このページでは既存ページから転載し,カザンラクの牛(ブルガリア),ジョルジュの牛(ルーマニア),プンタアレーナスの牛(チリ),ツォカのゾッキョ(インド/シッキム),コクチュンのゾッキョ(同),ラムエのヤク(同),ピッタンのヤク(同),チャンディーガル郊外の牛(インド),マナリの牛(同),カルギャックのヤク(インド/ザンスカール),フォトクサールの若いヤク(同),レーの牛(インド/ラダック),ハットゥシャ遺跡の牛(トルコ),バガンの二頭立て牛車(ミャンマー),バガンの油絞り牛(同),バガン近郷の牛車(同),ネパールガンジの牛(ネパール),ドータラップを行くヤクのキャラバン(同),トキュウのヤク(同),ローの馬とヤク(同),サマの子ヤク(同),サマゴーンのヤク(同),サマ丘のヤク(同),クディの牛(同),グテンスのヤク(パキスタン),ポカラの牛(ネパール),ガンドルンの牛(同),シヌワの牛(同),ナンゲタンティの牛(同),タワの牛(同),ギャブラのヤク(同),フェレのヤク(同),ロナークのヤク(同),ラムタンを行くヤク(同),ジャヌーBCのヤク(同),ラポークのヤク(同),ホブド川畔のヤク(モンゴル),リシケシの聖牛(インド)の写真を載せました.
カザンラク(Kazanlak)の牛
ブルガリアのカザンラクはバラの谷として知られているが,まだ花どころか,葉っぱも出ておらず,あの華やかなバラの面影は全くない.ただ新芽は出てきて,こうして牛や羊などの家畜が草を食む季節になってきたようだ.
以上東欧紀行2013/カザンラクのページから.
ジョルジュ(Giurgiu)の牛
ルーマニアからブルガリアに抜けるため国境の街ジョルジュに向かった.この辺りはドナウ川によって形成されたドナウ平野の一部になるそうだ.年配の男性が牛の世話をしている.なかなか長閑な光景だが,ここも散乱するゴミがいささか気に掛かる.
以上東欧紀行2013/ルセのページから.
プンタアレーナス(Punta Arenas)の牛
パイネのハイキングの後,パタゴニアを南下した.広大な牧場が続くのだが,意外と家畜の数は多くないように感じる.ここはプンタアレーナス(Punta Arenas)の手前で,そこに着いたらビーフのアサードを頂戴した.
以上パタゴニア紀行2013/プンタアレーナスのページから.
シッキム/ツォカ(Tsokha/3,005m)のゾッキョ
私たちがツォカからどんどん下る途中,他のパーティの荷を運んだゾッキョが登っていいく.私たちは跳ね飛ばされ,谷に落ちないように山側で待機する.
以上シッキムトレック2012/下りヨクサムへのページから.
シッキム/コクチュン(Kokchung/3,650m)のゾッキョ
ラムエから私たちの荷を運んだゾッキョ(ヤクと牛のハイブリッド)は,お腹が空いたので荷を下ろす前に先ずはお食事だ.ごくろうさまでした.
以上シッキムトレック2012/下りコクチュンへのページから.
シッキム/ラムエ(Lamuney/4,100m)のヤク
前日ゴーチャラパス往復をした後一泊し,コクチュンへ下る朝のラムエは雪で白くなっていた.晴れてカンチェンジュンガも綺麗に見える.私たちの荷役のヤクが荷を積む前,リラックスしたひと時だ.
以上シッキムトレック2012/下りコクチュンへのページから.
シッキム/ピッタン(Phithang/3,650m)のヤク
私たちが上に向かっているピッタン辺りで,大きなヤクは荷を積んで下って行った.シッキムトレックの荷役は馬もいるが,ヤクやゾッキョの方が多いようだ.
以上シッキムトレック2012/ゾングリへのページから.
チャンディーガル(Chandigarh)郊外の牛
街を歩く牛が一般的で,牧草地の牛は寧ろ珍しいような.....インドの牛.ミルク採取が一番の事業かな?
以上ザンスカールを歩く2012/チャンディーガルへのページから.
マナリ(Manali)の牛
よく知られるヒンドゥー教のヒディンバデヴィ寺院(Hidinba Devi Temple)のあるマナリ(Manali)の街を歩く牛.ヒンドゥー寺院のお膝元だけあって一層悠々としているようにも見える.
以上ザンスカールを歩く2012/マナリ(続)のページから.
ザンスカール/カルギャック(Kargyak)のヤク
カルギャック川川原でヤクが草を食んでいた.最寄りのカルギャック村住民のヤクであろうか.黒い巨体は迫力だが,食べているときは穏やかだ.
以上ザンスカールを歩く2012/ラカンへのページから.
ザンスカール/フォトクサール(Photoksar)の若いヤクの群れ
ザンスカールのフォトクサール(標高4,120m)の農家は交代で朝のうちにまとめてヤクや羊,ヤギなどなどの家畜を草のある放牧地に連れて行って,夕方まで草を食ませ,夕方また連れて戻る.これはその朝の光景.
以上ザンスカールを歩く2012/マルリンへのページから.
レー(Leh)の牛
インドヒマラヤの都市レー(Leh)はラダック地方最大の街で,人口は3~4万人くらいだそうだ.チベット仏教の都市だったか近年はイスラムが大幅に増えているそうだ.だがそこはやはりインド,ヒンドゥーの国なので牛が街の中をほっつき歩いている.
以上ザンスカールを歩く2012/レーへのページから.
ハットゥシャ遺跡(Hattusas)の牛
古代エジプト,バビロニアと共に古代オリエントの3大国の一つ,ハットゥシャ(またはハットゥシャシュ)帝国の都のあったハットゥシャ遺跡は高原にあって,牛の放牧にもいいようだ.
以上トルコ紀行2012/ボアズカレのページから.
バガンの二頭立て牛車(Ox carriage at Bagan, Myanmar)
バガン地方ではトラックに混じって牛車も活躍している.二頭立てなのでパワーがありそうだ.なおここは有料道理だが牛車や自転車は無料だそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
バガンの油絞り牛(Oil Squeezing at Bagan)
バガンの街道脇農家で白い牛がゴマを絞っていた.同じようにピーナッツ油も絞るそうだ.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
バガン近郷の牛車(Ox carriage at Suburb of Bagan)
バガン近郷の村でも白い二頭立て牛車が村のパゴダ前を通っていった.
以上ミャンマー紀行2011/バガン(続)のページから.
ネパールガンジの牛(a cow at Nepalganj)
ヒンドゥー教を国教とするネパールでは聖なる牛.道や街をほっつき歩いているが野良牛ではなくちゃんと飼い主がいる.
以上ロアードルパトレッキング2011/ジュファールへのページから.
ドータラップを行くヤクのキャラバン(Yak caravan passing through Dho Tarap)
ドータラップの村をヤクのキャラバンが北へと進んでいった.尤もドータラップ村にも多くのヤクが放牧されている.ドルパのチベット族にとってヤクは最も大切なパートナーであろう.
以上ロアードルパトレッキング2011/ドータラップへのページから.
トキュウのヤク(Yaks at Tokyu)
トキュウの酪農家が牧草地にヤクを連れて行く様子であろうか....?いや少し荷を背負っているヤクもいるし,馬もいるし....取引に向かうのか?
以上ロアードルパトレッキング2011/ノマラBC上へのページから.
ロー(Lho:3,150m)の馬とヤク
朝ジャガットを出て,ブリガンダキを渡り左岸のフィリムでで昼食.その後北上を継続し,マナスルを正面に望むロー(Lho)に来た.既に緑のなくなった牧草地には残り枯れ草を食む馬とヤクが結構たくさんが口をモグモグさせていた.
以上マナスル一周トレック2010/D7:ローへのページから.
シャラ(Shyala:3,620m)のヤク
マナスル一周トレック8日目,シャラの足場の悪い辺り,ヤクは大層な荷を背負い渡って行った.
以上マナスル一周トレック2010/D8:サマゴーンへのページから.
サマ(Sama:3,500m)の子ヤク
8日目,サマの手前で子ヤクを連れたおじさんに出会った.子ヤクは可愛いし,おじさんもご機嫌だった.
以上マナスル一周トレック2010/D8:サマゴーンへのページから.
サマゴーン(Samagaun:3,500m)のヤク
マナスルの麓サマゴーンの村を彷徨うヤク.普通黙っていても朝餌場に出かけて,夕方家に戻るようだが,もちろん例外もあって石や棒切れで追われている場面にもよく遭遇する.
以上マナスル一周トレック2010/D8:サマゴーンへのページから.
サマ丘(Sama Hill:3,500m)のヤク
サマゴーンの北外れ高台に登り始めた辺りは格好のヤク放牧場になっている.冬が来る前までは相当数がここで過ごすのであろう.
以上マナスル一周トレック2010/D8:サマゴーンへのページから.
クディ(Kudi:800m)で脱穀作業の牛
マナスル一周トレック19日目,これで終わりの日だ.クディ(Kudi:800m)辺りに下り,お茶を飲む.茶屋の裏の畑の稲の脱穀風景もついでに眺めさせてもらった.センターポールに繋がれた4頭の牛が下に敷かれた稲わらを踏みつけて脱穀する方式だ.かなり原始的な方法ではあろうが,人力で藁束を力任せに地面に叩きつける方式より楽そうだ.
以上マナスル一周トレック2010/D18:ベシサハールへのページから.
グテンス(Gutens:3,980m)のヤク
ラシュファリトレック2日目の晩テントで過ごしたグテンスはヤクや羊の夏の放牧場になっていた.翌朝目覚めると茶色いヤクがテント脇を通って草場へと進んで行った.ちゃんと一人で通うようだ.見えている白い峰,ウルタル山系がきれいだ.
以上ラシュファリトレック2010/トレック2日目グテンスへのページから.
ポカラ(Pokhara)の町を歩く牛
以前より少なくなったと思うがまだ時々町をぶらつく牛を見かける.ネパールもインド同様牛はシバ神の乗り物,大切にされている.
以上アンナプルナBCトレック2010/ポカラ行きのページから.
ガンドルン(Ghandruk:1,990m)で働く牛
一方こちらの牛は畑を耕すために鋤を引く重労働だ.
以上アンナプルナBCトレック2010/2日目:ガンドルンへのページから.
シヌワ(Sinuwa:2,360m)の牛
チョムロンコーラの先には段々畑が広がり,農家やロッジが点在している.馬や牛などの家畜もあちこちに見える.この辺りは定住村の最奥で,シヌワまたはシヌワエリアとなるようだ.この先はACAP(Annapurna Conservasion Area Project)保護対象エリアとなり,馬や牛,ヤクなど大きな家畜は規制されているそうである.
以上アンナプルナBCトレック2010/4日目:ドバンへのページから.
ナンゲタンティ(Nangethanti:2,460m)の牛
ゴラパニから4,500mほど下るとナンゲタンティ辺りに至る.ナンゲ(Nange)は「裸の」の意,タンティ(thanti)は定住地,集落の意味だそうだが,その直ぐ下は写真のように緑豊かだ.
以上アンナプルナBCトレック2010/12日目:ヒレへのページから.
タワ(Tawa)の牛
チルワからミトルンへと下る途中,こタワを含め小さな集落を通過した.粟であろうか,村人は収穫に忙しい.傍らでは牛が食事に忙しい.
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/ミトルンへ下るのページから.
ギャブラ(Gyabla)のヤク
アムジラッサへ下る途中,ギャブラ(Gyabla:2,730m)辺りで出合ったヤク.オーナーご自慢のヤクであろう,良く飾り立てられている.標高が下がったのでそろそろヤクから牛に替わる地帯かな?
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/アムジラッサへ下るのページから.
フェレ(Phale)を行くヤク
フェレへ下る途中出合ったヤク.狭いトレイルでは少し怖い.
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/フェレへ下るのページから.
ロナーク(Lhonak)のヤク
ロナークにに到着し,日暮れ近くになるとヤクが続々と仕事場,いや餌場から帰ってきた.自分たちだけで自主的に帰宅しているように見える.朝になるとまた餌場に出かけて行く.よくしたものだ.
背後はネパールピーク(Nepal peak:6,910m)と名付け方が若干安易なようにも感じられるが,美しい山だ.
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/ロナークへのページから.
ラムタン(Ramtang)を行くヤク
ロナークに進むためラムタン辺りを歩いて行くとヤクも登っていった.11月のこの季節,下に向かうとばかり思っていたが,上に行くのもあるんだ.どうしてかな~?
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/ロナークへのページから.
ジャヌーBC(Jannu base camp)のヤク
高度順応のためカンバチェン(4,100m)のテントでは2泊した.到着の翌日,皆でジャヌーベースキャンプ(4,400m)を往復した.よく晴れてジャヌー北面の巨大な北壁が現れていた.幾らかの枯れ草を残すくらいだが,ヤクが地面に顔を這わせていた.
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/カンバチェンへのページから.
ラポーク(Lapook)辺り,グンサコーラ川原を下るヤク
グンサからカンバチェンへはグンサコーラ川に沿って向かった.冬に向かう折,高所のヤクが所有者に引き連れられた下っていった.どどどっと迫力の行進だ.
先方に見える三角形の頂を持つ岩山は槍ヶ岳に似ている,いやそっくりと云う事でとりあえず「ネパール槍」となった.後でサーダーのPさんに訊くとガンガピーク(Ganga Peak)というそうだ.
以上カンチェンジュンガBCトレック2009/カンバチェンへのページから.
ホブド川畔(Khovd Gol)のヤク
ツェンゲル(Tsengel)辺りを過ぎるとホブド川に沿う道を走るようになる.たまにこのようなヤクや,ラクダ,羊,ヤギなどを見かけるようになる.
以上モンゴルの旅2009/ホブド川畔へ行くのページから.
ガンガーを望む聖地リシケシ(Rishikesh)のプジャの行われる河畔の広場
1968年頃,彼のビートルズ一行がヨガ修行のために滞在したことで世界的に知られるに至ったリシケシ.ここには多くにヒンドゥー教徒が詰めかけていた.河畔では夕方からプジャが執り行なわれるため,続々と人が集まってくる.聖なる牛は変りなくその辺をほっつき歩いている.
以上シブリンBCトレック2009/リシケシへのページから.