋には何人かの巡礼者が渡りここに向かっている.
ポルトマリンの市内に入る
さて2階建てゲートをくぐるとPortomarinと大きな立体看板が目に入る.緑の公園や白い建物群などなかなかリゾート風雰囲気を感じさせる街のようだ.
坂を上りポルトマリン市内へ
市名看板から石畳坂を上る.石畳は定型サイズ板石を規則的に並べたもので,はっきり言って他都市で見てきたような味わい深いものではない.でも実用面では決して見劣りしないどころか種々メリットがあろう.
ところで写真右側ALBERGUEと書かれた建物がこれから目指すアルベルゲ(Albergue Pasino a Pasino)なのだ.隣が後述のスーパーで,その先にはバーなど並び最高のロケーションだと思う.
アルベルゲのダイニングキッチン
ということでアルベルゲ(Albergue Pasino a Pasino)には直ぐ到着した.2階に上ると,そこは写真のダイニングキッチンで,そのほんの一画(ドア脇)に狭いテーブルが有り,そこがレセプションだ.そこでは青年の担当者がチェックインを担当してくれた.ごく普通にアルベルゲなので,シャワールームから,ここダイニングキッチン,ベッドルームの案内などを聞く.
そしてビールありますかと訊くと,隣がスーパーマーケットですのでと言われる.実は後で行くのだがこのスーパーはシェスタの時間だから閉じます,といったところがなくとても素晴らしかった.
アルベルゲのベッドルーム
アルベルゲのベッドルームは幾つかに分かれ,私の部屋は2階の部屋だった.イタリアンMaさんも同じ宿だったが違う部屋だった.膝の痛みは続いているが,増してはないというので大丈夫だろう.また前日トリカステーラを出たところのT字路でルートを教えてもらったテキサスのTxさんもここで同じ部屋だった.
Txさんに,先日右の山ルートを行った経験を質すと,上り下りの勾配が多く,左の普通ルートと比べて幾らか大変だった,とのことだ.Txさんはスペイン語がとても上手で,普通のスペイン人並に流暢だ(スペイン語わからない私が言うのも何だが).どうしてか訊くと,Grand grand grand.....Paがスペインからテキサスに移住して,その子孫だから,と言う.でもgrandが6つも7つも付くくらい昔の曽祖おじいさんの子孫なのに,すごいですね.カリフォルニアなどの日系人三世,四世になると日本語がわからない人多いと思うが....
アルベルゲから眺めたミーニョ川方面
ベッドルームのバルコニーから歩いて来たミーニョ川方面を眺めてみた.川そのものは位置が低く見えない.ただ道幅が広く,ゆったりした前庭のある建物など,ちょっと他都市と違う味わいが感じられる.
急坂の側面
同じように右側を眺めてみた.ひゃ~急坂ですね.高級住宅街だが,階段も在るので並の乗用車では上り下り大変だ.ランクルクラスが必要ですね.
教会に続くアーケードのメインストリート
アルベルゲから始まる教会に続くアーケードのあるメインストリート.この通りは市議会で決議したか,それともこの商店街で統一しようときめたか,いずれにしても同じデザインに纏めるのは大変だったであろうと思った.大きな街ならともかく,多くはない人口の街で,巡礼者や観光客がそれなり程度に訪れる街ですからね....
私はこのアーケードにあったATMでユーロを引き出せて助かった.小さな村だけのエリアではATMはない(日本もそうなりつつあるが)ので,ある程度大きな街はありがたい.
ポルトマリンの聖ニコラス教会
アーケード街を行くと広場があり,そこに聖ニコラス教会(Iglesia de San Nicolas)が建てられていた.ちょっと見,屋上の凹凸模様などから教会ではなく城塞のようなデザインだ.でもバラ窓などはやはり教会であろうか.
ちょっと私の理解は十分でないのだが,前述ミーニョ川をダムで堰き止めるに当たり,村や橋(旧橋),本教会が水没するので,村や教会をここに移設し,橋は新橋を作ったとのことのようだ.であるとすると,小さな街なのに統一的アーケード街があるのも理解できる.
ポルトマリンのバーレストランでの食事
アーケードを通っていると開いているバーは幾つかあり,ここは食事も用意できるというので入る.ミックスサラダにラムだったようだ.普通に美味しかったと思う.
帰りはまたアルベルゲ隣のスーパーに寄り,この日のビールや明日の朝食材料,きっとさくらんぼ,バナナ,チーズや,丸く柔らかなパン,ハモン,ソーセージ....ちょっと多過ぎるなこれでは....