巡礼23日目:モリナセカへday 23:Molinaseca
この巡礼23日目:モリナセカ編では,2019年6月3日ラバナルのアルベルゲで朝を迎え,朝早くここを出発し,フォンセバドン,標高1,500m余りのイラゴ峠,マンハリン,エルアセボ,リエゴを通り,標高580mのモリナセカに至るときの写真を載せました.
モリナセカ付近のGoogleマップmap around Molinaseca
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離25.77km,歩行時間6h58min.
↑ マウスでズーム,移動.
ラバナル・デル・カミーノの朝Rabanaldel Camino
アルベルゲのサロンで朝食
ラバナルのアルベルゲ(Refugio Gaucelmo)には一階のキチネット脇にダイニングテーブルがあった.その他にゆったりしたサロンと名付けられたこの部屋があり,ここで手持ちの食べ物,多分パンに,チーズに,ハムかサラミ,ジュース程度をかじって,出ることにした.
ラバナルの朝
ラバナルの朝はまだ暗かった.しかし私より先を歩く人がいるので,決して早いわけではない.極端な例だが,先般5時前に出ていった同室のイタリアン男性の例もある.
ここのところ年寄りの習性か,さっさと寝て,早く起き,出かけることが多くなった.雨でなければ朝方歩くのは快適だ.
徐々に上り明るくなる
さて今日は標高1,515mとか1,530mとか言われるイラゴ峠を通る.ただラバナルの標高は既に1,150mと高いので,標高差は大きくない.
そして歩くに連れ徐々に明るくなってきた.またいくらか標高が上がったためか,巡礼路周辺には黄色や赤の花を付けた草が大量に茂る光景となった.
牛の放牧
やはり高地になったためか,いや多分傾斜地が多く,畑ができないためであろうが,牛の放牧地になっている.右側大小2頭は母子のようである.
フォンセバドンFoncebadon
フォンセバドンの村に入る
フォンセバドンの村に入ってきた.たまたま道路工事中のようだ.しかし巡礼路でもある歩道部分はそのままで,歩くに支障ない.標高は1,430mになったようだ.
村の建物は石(非加工の)造りで,黒いので多分スレート屋根が多いようだ.近くにスレートを産するところがあるのでしょうか.
フォンセバドンの教会
歩いているうちに教会に出合った.鐘を吊る壁部分は崩壊しそうで,仮の補強材で支えている.きっと財政的に改築が困難なのでしょう.
フォンセバドンの教会礼拝堂
教会礼拝堂を見せてもらった.木製の十字架に,プロの手に依らない手書きの絵が掲げられている.財政的に苦しいが,何とか信仰を守っていこうと云う信念を感じさせられた.
イラゴ峠Puerto de Irago
フォンセバドンを過ぎ山道続く
フォンセバドンの村を過ぎ,また山道になった.
黄色,赤に加え白い花も多くなった.なかなか素晴らしい道だ.
1,460mになる
快適な道を歩き,私のカシオを見ると1,460mを指していた.気圧高度計なので必ずしも正確とは言えないが,まあこんなもんであろう.
イラゴ峠に至る
イラゴ峠(Puerto de Irago)に到着した.大量の石(感謝の石)が積み上げられ,そこに鉄の十字架(Cruz de Ferro)が立てられている.
石は自宅から持ってきたり,サンティアゴから持ってきたり,あるいは気まぐれにその辺で拾ったりしたものだそうだ.最後のケースが多そうだが....
高い鉄塔先の十字架は天国の近くに,という思想に基づくようだ.なおこの塔の歴史は古く,12世紀にさる隠者が木製柱の先に鉄の十字架付けて立てたときまで遡るようだ.
ここでカシオを見るのを忘れていたが,資料を探すと1,504mとか記されていた.
イラゴ峠近くの礼拝堂
イラゴ峠近くに小さな礼拝堂があった.屋根付き前小屋や軒下のベンチなど休憩所を兼ねているような構造だ.
マンハリンManjarin
イラゴ峠から下る
イラゴ峠からは下る一方になる.
白花が咲き乱れ,遠くには山並みも望めて素晴らしい.
次は黄花満開
黄色い花も満開だ.多分こうした花は,牛が食べないのでしょう.そこでこのように密生しているのではなかろうか.
牧草地あり
斜面には緑が茂っている.これは牧草であろうか.そんな気がする.
マンハリンを通過
そのうち土の巡礼路は一時舗装路になり,マンハリンを通過した.マンハリンは以前集落があったのだが,現在は実質的に廃村され,ただ一軒のお宅だけが小さな売店を営むようである.
エル・アセボ・デ・サン・ミゲルEl Acebo de San Miguel
また土の巡礼路になる
マンハリンを過ぎるとまた土の巡礼路になった.少しガレ気味のところもあり,自転車巡礼の人は安全のため歩いて自転車を引いていた.
エルアセボの村に入る
坂を下りエルアセボ(El Acebo de San Miguel)の村に入った.
何れの家も,二階の屋根付き木製バルコニーが大きく張り出している.雨の日はこの下を歩けば濡れずに済みそうだ.
リエゴ・デ・アンブロスRiego de Ambros
エルアセボを抜け一時舗装道
エルアセボを抜け一時舗装道となった.先方が開けて遠くまで見渡せる.灌木が多いようである.
リエゴの村になる
少ししてリエゴ(Riego de Ambros)の村になった.入口近くにはペンションの看板が出ていた.なかなか年季の入った建物で,宿泊し,当地の伝統的内装も楽しめるであろう.
ロンドンっ子とおしゃべりしながら下る
どの辺りだったか,下り道のどこかで一緒になったロンドンのSwさん.きっかけはミノルタのフィルム一眼を下げていたからで,普通スマホだがここぞというときにフィルムで撮るそうだ.で,プロ?と訊くと,いやインスタにアップする程度だという.フィルムの入手や現像などどうか訊くと,ロンドンではまだ容易とのこと.
とても親しみ易い人で,話はいろいろ飛ぶ.私の年齢に相応しかろうと,先ずおじいさんのことを話してくれる.おじいさんは80歳で,現体力を見るとカミーノは先ず無理だ.元ロイヤルネイビーの軍人だったそうで,えっ,じゃあフォークランド紛争にも加わったのか,と訊いたら,いや爺は軍楽隊のクラリネット奏者で,専ら式典で奏でて活躍し,戦闘には加わらなかったそうだ.
彼女もその血を受け継いだようで,ギター,バイオリン,ピアノなど弾き,作詞も行うそうだ.
話は変わりブレグジットになる.国民投票で僅かな差でEU離脱が決まったが,彼女は反対だったそうだ.離脱派は年配者ほど多く,若い人は反対の傾向が強かったそうだ.そして3年経った今,仮に再投票すれば,当時賛成の年寄り人口は減り,新規若人が加わるので離脱はなくなるであろう,との意見だ.まあ再投票はないでしょうが....
それと多くの欧米国がそうであるように,英国でも人種差別やゼノフォビアが増えているのは嘆かわしい.EU離脱はそうした傾向を増長する恐れがある,とも.ついでの旅行も好きでカナダ,NZなど行ったが,元カレが日本もいいと言ってたので一度行ってみたい,と.でも夏のトロピカルジャパンは避けるが賢明と一応言ってみる(白人は暑さ寒さにメチャ強いので問題ないと正直なところ思うが).
彼女は野草とかハーブにも詳しいようで,「これはラベンダーの一種」とか教えてくれる.ラベンダーは畑で栽培するものと思っていた.
モリナセカMolinaseca
モリナセカの街に入る
おしゃべりしながら下ると,舗装路に出て,少し歩きモリナセカの街に入ってきた.モリナセカの標高は随分低く580mということだからイラゴ峠から1,000m近く下ったようだ.
街入り口はあまり建物のない言わば新市街の縁のようだ.そしてそこに写真の新しそうな教会が建てられていた.直方体に切り出された石の構造で,殆ど白い.ただ右奥円形ドームのある部分は色合いからすると歴史がありそうだ.つまり古い教会を改築したもののようである.Googleマップで見ると教会はヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・アングスティアス教会(Ermita de Nuestra Senora de las Angustias).でもこれでは解らないな.....
メルエロ川向こうにモリナセカ旧市街
この教会先から見下ろすと緑地の間を清流が流れている.メルエロ川(Rio Meruelo)だそうだ.そして川向こうにはモリナセカ旧市街が見える.建物屋根がスレートなのか黒いのが目立つ.
そして街の背後には大きな教会が見えている.聖Nicholas教会(Iglesia de San Nicolas)ということだ.ただし私はそこは通らずに進むことになる.
メルエロ川の橋を渡る
メルエロ川には古い石造りの多連アーチ橋が架かっていた.巡礼者の橋(Puente de los Peregrinos)と呼ばれ,12世紀建造という.歴史があります.日本では鎌倉時代でしょうが.この時代の橋が残っていれば世界遺産かな.
モリナセカ旧市街
橋を渡りモリナセカ旧市街になった.狭い通りの脇にバーやお店が並び,とてもいい雰囲気だ.後で食料を買いにもう一度訪れることになる.
日本のNPO法人の石碑
モリナセカ旧市街はそう長くない.旧市街の出口には小さな緑地があり,当カミーノと友好関係にあるらしい日本の2つのNPO法人の石碑が建てられていた.日本語を見るのは久しぶりかな.....
モリナセカ反対側の新市街
メルエロ川を渡る前も新市街だが,上NPO法人石碑から先も新市街だ.大通りの両側に大きな邸宅などが並んでいる.バーのあるアルベルゲも一軒あり,後でビールを飲みに来る.
アルベルゲに到着
標高が下がったためか暑い大通りを歩き,目指すアルベルゲ(Albergue De Peregrinos San Roque)に到着した.
アルベルゲは面白い構造だ.非常に大きな屋根が下の本体に覆い被さっている.古い重要文化財を保護するための構造のようだ.
正面のドアから入ると眼の前に簡単なキッチンがあり,部屋全体を囲うようにベンチというか,巨大掘りこたつというか,飲み屋の足入れ型和室と言うか....である.用途がイマイチ解らない.そしてキッチン横にレセプションがあり,ここでチェックインさせてもらった.
二階にベッドルーム
二階にベッドルームがあり,指定されたベッドにシーツを張り,寝袋を置いて確保.
前記大屋根には,ベッドルームの上に関しては大きな明かり入れ用ガラス窓があったように思う.
シャワーは二階ではなく一階だったかな~
大屋根利用のオープンカフェ
前述の大屋根は軒下が大きい.庭はアルベルゲとしては信じられないほど広い.その軒下を利用したというか,そのために大きくしたと言うか,とにかく軒下も広い.ここにオープンカフェが設けてある.そしてそこで食事を頂戴したいと思い行くのだが,ビールとかは問題ないのだが食事は用意できないと言われる.がっかり.でも暫くしたらここにお客さんが来て,美味しそうな食事をとっている.どうやら相当早い時間にリザーブしてあれば調理人がやって来て作ってくれるのだとか....真相は未だ不明だが.
私は新市街のここに来る途中のバー,うまくすればレストラン併設アルベルゲ,ここから数分であろう,を思い出し出かけることにした.で,そこに行くとその時間帯はビール(など飲料と乾き物)だけだという.無いならビール以外選択肢はなかろう.ただビールにはポテチが付属していた.気が利いてますね.
でもビールにポテチだけではイクサ(何の戦?)はできない.で,旧市街に戻ってみた.旧市街のバーには大きな街らしく,多くの市民が飲んでいた.でもちょっと気後れして入り難い.やむなくスーパー(とは言っても小さなお店)に行く.このスーパーは小さいながら果実からワイン,ビール,おつまみ皆揃っている.コンビニのような感じだ.ということでここで各種(明日分まで含めて)仕入れ,タッ,ただ待てよ財布がない.さっきのバーに置いてきたのだ.で,戻るしかない.もちろん必死で往復した.以前カリオンの修復中教会にパスポートを忘れたときより遥かに長い距離だ.正しくヤキが回っとしか言いようがない.
というような大変なことを体験し,何とか広い庭に面したアルベルゲに戻り,(ヤキの入ったマルテンサイト焼戻しのため)軒下に広げて食べる.いろいろ厄介なことを引き起こして我ながら大変だ.