巡礼8日目:ナヘラへday 8:Naiara

この巡礼8日目:ナヘラ編では,2019年5月19日朝,小雨の中ログローニョのアルベルゲを出て,グラヘラ貯水池辺りを過ぎ,ナバレッテ,ベントサの各村を経て,ナヘラに到着するときの写真を載せました.

ナヘラ付近のGoogleマップmap around Naiara

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離30.5km,歩行時間6h46min.

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ログローニョの朝Logrono

ログローニョ新市街を行く

ログローニョ新市街を行く

ログローニョ旧市街にあるアルベルゲで目覚める.南京虫は大丈夫だったようで安心する.

小雨模様なのでカッパで身支度して,旧市街の小径を行く.途中同方向に向かう青年と出会い,言葉を交わす.青年はトルコからという.ということはモズレムでしょう,とちょっと驚き,カトリックの巡礼でいいのですか?と,自分のことは棚に上げて訊いてみた.すると青年は,モズレムであるが,その前に一人の人間として自分の行動をしたい,ということだ.私も異教徒で,なんぼか齢を重ねているが,難しいこと考えることなく歩いている.ターキッシュ青年はよく解らないが何やら奥深そうだ.

そして程なく新市街に出た.道幅は広く,近代建築の街になった.雑誌販売のキヨスクなども初めて見たが,既に営業していた.


ログローニョのカミーノ道標

ログローニョのカミーノ道標

キャスティングされた黄銅であろうか,立派なカミーノ道標が路面に埋め込まれている.とりわけペンキで描いた如くフリーハンドで象られた矢印は凝ってますね.

また以前のページで視覚障害者の点字ブロックはないと書いたが,このカミーノ道標周囲の凸状は点字ブロックなのかも知れないですね.


ログローニョの広い緑地公園

広い緑地公園

カミーノは広い緑地公園を通過した.これまで通過してきた大きな街もそうであったが,一般に広い緑地が整備されている.こうした点に関しては羨ましい気がする.

またリスが駆け抜けて行く場面に遭遇したりするが,きっと餌となる実を付ける樹木も植えられているのであろう.


鉄道を越える

鉄道を越える

緑地公園を過ぎてしばらく歩くと鉄道線路があり,その陸橋を渡った.列車も見てみたかったがそう都合よく通過してくれない.多分運行密度はそう高くないと思う.


次は幹線道路を越える

次は幹線道路を越える

鉄道の次は幹線道路と交わり,その陸橋を越える.この陸橋は以前別の場所でも見たように,木材が多用されたなかなか趣あるものだ.

カミーノならではの特別な計らいが感じられた.


グラヘラ貯水池Pantano de la Grajera

野道に入る

野道に入る

ログローニョの街は過ぎ,野道に入った.とは言ってもこの辺りは,幅広い舗装道路で,しかも所々にベンチが置かれている(ベンチは滅多なことでは置かれてない).これは正にログローニョ当局の特別な計らいだ.


聖母子像

聖母子像

次に聖母子像があった.ちょっと遠目にはサングラスを掛けているように見えるが,近くで見るとこの部分は冠か帽子の部分で,その下に顔があり,腕に抱かれた子の姿がある.

供えられた花は鉢植えのもので,よく手入れされている.それと杖一本あるが,どういった意味合いなのか....

ただこの親子のデザインはよく見かける聖母マリアとイエスの像とは違って,かなり独特であり,聖母子とは違うのかな.....自信無くなってきた.


グラヘラ貯水池現る

グラヘラ貯水池現る

やがてグラヘラ貯水池(Pantano de la Grajera)が現れてきた.貯水池っということは人工湖なのでしょうか.今見えている湖岸は直線状でここは人工的工事が施されている.でも他は自由曲線で相当大きいし,やはり天然湖かな....

釣りのおじさんが竿を伸ばしているが,見ている間では何も釣れなかった.そんな短時間で釣れないのは釣りの常識であろうが.


グラヘラ貯水池の白鳥

グラヘラ貯水池の白鳥

グラヘラ貯水池は白鳥の湖でもある.この辺りでは湖面と岸に2,3羽見える.春先に北に渡り損ねたのか,あるいは渡り鳥ではない種類の白鳥なのか.なお鴨も泳いでいるが,白鳥と鴨はよく一緒にいる.餌が同じなのかな.


ピンクのお花畑

ピンクのお花畑

貯水池の次はピンクのお花畑を通過した.単なる雑草なのか,牧草なのかよく分からない.

お花畑の向こうには今通過してきたグラヘラ貯水池が見えている.やはりかなり大きい.

そしてこの辺りで,以前会った風邪で喉を痛めている南アご夫妻とは別の南ア男性Tvさんに出会い,色々話しながら一緒に歩く.男性は奥さんと一緒に歩いているのだが,奥さんは花や風景を撮影するため頻繁に足を止めるので必ず遅れるという.

ところで南アと言えば白人支配の国として知られる(知られた)が,言語について訊いてみた.氏もあまり詳しくない雰囲気だったが,英語以外に2つのアフリカ部族系公用語があり,亡くなったネルソンマンデラ氏は片方の大きな部族出身で,英語以外にもちろんその言葉も使えたそうだ.

さらに民族に絡むヨハネスブルグの治安の悪さをよく耳にするので,それについて訊いてみたら,まあ,あまりいいとは言えないだろうが,パリに住む息子が,自転車に乗っていてスマホを落としたとき,透かさずそれを拾って逃げ去られたことがあるという.つまり先進国のフランスであっても同じようなことが起こり得るということだ.まあ,それはそれでどこでもありがちなことだとは思うが....


金網塀の手作り十字架

金網塀の手作り十字架

また少し進むと,巡礼路は車道と並行している区間になる.くっついているというわけではないが,金網の塀が設けてある.多分家畜の車道への移動防止のためと思われる.

そして金網には小枝で手作りされた十字架や,何か書き入れた短冊が無数に挟み込まれている.ここを通過した巡礼者の数が非常に多いことを感じる.

今ググってみると,本フレンチカミーノ巡礼者の2017年統計では30万人余りだそうだ.因みに四国の歩きお遍路は2500人くらいだそうで,軽く100倍以上になるようだ.


製材所背後丘の牛

製材所背後丘の牛

金網の道が長く続いた後,製材所があった.廃材の山の背後の丘には牛のオブジェがあった.たしかさるシェリー酒メーカーの広告塔と聞く.どこにも社名や商品名は記されず,ただ牛のシルエットだけというのがかっこいいというか,粋というか.....見事な広告戦略だ.


ブドウ畑の砂利道を行く

ブドウ畑の砂利道を行く

そのうちに砂利道になった.周りは砂利より大きな石のあるブドウ畑だ.そして麦畑よりブドウ畑が多いかな~と思うほど,その比率が高まってきた.

そして道の先,丘状のところには集落が見えてきた.目指すナバレッテであろう.そしてどうやら集落は丘に形成される傾向があるのだと思うに至った.


ナバレッテ村(Navarrete)に入る

ナバレッテ村に入る

そしてナバレッテ村(Navarrete)に入ってきた.緩やかな傾斜地に石畳の道が走り,主にレンガ積み漆喰固めの建物が両側に近接して連なっている.結構歴史がありそうだ.


ナバレッテ村のバー

ナバレッテ村のバー

ナバレッテ村入り口辺りにバーがあり,開店していた.開いているところは少ないので,自分も含めて多くの巡礼者が立ち寄る.コーヒーにチーズとベーコンのボガデージョ,オレンジジュース,それに行動食用にto-goのバナナなど買ったかな(いつも大体その程度なのだ).


ナバレッテ教会ファサード

ナバレッテの教会ファサード

ナバレッテ村の中ほどまで行くとサンタマリアデラアスンシオン教会/被昇天聖母教会(Iglesia Nuestra Senora de la Asuncion)があった.1523年,それまで存在していた教会が取り壊され,その跡地に本教会が建てられたそうだ.

写真のファサードを含めバロック様式で建設されたという.確かによく見るロマネスク様式,レリーフのいっぱい入ったアーチ型エントランスと比べるとさっぱりしてますね.


サンタマリアデラアスンシオン教会礼拝堂

サンタマリアデラアスンシオン教会礼拝堂

この日は日曜で,この後礼拝があるのであろう,信徒の方が集まり始めていた.なので,ドアが開いており覗かせてもらった.

そして金ピカも豪華絢爛さに驚く.とても小さな村の教会とは思えない.

この豪華な祭壇には豊富な金細工,象牙,遺物(聖十字架など)のコピー等が飾られているそうだ.


ナバレッテ村外れの墓地

ナバレッテ村外れの墓地

ナバレッテ村外れの墓地があった.入り口には教会のエントランスに比べれば圧倒的に簡素で小さいが,ロマネスク様式に則った門が築かれている.ただし,風化があまり見えないので建設されたのは近年であろう.

内部を覗いてみると,種々タイプの墓石が並んでいる.その総数はかなりあり,昔から代々引き継がれてきたのでしょう.


きれいなお花畑

きれいなお花畑

墓地近くの路傍には,野草のきれいなお花畑があった.赤,白,ブルーの花がグリーンの葉の中に漂っている.


ベントサVentosa

ベントサ(Ventosa)領内に入る

ベントサ領内に入る

ナバレッテのエリアが過ぎ,次のベントサ(Ventosa)領内に入ってきた.

この辺りもブドウ畑が多い.その脇に羊を連れた男性像が立っていた.善き羊飼い,イエスキリスト像でしょうね,きっと.


ブドウ畑は人手が掛かる

ブドウ畑は人手が掛かる

ブドウ畑では複数の人が一斉に手入れしていた.棚線への誘導とか,余分な枝の枝払いとかであろうか.これだけ面積が広いと人手が掛かリますね.

後で早足3人組のどなたかに教えてもらったが,ブドウの作付け面積は仏,伊,西の中で最大だが,生産(収穫)量は一番低く,生産性はよくないのだという.こんなに一所懸命やっているのに......


ベントサ村の見どころ案内板

ベントサ村の見どころ案内板

ベントサ村が近づいた.村の見どころ案内板があって,巡礼者が立ち止まって眺めている.

上の景色を見ると,秋には紅葉が見えるのであろうか.多分そうなんでしょうね.


ベントサ村が見えてきた

ベントサ村が見えてきた

非舗装の巡礼路の先に,赤い屋根白い壁の家々のベントサ村が見えてきた.


ベントサ村に入る

ベントサ村に入る

ベントサ村に入ってきた.やはり教会が目立つが,巡礼路から少し離れているので見に行かなかった.

また特段印象深いものが無かった(または気付かなかった)のかどんどん村を突っ切って進んだ.


ベントサ村を過ぎると少し泥濘の道

ベントサ村を過ぎると少し泥濘の道

ベントサ村を過ぎると少し泥濘の道があった.幸い雨は朝方より少なく,泥濘もさほどひどくはない.

周囲の林には,秋には紅葉しそうな木もあるように思う.上述の観光案内板の光景はこうしたところから撮られているかな.


ナヘラに到着Naiara

板張りの道

板張りの道

土の道はしばらく続き,やがて今夜の宿泊地ナヘラのエリアに入ってきた.そして一部板張りの歩道があり,そのまま小川の橋に成っている場所など通過した


白いお花畑

白いお花畑

そしてこの辺りの緑地には,野草の白い花が群生していた.花の名は知らないがなかなか見事だ.


ナヘラの街に入る

ナヘラの街に入る

やがて巡礼路はナヘラ(Naiara)の街に入ってきた.街はこれまで通過してきた旧市街的趣は少なく,どちらかと言うと新市街的香りが強いように思えた.

そしてこの辺でブラジル人父子に会う.お父さんは54歳で,4年前に一度歩き,今回が二度目.そしてその4年前も履いたというブーツ片方のソールが剥がれかけており,テープを巻き,暫定処置している.この街は大きいから,きっとスポーツ店もあろうから,探すつもりと.

息子のVtさんは28歳で,今回が初めて,お父さんの勧めで休暇を取って歩いているそうだ.

そしてさらに歩いていると,道を挟んだ反対側で,逆方向に歩く早足3人組.奈良のNhさん,埼玉のStkさん,千葉のCtkさんに出会う.早くアルベルゲ到着し過ぎて,受付け時間まで暇を持て余し,買い出しに行くのだそうだ.そして少し先で橋を渡れば間もなくアルベルゲですよ~と教えてくれた.


ナヘリリャ川がを渡る

ナヘリリャ川がを渡る

Nhさんたちに教わった橋は直ぐだった.川はナヘリリャ川(Rio Najerilla)で,結構な幅と水量がある.そして橋の向こう側袂で一旦間違えて右に折れたが,人に訊いて修正,左に行った.


左の川岸を行く

左の川岸を行く

左の川岸はレストランやバー,集合住宅,学校の校庭などいろいろ並び,そこを歩く.


アルベルゲのオープン待ち

アルベルゲのオープン待ち

すでにアルベルゲ(Albergue de peregrinos municipal de Najera)には受付け開始を待つ列ができていた.そしてブラジル親子と共にそこに並ぶ.

暫くして,先ほど出会った早足3人組の皆さんが買い物が済んだようで戻ってきて,列先頭に置かれたザックの位置に落ち着いた.この先も暫く待つので,3人の皆さんは相当早く到着したのであろう.


受付け始まる

受付け始まる

アルベルゲの扉が開き,巡礼者の列がレセプション前に移る.先ず担当の方より,各地から集ったといういうボランティアの皆さんの紹介,ここがドネーションで成り立っていること,ランドリーや門限....等々説明があり,並んだ順にパスポートとクレデンシャルを提示し,登録が始まった.

ベッド番号が決められると,案内係の人がそこに連れて行ってくれた.私は年齢からして横列下段で,隣のベッドは白髮,立派な髭で,自己紹介でオランダのApさんと知った.かなり年配だが私よりは若そうだ,よろしく.


ナヘラアルベルゲのベッドルーム

ベッドルーム

ここアルベルゲでは台湾のSnさん,やはりこれまでも会っているKtさん,Kdさんなども一緒になる.さらに列の中に名前は知らないがザックに日の丸を付けた若い女性も居られた.皆若いので上段ベッドになる.ここの上段ベッドは柵がないばかりでなく,隣ベッドの仕切りがなく,頭と頭,若しくは足と触れそうで,気の毒だ.すみません.

なおシャワーは数的には十分だったが,私が浴びた時はぬる過ぎて困った.


川べりの街に出てみる

川べりの街に出てみる

歩いてきた川辺りの街を歩いてみた.そしてそこから内側に行く道があったので入ってみる.そこには広場があり,いくつかのお店も並んでいた.外壁はここだけでなく来るときに通った市街地も含めて,白でなく,ベージュなどの暖色系が多い.なかなかいい.

背後に長いブームのクレーンが見えるので,新たな建築工事もあるようだ.


一軒のバーに入る

一軒のバーに入る

このバーに入ってカウンターに座る.そしてワインをオーダーし,小皿料理を指差して頂く.チーズにきのこと生ハム載せ,挽き肉とチーズ載せ,パプリカを衣付きで揚げた団子,オリーブとか....ありきたりのものだったと思う.たくさん食べないとくちくならない.


サンタマリアラレアル修道院

サンタマリアラレアル修道院

バーから少し行ったところにサンタマリアラレアル修道院(Santa Maria la Real monastery)があった.

1052年,当時のナバーラ王が建設し,事実上の司教座であったそうだ.現在は修道院と称されているからもちろん違うであろう.

ところで建物が赤いのは赤い岩石で造られているからでしょうか.何という岩石なのかな~


サンタマリアラレアル修道院入り口

サンタマリアラレアル修道院入り口

この修道院入り口は赤い岩石ではなく,普通の白っぽい色だ.そしてデザインは,午前中見てきたナバレッテの被昇天聖母教会と似た雰囲気に見える.つまりバロック様式であろうか.

でも当時のナバーラ王が建設したという1052年頃はまだロマネスク様式の時代だ.後の世に改修されたのでしょう,と想像した.