世界遺産(5)

このページでは既存ページから転載し,ティパサ(アルジェリア),ベニハンマード城塞(同),ジェミラ(同),ティムガッド(同),ムザブの谷(同),アルジェのカスバ(同),ビブロス(レバノン)カディーシャ渓谷と神の杉の森(同),北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(中国),明・清王朝の皇帝墓群(同),紀伊山地の霊場と参詣道(日本),武陵源の景観と歴史地域(中国),乳香の土地(オマーン),オマーンの灌漑システムアフラジ(同),聖山スレイマン・トー(キルギス),長安-天山回廊の交易路網(同),中国南方カルスト(中国),紅河哈尼棚田群の文化的景観(同),トロードス地方の壁画聖堂群(キプロス),パフォス(同),キロキティア(同),エルサレムの旧市街とその城壁群(イスラエル),イエス・キリストの生誕地-ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路(パレスチナ自治政府),屋久島(日本),ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地(ボリビア),カナイマ国立公園(ベネズエラ),ワスカラン国立公園(ペルー),タリン歴史地区(エストニア),リガ旧市街(ラトビア),ヴィリニュス歴史地区(リトアニア),クラクフ歴史地区(ポーランド),ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群(同),アウシュヴィッツビルケナウ(同),ワルシャワ歴史地区(同),コソボの中世建造物群(コソボ共和国),オフリド地域の自然遺産及び文化遺産(マケドニア),ベラートとギロカストラの歴史地区群(アルバニア),ソコルルメフメトパシャ橋(ボスニアヘルツェゴビナ),新疆天山(中国),富士山(日本)の写真を載せました.

ティパサ(アルジェリア)

ティパサ(Tipaza)

ティパサ(Tipaza)

最初紀元前7世紀頃,古代フェニキア人によって作られ,その後2世紀にローマの植民都市となり,軍事的拠点として繁栄し.カルド通り,デクマヌス通り,神殿や教会堂,墓地,浴場,円形劇場,闘技場などが残されている.アルジェリア/1980年文化遺産.

以上アルジェリア紀行2018/ティパサ遺跡のページから.

ベニハンマードの城塞(アルジェリア)

ベニハンマードの城塞(Al Qal'a of Beni Hammad)

ベニハンマードの城塞(Al Qal'a of Beni Hammad)

ベニハマッド(ハマッド朝)は,11世紀北アフリカの強大なイスマーイール派ファティマ朝(909年~1171年)に唯一楯突き,ここにアラブ世界の隊商交易中心とする首都として打ち立てたスンニ派王朝だそうだ.本城塞は,アルジェの建市者の息子ハンマードイブンブルッギン (Hammad ibn Buluggin) が建造計画を立て1007年に建造したそうだ.そしてそのハンマードが正にハンマード朝の始祖であり,この城塞都市が首都となったというわけだ.以降ここはハンマード朝の繁栄を象徴する北アフリカで最も栄えた都市のひとつになったそうである.アルジェリア/1982年文化遺産.

以上アルジェリア紀行2018/ベニハマッド遺跡のページから.

ジェミラ(アルジェリア)

ジェミラ(Djemila)

ジェミラ(Djemila)

ジェミラ遺跡は2つのワディに挟まれた標高900mの山がちで岩の多い場所に上手く築かれたのが特徴だそうだ.ジェミラとはアラビア語で美しいところの意だそうだが,確かに美しい.そして,ローマ都市計画は一般にカルド通り(南北基幹道路)と,それに直交するデクマヌス通り(東西基幹道路)とを基本として実施されるが,ここジェミラはカルド通りだけでデクマヌス通りがない(もちろん普通の直行路は多くあり)珍しい街だそうだ.アルジェリア/1982年文化遺産.

以上アルジェリア紀行2018/ジェミラ遺跡のページから.

ティムガッド(アルジェリア)

ティムガッド(アルジェリア)

ティムガッド(Timgad)

ティムガッド (Thamugadi) は西暦100年頃にトラヤヌス帝(Trajanus)によって,標高およそ1,000mのこの地に建設された古代ローマの植民都市で,当時はタムガス (Thamugas) と呼ばれていそうだ.ティムガッドは典型的古代ローマ都市計画に基づき,南北,直交する東西大通りをベースに,碁盤目状区画が導入されている.7世紀のアラブ人の侵攻,8世紀の地震などで長い間砂に埋もれており,1880年仏考古学者が見つけるまでそのままで保存状態がよく,アフリカのポンペイとも言われるそうだ.

写真はデクマヌスの西端に,高さ12mで聳えるのがトラヤヌス帝(Trajanus:在位AD98年~117年)の凱旋門だ.ローマ五賢帝の一人でヒスパニアの出身.元老院と協調して内政を安定させ,人民にも寛大で,キリスト教徒に対しては過度な弾圧を禁じたそうだ.またアルメニア,アッシリア,メソポタミアなどを征服し,帝国の版図を拡大したそうだ.アルジェリア/1982年文化遺産.

以上アルジェリア紀行2018/ティムガッド遺跡のページから.

ムザブの谷(アルジェリア)

ムザブの谷(M'Zab Valley)

ムザブの谷(M'Zab Valley)

ムザブの谷と『谷』のような響きだが,白亜紀に形成されたという岩の標高300m~800mに位置しているという.尤も写真ナツメヤシの豊な木立の間を通るのは,今は枯れてワディ(Wadi)であるが,ムザブ川の名があり雨季には多量の水が流れ,時に洪水を引き起こし多くの犠牲者が出た年もあるそうだ.ムザブの谷には,それまで多く住んでいた先住民が少なくなると,9世紀頃からムザブ人(Mozabite)と呼ばれるイバード派(Ibadi)ベルベル人(Berbers)が移住し,住み着くようになったそうだ.

ムザブの谷5村(7村とも)から成り,最も大きな村がガルダイヤで,ムザブの中心だ.写真はベニイスゲンの例だが,岩山に貼り付くように村(城塞)が形成されている.麓にはワディも見えている.アルジェリア/1980年文化遺産.

以上アルジェリア紀行2018/ガルダイアのページから.

アルジェのカスバ(アルジェリア)

アルジェのカスバ(Casbah of Algiers)

アルジェのカスバ(Casbah of Algiers)

アルジェのカスバは,本来オスマン帝国支配下の16世紀,このアルジェの丘に建てられたオスマン帝国太守の城塞のことであるそうだ.この城塞と海岸線と起伏のある地形に囲まれた一帯,つまりタイル画の扇形部分で人口が増加し,(旧)市街が形成された.やがて市街全体もカスバと呼ばれるようになったという.個人的には『カスバの女』を聴いてきたが,歌詞の内容とは著しく異なり,歌詞の方が面白そう.アルジェリア/1982年文化遺産.

以上アルジェリア紀行2018/アルジェ(後)のページから.

ビブロス

ビブロス(Byblos)のL字型神殿上から移設されたオベリスク神殿

ビブロス(Byblos)のL字型神殿上から移設されたオベリスク神殿

ビブロスは古代フェニキア人が紀元前8800年頃から住み始め,紀元前3000年頃には神殿を祀り,その後フェニキア(現在のレバノン領域にほぼ相当)の一都市として相当発展したそうだ.レバノン/1984年文化遺産.

以上レバノン紀行2018/ビブロス遺跡のページから.

カディーシャ渓谷と神の杉の森

カディーシャ渓谷と神の杉の森(Ouadi Qadisha (the Holy Valley) and the Forest of the Cedars of God (Horsh Arz el-Rab))

カディーシャ渓谷と神の杉の森(Ouadi Qadisha (the Holy Valley) and the Forest of the Cedars of God (Horsh Arz el-Rab))

レバノン杉の森に入っていった.枝葉が茂る大木が群生し,見事だ.レバノン杉は同国国旗レバノンの国旗にも描かれるレバノンを代表する存在,象徴なのだ.レバノン杉(Lebanon cedar,Cedrus libani)と杉の呼称が付いているが,木の形や少し下向きに傾斜する枝の張り方は松に近い.分類ディレクトリを見ると,マツ目/マツ科/ヒマラヤスギ属/レバノンスギ種,ということになるのだそうだ.レバノン/1984年文化遺産.

以上レバノン紀行1998/ブシャーレ杉保護区のページから.

北京と瀋陽の明・清王朝皇宮

北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang)

北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(Imperial Palaces of the Ming and Qing Dynasties in Beijing and Shenyang)

北京と瀋陽の明・清王朝皇宮の一つ瀋陽故宮は1625年建国された後金の初代皇帝ヌルハチと,2代目皇帝(清の初代皇帝でもある)ホンタイジの皇居で,清朝成立で北京に移った後も引き続き離宮として用いられたそうである.中国/1987年文化遺産.

以上中国東北紀行2018/瀋陽のページから.

明・清王朝の皇帝墓群

明・清王朝の皇帝墓群(Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties)

明・清王朝の皇帝墓群(Imperial Tombs of the Ming and Qing Dynasties)

明・清王朝の皇帝墓群の一つ,北陵公園に行った.北陵とは瀋陽北部にある後金の二代目,清朝初代皇帝ホンタイジと孝文端皇后の陵墓で,昭陵とも呼ばれるそうだ.中国/2000年文化遺産.

以上中国東北紀行2018/瀋陽のページから.

紀伊山地の霊場と参詣道

紀伊山地の霊場と参詣道(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range)

紀伊山地の霊場と参詣道(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range)

広い範囲の世界遺産の中で,9世紀に伝わった真言密教は高野山を訪ねた.日本/2004年文化遺産.

以上半四国遍路2018/遍路23日目のページから.

武陵源の景観と歴史地域

武陵源の景観と歴史地域(Wulingyuan Scenic and Historic Interest Area)

武陵源の景観と歴史地域(Wulingyuan Scenic and Historic Interest Area)

ここは仙女散花と思しき景観が姿を現した.岩柱に較べて先端の緑の割合が御筆峰と較べてかなり多く,なかなか美しい景観だ.ただ雨がちで訪問時期は要検討.中国/1992年自然遺産.

以上湖南省紀行2017/武陵源天子山のページから.

乳香の土地(The Land of Frankincense)

乳香の土地(The Land of Frankincense)

乳香の土地(The Land of Frankincense)

紀元前シバの女王,ソロモン王の時代から珍重された乳香の交易で栄えたの土地のうち,オマーンのドファール特別行政区内にあるオアシス都市遺跡,港湾遺跡,交易路跡や乳香の群生地(この写真).オマーン/2000年文化遺産.

以上オマーン縦断2016/ジュベルサムハンのページから.

オマーンの灌漑システムアフラジ(Aflaj Irrigation System of Oman)

オマーンの灌漑システムアフラジ(Aflaj Irrigation System of Oman)

オマーンの灌漑システムアフラジ(Aflaj Irrigation System of Oman)

アフラージュは古典アラビア語『ファラジ』の複数形で,井戸の底を横穴でつなぐ灌漑システムを指すそうだ.オマーンは国土の8割が砂漠で,今も約 3,000ヵ所のファラジが機能しているそうだ.ウイグルやイランのカレーズと似ている(そちらから伝わったとも言われる).世界遺産に登録されているのは最も古い5カ所のファラジで,この写真は本来その対象範囲からは外れている.オマーン/2006年文化遺産.

以上オマーン縦断2016/ミスファットアルアブリーン村のページから.

聖山スレイマン・トー

聖山スレイマン・トー(Sulaiman-Too Sacred Mountain)

聖山スレイマン・トー(Sulaiman-Too Sacred Mountain)

スレイマン山は預言者スレイマン(ラテン語ではソロモンSalomon:1,011BC~931BC頃)が逗留したとされる伝説に因むそうだ.1,011BC~931BCと言えば,ムハンマドよりはもち論,キリストより遥かに古い旧約聖書の時代に遡る訳で,キルギスタンにイスラムが入るよりず~っと昔になるわけだ.また後で登る山の頂上には1,510年建立というモスクがあるのだが,コーラン(クルアン)にはスレイマンは預言者の一人として記されており,その人の墓がモスクに在あったという伝説があるという.ということでイスラムにとっても,その以前から伝統的な信仰にとっても大事な巡礼地となっているのだそうだ.キルギス/2007年自然遺産.

以上キルギス紀行2016/オシュのページから.

シルクロード:長安-天山回廊の交易路網

シルクロード:長安-天山回廊の交易路網(Silk Roads: the Routes Network of Chang’an-Tianshan Corridor)の一部バラサグン遺跡

シルクロード:長安-天山回廊の交易路網(Silk Roads: the Routes Network of Chang’an-Tianshan Corridor)の一部バラサグン遺跡

中国,カザフスタン,キルギスの関連遺跡など計33件が2014年に登録され,バラサグン遺跡はその中の一つということだ.キルギスなど/2014年文化遺産.

ソグド人より遅い時期,11世紀初めにカラハン王朝(Qarakhanid Dynasty)が建設した宮殿と,写真のミナレットなどがあったようだ.またそれより古い唐代には突厥の拠点として繁栄したようだ.

以上キルギス紀行2016/ビシュケクのページから.

中国南方カルスト

中国南方カルスト(South China Karst)の一部石淋

中国南方カルスト(South China Karst)の一部石淋

ここは立派な岩塔が林立する大石林景区.石林は石林イ族(Yi)自治県にあって,イ族の皆さんがガイド,貸衣装屋さん,カメラマンとしてここで働いている.中国/2007年自然遺産.

以上春の雲南紀行2016/石林のページから.

紅河哈尼棚田群の文化的景観

紅河哈尼棚田群の文化的景観(Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces)

紅河哈尼棚田群の文化的景観(Cultural Landscape of Honghe Hani Rice Terraces)

ここら一帯で半数余りを占めるハニ族(他にイ族,漢族,タイ族,ミャオ族,ヤオ族,チュアン族)は1,500m~2,000mの標高に多く暮らし,ここ元陽を中心に総面積54,000ha,最高標高差1,800m,最高斜度75度(殆ど落ちそうだ),3,000段の棚田を,8世紀(つまり中国は唐,日本は奈良時代,平安時代で,先進国唐に遣唐使が派遣された頃だ)から1,300年間を費やして作り上げてきたそうだ.中国/2013年文化遺産.

以上春の雲南紀行2016/元陽のページから.

トロードス地方の壁画聖堂群

トロードス地方の壁画聖堂群(Painted Churches in the Troodos Region)

トロードス地方の壁画聖堂群(Painted Churches in the Troodos Region)

キプロスのトロードス地方は島の中心部山岳地帯で,ギリシャ正教の複数聖堂と修道院が登録対象で,ビザンティン様式の美しいフレスコ画が評価されたという.10世紀キプロスは東ローマ(ビザンチン)帝国の勢力下にあり,十字軍による聖地(エルサレム)回復運動の本拠地となり,戦場になりがちな海岸から離れたトロードス地方には11~16世紀にギリシア正教の聖堂や修道院が多く建設されたということだ.

アラカ教会は登録対象の一つで,2世紀末,土地の若主人が聖マリアのイコンが存在するというこの場所に導かれ,そこに教会と傍に二階建ての修道院が建てられたそうだ.礼拝堂自体が小さいのでイコノスタシスもコンパクトだ.王門右にキリストのイコン,左に聖母子イコンと,正教の定石通り配置されている.壁や天井はイエスキリスト,マリアに加え,天使や聖人のフレスコ画がビッシリと描かれている.キプロス共和国/1985年文化遺産.

以上キプロス紀行2016/トロードスのページから.

パフォス

パフォス(Paphos)でビザンチン時代の遺構

パフォス(Paphos)でビザンチン時代の遺構

古代ギリシア,古代ローマ時代から東ローマ(ビザンチン)帝国時代にかけての都市遺跡が対象.愛と美を司るギリシア神話の女神アプロディーテー生誕伝説の地ペトラトゥロミウ(Petra tou Romiou)や,聖パウロの柱,パフォス城.ディオニュソスの家....等々含まれる.キプロス共和国/1980年文化遺産.

以上キプロス紀行2016/パフォスのページから.

キロキティア

キロキティア(Choirokoitia)の円筒住居遺構

キロキティア(Choirokoitia)の円筒住居遺構

キロキティアの集落は新石器時代7000年BC~6000年BCのもので,その長い年月を通し,一貫して300人~600人の人々が暮らしていたようだ.食料は周囲に自生の上記イナゴマメなどに加え,ピスタチオ,イチジク,オリーブ,プルーンや栽培した穀類など食し,また鹿,羊,山羊,ブタの骨が見つかっているということだ.羊,山羊,ブタについては家畜として飼っていたようだ.キプロス共和国/1998年文化遺産.

以上キプロス紀行2016/キロキティアのページから.

エルサレムの旧市街とその城壁群

エルサレムの旧市街とその城壁群(Old City of Jerusalem and its Walls)

エルサレムの旧市街とその城壁群(Old City of Jerusalem and its Walls)

元は紀元前1,000年頃に建国された古代イスラエル王国の都.現在旧市街はイスラム教徒(黄金のドームあり),ユダヤ教徒(嘆きの壁あり),キリスト教徒(聖墳墓教会あり),アルメニア人の地区の4つに分割されてい.ヨルダン政府の申請で登録された.イスラエル/1981年文化遺産.

以上イスラエル紀行2015/シオンの丘のページから.

イエス・キリストの生誕地-ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

イエス・キリストの生誕地-ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路(Birthplace of Jesus: Church of the Nativity and the Pilgrimage Route, Bethlehem)

イエスキリストの生誕地-ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路(Birthplace of Jesus: Church of the Nativity and the Pilgrimage Route, Bethlehem)

イエスキリスト生誕地ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路はパレスチナ領内にある.モズレム主体のパレスチナの申請と云うところがおもしろい.聖誕教会に加え,ラテンギリシア正教会,フランシスコ会教会,アルメニア教会の女子修道院や教会群なども対象だそうだ.パレスチナ自治政府/2012年文化遺産.

以上イスラエル紀行2015/ベツレヘム編のページから.

屋久島

屋久島(Yakushima)

屋久島(Yakushima)

樹齢1000年を超える屋久杉が美しい自然景観を生み出していること, 亜熱帯植物から亜寒帯植物が海岸線から山頂へと連続的に分布する植生の垂直分布が見られることが評価されたという.日本/1993年自然遺産.

以上屋久島ハイク2015のページから.

ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地

ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地(Tiwanaku : Spiritual and Political Centre of the Tiwanaku Culture)

ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地(Tiwanaku : Spiritual and Political Centre of the Tiwanaku Culture)

ボリビア多民族国にあるプレインカの古代文明の一つで,紀元前1~2世紀ころ始まり,紀元後400年ころから広いエリアに展開され,最盛期の紀元後800年~1100年頃には,このチチカカ湖辺りから現ペルー南端,チリの北側一帯まで広がったようである.後のインカ文明同様文字を持たない文化であったので解らないよころが多いようだ.ボリビア多民族国/2000年文化遺産.

以上ボリビア紀行2015/ティワナク遺跡のページから.

カナイマ国立公園

カナイマ国立公園(Canaima National Park)

カナイマ国立公園(Canaima National Park)ロライマ山での眺め

ベネズエラ東部ギアナ高地の国立公園.テプイとよばれる標高差1000mに及ぶテーブルマウンテンが散在し,世界最大落差のエンジェルフォールもある.数億年以上の歴史があるというテプイには原始的特徴の固有動植物が独自の生態系を維持している.地表の栄養分が甚だ貧弱だと聞いたのが強く印象に残る.ベネズエラ/1994年自然遺産.

以上ギアナ高地トレック紀行2015/マーベリック岩ハイクのページから.

ワスカラン国立公園

ワスカラン国立公園(Huascaran National Park)

ワスカラン国立公園(Huascaran National Park)

ヤンガヌコ展望地6:15AMはとても寒くダウンジャケットを着込む.そして国立公園の主ワスカラン(Huascaran:6,768m)が焼けてきた.見事だ.ペルー/1985年自然遺産.

以上ブランカ山群トレック紀行2014/ヤンガヌコ峠のページから.

タリン歴史地区

タリン歴史地区(Historic Centre (Old Town) of Tallinn)

タリン歴史地区(Historic Centre (Old Town) of Tallinn)

エストニアの首都タリンはバルト海に面した北の外れに位置している.タリン大聖堂(聖母マリア大聖堂)から北に進むと,展望点があり,平地に展開されるタリン旧市街がよく見渡せる.先ず赤い屋根に尖塔が目立つ.そして先にはバルト海が見えている.エストニア/1997年文化遺産.

以上バルト海諸国紀行2014/タリンのページから.

リガ旧市街

リガ旧市街(Historic Centre of Riga)

リガ旧市街(Historic Centre of Riga)

ラトビアの首都リガはバルト海リガ湾奥に位置している.人口70万人で,バルト三国では圧倒的大都市になるそうだ.写真はリガ市庁舎の南側,広場中央にはリガの守護神聖ローランド像が立ち,そしてその先に目立つ茶色の2棟はブラックヘッドの会館だそうだ.左は高いため目立つ聖ペテロ教会の尖塔である.ラトビア/1997年文化遺産.

以上バルト海諸国紀行2014/リガ(続)のページから.

ヴィリニュス歴史地区

ヴィリニュス歴史地区(Vilnius Historic Centre)

ヴィリニュス歴史地区(Vilnius Historic Centre)

リトアニアの首都ヴィリニュスは人口はおよそ54万人で,リトアニア人58%,ポーランド人19%,ロシア人14%,他ベラルーシ,ウクライナ,ユダヤ人などだそうだ.写真はヴィリニュス大学近くは,石畳の狭い通りだが,なかなか味わい深い.レンガの建物はとても古く,途中で改築されたのだが,壁の白い部分はオリジナルの窓のあった跡を示している.リトアニア/1994年文化遺産.

以上バルト海諸国紀行2014/ヴィリニュスのページから.

クラクフ歴史地区

クラクフ歴史地区(Historic Centre of Krakow)

クラクフ歴史地区

クラクフの現人口は約76万人,17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではポーランド王国の首都であったそうだ.写真は13世紀末建設の市庁舎(塔が残る)や中央市場広場周辺の街の様子.石造り建設の多い落ち着いた街並みだ.ポーランド/1978年文化遺産.

以上バルト海諸国紀行2014/クラクフのページから.

ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群

ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群(Wieliczka Salt Mine)

ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群(Wieliczka Salt Mine)

写真はヴィエリチカ岩塩坑坑夫の作になる彫刻群で,本岩塩坑の発見者にして,また守護神であるキンガ姫の物語りを彫刻で表現したものだそうだ.姫(Kinga:1224年~1292年)は,当初ポーランド王ボレスワフ5世との政略結婚に気が進まなかった.しかしお国の安定のため,考え直し嫁ぐことを決意し,ヴィエリチカの地にまで来たとき,岩塩を発見したそうだ.当時塩は大変貴重で,これ以降ポーランドの財政は潤い,国民の生活向上に資することができたそうだ.最盛期には,ポーランド王国の財源の1/3を生み出していたということだ.

さらにキンガ姫は貧者や病人を助け,王が死去した後は修道院に入り,没した後は,1690年に列福され福者となり,さらに1999年に教皇ヨハネパウロ2世によって列聖され,カトリックの聖人となった.現在はポーランドとリトアニアの守護聖人,聖キンガ(St. Kinga)となっているのだそうだ.ポーランド/1978年文化遺産.

以上バルト海諸国紀行2014/ヴィエリチカのページから.

アウシュヴィッツビルケナウ

アウシュヴィッツ・ビルケナウ(Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945))

アウシュヴィッツ・ビルケナウ
(Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp)

アウシュヴィッツ強制収容所(第一収容所)は1940~1945年にかけて,オシフィエンチム市郊外にアドルフヒトラー率いるナチス党政権ドイツによって建設された.後にここだけでは足りなくなり,この後訪れる第二収容所(ビルケナウ収容所)も作られた.ポーランド/1979年文化遺産(負の遺産).

以上バルト海諸国紀行2014/オシフィエンチムのページから.

ワルシャワ歴史地区

ワルシャワ歴史地区(Historic Centre of Warsaw)

ワルシャワ歴史地区(Historic Centre of Warsaw)

ワルシャワのラクフ郊外通りを北の終わりまで行くと歴史地区が始まり,市場広場(Rynek Starego Miasta)がある.写真右側が旧王宮で,王宮は少し高台に位置し,下にヴィスワ川(Wisla river)が流れている.

王宮は,1611年ポーランド王国がクラクフからここワルシャワに遷都するに際し,既存の建物を増設整備して完成したという.ただし,現状の建物は,他の旧市街(歴史地区)の殆どと同じように,二次大戦ドイツ軍空爆で破壊された後に,再建されたものだそうだ.

広場中央の塔の上に見えるはジグムント3世(Zygmunt Ⅲ:在位1587~1632年)で,クラクフからここワルシャワへの遷都を実行した王だそうだ.ポーランド/1980年文化遺産.

以上バルト海諸国紀行2014/ワルシャワ(続)のページから.

コソボの中世建造物群

コソボの中世建造物群(Medieval Monuments in Kosovo)のセルビア正教会デチャニ修道院

コソボの中世建造物群のひとつ,セルビア正教会デチャニ修道院

堅固でシンプルなデザインのセルビア正教会大聖堂.この門の左脇には迷彩模様に包まれたブースが置かれ,NATO軍の一員としてイタリア軍兵士が警護に当たっている.近年は20~30人程度の修道士がここで居住しているそうだが,一歩院外に出れば敵ばかり,中に居ても現にアルバニア人(イスラム)のロケット砲着弾などあるし,防人の役目も負っているようだ.コソボ共和国/2004年文化遺産.

以上南バルカン紀行2013/デチャニのページから.

オフリド地域の自然遺産及び文化遺産

オフリド地域の自然遺産及び文化遺産(Natural and Cultural Heritage of the Ohrid region)

オフリド地域の自然遺産及び文化遺産(Natural and Cultural Heritage of the Ohrid region)

オフリド湖(自然遺産)の手前が聖パンテレイモン教会(文化遺産の一部/Church of St. Panteleimon).さらに手前が現在調査継続中という広い古代遺跡.マケドニア/1979年自然遺産,1980年文化遺産登録.

以上南バルカン紀行2013/オフリドのページから.

ベラートとギロカストラの歴史地区群

ベラートとギロカストラの歴史地区群(Historic Centres of Berat and Gjirokastra)の一部を成すベラトのマンガレム地区の『千の窓の街』

ベラートのマンガレム地区の『千の窓の街』

ベラートとギロカストラの歴史地区群(Historic Centres of Berat and Gjirokastra)の一部を成すイスラムの街,ベラートマンガレム地区の斜面(上にはベラート城)には統一された形式の住宅がびっしり並んで建てられている.全部数えると1000もの窓があるそうだ.アルバニア/2005年文化遺産登録.

以上南バルカン紀行2013/ベラートのページから.

ソコルルメフメトパシャ橋

ソコルルメフメトパシャ橋(Mehmed Pasa Sokolovic Bridge in Visegrad)

ソコルルメフメトパシャ橋(Mehmed Pasa Sokolovic Bridge in Visegrad)

ドリナ川(Drina River)に架かる全長179.5m,幅6.3m,水面から高さ15.4mで,11のアーチを持つ石造り構造の橋.モスタルのカラジョズベゴヴァモスクなど,数多くの設計で知られる,あの高名なミマールスィナン(Koca Mimar Sinan)の設計で,1577年に竣工したそうだ.ボスニアヘルツェゴビナ/2007年文化遺産登録.

以上南バルカン紀行2013/ヴィシェグラードのページから.

新疆天山

セリム湖から望む新疆天山(Xinjiang Tianshan)

セリム湖から望む新疆天山(Xinjiang Tianshan)

複数国にまたがる広大な天山山脈の中で,新疆ウイグル(中国)に属するバインブルクなど4保護区から構成されるエリアが新疆天山(Xinjiang Tianshan)として登録された.中国(新疆ウイグル)/2013年自然遺産.

以上天山北路を行く2013/セリム湖(賽里木湖/Lake Sayram)のページから.

富士山

高尾山もみじ台から眺めた富士山(Mount Fuji)

高尾山もみじ台から眺めた富士山(Mount Fuji)

以前自然遺産登録を目指したが失敗し,今度は文化遺産登録に方針を変え,認められた.古来,日本の象徴として日本人の山岳信仰や北斎らの浮世絵のモチーフなどになった文化的意義が評価されたそうだ.日本/2013年文化遺産.

以上高尾山2013年/2013年6月22日(土)のページから.


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