世界遺産(2)

このページでは既存ページから転載し,サガルマータ国立公園(ネパール),スイスアルプスのユングフラウとアレッチ(スイス),キナバル自然公園(マレーシア),ケルアン(チュニジア),エルジェムの円形闘技場(同),スース旧市街(同),カルタゴ遺跡(同),チュニス旧市街(同),ミケーネとティリンスの古代遺跡群(ギリシャ),アスクレピオスの聖地エピダウロス(同),アテネのアクロポリス(同),四川省のジャイアントパンダ保護区(中国),九寨溝(同),黄龍風景区(同),青城山と都江堰(同),イグアス国立公園 (ブラジル),イグアス国立公園 (アルゼンチン),リマ歴史地区(ペルー),クスコ市街(同),マチュピチュの歴史保護区(同),ナスカとフマナ平原の地上絵(同),北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(中国),万里の長城(同),聖地アヌラーダプラ(スリランカ),古代都市シギリヤ(同),古代都市ポロンナルワ(同),ダンブッラの黄金寺院(同),聖地キャンディ(同),古都メクネス(モロッコ),ペルセポリス(同),フェズ旧市街(同),アイトベンハットゥの集落(同),マラケシュ旧市街(同),タキシラ(パキスタン),ペルセポリス(イラン),イスファハンのイマーム広場(同),イランのアルメニア人修道院建造物群(同)の写真を載せました.

サガルマータ国立公園

ネパール/サガルマータ国立公園(Sagarmatha National Park)1979年自然遺産

サガルマータ国立公園(Sagarmatha National Park)

サガルマータはエベレストのネパール名.トレッキングにはやはり最高の場所の一つだと思う.

以上エベレスト街道トレッキング2005/カラパタールへ(2/2)のページから.ネパール/1979年自然遺産.

スイスアルプスのユングフラウとアレッチ

スイスアルプスのユングフラウとアレッチ(Swiss Alps Jungfrau-Aletsch)2001/07年自然遺産

スイスアルプスのユングフラウとアレッチ(Swiss Alps Jungfrau-Aletsch)

ユングフラウ(Jungfrau:4,158m)はアイガー,メンヒとともにオーバーランド三山と呼ばれるそうな.初登頂は,アーラウ在住のメイヤー兄弟によって1811年に達成されたそうだ.かつては登るのが難しい山であったが,現在は我々もこれから乗るユングフラウ鉄道のラック式鉄道の標高3454mユングフラウヨッホまで利用できる.なので当時と比べれば遥かに容易にアタックできるであろう.アレッチはヨーロッパ最大の氷河.長さ22kmくらいあるが,近年の温暖化でどんどん後退しているようだ.厚さは最も深いところでは1,000mもあるそうだ.スイス/2001/07年自然遺産.

以上アルプスハイキング2005/ユングフラウのページから.

キナバル自然公園

マレーシア/キナバル自然公園(Kinabalu Park)2000年 自然遺産

キナバル自然公園(Kinabalu Park)

ラバンラタ小屋では1:45AM起床,軽食をとってから2:30AM出発した.足が遅いので,お二方には先に行ってもらい,ハアハアしながらガイドのプリムスさんと一緒にようやく頂上,ロウズピークに到着した.大変足が疲れたキナバル登山は無事終了した.登山ゲートから車で公園事務所に行くと,カラフルなキナバル山登頂証明書を発行してくれた.同行の皆さん,ガイド,ポーターの方どうもありがとうございました.マレーシア/2000年自然遺産.

以上キナバル山2005/キナバル登山のページから.

ケルアン

チュニジア/ケルアン(Kairouan)1988年文化遺産

ケルアン(Kairouan)

ここはメディナへの入り口前.この辺りに来るとさすがに写真のような黒で全身を覆った女性を見ることができ,ようやくイスラム圏にたどり着けたか,とほっとする.ところで頂部の凹凸はあちこち,すなわちキリスト教圏,ヒンドゥー圏,イスラム圏の城砦に共通する様式であるように思える.単なるデザイン上の一様式か?それとも凹みから顔を覗かせたり隠したりする盾の役目なのか?所によっては銃眼が付加されているような気がする.チュニジア/1988年文化遺産.

以上チュニジアの旅2005/ケルアンのページから.

エルジェムの円形闘技場

チュニジア/エルジェムの円形闘技場(Amphitheatre of El Jem)1979年文化遺産

エルジェムの円形闘技場(Amphitheatre of El Jem)

カルタゴを制したローマ帝国のゴルディアン皇帝が期限230年建設したそうである.ローマ帝国はチュニジアだけでも25もの闘技場を造ったのだそうである.中でもこのエルジェムの円形闘技場は外周は3段アーチ型の壁で囲まれ,縦149m,横124m,高さ36m,アリーナの直径は65mで収容人数35,000人という大きさだという.チュニジア/1979年文化遺産.

以上チュニジアの旅2005/エルジェムのページから.

スース旧市街

チュニジア/スース旧市街(Medina of Sousse)1988年文化遺産

スース旧市街(Medina of Sousse)

その昔,この高い外壁で敵から守ったのであろう.レンガをセメントで固めた構造のようでかなり強固に見える.この中にモスクがありスーク(市場)が広がる.チュニジア/1988年文化遺産.

以上チュニジアの旅2005/スースのページから.

カルタゴ遺跡

チュニジア/カルタゴ遺跡(Site of Carthage)1979年文化遺産

カルタゴ遺跡(Site of Carthage)

カルタゴについて改めて三省堂大辞林を参照させてもらうと,カルタゴ [Carthago] :紀元前九世紀頃フェニキア人がアフリカ北部の地中海岸に建設した都市国家.紀元前六世紀頃,地中海西部を制覇したが,前146年ポエニ戦争でローマに敗れて滅亡.チュニジアの首都チュニスの北郊にその遺跡がある.チュニジア/1979年文化遺産.

以上チュニジアの旅2005/カルタゴのページから.

チュニス旧市街

チュニジア/チュニス旧市街(Medina of Tunis)1979年文化遺産

チュニス旧市街(Medina of Tunis)

チュニスの旧市街,メディナの見所が分かるマップが入り口付近に掲げられている.ここもまた世界遺産に登録され,多くの観光客が訪れているようだ.でも観光客より圧倒的に地元の買い物客が多いし景観保存と利便性向上のための改修などの板ばさみになるのでしょうね~チュニジア/1979年文化遺産.

以上チュニジアの旅2005/チュニスのページから.

ミケーネとティリンスの古代遺跡群

ミケーネとティリンスの古代遺跡群(Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns)1999年文化遺産

ミケーネとティリンスの古代遺跡群(Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns)

写真はミケーネ宮殿入り口のライオン門.紀元前1300年頃建造と言われるとても古い門.重さ20tもあるという巨石を積み重ねて作っている.門上部には,頭部は消失しているが,立って向き合う2頭のライオン像が見える.ミケーネ文明は,紀元前1450年頃に興り,地中海交易によって発展したそうだ.ミケーネ文明の建築は概して巨石を用い,城壁で囲まれ閉鎖的であるそうだ.まあ随分古い文明であることに改めて驚く.ギリシャ/1999年文化遺産.

以上アテネの旅2004/ミケーネ遺跡のページから.

アスクレピオスの聖地エピダウロス

アスクレピオスの聖地エピダウロス(Sanctuary of Asklepios at Epidaurus)1988年文化遺産

アスクレピオスの聖地エピダウロス(Sanctuary of Asklepios at Epidaurus)

エピダウロスはサロニカ湾に面した港湾都市.神話でアポロの息子,医神アスクレピオスが生まれた場所であるとされ,医療の聖域として知られていたそうだ.古代では観劇も精神をいやす薬で,ここにも劇場が建設されたわけである.写真の古代劇場は紀元前4世紀にポリクレイトスにより建設され,建築当初34段の観客席6200人を収容したそうだ.後,紀元前2世紀になって,さらに21段追加され,合わせて55段の客席で14,000人の観客を収容するに至ったようだ.この地を征服したローマ人が修正を加えたようである.ギリシャ/1988年文化遺産.

以上アテネの旅2004/エピダウロス遺跡のページから.

アテネのアクロポリス

アテネのアクロポリス(Acropolis, Athens)1997年文化遺産

アテネのアクロポリス(Acropolis, Athens)

アクロポリスには例えば有名なパルテノン神殿(Parthenon)が含まれる.これはギリシア神話に登場する女神,アテナ神を祭る神殿だという.現在残る神殿はペルシャ戦争(紀元前492年~同449年のアケメネス朝ペルシア帝国との戦い)勝利後に建設され,長さ68.7m,幅30.6mの神殿で,相当大きくまた太い柱が並んでいる,と云うかそれが最も印象的なのであるが.ギリシャ/1997年文化遺産.

以上アテネの旅2004/アクロポリスのページから.

四川省のジャイアントパンダ保護区

中国/四川省のジャイアントパンダ保護区(Sichuan Giant Panda Sanctuaries)1992年自然遺産

四川省のジャイアントパンダ保護区(Sichuan Giant Panda Sanctuaries)

四川省のジャイアントパンダ保護区は7箇所の自然保護区と9箇所の風景名称区から構成されているそうだ.写真の臥竜もその中の一つ.中国/2006年自然遺産.

以上四川省の旅2004/臥龍のページから.

九寨溝

中国/九寨溝(Jiuzhaigou Valley Scenic and Historical Interest Area)1992年自然遺産

九寨溝(Jiuzhaigou Valley Scenic and Historical Interest Area)

九寨溝は石灰岩質の眠山山脈中,標高3400mから2000mに大小多くの沼が連なるカルスト地形と言われる淡水湖地帯である.山脈から流れ込んできた石灰石が沼底に沈殿し,日中には青など独特の色を放つようである.中国/1992年自然遺産.

以上四川省の旅2004/九寨溝のページから.

黄龍風景区

中国/黄龍風景区(Huanglong Scenic and Historic Interest Area)1992年自然遺産

黄龍風景区(Huanglong Scenic and Historic Interest Area)

黄龍は標高3550m,富士山9合目くらい,に位置し,横の高台に登ると,それぞれ異なる色と高さの池がカスケード状,棚田状に連なっている様子と,周囲の山や黄龍古寺を含めた全景が見える.ここの地形は,石灰を含む水溶液から沈殿した炭酸石灰が長年の間に堆積して形成された鍾乳石で,これを石灰華と呼ぶそうである.黄龍全体で,この石灰華の谷は約5km続き,谷底はしばしば石灰華の作用によって変色した黄色の岩で覆われている.このため上から眺めると黄の龍がのたうっているようにも見える(そう言われないと,なかなかそこまで想像力が働かないが....)そうで,黄龍の名はこれに由来するそうである.五彩池は特に黄龍のハイライトだ.水面が無色,シアン,黄色,エメラルド,トルコブルー....といろいろな色が織り成す景観は見事だと思う.ちょっと人が多過ぎる難点があるが.....中国/1992年自然遺産.

以上四川省の旅2004/黄龍のページから.

青城山と都江堰

青城山と都江堰(Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System)2000年文化遺産

青城山と都江堰(Mount Qingcheng and the Dujiangyan Irrigation System)

都江堰(トコウエン )は2200年余の歴史を持つ治水堰で,岷江(長江上流で最大水量の支流)に位置している.この堰現在でも昔の姿のままで洪水のコントロール,農業などの産業用水,土砂排出などの機能を発揮しているそうだ.写真中央の丸みを帯びた部分は魚嘴と呼ばれ,川の中央に位置し,内江と言われる川の手前半分と,堰構造のある向こう側(外江)に分割している.魚嘴は人口導水路を作った時掘り出された土石を盛った人工小島であるそうだ.つまりこの小島により,岷江が東側(写真手前側)の内江と,西側(向こう側)の外江に分けられ,小島は分流の役割を有する訳だ.豊水時は内江に4割,外江に6割が分流し,渇水時の割合は逆となる構造だそうだ.堰の流れ方向断面が水位によってそのように変化するような形状になっているのであろう.中国/2000年文化遺産.

以上四川省の旅2004/都江堰のページから.

イグアス国立公園 (ブラジル)

イグアス国立公園 (ブラジル)(Iguacu National Park)1986年自然遺産

イグアス国立公園 (ブラジル)(Iguacu National Park)

イグアスの滝はブラジルとアルゼンチン国境にまたがり,パラグアイも間近だ.写真はブラジル側から眺めた風景.ナイアガラ滝,ヴィクトリア滝と並んで世界三大瀑布の一つだそうだ.滝はイグアス川の下流にかかり,最大落差80m,幅4km.なかなか迫力がある.アルゼンチンのイグアス国立公園は既に1984年に登録されていたが,それの拡大登録ではなく,別の物件として扱われているそうである.ブラジル/1986年自然遺産.

以上南米の旅2004/イグアスのページから.

イグアス国立公園 (アルゼンチン)

イグアス国立公園 (アルゼンチン)(Iguazu National Park)1984年自然遺産

グアス国立公園 (アルゼンチン)(Iguazu National Park)

ここは悪魔の喉笛と呼ばれる辺りの手前だったかな?イグアスとは原住民の言葉であるグアラーニ語で「大いなる水」のことであるそうな.広さはアルゼンチン側が約68,000ha,ブラジル側は約185,000haもあるそうだ.一般観光客に開放されているイグアスの滝の周辺 ,と言ってもこれ自体とても広いそうであるが,は公園全体の約0.3%を占めるに過ぎないという.たしかに歩いた範囲だけでもかなり広く感じた.こちら側もブラジル側に負けずに豪快だ.加えて,熱帯マングローブのように水中にたくさんの島や林が浮かぶ光景がなかなかすばらしい.アルゼンチン/1984年自然遺産.

以上南米の旅2004/場所のページから.

リマ歴史地区

ペルー/リマ歴史地区(Historic Center of Lima)1988,91年文化遺産

リマ歴史地区(Historic Center of Lima)

リマ歴史地区の一つ,マヨール広場(旧アルマス広場)には大統領府,ペルーでもっとも古いカテドラル,市庁舎及び市の主要公共施設などが集まっている.ペルー/1988,91年文化遺産

以上南米の旅2004/リマのページから.

クスコ市街

ペルー/クスコ市街(City of Cuzco)1983年文化遺産

クスコ市街(City of Cuzco)

部屋の窓からクスコの街を見渡すと,一面に茶色の瓦の街が広がっていた.壁は白が多いようであるが,黄や空色,グリーン....と多様だ.住宅は山の中腹まで広がっており,人口増加に起因するものであるようだ.クスコの中心に近い写真のハトゥンルミヨク通りにはインカ時代の石積みが残されている.通りの道幅は狭く,起伏があって,徒歩通行が主であったのかな~,とインカ帝国の一端を垣間見るような雰囲気だ.ペルー/1983年文化遺産.

以上南米の旅2004/クスコのページから.

マチュピチュの歴史保護区

ペルー/マチュピチュの歴史保護区(Historic Sanctuary of Machu Picchu)1983年複合遺産

マチュピチュの歴史保護区(Historic Sanctuary of Machu Picchu)

マチュピチュは標高2300mと,前日より相当低地で,クスコで高山病にかかった人も皆元気を回復した.歩き始めは小雨であったが,幸い雨が上がり,気持ちよく歩くことができた.熱帯山岳樹林帯の中央にあり,植物は多様性に富んでいるそうで,入り口近くの林の山道では蘭などが自生していた.マチュピチュ(Machu Picchu)とは,「老いた峰」の意味だそうで,有名なインカの遺跡だ.遺跡のある峰は急峻ではあるが,侵食で角が取れ,老いた峰を実感する.周りはウルバンバ (Urubamba)の深い谷で,山裾からは遺跡の存在が見えないという.ペルー/1983年複合遺産.

以上南米の旅2004/マチュピチュのページから.

ナスカとフマナ平原の地上絵

ペルー/ナスカとフマナ平原の地上絵(Lines and Geoglyphs of Nasca and Pampas de Jumana)1994年文化遺産

ナスカとフマナ平原の地上絵(Lines and Geoglyphs of Nasca and Pampas de Jumana)

ナスカでは地上絵を先ずセスナから眺めることになった.地上絵は,暗赤褐色の岩を特定の場所だけ幅1m~2m,深さ20~30cm程度取り除き,深層の酸化していない明るい色の岩石を露出させることによって描かれており,規模によっては,もっと広く深い「線」で構成されているそうである.何のために描いたか?については定説はまだないようである.ペルー/1994年文化遺産.

以上南米の旅2004/ナスカのページから.

北京と瀋陽の明・清王朝皇宮

中国/北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang)1987年文化遺産

北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang

写真の現北京故宮博物院は世界最大の皇宮で,明と清の24代にわたる皇帝の宮城であったそうだ.中国/1987年文化遺産.

以上北京の旅2004のページから.

万里の長城

中国/万里の長城(The Great Wall)1987年文化遺産

万里の長城(The Great Wall)1987年文化遺産

長城を歩いてみると,上部の幅は広い.しかし平らではなくアップダウンが結構ある.でもちゃんと舗装されているので歩き易いし,風雨に対する耐久性もあったであろう.長城の起源は春秋時代にまで遡り,戦国時代には長城の言葉が現れたそうである.当時の長城は特にモンゴルなどの北防に限定されたわけではなく,いわゆる中原の地に建国した国々,つまり斉,中山,楚,燕,趙,魏,秦が互いに長城を築いて外敵の侵入に備えたのだそうだ.なお燕などの北辺城壁については文献に記載があったものが,近年内モンゴル自治区で遺址らしきものが見つかったようである.中国/1987年文化遺産

以上北京の旅2004のページから.

聖地アヌラーダプラ

スリランカ/聖地アヌラーダプラ(Sacred City of Anuradhapura)1982年文化遺産

聖地アヌラーダプラ(Sacred City of Anuradhapura)

アヌラダプラ(アヌラダープラ)は紀元前5世紀に創設されたスリランカ最古の都だそうで,最近の考古学的調査ではさらに古く紀元前10世紀には既に都市があったようである.仏教遺跡が多く残り,現在も多くの信徒が訪れるスリランカ仏教の聖地.写真はイスルムニア精舎.スリランカ/1982年文化遺産.

以上スリランカの旅2004/アヌラダプラのページから.

古代都市シギリヤ

スリランカ/古代都市シギリヤ(Ancient City of Sigiriya)1982年文化遺産

古代都市シギリヤ(Ancient City of Sigiriya)

写真で上から1/3くらいの位置にシギリアレディ壁画が描かれた窪みがある.その下の赤い壁は回廊の壁で,鏡の回廊(Mirror Wall)と呼ばれ,壁の高さは3m,床は磨かれた大理石である.壁はレンガを積み上げ漆喰を塗りその上に仕上げ剤を塗り,ピカピカにしてあり,それが名前の由来になっている.スリランカ/1982年文化遺産.

以上スリランカの旅2004/シギリヤのページから.

古代都市ポロンナルワ

スリランカ/古代都市ポロンナルワ(Ancient City of Polonnaruwa)1982年文化遺産

古代都市ポロンナルワ(Ancient City of Polonnaruwa)

ポロンナルワはスリランカ中部の古都で1017年から1255年まで首都であったところ.写真は閣議場跡で,狛犬のようなものはライオンか?壁にもたくさんのライオンや象のレリーフが彫られている.多分当時はその上に屋根があったのであろう石柱が残っている.ここには色々な大臣の名が刻まれているようである.スリランカ/1982年文化遺産.

以上スリランカの旅2004/ポロンナルワのページから.

ダンブッラの黄金寺院

スリランカ/ダンブッラの黄金寺院(Golden Temple of Dambulla)1991年文化遺産

ダンブッラの黄金寺院(Golden Temple of Dambulla)

石窟には古くから仏教僧が居住していたそうである.それを,紀元一世紀ワラガムバーフ王が壮大な寺に仕立てたのが本寺院の始まりであるそうな.寺院は5つの石窟から成り立っており,百体以上もの仏像や無数の壁画で埋め尽くされている,という印象を受けた.スリランカ/1991年文化遺産.

以上スリランカの旅2004/ダンブッラのページから.

聖地キャンディ

スリランカ/聖地キャンディ(Sacred City of Kandy)1988年文化遺産

聖地キャンディ(Sacred City of Kandy)

仏歯寺で名高いキャンディの海抜は488m,周りは密林に覆われた山々に囲まれている.その囲う丘に登ると,キャンディの街を見下ろし,その中心に人造湖であるキャンディ湖がある様子がよく見渡せる.キャンディ湖は他の都市の人造湖と同様,灌漑や治水用に造られたものであろう.スリランカ/1988年文化遺産.

以上スリランカの旅2004/キャンディのページから.

古都メクネス

モロッコ/古都メクネス(Historic City of Meknes)1996年文化遺産

古都メクネス(Historic City of Meknes)

メクネスの旧市街には17世紀に建設されたムレイスマイルのモスクや王宮などいろいろあるそうだ.写真はマンスール門と呼ばれ,ムーレイイスマイルが手掛け,その息子によって1732年に完成したそうだ.馬蹄形のアーチは 青と緑のモザイク で彩られている筈であるが.....夜間のため色彩はクリアでないのが残念!キリスト教からイスラム教に改宗した建築家マンスールの設計が呼称の由来のようだ.モロッコ/1996年文化遺産.

以上モロッコの旅2003/メクネスのページから.

フェズ旧市街

モロッコ/フェズ旧市街(Medina of Fes)1981年文化遺産

フェズ旧市街(Medina of Fes)

旧市街メディナはフェズエルバリと呼ばれ,路地に,所々天井が開放された空間に出会う.顔をベールで覆ったモロッコスタイルの婦人や,伝統的モロッコファッション,ジュラバを着た男が通り,荷車,ラバやロバが行き交う.なんと言ってもこれが狭い道を通るときは大変,何しろロバは両脇に荷物を背負わされ,それが狭い通路を通るので,荷物やロバの身体と簡単にぶつかってしまうのである.モロッコ/1981年文化遺産.

以上モロッコの旅2003/フェズのページから.

アイトベンハットゥの集落

モロッコ/アイトベンハットゥの集落(Ksar of Ait-Ben-Haddou)1987年文化遺産

アイトベンハットゥの集落(Ksar of Ait-Ben-Haddou)

茶色のカスバで,手前に川が流れていた.カスバの日本語訳には「土の城」というのもあるそうで,正しくその通りだ.ところでここアイトベンハットゥは,ヒッチコックの3つの作品にも出現するそうで,その1つは「知りすぎた男」ということだ.以前見たときはアイトベンハットゥなんて知る由もなかったが,次に見るときは気づくであろう.モロッコ/1987年文化遺産.

以上モロッコの旅2003/アイトベンハットゥのページから.

マラケシュ旧市街

モロッコ/マラケシュ旧市街(Medina of Marrakesh)1985年文化遺産

マラケシュ旧市街(Medina of Marrakesh)

ここはマラケシュ旧市街のジャマエルフナ広場.広場手前の屋上カフェのテラスからながめると, 右側(東側)から左側(西側)までぐるりと,いろいろ楽しい光景を見渡すことができる.モロッコ/1985年文化遺産.

以上モロッコの旅2003/マラケシュのページから.

タキシラ

パキスタン/タキシラ(Taxila)1980年文化遺産

タキシラ(Taxila)

タキシラはガンダーラ文化の中心地のひとつだそうで,アレクサンダー大王の遠征以後,インドグリーク王朝などの下,ヘレニズム文化の中心地として栄えてきたようだ.パキスタン/1980年文化遺産

以上パキスタンの旅2003/ガンダーラのページから.

ペルセポリス

イラン/ペルセポリス(Persepolis)1979年文化遺産

ペルセポリス(Persepolis)

写真はクセルクセスの門.最初に牝牛像が,門をくぐった裏側に人面有翼獣神像が現れる.また丘に登ると全容が見渡せる.とても広い.たくさんの円柱の根元が残る百柱の間の跡などがよく見える.これは往時はちゃんと長い百本の柱が立ち,屋根はレバノン杉で葺かれていたというペルセポリス最大の広間.ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国の都,ダレイオス1世が紀元前520年着手し,建設した宮殿群であったそうだ.紀元前331年,アレキサンダー大王の攻撃によって破壊され,廃墟となったのだそうである.そうすると,200年の存続で,意外と短い期間であったわけだ.イラン/1979年文化遺産.

以上イランの旅2003/ペルセポリスのページから.

イスファハンのイマーム広場

イラン/イスファハンのイマーム広場(Meidan Emam,Esfahan)1979年文化遺産

イスファハンのイマーム広場(Meidan Emam,Esfahan)

サファヴィー朝の第5代君主アッバース1世の治世は繁栄を極め,各地での建設事業中最大の事業がイスファハンの新市街建設であったそうだ.アッバース1世は1597年にイスファハンに遷都するとともに,新旧市街を繋ぐ場所にこの「王の広場(イマーム広場)」を設けたようである.広場は180mx550mの南北に長い広大な広場.西にアリカプ宮殿があり,朝日に輝いていた.この宮殿からアッバース1世は軍隊の観閲式やポロ競技を観覧したのであろう.イラン/1979年文化遺産.

以上イランの旅2003/イスファハンのページから.

イランのアルメニア人修道院建造物群

イランのアルメニア人修道院建造物群(Armenian Monastic Ensembles in Iran)2008年文化遺産

イランのアルメニア人修道院建造物群(Armenian Monastic Ensembles in Iran)

イスファハンには13のアルメニア正教教会があるそうである.写真は観光客に開かれているバンク教会.この周囲にはアルメニア人街が広がっているようである.内部は金色を多用したフレスコがたくさん掲げられている(ただし撮影禁止).アッバース一世が,16世紀初頭に優れたアルメニア職人や商人をイスファハンに呼び寄せたのがこの地区の始まりだそうである.ところで,アルメニアはAD301年に世界ではじめてキリスト教を国教と定めた国だそうで,これがアルメニア正教という独自の流れとなっているようだ.イラン/2008年文化遺産.

以上イランの旅2003/イスファハンのページから.


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