巡礼19日目:レオンへday 19:Leon
この巡礼19日目:レオン編では,2019年5月30日マンシージャのアルベルゲで朝を迎え,朝食後出発.巡礼道を辿りマンシージャマヨール,ビジャモロス,プエンテビジャレンテ,サンフェリスモ,アルカウエハ,レオン郊外を経て,レオンへ至りアルベルゲにチェックイン.そしてレオン大聖堂などレオンの街を見て回ったときの写真を載せました.
レオン付近のGoogleマップmap around Leon
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離19.03km,歩行時間4h13min.
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マンシージャ・デ・ラス・ムラスの朝Mansilla de las Mulas

5月30日アルベルゲの朝
さて5月30日アルベルゲの朝になった.ダイニングテーブルには乾パンやビスケット,バター,ジュースにインスタントコーヒーなど用意して頂いた.いただきます.
そしてアルベルゲのご夫妻にお礼を述べ,ご無沙汰した.

マンシージャの街を行く
この日の方向は,レオンを目指し大まかに言うと北西方向に歩くことになる.
先ずはマンシージャの街の中の巡礼路を行く.レンガの道に金色の貝殻が埋め込まれている.

エスラ川に架かる橋渡る
マンシージャの外れに来ると,巡礼路はエスラ川(Rio Esla)と交わり,大きな橋が架かっている.橋の歴史は12世紀まで遡り,途中建て替えられたそうだ.レンガか石かはっきりとは判らないが,表面の色合いや欄干のデザインを見ると,近年にも手が加えられたように見える.

橋を渡ると刈り取られた広い牧草地
橋を渡ると広い牧草地になった.刈り取られた干し草はロール状もあるが,直方体が多い.これは珍しい.トラクタに連結する草刈り装置の仕組みが違うのでしょう.
マンシージャマヨールMansilla Mayor

マンシージャマヨールのエリアに入ってきた.
マンシージャマヨール(Mansilla Mayor)のエリアに入ってきた.この辺りは並木が茂り,爽やかな巡礼路だ.
なお間近に民家は見えず,遠くに望める.

マンシージャマヨールの分岐路案内
赤いポイントがマンシージャマヨールの現在地だ.そして少し先に左への分岐点があり,4つの村を巡回しながら進むコースが記されている.このコースは先方で直進コースと合流する.
4村巡回コースは直進コースの2.5倍くらいの距離になろうか.私は簡単な経路がいいし,ミシュランマップでも直進なので,もちろん直進を選ぶ.
ビジャモロス・デ・マンシージャVillamoros de Mansilla

ビジャモロスに至る
ビジャモロス,正確にはビジャモロス・デ・マンシージャ(Villamoros de Mansilla)の村に入ってきた.この村は上述のエスラ川とこの先に現れるポルマ川(Rio Porma)に挟まれた場所に位置し,言わばその谷にあるので,水利に恵まれ,主に農業を生業としているということだ.
BARの看板があるので,もちろんそうした商売など,別の仕事の人も居られよう.

巡礼路脇を走る用水路
巡礼路に沿ってコンクリートU字形用水路が走っている.上記載のように2つの川に挟まれているが,それだけでは広範囲の灌漑はできないのだろう.そこでこのようにちゃんとインフラを整備して農業生産に活用しているようである.
プエンテ・ビジャレンテPuente Villarente

ポルマ川
ポルマ川(Rio Porma)が現れた.ただ写真は支流の一つで比較的狭い流れのようだ.ポルマ川のこの辺りは幾つかの支流が,また湿地が寄り集まっているようで,橋も大きく複雑になっているようだ.

ポルマ川に架かる橋
ポルマ川に架かる橋はメインの大きなアーチ橋の他,木道のような構造の巡礼路橋が設けられている.
地名プエンテ・ビジャレンテのプエンテは橋なので,即ちビジャレンテ橋がそのまま村の名になったのではなかろうか.

プエンテビジャレンテの村
ビジャレンテ橋を渡り切るとプエンテビジャレンテの村になった.人口191人で,銀行などがあり,ビジネスも盛んなようだ.
サンフェリスモSanfelismo

プエンテビジャレンテを過ぎ,サンフェリスモ方面に折れる
プエンテビジャレンテを過ぎ,暫く行くとサンフェリスモ方面へと巡礼路は右側に折れた.
都市に近くなったせいか,路肩の看板が増えてきた.

再び車道を跨ぐ
サンフェリスモへの道標があり,車道を跨いだ.交通量は疎らなので心配は要らない.
そして直ぐ先にはサンフェリスモの村が見えてきた.

サンフェリスモの牧草畑
サンフェリスモの人口は135人という.以前は日干し煉瓦(アドビ)の住宅などがあったらしいが,現代は都市に近いので変わってきたようだ.
写真は刈り取った牧草を立方体に成形し,発酵させるためであろうビニールで包まれている.朝方見たのが直方体で驚いたが,この立方体にも驚いた.少なくともラッピングシート面積に対する容積効率は最大となろう.また表面積が少ないので伝熱量を少なくできる.でもそんなことで形が決まったのかな.....
アルカウエハArcabueja

次にアルカウエハの村になる
次にアルカウエハの村に入った.入口辺りには児童公園が備えてあった.でも他村と同じように遊んでいる子は全く見ない.時間によっては幼稚園の子らが,連れられて来るのでしょうか.

ラウンドアバウト近くのショッピングセンター
少し行くと小高く,下を見下ろす位置になった.ラウンドアバウトがあり,その近くにはショッピングセンターとその駐車場が見える.レオンからの客が多いであろう.

傾斜式歩道橋を渡る
階段ではなく,傾斜式(スロープ)歩道橋があった.歩行者にはまだるっこいが,自転車巡礼者,馬の巡礼者(見てないが),また車椅子の人などには必須のものだ.こうしたものを含めてフレンチカミーノは実に良く整備されていると思う.

先方にレオンの街が見えてきた
坂に下方を見ると大きな街が見える.レオンの街であろう.
巡礼者もどんどんその方向に向かっています.
レオン郊外suburbs of Leon

レオン郊外に入ってきたようだ
近代建築が多くなり,いかにも大都市近郷の風景に変わってきた.でもこれまで通り巡礼道は分かりやすく表示されておりありがたい.(ただレオンの中に入るとなかなか難しいようになる)

インフォメーションでお世話に
インフォメーションオフィスがあった.ここではレオンのマップを頂戴し,アルベルゲの在り処や行き方を訊く.
そしてよく聞いた筈で,その方向に向かい立ち去る.

市バスのバス停
多分市バス,若しくはそれに準ずる会社のバス停があった.普通有る落書きがなくきれいだ.郊外からの通勤者の役に立っていることでしょう.

カストロ橋
少し歩くと,立派な橋があった.ただこの位置だと川はなく,陸上だ.でも地図を見ると,橋の下はトリオ川(Rio Torio)で ベルネスガ川の最大の支流ということだ.
また橋は,検索してみるとカストロ橋(Castro bridge)のようである.今は水嵩は少ないが,多くなり,河川敷に溢れても大丈夫な設計になっているようだ.
レオンへto Leon

この辺りでまごつく
さていよいよレオンの街に入ってきた.インフォメーションで聞いてきた筈だがこの辺りでまごつく.そこへ欧州グループと思しき人達が来て,え~どっちでしょうか,と訊かれる.教える前に自分が判らず迷ってます.
そのうち頂いたマップを手がかりに何とか,道を渡り反対側の道に入ってみる.

路地のライオン
マップを見ながら路地に入る.路地には神社の狛犬そっくりな獅子像が立っていた.やはり守り神のようなものであろうか.

グラノ広場と教会
アルベルゲに近いと思われるところにやって来た.広場があり,周囲にはバーや小振りな教会がある.広場はグラノ広場(Plaza del Grano)と呼ばれ,また教会はカミーノの聖マリア教会(Santa Maria del Camino church)のようだ.出かけて戻る時は教会の尖塔と広場は目印になる.

アルベルゲにチェックイン
何とかアルベルゲ(Albergue de oeregrinos Las Carbajalas)に到着した.そして無事チェックイン.
ここでは前日道でお会いした町田のMnさんが既に到着し,寛いでおられた.Mnさんは若いので上段のベッドだ.柵はないので私から見ると怖い.上り下りも大変だ.
それとチョコを頂いたり,ときどき出会うコリアンSoさんカップルも到着していた.帰国後反日の嵐が吹き荒れているが,Soさんはいつもソニー24mm-240mmレンズを付けたα7を手に持っている.時期がずれていたら親日....でやられたかも.なお奥さんはいつもロザリオを手に歩いている.
レオンの街city of Leon

レオンの繁華街
一休みし,レオンの繁華街に出かけた.なかなか気の利いたショップやカフェ,バーが揃っているようで,観光客が多い.巡礼者もそれなりにいると思う.私も以前バス旅行で来たことがある.こんなに人が多くなかったと思うが.

レオン大聖堂全容
この旧市街で最も大きなレオン大聖堂(Catedral de Leon)を斜め手前から写してみた.サンタマリアデレグラ大聖堂(catedral de santa Maria de Regla)の別名もあるそうだ.
13世紀から建設が始まりスペインゴシック様式を基本としているが,古典的フランスゴシック様式も加味されたデザインということだ.
サンティアゴ巡礼路では,ブルゴス大聖堂に次ぐスペインゴシック様式の規模となるようだ.

レオン大聖堂ファサード
正面から望むと大きな丸窓(バラ窓),その上のおむすび型窓,それに入り口の3連アーチにぱっと目が行く.窓には精緻な格子が嵌め込まれ美しい.
古代ローマ時代ここには大浴場があったそうだ,レコンキスタ(718~)の時代になると浴場は王宮に変えられていったという.そして10世紀,ときのレオンを治め,王宮の主であったオルドーニョ2世がアラブ軍を倒し,勝利に対する神への感謝の意を表するため王宮を大聖堂建設のために捧げたのが始まりという.
このように大聖堂建設はロマネスク様式で早い時期に始まったが,途中支配者が替わるなど諸事情から,現在のゴシック様式への再構築は上述のように13世紀からで,最後の南塔(この写真では欠落)の完成は15世紀ということだ.
先般火災で大きく損傷されたパリのノートルダム寺院と似ているが,レオン大聖堂の方が壁や柱の彫刻が控え目でスッキリしているようで私はこちらが好みだ.
レオン大聖堂内部
ゴシック様式ですので高い天井,窓の多さ,主礼拝祭壇以外に多様な祭壇,パイプオルガン....など備えているのは他と同じ様式か.
ただここの窓は,ステンドグラスがとても多く,きれいだ.少し長玉のレンズがあればいいな~と思うが,スマホと私の腕ではこれが精一杯だ.
なお拝観料は5ユーロだった.

サンイシドロ教会
大聖堂の後,サンイシドロ教会(Basilica de San Isidoro)を訪ねた.ここも以前バス旅行で来たことがあったが,すっかり忘れているので新しく見物するのと同じだ.
12世紀ころ,ロマネスク様式で建造されたという.ゴシックの上大聖堂と比べてスッキリしながらも力強く感じられる.
ここはレオン王国の首都が置かれた地であり,同王国の歴代国王や王一族を埋葬する霊廟として建設されたそうである.

サンイシドロ教会礼拝堂内部
マトリクス状に画像パネルが嵌め込まれた主祭壇のさっぱりしたものだ.ロマネスク様式のほか,後の修復によるゴシックや,ルネサンス様式の装飾も加えられているようだ,
なお画像パネルはキリストの生涯に関わるシーンだったように思うが....不確かだ.
なお大司教だったというサンイシドロ(San Isidoro)は,6世紀ころ,このレオンの生まれで,遺骨はここに収められているそうだ.
私は見てないが,美術館も併設されているそうで,丸天井のフレスコ画や中世の写本など展示されているそうだ.

公園で遊ぶ子
サンイシドロ教会の傍に公園があった.スペインの村や街では概して公園がよく整備されている.驚いたのはそこで遊ぶ子らが多く居たことだ.ほっとできる光景だ.
それと背後に石やレンガの大きな塊が見えるが,レオン王国時代の城壁跡のようである.

ガウディ設計のカサデロスボティネス邸
サグラダファミリアなどで知られるアントニガウディ(Antoni Gaudii)設計のカサデロスボティネス邸だそうだ.壁を平らに磨かず,素材面を活かしている点などガウディ的に見えます.
入り口上の彫像はカタルーニャの守護聖人ゲオルクということで,ドラゴンをやっつけているシーンであろうか.
なお現在この建物は銀行が使用しているということだ.それにしてもカサデロスボティネス氏はこのような大邸宅に住まうとは,大富豪だったのですね.
バーレストランで食事
バーレストランがあり,食事も可能かどうか訊いてみた.するとOKだという.やはり大都会は違う.早い時間でも調理してくれるお店があるのだ,ありがたい.
先ずテーブルでコルクを抜いてくれたワインは普通のサイズで,これは嬉しい.いつものようにハウスサラダにビーフ,アイスをオーダー.窓辺の席で外を眺めながらゆっくりサラダを食べてたら,ビーフが直ぐ出てきた.
それとデザートアイスがちゃんとお皿にスクーパーで装ったように出てきた.これまでは市販の袋のまま皿に載っているなどのケースが多かったので,感心した.

路地を通りアルベルゲに戻る
中心街からは脇に何本もの路地が出ている.途中で曲がっていたり,分岐もあるので気を付けて行く.目指すは先ずグラノ広場だ.そこが見えればアルベルゲはその近くだ.
ということで無事戻った.