巡礼3日目:パンプローナへday 3:Pamplona

この巡礼3日目:パンプローナ編では,2019年5月14日ズブリのアルベルゲで朝を迎え,朝食後大筋ではアルガ川の谷沿いトレイルを行き,いくつかの村を越え,やがて丘の上のトレイルを歩き,パンプローナ新市街に入り,そしてパンプローナ旧市街に至り,アルベルゲに落ち着いた後パンプローナで知り合った人と共に教会を巡り夕食を頂いたときの写真を載せました.

パンプローナ付近のGoogleマップmap around Pamplona

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離19.46km,歩行時間5h02min.

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ズブリの朝in the morning at Zubiri

ズブリのアルベルゲで朝食

ズブリアルベルゲで朝食

5月14日ズブリのアルベルゲで目覚め,一階のダイニングルームに降り朝食を頂く.早いと思っていたが,既に3,4人の人が食べており,出ていく人の姿もあった.


ズブリの朝アルベルゲを出る

アルベルゲを出る

ザックを背負い,アルベルゲのドアを出る.改めて建物を振り返って見るとこんな風になっていた.石材を漆喰で固めたしっかりした作りで,この地方で標準的な工法であろう.どうもお世話になりました.


一旦太鼓橋に戻る

一旦太鼓橋に戻る

巡礼路に入るため一旦太鼓橋に戻り,ズブリに入ったときの分岐点に戻った.暗くはないがまだ陽が昇っておらず白壁は鮮やかさを欠いている.


野宿巡礼者のテント

野宿巡礼者のテント

太鼓橋の袂,アルガ川河原で,張ったテントの撤収作業をしている人がいた.野宿での巡礼は,テントや食料,燃料など重量は大幅に増えるし,お手洗いや食事など大変であろう.昔の巡礼はこうしたスタイルが多かったのかも知れないですね.


アルガ川に並行するトレイルを行く

アルガ川に並行するトレイルを行く

上のGoogleマップで地形図ボタンをタッチすると,歩いた経路がアルガ川(Rio Arga)と同じように谷あいになっているのが確認できる.トレイルはアルガ川の直ぐ脇である場合と,少し間を置いて走っているところとがあるが,概ね平行に走っている.

前を行くのはポルトガルのLiさんで,この辺りから前後しながら歩き,時々話を交わした.またこの日以降もあちこちで再会することになる.

Liさんは昨年ポルトガル人のカミーノを歩き,今年は本フランス人カミーノにしたという.ポルトに住まい,51歳,仕事を持っているので休暇で来ているという.もちろんカトリックだが,ポルトのあの金ピカ超ゴージャスな教会(名前は失念)には一度も行ったことがないそうだ.他の教会にも殆ど行かないようだ.そうなんだ,カトリックの巡礼者と言えども,私達並みの人もいるんだ......安心した.


ズブリの工場地帯

ズブリの工場地帯

ここはまだズブリの村の範囲で,その端になろう.この辺りではマグネシウム(Mg)鉱山があり,露天掘りで採掘できるそうだ.写真はアルガ川対岸になるが,採掘した鉱石の精錬工場であろうか,煙突などが見えている.

マグネシウムは人体にも大事な元素らしいですが,軽量な金属として活用されている.コンスーマー用では以前は双眼鏡程度だったが,近年はデジカメなどで大量に用いられている.


谷沿いのトレイルを行くgo along a Valley

谷沿いのトレイルを行く

車輪を飾った農家の壁

ズブリから引き続き谷沿いのトレイルを進んだ.そしてズブリの次の村になった.農家の窓やバルコニーには花が飾られ,白い壁には馬車の絵がディスプレーされている.味わいがありますね.


ふさふさたてがみの馬

ふさふさたてがみの馬

トレイル脇に一頭の馬がいた.きれいな肌にふさふさのたてがみが見事だ.そしてふと歌舞伎役者の赤く長い髪を連想した.


トムの墓

トムの墓

トレイル脇にケルン,その上に「TOM」と記された墓標があり,写真が添えてあった.

中世のフランス人カミーノは強盗など多く,命がけだったそうだが,現代も事故や病気で落命する人は必ずしも皆無ではないということであろう.


干し草置き場

干し草置き場

刈り取られた干し草が丸められている.このまま家畜の飼料になるのか,あるいは現在発酵中で,十分発酵が進んでから与えられるのか.一般的には発酵されて栄養価が高まるそうだが,その分手間がかかりそうだ.


トレイル脇のオダマキ

オダマキ

トレイル脇にはいろいろな野草が見えるが,鮮やかなオダマキも咲いていた.


アルガ川(Rio Arga)すぐ脇になる

アルガ川すぐ脇になる

この辺りではトレイルがアルガ川(Rio Arga)すぐ脇になった.路面は平坦,豊かな並木,清々しい水面,気持ちよく歩ける.


アルガ川を渡ると次の村

アルガ川を渡ると次の村

トレイルに「Arga」の標識があった.村の名ではなく,今渡ろうとしている橋の下アルガ川(Rio Arga),小さな流れなので多分その支流の標識であろう.


ここはバーではありません

ここはバーではありません

ちょっとバーには見えないが,ゲートに「Sorry, This is not a bar」の標識が掛けられている.人によってはやはりバーに見えるのでしょうね.


村の教会

村の教会

村の教会があった.一般的な教会建築に見えないが,鐘楼と思しき塔の上に十字架があるので教会に違いなかろう.

そう言えばズブリの教会もこんなデザインだった.


橋の上から釣り糸を垂れる人

橋の上から釣り糸を垂れる人

またアルガ川を交差する橋を渡った.魚がいるようで橋から釣り竿を伸ばしている人がいた.どんな魚が掛かるのか見てみたかったが,たかが通りすがりの短時間でそんな都合よく釣れるものじゃないでしょう.

橋は欄干まで石の造りで,かなりの年季入りに見える.


再び緑の小径

再び緑の小径

再び,というか既に何度目かの緑の小径だ.ただしここはミニチュアV字谷のように深く抉れている.

また周囲の木の種類もいろいろあって面白い.


丘の上を歩くwalk the hill

広い麦畑に出る

広い麦畑に出る

アルガ川沿いトレイルが長く続いた後,開放的な畑地帯に出た.多分麦であろう青々とした茎が広く育っている.空も真っ青でこれまた気持ちのいい眺めだ.


トレイルは高台に続く

トレイルは高台に続く

そのうち高台に続くトレイルに入っていった.路面は階段状によく整備されている.


高台に出る

高台に出る

斜面を上り切ると高台に出た.眼下には不規則な傾斜地形に合わせ区画された段々畑が展開されている.作物はやはり麦が多いようだ.

そして畑にできない急斜面は雑木やあるいは植林された樹木もあるようだ.


菜の花畑か

菜の花畑か

高台を進むと明るい黄色い花の畑が多くなった.菜の花,あるいはからし菜の畑でしょうか.

また道脇にはポプラが多くなってきたようだ.


パンプローナ新市街new city of Pamplona

パンプローナへの入り口辺り

パンプローナへの入り口辺り

やがてパンプローナへの入り口辺りに入ってきた.旧市街周辺に新市街が拡張されていったので,ここは新市街入り口ということになる.流れるはアルガ川(Rio Arga)で,架かっている橋はズブリ村入り口の太鼓橋同様のスタイルだ.太鼓橋は見通しが悪いので,きっと車の無かった時代に建設されたのであろう.


パンプローナ新市街の街並み

パンプローナ新市街の街並み

パンプローナは人口20万人くらいで大きな市だ.新市街の街並みは注意深く眺めたわけではないが,普通の大きな都市と同じように,各種ショップに,金融機関,オフィス,集合住宅....等々並んでいる.ただし新市街と言ってもところどころ石畳の舗装が趣を添えている.

大都市に入ると巡礼路の道標が判り難くなる.つまりトレイル脇に石や樹木はないし,きれいなビルの壁に黄色のペイントを書き込むこともかなわない.それに道は縦横に交差するので分岐点は非常に多くなる.そこでパンプローナでは主に歩道舗装面に鋳造したシェル模様の黄銅板を埋め込んだ道標としてある.私はポルトガルのLiさんとこれを頼りに歩みを進めた.


パンプローナ新市街の街路樹

パンプローナ新市街の街路樹

車道側枝を下ろし,歩道側は残したこの木は何でしょう.今は葉が少ないがこれから向かう盛夏の頃には完全な日陰を作るのでしょう.


パンプローナ旧市街に渡る大きな太鼓橋

旧市街に渡る大きな太鼓橋

新市街を大分歩き,旧市街に渡る太鼓橋にやって来た.この石橋はかなり大きく,また相当歴史がありそうだ.川は曲がりくねっているがやはりアルガ川のようである.

また橋の向こうの緑地は公園のようだ.大きな都市だが緑地が多いと思う.東京でも例えば,江戸時代初期熊本藩主細川家の下屋敷跡が戸越公園として引き継がれているような感じであろうか.


パンプローナ旧市街old city of Pamplona

パンプローナ旧市街の城壁

パンプローナ旧市街の城壁

太鼓橋を越えてしばらく歩くと旧市街の城壁が聳えていた.石の壁は垂直に近いくらい急峻でしかも高い.攻略するのは大変そうだ.

この城壁はこの先で曲がって続いており,城門が設けられている.実際17世紀設計の公園が殆どそのまま現在も引き継がれているそうだ.


パンプローナ旧市街の街並み

パンプローナ旧市街の街並み

まさに中世的香り高き街並みだ.それにしてもこうした耐久性有る建物やこれまで渡った橋など建設してきた人たちには改めて敬意を評したい.これは多分に考え方,思想の違いが表面に出ているからであろうか.

対極として大きな神社の短期間建て替えの習わしなど,単にその場しのぎとかではもちろん片付けられないし,素人がどうのこうの言える単純な話ではない.ただ耐久性建築は親子,孫,数代の経済面(市民税など)では有利かな~という気がするかな~

この辺りの通りは有名な「牛追い祭り」で牛が駆け抜けるところなのではなかろうか.今年の祭りは帰国後の7月初旬開催され,牛の角に突かれた負傷者が8人出たそうだ.


パンプローナ市役所

パンプローナ市役所

こっ,これが市役所と思うが,実際そうらしい.バロック様式ということだがこれではカトリック教会以上ですね.

この建物は自治体庁舎,司教館,神学校,音楽学校,バスク愛国運動の事務所などのオフィスとして19世紀に建てられたらしいです.


パンプローナアルベルゲのレセプション

パンプローナアルベルゲのレセプション

パンプローナのアルベルゲ(Albergue de Jesus y Maria)に着くと,順に並びこのレセプションでチェックインした.係の男性は大変親切で諸事詳しく説明してくれた.このチェックイン以外にも洗剤の購入などで何かとお世話になった,ありがとうございました.

ただこの男性がシェスタか何かで不在の時は誰も居らず困った.そのうち代理(?,いや別の担当者)の女性が来られ,郵便局の場所を尋ねたときはかなり事務的と言うのでしょうか.....まあそれが普通なのでしょうが.ありがとうございました.


修道院を改修して作られた大ベッドルーム

修道院を改修して作られた大ベッドルーム

これがベッドルーム.元は修道院だったそうで,高い天井の巨大な石造り大広間だ.そこに2階建てベッドルームを設け,上下階は2段ベッド3台くらいずつ区切るブースを配置した構造になっている.天井を見上げると,元のままなのでもろに修道院とか教会のようである.

私は下段ベッドで問題ないが,上段の人は梯子の上り下りがあるので大変だ.でも場所によっては梯子がなく,脚立だけだったり,柵なしベッドのケースもあるから恐ろしい.

なおベッドルームの奥には広いダイニングスペースがあり,お手洗いやシャワールームは中二階,ランドリーは横にはみ出た一階,干し紐はその外にあった.


混み合うランドリー

混み合うランドリー

収容人数に対して洗濯機や乾燥機が少ない.空いたかな~と覗きに行っても依然として混み合っているので並ぶ.前に並ぶのはカリフォルニアから来たという女性だった.LAの北に4時間ほど,ネバダ寄りの内陸ということだ.それはそれとして洗剤は自動投入されないので,レセプションで買ってこないといけませんよと教えられ,買いに行く.旧式の洗濯機だ.

やがて順番が回って来る頃,別の若いコリアン女性から,「このままでは日が暮れそうなので,私の洗濯物も一緒に入れてもらっていいでしょうか?」と訊かれ,「構いませんよ,どうぞ」と応えた.ただこれには非常にびっくりした.なにしろ日本では父娘でも一緒に洗濯機を回すのはいやがられることも多いと聞くのだから.

ドライヤーはもっと悲惨だった.私の前使用者は壮年ドイツ人夫妻で,二人がかりでドラムから乾燥された筈の衣類を引っ張り出し,上に広げ,畳む体制に入った.ところが,これが全く乾いてない.私に「これに触ってみて」と言うので,手にすると殆どビショビショだ.しかも3回コインを入れ,3回連続して回した結果がこれだという.明らかに故障している.私は,外の干し紐に下げた方がいいですよと勧め,自分もそのようにした.紐も混み合っていたが何とかなった.また湿度が低いのか意外と早く乾くことが判った.


カスティーリョ広場

カスティーリョ広場

この日は歩いた距離は短かったが大分くたびれた.少しでも荷物を減らさないと,四国遍路のときのように脚を痛めるかもしれない.そしてスペア歯ブラシ程度僅かなものも厳選して,送り返すことにした.

レセプションでここら周辺のマップで郵便局の場所をマーキングしてもらい,アルベルゲ入り口に来た.そしてそこには早足グループのStkさん,Ctkさんがベンチに居られたので,マーキング場所へのルートを訊いた.お二人は今ここに居られないがNhさんと共に早くに到着し,見物して回ったようで詳しい.

そして郵便局に行くため先ず写真のカスティーリョ広場(Plaza del Castillo)を横断した.そして広いフロアの郵便局に着き,定格パッケージに宛先を書き,ブツを収め,計量し(830gだった),料金を支払い投函した.

ところで,このカスティーリョ広場,時は1512年,下記載のナバラ王国(824年~1620年)に,攻め入ったカスティーリャ(カステージャ)王国(1035年~1715年)は強くナバラは倒れ,併合された.そしてナバラは一応自治州として存続を許してもらうという和議を結んだそうだ.

そのうちカスティーリョ王国はこの場所に城を築き,後に更地の広場になったが,その名をここに残しているわけだ.


ナバラの女神像

ナバラの女神像

1903年に設置された女神像だそうだ.高さ25mあり,ここナバラ州の歴史,正義,自治,平和,仕事を象徴しており,ちょっと写真が小さいが左手で翳しているのは法律書だという.

なおカスティーリャ支配下以降のナバラは自治州で,その州都がこのパンプローナというわけだ.中世ではナバラ王国として栄え,中世,スペイン中央部にあった強国,後のスペインの中核カスティーリャに併合されたというのは前述の通りだ.いや~今日も同じ,若しくは似たような事態が続いているのは周知の通りで,自国の守りの重要さを改めて認識する.


パンプローナの教会churches in Pamplona

パンプローナ大聖堂(Catedral de Pamplona)

パンプローナ大聖堂

さて洗濯も,荷物送りも済んだことだし,先ずはアルベルゲ近くのカテドラルを見てくるかと出かけた.そしてその入口近くで二人の品川区女性Mtさん,Tnさんに出会う.そして一緒に歩く,いや私が付いて行く流れになった.どうぞよろしく.

そして先ずはパンプローナ大聖堂(Catedral de Pamplona)を見せてもらった.12世紀ロマネスク様式の建物の上に14~15世紀ゴシックで作られたそうだ.ただし写真のファサードは18世紀末に作られ,バロック様式と新古典主義様式が混在するデザインだということだ.確かにゴシック様式と比べてスッキリしてますね.


パンプローナ大聖堂内部

パンプローナ大聖堂内部

それ以前にあったというロマネスク様式では実現できない,高い天井と広さを有する礼拝堂だ.多分断面は十字になっている筈だ.


パンプローナ大聖堂のちょっと正教会風主祭壇

ちょっと正教会風の主祭壇

正式名称はサンタマリアデパンプローナ大聖堂(Catedral de Santa Maria de Pamplona)だそうで,主祭壇中央には白い聖マリア像が見えている.

しかしその前には聖人やこのカテドラル縁りの人物と思しき暗褐色のレリーフ板が,あたかも正教会のイコノスタシスの如くずら~と並んでいる.なかなか興味深い様式だ.


大聖堂の脇の礼拝所

脇の礼拝所

大聖堂は脇や後ろに数多くの礼拝所が設けられている.ここはそれらの中の一箇所で,全体が金ピカだ.

中央はマリアさまであろう.そして左は,今まさに首をはねられようとしている殉教者で,聖人,このカテドラルの守護神でしょうか.

右は杖(と,はっきりしないがひょうたん)を持っているのでサンティアゴ(聖ヤコブ)でしょう.


パンプローナのサンサトゥルニーノ教会(Church of San Saturnino)

サンサトゥルニーノ教会

カテドラル見物後,少し歩いてサンサトゥルニーノ教会(Iglesia de San Saturnino/Church of San Saturnino)に入ってみた.13世紀建立と,古いゴシック様式教会で,要塞の役目を兼ねていたそうだ.

外観は高い塔を持つ多角形状礼拝堂で,内部主礼拝堂は金ピカで美しい.


サンロレンツォ教会外観(Church of San Lorenzo)

サンロレンツォ教会外観

サンサトゥルニーノ教会を去り,次はサンロレンツォ教会(Church of San Lorenzo)を訪れた.Mtさんがぜひ訪ねたい教会のリストに入っているという.何でも今回のカミーノルートと深い縁があるらしい.

現在の建物は18世紀新古典主義建築で建てられたもので,かなりさっぱりしたデザインだ.ただその前には既に教会として存在していたのではなかろうか.


サンロレンツォ教会主祭壇

サンロレンツォ教会主祭壇

礼拝堂内部もまたスッキリシンプルな装いだ.主祭壇の飾り棚のようなスタイルも新鮮に見える.


主祭壇に直交する方向に守護聖人サンフェルミン像

主祭壇に直交する方向に守護聖人サンフェルミン像

サンロレンツォ教会では主祭壇に直交する方向にサンフェルミンを祀る祭壇があり,こちら側にもちゃんとテーブルとベンチが配置されている.ちょっと変わった形式に見える.

サンフェルミン(San Fermin)はパンプローナの守護聖人で,首を切り落とされて殉教した人だそうだ.ということは前記カテドラル脇の礼拝所の左側レリーフ像の人物であろう.パンプローナでは毎年サンフェルミン祭が開催され,その時は,この聖サンフェルミン像が市民とともに行進するそうである.

ところで教会名に冠を抱くサンロレンツォ(San Lorenzo)もまた聖人なのであろうが,こちらは一体どういった方なのか.....


夕食でレストランへ

教会を3つ見て,ちょうど夕食時になった.そして,「一般18ユーロ,巡礼者15ユーロ」のメヌー看板があり,このレストランに入る.

そして今回カミーノの動機など話す.Mtさんは以前最後の100kmを歩くツアーに参加したことがあったが,もの足りず,やはり個人で800km歩きたい,とのこと.

Tnさんは何と,この800kmカミーノを歩くのが子供の頃からの夢だったのだそうだ.カトリックではないが,当時読んだ本や,大学もキリスト教系だったこともあり,今回会社を辞めて出てきたそうだ.お兄さんが近いうちに新たに事業を始めるので,そこで仕事することも視野に入れているそうだ.ところでお二人は一緒にこの旅に出たのか,あるいは道中たまたま一緒になったのか不明である.一般に後者のケースが多いようだが.

夕食のレストラントマトサラダラムチョップ

さて私はトマトサラダにラムチョップをオーダーし,上の通り出してもらった.トマトサラダはソースが美味しく,ラムはミディアムレアの焼き加減は正確で,最高の美味しさだった.この後食べる全ての中でも最高だったと今も思う.他にアイスクリームのデザートなどあったと思う.

MtさんとTnさんは別々の魚料理を食べていた.Tnさんが多く食べ残したら,ウエイターが来て,これならいかがでしょうか?と別の料理を出してくれていた.巡礼者はこの日限りなのに,なかなか立派な対応のレストランだ.

食後まだ昼間と同じ明るさであるが,私はアルベルゲに,彼女らは別の宿にそれぞれ引き上げた.お休みなさい.