巡礼10日目:ベロラドへday 10:Belorado

この巡礼10日目:ベロラド編では,2019年5月21日サントドミンゴのアルベルゲで朝を迎え,グラニョン,レデシジャ,カスティルデルガド,ビロリアデリオハ,ビジャマヨールを順次越え,ベロラドへと至る.そしてベロラドの街を見物し,食事し,さらにベロラドの丘に上り,下ってからミサに参加したときの写真を載せました.

ベロラド付近のGoogleマップmap around Belorado

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離22.85km,歩行時間5h23min.

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サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの朝morning at Santo Domingo de la Calzada

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの朝

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの朝

サントドミンゴのアルベルゲで5月21日朝を迎えた.支度を整え,下のダイニングルームに降り,前日買ってあったヨーグルトやバナナの朝食を食べる.

そして玄関を出て,道標を探しながら西に向かった.建物の高い位置には陽が射すが,下部にはまだ当たらないようだ.


オハ川畔になる

オハ川畔になる

サントドミンゴの街をどんどん行くとオハ川(Rio Oja)の畔になった.畔には茶色く小さな礼拝堂が建てられていた.オハ川の水位は少なくともこの時期とても低く,南から北に向かう水量も多くない.ただ涸れた部分を含めると川幅は相当あるので,雨季(もしあれば)には多く流れるのであろうか.そしてこの橋は元々聖ドミンゴ(Santo Domingo)によって建設されたそうである.

Rio Ojaをくっつけて言うと,Riojaと,あの有名なワインのブランド名になるが....ほんとかどうかは不確か.


グラニョン辺りGranon

メセナを西に進む

メセナを西に進む

橋を越えた辺りでポーランドのペアに出会い,クラクフの有名な教会の話などしながら歩く.この辺りはメセナらしい緩やかな丘陵の畑,その向こうの山脈,雪山が朝の斜光線に照らされとてもきれいだ.上述のオハ川水源はあの雪山辺りになるのでしょうか.

そして巡礼路脇には大きな十字架が立てられ,ポーランドペアと写真を撮りあった.


グラニョンの村が見えてきた

グラニョンの村が見えてきた

暫くしてグラニョン(Granon)の村が見えてきた.巡礼路の勾配を見ると村全体が小さな高台に位置しているようだ.

そしてここら辺であったであろうか,3日前八角形聖墳墓教会で出会ったカナリア男性と再会.世間話を交わし,早足の彼に追い越された.南米的というか明るくフランクな人だ.


グラニョンの村に入る

グラニョンの村に入る

グラニョンの村に入ってきた.ちょうど朝の長い影を受けず,陽の当たるロケーションでバーが開店していた.この日は朝食べてきたので寄らないが,いい場所だ.

石畳の巡礼路は比較的小さな石を敷き詰めたものだが,上下水道(や,あればガス管や電力線)の工事で掘り起こし,また埋め戻すのはちょっと大変かな~などと思う.


ググラニョンの教会

グラニョンの教会

グラニョン村の中程に白い教会があった.ところどころに変色や傷みが見える.長い歴史があるのだろうサンファンバウティスタ教会(Iglesia de San Juan Bautista)と呼ばれるそうだ.

グラニョン村の人口は255人程度だそうで,仏教で言えばこれが檀家に相当しようから,維持していくのは容易ではなかろうかと心配だ.


サンファンバウティスタ教会内部

サンファンバウティスタ教会内部

サンファンバウティスタ教会の内部を見せてもらった.写真は中央身廊で見た主祭壇であるが,キリスト像や聖母像に加え,大勢の人のレリーフパネルが飾られている.

エントランスはロマネスク調であったが,この礼拝堂本体も窓がなく,天井も低目なのでその時代のままなのかも知れない.


グラニョン村を抜けまた麦畑

グラニョン村を抜けまた麦畑

グラニョン村を抜けるとまた麦畑だった.やはりこの季節に巡礼道を辿るのが,気候的にもいいが,眺めもまた一番きれいであろう.

そしてこの辺りで,二日前ナバレッテ手前辺りで出会い,話しながら歩いた南ア男性Tvさんと再会し,また話しながら歩いた.

Tvさんは実は英国育ちで,32歳のとき発電所の仕事で南アに渡り,そのまま住みつき,国籍を取得,ただし英国籍も保持し,二重国籍とのことだ.今は退職したが,東芝製80MW級タービン発電システム2基(スペックは異なるという)を導入し,システム維持の仕事をしていたという.システム導入時研修のため東芝京浜プラントに一週間ほど行ったことがあるそうだ.

氏は上述のように英国籍を有しているというので,私がフレンチカミーノの後に歩こうかと思っている英国人カミーノを歩いたことがあるか訊いてみた.すると,まだ歩いたことはないが,このフレンチカミーノを歩いたのち,ロンドンに住む娘に生まれた初孫に会いに行き,その後にまたスペインに戻り,イングリッシュカミーノを歩こうかな~と思っている,とも.こうしてとりとめもなく話しているうちに奥さんが追いついてきて,そのうちまた~とお別れした.


レデシジャ・デル・カミーノ辺りRedecilla del Camino

先方にレデシジャの村現る

先方にレデシジャ・デル・カミーノの村現る

非舗装だが快適な道を僅かにアップダウンを繰り返しながら歩く.そして先方にまた村が見えてきた.マップを見るとレデシジャ,正しくは レデシジャ・デル・カミーノ(Redecilla del Camino)であろう.


レデシジャ・デル・カミーノの入り口

レデシジャ・デル・カミーノの入り口

村の入り口になり,村の案内板があった.Redecilla del Caminoの名と共に村の詳細マップや小さな写真が載せられている.

左隣石柱にシェルマークの下にカステージャレオンの文字が見えるが,これは県とか州の名前でしょうか....


レデシジャ・デル・カミーノの教会

レデシジャ・デル・カミーノの教会

入り口少し先にレデシジャの教会が見えた.外観からは城塞にような印象を受ける.サンタマリアデラカジェ教会(Iglesia de Santa Maria de la Calle)とのことだ.

この村も過疎で,人口は僅か115人くらいということですから厳しいですね.ただ周囲にはこれだけ広い耕作地があるので,一戸辺りの収入は多いのかと思われますね.


巡礼路は車道と並行するようになる

巡礼路は車道と並行するようになる

レデシジャ・デル・カミーノ村を抜けると巡礼路は車道と並行するようになった.これは今に始まったことではなく,グラニョン手前辺りでも平行区間はあった.

この道はマップを見るとログローニョ自動車道と名付けられている.ログローニョは7日目に泊まったところだ.それにしても走る車は大型トレーラーが多く,驚く.やはり道がよく,また物流量も多いということでしょうか.

大型トレーラーは3連軸後輪が多いが,空荷若しくは軽いとき(見えないので推定)は3軸中一番前の車軸を上げ,地面から離して走行抵抗を減らしている.大型車と言えども芸は細かく,燃費改善に努めてますね.


カスティルデルガド辺りCastildelgado

メセタは続く

メセタは続く

緑のメセタは続いていった.一部野菜の花か何か,黄色い畑も見える.また真ん中の藪は小さな沢が流れているのだろう.


カスティルデルガドの村に入る

カスティルデルガドの村に入る

カスティルデルガドの村に入ってきた.入口辺りにはアルベルゲとその案内板が見えた.そしてこの案内板にはサンティアゴまで544kmと記されている.これによれば本カミーノの1/3くらい歩いたことになろうか.

ちょっと古く2004年の国勢調査では人口は36人,仮に一家で3人とすれば12戸と,上の村々と比べても非常に小さな村となろう.


カスティルデルガドの教会

カスティルデルガドの教会

村を歩いていくと教会が見えた.サンタマリアデルカンポの庵(Ermita de Santa Maria del Campo)と称するようだ.Iglesiaではなく,Ermitaとしているので,普通の教会と比べて簡素なのであろうか.少なくとも外観はかなりシンプルだ.ただちゃんと鐘楼を備えている.


また自動車道並行区間となる

また自動車道並行区間となる

カスティルデルガドの短い村を過ぎるとまた巡礼道は自動車道と並行する区間に入った.多分自動車道建設のときカスティルデルガド通過を避けたので,こうした結果になったのだと思う.

ただ巡礼道は自動車道の脇に一部とかいうことではなく,完全に独立した道であり,安全だ.


ビロリア・デ・リオハ辺りViloria de Rioja

ビロリアデリオハの教会

ビロリア・デ・リオハの教会

そのうち巡礼道は南に曲がり,ビロリア・デ・リオハの村に入ってきた.そしてその始まり辺りに一風変わったデザインの教会が見えた.建物端の円筒部屋根の庇(空飛ぶ庇と言われるそうな)が出っ張っており,それを筋交いのような斜め部材で垂木を支える構造が面白い.アスンシオンデヌエストラセニョーラ教区教会(Iglesia parroquial Asuncion de Nuestra Senora)と呼ばれるようだ.

この教会はロマネスク様式で造られ,村の守護神,前述のサントドミンゴデラカルサーダや,聖母被昇祭壇画などが祀られているそうだ.


ビロリアデリオハの磁器案内板

ビロリア・デ・リオハの磁器案内板

サンティアゴカミーノで,ここビロリアデリオハを中心とし,前後の村々とカミーノを描いた案内板があった.多分磁器製であろうが,とてもきれいに仕上がっている.


ビジャマヨール辺りVillamayor

ビジャマヨールの村が見えてきた

ビジャマヨールの村が見えてきた

ビロリアデリオハ村からまた西へ西へと歩くと,今度はビジャマヨールの村が見えてきた.ここはサントドミンゴデラカルサーダの出身地ということだ.


ビジャマヨールの村

ビジャマヨールの村

ビジャマヨールの村を歩き抜けたが,教会を見かけなかった....単に見逃しただけか?聖ドミンゴデラカルサーダの出身地なら,それを祀る教会があるのでは,と思うのは日本人的発想かな.

村にはきれいに花で飾った石造り住宅などが並んでいる.ただしここも戸数は少ない小村だ.


ベロラドへwalk to Belorado

巡礼路も車道も西へ

巡礼路も車道も西へ

ビジャマヨール村を越え,巡礼路も車道も西へ西へと進んだ.車道にもカミーノ標識はある.巡礼でなくともサンティアゴ方面に向かう車も多い筈だ.

また車の空いている道路では自転車巡礼の皆さんが走る車道区間もある.ここは大型車両が多く,危険で無理だ.また今日の巡礼路は概ね平坦で,幅も広いので歩く人と同じルートを行く.


ベロラドの街に入ってきた

ベロラドの街に入ってきた

さていよいよ今夜の宿泊地ベロラドの街に入ってきた.この通りを行けばどこかにアルベルゲがある筈だ.

道は狭いが両側の家々はさほど古くは感じられず,そこそこ新しい街なのかな~と思われた.

そして最初,知らない人たちだが,付いて歩き,少し路地に入ったアルベルゲに着いた.しかしオープンまで大分時間があるという.そしてその中のひとりが教会付属のドネーションアルベルゲがあるらしいから,そっちに行ってみようか,と提案した.主体性のない私はもちろんそこに向かうことにした.


サンタマリア教会(Iglesia de Santa Maria)

サンタマリア教会

目指すアルベルゲは間もなく見つかった.ただしこのアルベルゲは直ぐ脇のサンタマリア教会(Iglesia de Santa Maria)直属アルベルゲで,入り口は目立たない.

そこで,先ずはサンタマリア教会真正面に立ち写してみた.アルベルゲは教会右側にくっついた地味な赤瓦の建物だ.

教会鐘楼一番高い屋根の左右,およびその下屋根の右,合わせて3つのコウノトリの巣がある.親鳥の姿はここから見えているが,子コウノトリは巣の中に隠れているようだ.

本サンタマリア教会はそれまで存在した古い教会の上に,16世紀にバロック様式で再建されたそうだ.またサンティアゴが守護神として祀られ,私達がこの晩のミサに参加する要因の一つとなっている.


アルベルゲにチェックイン

アルベルゲにチェックイン

教会直属アルベルゲ(Albergue de peregrinos parroquial de Belorado)にチェックインし,シャワーの説明など聞き,ベッドは40歳を目安に,それより若い人は上段を,年寄りは下を選ぶよう指示され,ドネーションを箱に入れ,シーツなど持ちベッドルームに行く.こんな部屋だった.まあアルベルゲであればこんなもんでしょう.


ダイニングルームとオスピタレロ(ボランティアの管理人)

ダイニングルームとオスピタレロ(ボランティアの管理人)

ここは一階入り口(中央茶色のドア)を入って直ぐに設けられたダイニングルーム.左上グリーンジャケットの男性がここのオスピタレロ(ボランティアの管理人)さんで,ドア横の白いクロスのテーブルでチェックイン業務をこなしたり,種々相談事や質問に応えて下さる親切な方.

今夜のミサは街の人と一緒のミサが先ず行われ,次いで巡礼者だけ残り,巡礼者ミサがあるという.せっかく直属アルベルゲに泊まるのだから(?)参加してみようか.


ベロラドの街the town of Belorado

街の通りの反対側

街の通りの反対側

まだ真っ昼間でいっぱい時間がある.街の通りで,歩いて来た方向とは反対側,つまり明日の朝歩く道,を歩いてみた.しかしここを歩いている人は居ないし,開いているショップも殆どない,いや元よりお店があまりないのだ.

こちら側も家々はあまり古くなく,比較的新しい.人口は1,800人程度らしく,今日通過してきた村々と比べれば圧倒的に多い.でもちょっと寂しい感じは否めない.


マヨール広場に行く

マヨール広場に行く

今度は上記通りとは交差する通りを行ってみた.すると直ぐに広場,マヨール広場らしい,に出て,その周りにスーパーがあった.直ぐに買い物に取り掛かったが,2時です,お店閉めますので出て下さい,とのこと.スーパーによってはシェスタを取らないところがあるが,ここは伝統重視で閉めるという.がっかり.

ただその近くのバーは営業しており,大きなお皿の料理は頼めないが,これまでの経験に照らすと飲み物と小皿料理くらいは出してくれると思う.バーだけは完全閉店しないのが習わしなのだ.


ビール美味しい

ビール美味しい

ということで,大生にオリーブ,ヤキトリ,ハムコロッケ,サーディン,アスパラとししとう串など,指差しでオーダーし,表で味わう.美味しい!

ところでこのエストレージャ(Estrella)ビールはよく飲むのだが,星のマークがサッポロビールとよく似ている.ま,星印は世界共通,昔からあり,登録商標ではないのかな.


マヨール広場のサンペドロ教会

マヨール広場のサンペドロ教会

広場に面して歴史のありそうな教会が建てられていた.そして近くに寄ってみるとサンペドロ教会との案内板があった.

今見えているファサードは石造りロマネスク様式,鐘楼はもっと最近のレンガ積みのようだ.素朴な感じがいい.


靴職人の壁画

靴職人の壁画

アルベルゲ近くの建物壁にこのように大きいモノクローム壁画が描かれている.靴屋さん(靴職人さん)の作業と出来上がった靴など描かれている.もちろん落書きではないし,この建物テナントが靴屋さんというわけでもない.アーティストが純粋にアートとして仕上げたのではなかろうか.なかなか見事です.


夕方になりレストランへ

夕方になり,再びマヨール広場へ行く道に折れた.すると珍しいことに開店していたレストランがあり,ここに入る.

そして巡礼者メヌーの中から,ワインと,ミックスサラダとビーフ(と多分アイス)をオーダー.

開いていたレストラン一の皿二の皿
↑開いていたレストラン↑一の皿↑二の皿

ワインはデカンタで出してくれたが,十分な量が入っており嬉しい.

ビーフは安いので薄い.よく丸まったりせずに焼くものだ.さすがプロだ.


ベロラドの丘などthe hill of Belorado and others

裏山に上ってみる

裏山に上ってみる

写真の順序とは合ってないが,夕食の前に裏山(丘)に上ってみた.先ずアルベルゲ近所をうろちょろして登り口を探した.そして見つかったのがこのトラバース路だ.

少し上るとサンタマリア教会の上になり,コウノトリの巣が上から望むようになる.やはり子コウノトリは見えない(目がいい人なら見えると思う)し,スマホも超広角単焦点レンズだ.こんなときは長玉レンズが欲しいですね.


上に到着しベロラドの街を眺めてみる

上に到着しベロラドの街を眺めてみる

上に到着し,ベロラドの街を眺めてみる.赤い屋根の建物が多少凹凸ある地面に多く建っている.街の外は畑ももちろん多いが,斜面には林も目立つ.


下る途中の小川

下る途中の小川

下る途中に小川,というかチョロチョロの川,ドブ川に近づきつつあるような流れがあった.手入れ次第ではいい流れになると思う.


午後7時サンタマリア教会のミサへ

午後7時サンタマリア教会のミサへ

午後7時近くになり,隣のサンタマリア教会(Iglesia de Santa Maria)のミサに出かけた.

主礼拝堂には既に街の皆さんが集まっていた.そして程なく神父さんが出てこられ,スペイン語で述べられ,また聖歌を唄う.時々聞こえてくるハレルヤというフレーズを除いて,皆目理解できない.次に周囲の人同士で握手した.隣人とは仲良く,という態度表明なのであろうか.

そして並んで一人づつ柔らかいお煎餅のようなものを頂戴し,他の人を真似て口に入れる.後日カトリック教徒千葉のCtkさんに訊いたところ,これはキリストの肉体の象徴で,洗礼を受けてない人が食べるものではないと知る.


巡礼者だけのミサ

巡礼者だけのミサ

全体のミサが終わると,街の人々は引き上げ,巡礼者だけが残った.20人くらいであったか.そして主礼拝堂右側の縦格子で囲われた礼拝堂に入った.その祭壇がこの写真である.下段中央がサンティアゴであろうか.

ここでは神父さんに香炉から香を振り掛け(る真似)てもらい,そして巡礼を祝してもらう(ように見えた)

まあ,よく解らないままながら,一応巡礼の旅なのでミサにはこれからも参加しよう.