巡礼21日目:アストルガへday 21:Astorga

この巡礼21日目:アストルガ編では,2019年6月1日ビジャダンゴスの朝アルベルゲを出発し,サンマルティン,オスピタル,ビジャレス,サンティバニェス,サンフストを経て,アストルガに到着し,カテドラルやガウディの司教館など見物したときの写真を載せました.

アストルガ付近のGoogleマップmap around Astorga

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離28.89km,歩行時間6h36min.

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ビジャダンゴス・デル・パラモの朝Villadangos del Paramo

朝のビジャダンゴス村役場

朝のビジャダンゴス村役場

ビジャダンゴスのアルベルゲで月が変わり6月1日朝となった.同室のイタリアン男性はとっくに出発した後,私も出かける支度を整えた.自販機に飲料や菓子パンがあったのでそれを食べて出ることにした.ところがパンの袋が出口経路の途中で引っかかって出てこない.すぐそこに見えているのにくやしい.また返金ボタンも効かない.まあ仕方ないか.

村外れのアルベルゲから村の中を進むと色々旗をなびかせた建物があった.村役場であろう.そしてはためくのは村旗,州旗,国旗などであろう.


用水路の分水

用水路の分水

ビジャダンゴス村を過ぎ,畑地帯になった.徐々に明るくなり視界の対象物が皆色を帯びてきた.巡礼路の脇には大きな用水路が流れ,板で堰き止めて,横の分水路に水を送っている.分水点付近は漏れ水が多いので雑草が茂っている.正直なものですね.


サン・マルティン・デル・カミーノSan Martin del Camino

サンマルティンの朝は11.5℃

サンマルティンの朝は11.5℃

丸い給水塔の見えるサンマルティン村に入った.少し行くとタバコ屋の電光掲示板があり,11.5℃を示していた.ひんやりだったと思う.

ところでメセタ(Meseta)はまだ続いているのかよく分かってないが,この日のGPSログを見ると標高は870m~970mくらいで,結構高い.まだまだその範囲なのでしょうか.


小型スプリンクラー配置の畑

小型スプリンクラー配置の畑

サンマルティンの村を抜けると畑になった.トウモロコシであろうか.ここは最も設置容易な小型回転式スプリンクラーがマトリクス状に固定的に配置されている.


オスピタル・デ・オルビゴHospital de Orbigo

オスピタル入り口の塔

オスピタル入り口の塔

オスピタル(Hospital)はホスピタルのことであろうから,オスピタル・デ・オルビゴ(Hospital de Orbigo)はオルビゴ(川の名)の病院ということになろう.中世,オルビゴ川左側に小さな村があり,プエンテデオルビゴ(オルビゴ川の橋)と呼ばれる聖母マリア教会を祀り,16世紀に川右側に騎士団が巡礼病院を設立したのが始まりということだ.

さてそのオスピタル村入り口には丸い塔が建っていた.給水塔でしょうか,あるいは穀物貯蔵庫でしょうか.なおオスピタルの人口は1,000人くらいとかなり多いようだ.


バーでボカディージョを作ってもらう

バーでボカディージョを作ってもらう

オスピタルの村に入ると直ぐにバーがあった.生ハムにチーズ辺りだと思うが,挟むパンがバゲットでなく柔らかいパンが特徴.柔らかいがクロワッサンのようにパラパラこぼれ易くはないのがいい.


浄化教会

浄化教会

少し行くと比較的新しそうな教会があった.Iglesia de la Purificacionと呼ばれるようだ.日本語では浄化教会となるのか.

コウノトリが3組営巣している.近くに大きなオルビゴ川(Rio Orbigo)が流れ,餌が捕り易いのでコウノトリにはいい住まいであろう.


オルビゴ川とパッソオンロッソ橋(Puente del Paso honroso)

オルビゴ川とパッソオンロッソ橋

教会から先に行くと大きなオルビゴ川に出て,そこに架かるパッソオンロッソ橋(Puente del Paso honroso)を渡る.

パッソオンロッソ(Paso honroso)とはこの橋で開催されるトーナメントだったという.事の起こりは1,434年のヤコビアン年,聴衆の嘆願で王は橋を通過する騎士に武術トーナメントの参加を義務付けた,ということだ.そして圧倒的に強いドンスエロ(Don Suero)という騎士が次から次へと相手を倒したということだ.

橋の向こう左側河川敷広場にはそうした武術トーナメントが開催されるのか,観衆スタンドが設営中であった.

なおこの10以上のアーチから成る長いパッソオンロッソ橋は,当然トーナメントのあった1,434年より古くからあり,一説では11世紀頃最初に建設され,途中幾度かの補修や改修があったようだ.


フリーマーケットと中世フェア

フリーマーケットと中世フェア

オスタルでは毎年6月の最初の週末に「フリーマーケットと中世フェア(Mercadillo y Justas Medievales)」という名のお祭りが開催されるそうだ.今日は6月1日(土曜)で,たまたまそれに該当する日だ.

ということで橋の手前から,橋の上,橋の向こう側まで巡礼道はのぼり旗や吊るし飾りで溢れている.特に橋を渡った先は日本の街のお祭りやお花見と同じように,道の両側にテキヤさんが並んでいる.


ブタの丸焼き準備中

ブタの丸焼き準備中

こちらは焼き肉屋さん.ブタの丸焼きを行うため,鉄棒を胴体に貫通させている段階.この後,タレを塗り,大きな炭火炉に翳し,回転させながら焼く.


各種お店が並ぶ

各種お店が並ぶ

アクセサリー,衣類,お菓子,ガラクタ.....実にたくさんのお店が並んでいる.こうした商売の人々は各地の祭りとか目掛けて,移動するのでしょうか.きっとそうですね.


騎士のヘルメットなど

騎士のヘルメットなど

騎士のヘルメットや十字軍マーク入り皮革製品(用途判らず)などが中世フェアらしい.ヘルメットは,製造は最近だが本物だと思う.

また背後はそうした騎士の着用した衣装ではなかろうか.


ビジャレス・デ・オルビゴVillares de Orbigo

ビジャレス(Villares de Orbigo)に入る

ビジャレスに入る

大きなオスピタルのお祭り街道を抜けると野の道になり,そこを暫く歩きビジャレスの村(Villares de Orbigo)に入ってきた.

普通村はほぼ無人のように見えて,閑散としている.だがこの村のベンチには裸で日向ボッコしながら読書中の男性がいた.今日は土曜日,お休みなのでこうした時を過ごすのでしょう.いずれにしても村に人がいるのはいいですね.


緑の小径

緑の小径

ビジャレスを過ぎると普通の巡礼路になった.そしてしばらく行くと緑の小径になった.やはりこういったところは気が休まる(尤もほとんどいつもリラックスしているが)


サンティバニェス・デ・バルデイグレシアスSantibanez de Valdeiglesias

赤土の巡礼路

赤土の巡礼路

緑の小径はあっと言う間に終わり,今度は赤土の巡礼路になった.こちらは非常に長く続く.周りに木や草が少なく,ケミカル的には確かに無機質的であろうか.ただ幸い歩き易い路面ではある.


サンティバニェス(Santibanez de Valdeiglesias)の村に入る

サンティバニェスの村に入る

サンティバニェス(Santibanez de Valdeiglesias)の村に入ってきた.今度は裸で読書の人は居ないし,静寂の世界再びだ.でもこれが普通だ.


サンティバニェス聖三位一体教区教会

聖三位一体教区教会

村を歩いて行くと教会があった.検索するとglesia of Santibanez de Valdeiglesias, the parish church of Holy Trinityと出ているので,聖三位一体教区教会ということであろうか.

なお三位一体とはキリスト,神,聖霊を一身とみることだそうだ.聖霊がまた難しいので辞書で見ると,万物の根源をなすという不思議な気,精気と載っている.


村外れの牛舎

村外れの牛舎

村外れに牛舎があった.そう言えばこの辺りは放牧されている牛は全く見ない.巡礼が始まったころの東の地方とはかなり違うようだ.


サンティバニェス干し草の山

干し草の山

牛舎で飼うので餌の備えが多く必要だ.ということでラッピングされた干し草が山と積んであった.発酵させ栄養価を高めているのであろう.


綿毛の積もる林

綿毛の積もる林

そのうち珍しく林に入った.地面は白い綿毛が降り積もっている.確か綿毛の実る木はポプラだったと思うが....

ただ林の区間は長くなかった.残念.


サンティバニェス聖トリビオ十字架の丘

聖トリビオ十字架の丘

十字架の丘に来た.聖トリビオの十字架(Cruceiro Santo Toribio)と呼ばれるそうだ.聖トリビオは5世紀のアストルガの司教だったが,どうした理由かは分からないがとにかく追放されたのだそうだ.そして最後の別れでここに跪いたということだ.

確かにここに立つと大きな街,アストルガが見える.私達はこれからここに向かうが,聖トリビオは離れたわけで,それは寂しかったことでしょうね.


サン・フスト・デ・ラ・ベガSan Justo de la Vega

サンフスト巡礼像のある水場

巡礼像のある水場

聖トリビオ十字架の丘から下るとサンフスト(San Justo de la Vega)のエリアになる.

そして巡礼路の脇に巡礼像が立ち,水場があった.巡礼像は,そのものズバリ水筒から水を飲んでいるシーンだ.


サンフストの街

サンフストの街

サンフストの街に入ってきた.現代風建物が多く,アストルガ新市街と称しても違和感がない感じだ.実際ここは楽々アストルガの通勤圏であろう.人口2,000人くらいという.


フスト川を渡る

フスト川を渡る

落書きで消されがかっているがRio Justo(フスト川)であろう.小さな流れで,この道標がなければそのまま過ぎるであろう.

ところで街の名,聖フスト(San Justo)とはどういう人なのでしょうか.マドリードで処刑された人物の説く宗派(キリスト教の一派?)の信徒で,7歳のJustoはそれを信じないよう命じられたが,キリスト教を放棄することを拒否し,304年に処刑されたという.


つづら折りスロープ歩道橋

つづら折りスロープ歩道橋

単線鉄道線路を跨ぐためつづら折りスロープ歩道橋を渡った.ちょうど電車が来てくれれば嬉しかったがそうはいかなかった.間近で見てみたいな~


つづら折り歩道橋から眺めたアストルガ

つづら折り歩道橋から眺めたアストルガ

つづら折り歩道橋は幾らでもない高さなのだが,アストルガの街の斜面部分はよく見える.遠くにカテドラルの高い尖塔も見えている.


アストルガへto Astorga

アストルガへの上り

アストルガへの上り

サンフストからアストルガに入る上り道になった.この坂を上りきると左側にアルベルゲが在るはずだ.


アルベルゲに到着

アルベルゲに到着

坂の上に出てアルベルゲ(Albergue de peregrinos Siervas de Maria)に到着した.少し修道院ぽいデザインに仕上げられている.

アルベルゲ前右側はちょっとした林の公園になっており,そこに巡礼者の銅像が立てられている.杖が金剛杖のように長いのがちょっと中世的印象だ.


アルベルゲのレセプション

アルベルゲのレセプション

レセプションでは二人のオスピタレラが巡礼者二人づつ捌いてくれる.

他のアルベルゲと同じようにパスポートとクレデンシャルを提示し,宿帳に書き込む.ここのように大きなアルベルゲでも手書きでなかなかお手数かける.ダイニングルーム,キッチン,ランドリー,シャワー,門限...など聞き,シーツセットを手に指定されたベッドに行く.


割り当てられた部屋とベッド

割り当てられた部屋とベッド

部屋は2段ベッド2組の部屋で,私は手前の下段.

たまたま同室はよくお世話になるソニーα7愛用のコリアンSoさんと,ロザリオを離さない奥さんのカップル.も一人も若いコリアン女性で,腕にタトゥーを入れている.足がとてつもなく疲れて,しきりにテーピングし,嘆いている.Soさんはプロのナースだから相談して見たら,と勧めたら,彼女は一通り症状を説明していた.ただ,Soさんは45歳だが,長年オペ室勤務で,テーピングなどに関しては必ずしも詳しくないようだ.それはそうでしょうね.

そこで奥さんが,一般的なこと例えば一日の歩行距離を実力に合わすとか....アドバイスしているようだった.コリアン同士はコリアンで話すのでホントのところよく解らないが.


ダイニングルームのテラスと洗濯物干し場

ダイニングルームのテラスと洗濯物干し場

私達の一つ上の階にキッチンとダイニングルームがあった.ダイニングルームにはオープンテラスが設けてあり,ビールにはちょうどいい.

そしてその下が洗濯物干し場で,ご覧のように盛大に干されている

また赤い屋根の建物はアストルガ中心とは逆方向の住宅街で,意外なことにその範囲は広くなく,直ぐ先は畑で,農家は固まらず分散しているように見える.


アストルガの街city of Astorga

サンフランシスコ教会

サンフランシスコ教会

アルベルゲの目と鼻の先に在る教会.サンフランシスコ教会(Iglesia de San Francisco)と呼ばれるようだ.ドアが開いており,管理人さんがどうぞどうぞと招き入れてくれた.

当教会は聖フランシスコ自身によって設立されたと伝統的に信じられているそうだ.最初の教会は13世紀に建てられ,17世紀に現在の石造りに建て換えられたようだ.戦時中は兵舎に転用された歴史もあったようだ.

なお写真右側部分,大きなドアのある建物は別組織でサンタベラクルス礼拝堂(capilla de la santa veracruz)ということだ.


サンフランシスコ教会内部

サンフランシスコ教会内部

サンフランシスコ教会内部を見せてもらい,説明を受けた.写真身廊の先,突き当りは主祭壇で,手前に並ぶ.4端の担ぎ棒が並ぶ器具は言わばお神輿のように聖人のモデルを載せて,街を練り歩くものと理解した.そしてそういった行事が年に一回開催されるらしいがよく理解していない.


アストルガの古代ローマ遺跡

古代ローマ遺跡

サンフランシスコ教会の前に古代ローマ遺跡があり,今も調査が継続中のようだ.発掘された部分にはおなじみのモザイク画などが綺麗なまま残されている.

この辺りだとまだローマ帝国はキリスト教を認めなかった時代ではなかろうか.


アストルガの聖バーソロミュー教会

聖バーソロミュー教会

サンフランシスコ教会の少し先,右手にあった教会.聖バーソロミュー教会(Parroquia de San Bartolome)と呼ばれるようだ.石造りシンプルデザインのファサードが美しい.ただ残念ながら内部を覗くことは叶わなかった.


アストルガ市庁舎

アストルガ市庁舎

これが市庁舎とは,一体どうなってるんだ,という感じだ.ルネッサンス様式とか.....しかしこれまで見た市役所でも,例えばパンプローナ市役所などはバロック様式でさらに華やかだった.やはりこういった趣向もいいのではなかろうか.新宿区役所など真似てもいいのでは.できれば近くの花園神社風ファサードでとか....


アストルガは巡礼者,観光客いっぱい

アストルガは巡礼者,観光客いっぱい

アストルガは觀るところが多いので巡礼者,観光客がいっぱいだ.

そう言っちゃ何だが腹の出っ張りが目立つな~


アストルガこの辺りの広場はとても便利

この辺りの広場はとても便利

広場の名前は忘れたが,この広場周辺はとても便利.もちろんバーもあるし,大きなスーパーマーケットがある.

私はこの日スーパーで食料,飲料を色々買い揃えて,一部は広場のベンチで食べ,一部は持ち帰り,夕方アルベルゲのダイニングルームでゆっくり食べた.

そのダイニングルームでは偶然台湾のSnさんと一緒になりちょっと驚く.もっと先に行っていたかと思っていたが,概ね同じようなペースか.でもSnさんはちょっと時間が無くなってきたので急がなくてはと言っている.


アストルガの建て替えで更地になった横の壁画

建て替えで更地になった横の壁画

建て替えであろう,隣の建物が取り壊され更地になった.そして横隣の壁には壁画が描かれた.絵は十字軍の時代か,いやもう少し後の時代か.それにしてもこのような大作を落書きのように描くとは....只者ではないですね.


アストルガの普通の通り

アストルガの普通の通り

アストルガの広場や,広場と広場を結ぶ通りではなく,例えば広場から離れる普通の通りはこのような雰囲気になる.お店はなかなか洗練された雰囲気だが人通りは少なくなり,かなりひっそりしてくる.

でも石畳の通りに,石造りの建物の並ぶ光景はなかなかいいと思う.


ガウディのアストルガ司教館

ガウディのアストルガ司教館

これが有名なガウディのアストルガ司教館.建築家アントニガウディが1,889年から1,913年にかけて建設したというゴシックリバイバル建築になるという.カタルーニャ地方外にある3つしかないガウディ建築の一つという.

司教館として建設されたが,司教自身が満足いかなくて,巡礼路に捧げられた宗教美術博物館に転換させた経緯があるそうだ.今も博物館として機能しているが,私は入らず外観を眺めただけだった.


サンタマルタ教会

サンタマルタ教会

カテドラルの近くにサンタマルタ教会(Iglesia de Santa Marta)があった.外観はすっきりさっぱりでこれもなかなかいい.

サンタマルタは多分女性で,料理人,栄養士,家政婦,主婦,ホステス,宿屋,旅行者の守護聖人らしい.旅行者の守護聖人なら本来お祈りくらいするのが筋かもしれない.開いてなかったが.


サンタマリア大聖堂

サンタマリア大聖堂

さてサンタマリア大聖堂(Catedral de Santa Maria)にやって来た.この教会は当初11世紀~13世紀にロマネスク様式で建設され,そしてそれが1,471年にゴシック様式に変更され,再着工されたようだ.竣工したのは18世紀になってからということで,外観は主にゴシック様式ながら,バロック様式の塔やファサード(ただし司教のファサードはルネッサンス様式),ネオクラシック様式回廊,ルネサンス様式の柱廊などの要素が盛り込まれたそうだ.

また長方形のレイアウト,非直線的で明るい礼拝堂はドイツのゴシック様式に似た面があるそうだ.


サンタマリア大聖堂入り口や内部

先ず最初のエントランスの精緻なレリーフに目を見張る.そしてここで拝観料(巡礼者割引で3.5ユーロ)支払い中に入る.内部には幾つもの祭壇があり,金ピカ彫像や油絵パネルを觀ることができる.絵は例えばマリアの受胎告知,キリストの生涯や,特にヴィアドロローサなど,解りやすく描かれている.

サンタマリア大聖堂入り口1サンタマリア大聖堂入り口2サンタマリア大聖堂内部1
サンタマリア大聖堂内部2サンタマリア大聖堂内部3サンタマリア大聖堂内部4

大きな教会は,終わりのサンティアゴ・デ・コンポステーラを除きこれが最後かな.