このページでは既存ページから転載し,チトワン国立公園(ネパール),カトマンドゥの渓谷(同),キリマンジャロ国立公園(タンザニア),ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(中国チベット),ヒワのイチャンカラ(ウズベキスタン),クフナウルゲンチ(トルクメニスタン),(同),ニサのパルティア時代の城塞群(同),古代メルブ(同),ブハラ歴史地区(ウズベキスタン),シャフリサブス歴史地区(同),サマルカンド‐文化交差路(同),エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡(アルメニア),ハフパット修道院とサナイン修道院(同),ムツヘタの文化財(グルジア),城壁都市バクー(アゼルバイジャン),ゴブスタンの岩絵の文化的景観(同),蘇州古典園林(中国),明・清王朝の皇帝墓群(同),麗江古城(同),三江併流(同),メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト),カイロ歴史地区(同),聖カテリーナ修道院(同),古代都市アレッポ(シリア),パルミラ遺跡(同),古代都市ダマスカス(同),古代都市ボスラ(同),ペトラ(ヨルダン),サナア旧市街(イエメン),古都ザビード(同),シバームの旧城壁都市(同)の写真を載せました.
チトワン国立公園(Chitwan National Park)
ヘランブートレックのあと,3~4日あるし,幾度か聞いたことのあるチトワン辺りのツアーが手頃かな~と思って訊ねてみた.いろいろあるが,2泊3日,ツーリストバス使用,チトワン国立公園の傍のロッジ泊パッケージ辺りが手頃なようだ.まあ,それ程期待できないかもしれないが,安いのでいいことにしよう,と翌朝タメルから出発することにした.チトワンのサイは一角サイで,絶滅危惧種であるそうだ.密猟者の犠牲になっているそうで,ネパール政府が保護活動に励んでいるが,既に全土で数百頭しか生息してないようである.ネパール/1984年自然遺産.
以上ランタン/ヘランブートレッキング2008/チトワンのページから.
カトマンドゥの渓谷(Kathmandu Valley)
ネパールの国際空港は多分このカトマンドゥだけなので,行き帰りの度にここを歩くことになる.ダルバール広場,スワヤンブナート,パシュパティナート,ボーダナート,パタンの街といった見所が多いが,大気汚染やごみが多いのはちと残念だ.ネパール/1979年文化遺産.
以上ランタン/ヘランブートレッキング2008/帰路に就くのページから.
キリマンジャロ国立公園(Kilimanjaro National Park)
ギルマンズポイントからは噴火口の縁を西に向かって進む.稜線に出ると東の空が白み始め,雲の切れ目から陽が射し始める.それに連れて気温は上がり始めるのだが,風は勢いを増すばかりで,体感温度は冷たくなる一方だ.やがて前方に念願の氷河が朝日に輝き浮かび上がってくる.これぞ目指していたものだ.見えた!感激で胸がいっぱいだ.好天に恵まれた幸運を噛みしめる.タンザニア/1987年自然遺産.
以上キリマンジャロの旅2007/5日目のページから.
ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(the Potala Palace, Lhasa)
昨年青蔵鉄道が開通し,チベットへの観光客は急増したそうである.ポタラ宮も時間制限を設け入場者をコントロールしている.また政治的意図からであろうがパスポートの提示も求められる.まあ何のかんのでこの日は開門と同時,いの一番に入場が割り当てられ,門をくぐったのであった.程なく東から日が射し,白い壁面が美しく輝き渡った.中国(チベット)/1994年文化遺産.
以上カイラスの旅2007/ラサのページから.
ヒワのイチャンカラ(Itchan Kala)
ヒワはウルゲンチから30kmのところにあって,2000年以上歴史があるというオアシス都市.1592年,ホラズム王国の国王アラブムハメットハーンがウルゲンチから遷都し,都を置いた.一時,モンゴル帝国によって破壊されるも,16世紀後半からはヒワハン国の都として栄えたそうだ.二重の城壁に囲まれており,内城はイチャンカラ(Ichan Kala)と呼ばれ,中世の建造物が多く残っている.ウズベキスタン/1990年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/ヒワのページから.
クフナウルゲンチ(Kunya Urgench)
クフナウルゲンチは古代ホレズム王国の都があったところだそうだ.13世紀にはモンゴル軍に徹底的に破壊されたことがあったが,それでも10世紀~14世紀の間ペルシャに通じる大交易都市として栄えたそうである.ところがアムルティムールによってもまた徹底的に破壊され,17世紀になるとアムダリア川の流れが変わり,水の利が絶たれたため街も衰退し,首都はヒワに移されたそうである.またヒワの近郊には新ウルゲンチ,通って来た現在ウズベクのウルゲンチが再建されたようだ.クフナがどういう意味か定かでないが,きっと新しいウルゲンチと区別するために付けられたのではなかろうか.トルクメニスタン/2005年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/クフナウルゲンチのページから.
ニサのパルティア時代の城塞群(Parthian Fortresses of Nisa)
ニサ遺跡は2007年7月,つまり訪れた頃,文化遺産として登録されたばかりのユネスコ世界遺産.紀元前3世紀~紀元後3世紀に,イラン系パルティア王国の首都として栄えたというニサの遺跡がアシガバートにあった.レンガ製の柱の基部が4個所に残されている.柱は複数の円柱を束ねた構造である.レンガは焼きレンガに見えた.ここにミトリダデス王(170BC~138BC)の宮殿があったそうで,ここはちょうど王の間だったようだ.宮殿は主に日干しレンガを用い,3階建てであったそうだ.トルクメニスタン/2007年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/アシハバードのページから.
古代メルブ(State Historical and Cultural Park Ancient Merv)
メルブ遺跡はカラクム砂漠の中にあって中央アジア最大の遺跡.シルクロードのオアシス都市として栄え,最盛期の11~12世紀には人口は100万人に達したといわれるそうだ.写真の大キズカラは7世紀頃,ササン朝ペルシャ末期の豪族の居城だそうだ.語源はトルコ語のキズカレ=乙女の城,からきているそうだ.なので,40人の女性を囲ったハーレムのようなものとか,女性の社交場だったとか,刺繍等のお稽古事を習うところとか,諸説あるようだ.トルクメニスタン/1999年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/メルブ遺跡のページから.
ブハラ歴史地区(Historic Center of Bukhara)
ブハラはザラフシャーン川下流域に古代より栄えたオアシス都市で,人口は約25万くらいという.長い歴史を有するので見応えのあるところが多い.写真はその一つでポイカラーン(Poi Kalon architectural ensemble).ウズベキスタン/1993年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/ブハラ(続)のページから.
シャフリサブス歴史地区(Historic Center of Shakhrisyabz)
人口約53,000人の町で,かつては中央アジアにおける主要都市だった歴史があるそうだ.アムルティムールのホームタウンとしても有名.写真のドルティロヴァット建築郡やドルサオダット建築郡など多く残っていた.ウズベキスタン/2000年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/シャフリサブスのページから.
サマルカンド‐文化交差路(Samarkand - Crossroads of Cultures)
シルクロードの中心都市として,悠久の歴史を誇る古都サマルカンドにやって来た.ここも街中が歴史でいっぱい溢れている.例えば写真のレギスタン広場など.ウズベキスタン/2001年文化遺産.
以上中央アジアの旅2007/サマルカンド(続) のページから.
エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡
The Cathedral and Churches of Echmiatsin and the Archaeological Site of Zvartnots
エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡
The Cathedral and Churches of Echmiatsin and the Archaeological Site of Zvartnots
エチミアジン大聖堂はアルメニア正教の総本山.聖グレゴリウスというアルメニアでの布教を強力に推し進めた人がいた.あるとき,幻でキリストが地上に降り,金の槌で地上を打つシーンを見た聖グレゴリウスは,これを神のお告げとして,303年ここに木造の教会を建てた.これがエチミアジンの始まりだそうである.5世紀に石造りに建て替えられ,7世紀には修復が行われ,現在の建物は17世紀に再建されたものだそうだ.
聖フリプスィメ教会から少し走ったところにズヴァルトゥノツ教会の遺跡はあった.この教会は7世紀半ばに建てられたが,10世紀末の大地震で倒壊し,厚い堆積物で長い間覆われていたそうである.円形状に並べられた列柱の頭部は渦巻きなど若干ギリシャ式を思わせる部分もあるが,籠の目,つまりケチャップのブランドでよく知られるところのカゴメのようなユニークなデザインだ.アルメニア/2000年文化遺産.
以上コーカサスの旅2007/エチミアジンのページから.
ハフパット修道院とサナイン修道院(Monasteries of Haghpat and Sanahin)
10世紀中ごろから建造が始まったというハフバット修道院.建物は複数が増築で連なったようなスタイルだ.それぞれ別の時代に建て増しされたのであろう.それでも石造りで円錐形の屋根などは,他のアルメニアの教会建築様式と共通であろう.近所には農家が数軒立ち並び,その村の一画に修道院が位置しているように見える.しかし現在,院内はひっそりとしており,常駐の僧侶や修道士は居ないようである.しかしこれまでに,ソ連時代に荒廃した建物を修復し,世界遺産(文化遺産)に登録された経緯があるようだ.つまり,ようやくハード面の回復が済んだものの,実際の宗教活動にまで復旧するのはこれからなのかも知れない.なおサナイン修道院は見ていない.アルメニア/1996年文化遺産.
以上コーカサスの旅2007/ハフバット修道院のページから.
ムツヘタの文化財(Historical Monuments of Mtskheta)
ムツヘタは5世紀にトビリシに遷都するまでイベリア王国(紀元前3世紀-6世紀)の首都であったそうだ.町の中心に位置する写真のスヴェティツホヴェリ教会と,丘上に位置するジワリ修道院(6世紀)がよく知られているようだ.スヴェティツホヴェリ教会の4世紀聖ニーナ(St. NinaまたはNino)によって建立されたというグルジアで最古にして最大の教会.現在の建物は11世紀の再建で,337年にキリスト教を国教化したミリアン王夫妻の墓があるそうだ.今もグルジア正教の大きな儀式はここで執り行われるという総本山的寺院のようだ.グルジア/1994年文化遺産.
以上コーカサスの旅2007/ムツヘタのページから.
城壁都市バクー,シルヴァンシャー宮殿,及び乙女の塔
Walled City of Baku with the Shirvanshah's Palace and Maiden Tower
アゼルバイジャン共和国の首都バクーの人口は180万人余というから,横浜の半分くらいか.市民の装いはデニムのパンツやスカートなど,全くイスラム戒律にのっとっていないことに驚かされた.別にこのような若者たちだけでなく,街行く人々は皆そうである.イスラムファッションで身を固めた人を探し出すのは殆どできないであろう(多分).写真はシルヴァンシャー宮殿.アゼルバイジャン/2000年文化遺産.
以上コーカサスの旅2007/バクー(続)のページから.
ゴブスタンの岩絵の文化的景観
Gobustan Rock Art Cultural Landscape
ここは元々は洞窟で,後世の地震で天井が開いたとされているところらしい.石器時代の住居として使われた痕跡があり,壁には人や馬などの動物が描かれている.ガイドのアシアさんの話ではゴブスタンで最も古い岩絵は42,000年前のもので,多くはそれより新しく,概ね10,000年前以降であるようだ.眺めることはできなかったが資料を見ると,さらに下ってアレキサンダーが遠征した頃のギリシャ文字の落書き,ペルシャ侵入後のペルシャ文字などもあるようだ.写真はボートと男の絵で入り口近くにあった.長いボートは葦船のようなものであろうか?人の絵で,男性は足が強調して描かれている.牛,シカ,ブタ,ヤギ,ライオン,ガゼル,馬,野生ろばなどの動物はゴブスタンでは最もよく現れるモチーフのようであるから,狩りは立派な脚の男性の重要な役割であったのであろう.アゼルバイジャン/2007年文化遺産.
以上コーカサスの旅2007/ゴブスタンのページから.
蘇州古典園林(Classical Gardens of Suzhou)
蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設され,多くは地元の名士により作られたそうである.写真は藕園(ぐうえん)で,多くの蘇州古典園林の中で,訪れたたった1つの庭園.総面積8000㎡で,清の初期に造営され,後になってこの地方の総督,沈秉成という方が隠居した後に再建されたそうだ.邸宅と東西に写真のような庭園がある.庭には湖石(注)の築山や池が配され,足元は玉石で舗装されている.中国/1997年文化遺産.
以上江南の旅2007/蘇州のページから.
明・清王朝の皇帝墓群(Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties)
中国の明と清ならびに清の前身後金の25人の皇帝の陵墓を含む文化遺産に登録された物件の総称であるが,訪問したのは写真の明考陵のみ.明太祖朱元璋の陵墓でここだけでも広大な面積だ.樹木で覆われた周囲約1,100mもあるという円形の山に埋葬されているらしいが,墓石や建物がないので,埋葬位置をピンポイントで特定することはできていないそうである.中国/2000年文化遺産.
以上江南の旅2007/南京のページから.
麗江古城(Old Town of Lijiang)
中国語で城は街,従って麗江古城は麗江の旧市街ということになる.どのくらい古いかと言うと,南宋(1127~1279年)時代から作られたそうで,現在は明代の民家が約千軒あり,納西(ナシ)族中心の街だ.写真は三眼井と呼ばれるそうで,井戸が3つに分割され, 上流から飲み水用,野菜洗い用,洗濯用にそれぞれ供される.水を有効に活用するための知恵だ.中国/1997年文化遺産.
以上雲南省の旅2007/麗江のページから.
三江併流(Three Parallel Rivers of Yunnan Protected Areas)
三江併流はチベット高原に源を有する三つの川,金沙江(長江の上流部),瀾滄江(メコン川上流部),怒江(サルウィン川上流部)が徳欽(Deqin)など雲南省北部の地域.写真の金沙江は上海で東シナ海に入るが,怒江は雲南を経てミャンマーに流れ,サルウィン川となり,瀾滄江は下流でメコン川となりラオス,カンボジア,タイの大地を潤している.サルウィン川,メコン川は下流の国にとって極めて重要な川であるため,上流の中国の機嫌を損ねないようにいつも気を遣っているそうである.中国/2003年自然遺産.
以上雲南省の旅2007/金沙江第一湾のページから.
メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯
Memphis and its Necropolis - the Pyramid Fields from Giza to Dahshur
ギーザからダハシュールまでのたくさんのピラミッドがある.エジプト/1979年文化遺産.
以上中東の旅2006/カイロのページから.
カイロ歴史地区(Historic Cairo)
カイロはエジプトアラブ共和国の首都でアフリカ最大の都市.国の人口の約26%が生活するカイロは,ファラオ王朝,ギリシャ/ローマ時代,キリスト教及びイスラム教の歴史的建造物が共存する街として知られる.カナジー的にはアラブ的香りが殆どを占める,と感じるが....エジプト/1979年文化遺産.
以上中東の旅2006/カイロのページから.
聖カテリーナ修道院(Saint Catherine Area)
セント(聖)カテリーナは294年,エジプトのアレクサンドリアで生まれ.彼女は哲学,医学等を学び,やがて洗礼を受け,クリスチャンになる.4世紀初めの迫害の時代に,彼女は偶像崇拝を非難し,18歳で殉教した.その後10世紀に,彼女の遺体は天使達によって聖カテリーナ山の頂上に運ばれたという伝説が広まったという.遺骨がフランスに移されると,伝説はヨーロッパ中に知れ渡り,シナイ山の修道院はセントカトリーナ修道院として知られるようになったという.エジプト/2002年文化遺産.
以上中東の旅2006/シナイ半島 のページから.
古代都市アレッポ(Ancient City of Aleppo)
アレッポは,シリアの首都ダマスカスの北,約300km,トルコ国境近くにあるシリア第二の都市.ユーフラテス川のそばにあり,交通要衝の地として栄えたようである.紀元前10世紀に建築され,12世紀から14世紀には,モンゴル帝国の侵入や,12世紀十字軍の攻撃にもイスラム側の前線基地として耐えたアレッポ城も見物し,世界最大の市場の1つともいわれるスークも駆け回った. また,スークの北にあるグレートモスクもほんの少し垣間見てきた.シリア/1986年文化遺産.
以上中東の旅2006/アレッポのページから.
パルミラ遺跡(Site of Palmyra)
ダマスカスの北東,約200kmの砂漠の中にあるパルミラは,紀元前1世紀~3世紀まではシルクロードの中継都市として発展.交易の関税により都市国家として繁栄したようだ.パルミラのオアシスは,タクラマカン砂漠から中央アジアを経て延々と続くシルクロードの終着点に位置し,ラクダでの長旅を続けてきたキャラバンにとって久々に安堵できる休息地であったであろう.シリア/1980年文化遺産.
以上中東の旅2006/パルミラのページから.
古代都市ダマスカス(Ancient City of Damascus)
ダマスカス旧市街(Old Damascus)は,城壁に囲まれた歴史のある地域である.この城壁は,1世紀頃,ローマが最初に建設したと言われている.2006年現在残っているものは,13世紀から14世紀にかけて,十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために,アラブ人が建築したものだそうだ.シリア/1979年文化遺産.
以上中東の旅2006/ダマスカスのページから.
古代都市ボスラ(Ancient City of Bosra)
ボスラは,シリアの首都ダマスカスの南約150km,ヨルダンの国境近くにある都市.2世紀,ローマ帝国のトラヤヌス帝が,このボスラの地に都市を築かせ,7世紀になると,アラブ人の支配下に置かれたようだ.やがて12世紀頃,十字軍の攻撃に備え要塞化されたそうだ.その後,ボスラは幹線道路から外れ,衰退の一途をたどり,廃墟と化したそうである.まあ今は,観光客として観ると,シリアの普通の町といった趣かな?シリア/1980年文化遺産.
以上中東の旅2006/ボスラのページから.1980年化遺産.
ペトラ(Petra)
地元の人には知られていたのであろうが,ヨーロッパ人が比較的最近になってようやく知るところとなった「幻の都」ペトラのある地は,自然の要塞となっている.また西にガザ,北にダマスカス,紅海にも近く,中東での人や物の行き交う要衝の地でもあったようだ.古代ナバテア人の首都,砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったとされるようである.都市が作られたのは今からおよそ2300年前頃からで,世界遺産の中で最も古い時代の遺跡の1つであるようだ.ヨルダン/1985年文化遺産.
以上中東の旅2006/ペトラのページから.1985年文化遺産.
サナア旧市街(Old City of Sana'a)
サナアは高地にはあるがモンスーンの影響を受け雨量もそれなりに多いようだ.ここ旧市街には粘土から焼かれた煉瓦造りで,白い漆喰で縁取られた構造が多いようだ.土台や1,2階は花崗岩や玄武岩で,その上に日干しレンガ(アドビ)を積み上げた構造もかなりあるそうだ. 白い漆喰はデザイン面のアクセントだけでなく,日干しレンガの隙間から雨水がしみ込むのを防ぐ役割も重要なようだ.イエメン/1986年文化遺産.
以上イエメンの旅2006/サナアのページから.
古都ザビード(Historic Town of Zabid)
ザビードの街は819年,時のアッバース朝の総督によって創設され,さらにここを首都とする国家が建設されたそうだ.国を学問で振興させるべく,モスク付属のマドラサ(メドレサ)を拡充し,これがアラブ世界初の大学,アルアシャエル大学の起源になったという.途中朝廷の遷り変わりがあったもの,中世イスラム最盛期には5,000人の学生が神学はじめ法学,医学,数学などの研究を進めたようだ.中でも代数学はここが発祥の地とされるそうであるが,残念ながらその大学機能は現在残っていないそうな,もったいない!ところでこの頃はどんな代数だったのかな~?線形空間論とか.....?イエメン/1993年文化遺産.
以上イエメンの旅2006/ザビードのページから.
シバームの旧城壁都市(Old Walled City of Shibam)
上に登り周囲が一層よく見渡せるようになると,空き地がたくさんあることを改めて認識する.というか殆どが空き地のように見えてしまうが.....でも緑が多いし,畑や家畜を飼うための土地で,ちゃんと所有権が登記された土地なのかも知れないね~こんな雄大な大自然の中にあってもこのような世知辛いことを考えているのはやっぱ日本人だからか?その中でも特に筆者だけか?イエメン/1982年文化遺産.
以上イエメンの旅2006/シバームのページから.