巡礼5日目:エステージャへday 5:Estella

この巡礼5日目:エステージャ編では,2019年5月16日プエンテラレイナのアルベルゲで目覚め,早い時間に出発し,マニェル辺り,シラウキ辺り,ロルカ辺り,ビリャトゥエルタ辺りを順次通過し,エステージャに着いたときの写真を載せました.

エステージャ付近のGoogleマップmap around Estella

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離24.5km,歩行時間5h58min.

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プエンテ・ラ・レイナの朝morning at Puente la Reina

ププエンテラレイナのアルベルゲ

プエンテラレイナのアルベルゲ

昨日写すのを忘れていたが,今朝になって写すとプエンテラレイナのアルベルゲはこんな風になっていた.片側に荷物置き場兼用ベンチがあり,ここで身支度できる.

この日アルベルゲの皆さんは早めに起きて,そのベンチで早めに身支度を整え,そして出発していった.

改めて2段ベッドの上段を見ると柵などない.若い人でもちょっと心配だな~


プエンテラレイナの橋

プエンテラレイナの橋

プエンテラレイナ(Puente la Reina)とは王妃の橋の意味なのだそうだが,11世紀にナバラ王妃の建設命令でできた橋という.まだ薄暗いなか歩き,その入り口に来た.

下を流れるは,ズブリの辺りから時々眺めてきたあのアルガ川(Arga)というが,想像もできないほどの川幅になっている.あちこちで支流を集めて大きくなったのであろう.ドジり橋横からのショットがなく,橋の全容と川が見えないのが残念.


プエンテラレイナ橋の対岸手前

橋の対岸手前

写真はないが,プエンテラレイナ橋は複数のアーチ型橋脚に,中央を頂点とする鈍角二等辺三角形を成す路面が支えられた構造だ.路断面は凹面状で,中央部に雨を集め橋両端部に流す構造だ.また欄干も石である.つまり全部石でできている.

11世紀と言えば1000年も昔のことで,途中修復工事はもちろんあったであろうが,設計と施工が良かったのであろう,素晴らしい.


朝焼けの雲

朝焼けの雲

橋の先にはプエンテラレイナの一部住宅街があった.プエンテラレイナの人口は橋の両側全部含めても3000人足らずということで,住宅街は直ぐに抜けた.

そして野道に入ると,視界が低く地平線まで開け,朝日に照らされた雲が赤く輝いていた.

ところでこの雲はいわし雲....でしょうね.


マニェル辺りManeru

マニェル(Maneru)の村に入る

マニェルの村に入る

野道を行くうちに明るくなり,そしてマニェル(Maneru)の村に入っていった.手前の農地は麦や牧草が多いようだ.


マニェルの壁飾り

マニェルの壁飾り

マニェル村を歩いていると,ある住宅壁にこのような石のレリーフのエンブレムが飾られていた.兜や盾を着けた騎士のようにも見えるし,両手に討ち取った首のような....違うか.結局何か分からなかった.


マニェル村のオリーブ畑

マニェル村のオリーブ畑

オリーブ畑があった.オリーブは樹齢が長いことで知られるが,これは幹の太さからすると,最も生産性が高いと聞く20~30年位だろうか.

スペイン南エリアではオリーブの木は多いが,この辺は気候からしてあまり多くないとは思う.


マニェル村の若いブドウ畑

マニェル村の若いブドウ畑

茎が細いので若いブドウだと思う.畑が石ころだらけなのは以前別のところで見た様子と同じだ.

秋になれば収穫し,そしてぶどう酒になるのだろう.


シラウキ辺りCirauqui

シラウキ(Cirauqui)の村が見えてきた

シラウキの村が見えてきた

マニェル村の畑を進んでいくと,先方にシラウキ(Cirauqui)の村が見えてきた.低い丘状の土地に赤い屋根,白やベージュ壁の建物が集中している.


シラウキ入り口のカフェ

シラウキ入り口のカフェ

そしてシラウキ入り口辺りまで歩くと,カフェがあり巡礼者が飲料を摂り食事をしている.お店の前は斜面だが,その上のテーブルも椅子もいっぱいだ.


やあやあ久しぶりです

やあやあ久しぶりです

そこへ久しぶりに台湾のSnさんが現れ,やあやあ久しぶりと言いながら,テーブルを少し譲ってもらい,座る.そしてテーブル反対側の女性に,チーズと言いながらシャッターをタッチしてもらった.そのとき背後から男の声で,チーズじゃなくケソ(スペイン語のチーズ)だよと声が掛かる.確かにそうかも.

Snさんはシャッターを頼んだ女性に,お店にお手洗いはありますか?と訊く.すると女性は,それがないのよ,森を探さなくては,と応じる.あははは...と笑いながら,欧女性の気取らぬ率直さに感心した.


食材を買い,自分で挟む

食材を買い,自分で挟む

このお店はコーヒーは出してくれるが,サンドイッチはない.しかしパン(バゲット)やチーズ,ハムなどは販売している.そこでそうしたものを買い求め,自分でパンに挟み,サンドイッチ(ボカディージョ)にする.


坂の多いシラウキを抜ける

坂の多いシラウキを抜ける

手前の丘から眺めた通り,シラウキは小さな傾斜ながら坂が多い.こうした傾斜地に石造りの立派な住宅が連続的に立ち並び,雨集めV字状断面の石畳通りが整備されている.

斜面に建つ住宅の,一階の床はどうなっているのだろう.まさか斜めということはなかろうが,部屋ごとに中二階形式の段が付いているのかな....


非常に古くからある通りと橋

非常に古くからある通りと橋

シラウキの村を通り抜けると,非常に古くからあるという通りがあり,また同様に古い橋を通過した.何でもローマ時代から存在した,という記事があった.

確かに橋の構造はこれまで見たアーチ型橋脚の太鼓橋や逆V橋と違って,両側欄干部が厚みある構造部材になっているように見える.まあ,古代ローマ帝国の建造物は橋を含めてあちこちに残されているので,決して不自然ではなかろう.


シラウキ先の現代の高速道路

現代の高速道路

古代通りを行くと,高速道路の交わる橋を渡ることになった.概して巡礼者には歓迎されそうにないが,こうした進歩は自然なことと考える.


ロルカ辺りLorca

現代の水道橋

現代の水道橋

シラウキを越え,ロルカ(Lorca)のエリアに入ってきた.そして車道と並行して走る巡礼道の上に白い水道橋が横切っていた.

水道橋もローマ帝国の得意とするところで,今もあちこちに残る.それらは石やレンガ作りの重厚なものだ.

一方この水道橋は金属製で,送水能力に比べて接地面積や,断面積は大幅に小さそうだ.


この橋も古そうだ

この橋も古そうだ

この橋も古そうだ.周りもヤブだらけで巡礼路にふさわしい.


ロルカ(Lorca)の村を通る

ロルカの村を通る

やがてロルカ(Lorca)の村に入っていった.やはり古くからの街並みのようで,狭い通りが続く.

教会が通りに面していたが,ドアは閉ざされ中は見えなかった.


きれいに花を飾った家

きれいに花を飾った家

ゼラニウムなど各種花をきれいに飾った家の前を通過した.手入れが行き届き見事です.

そしてこの辺りであったかな~初日オリソンへの上りで出会った南アのカップルに出会った.ザックは背負っていたが,奥さんはまだ声がかすれ気味であった.大分改善したそうではあるが,お大事に.


ロルカの村を抜ける

ロルカの村を抜ける

ロルカの村を抜けるとまた野道になった.そして畑の中を行く.

左前方は麦であるが,手前は何であろう?牧草かな.....

また道脇の野草もなかなかきれいだ.赤いのはポピーで,黄色はジシバリかその系統かな...


栽培されたポピー

栽培されたポピー

普通ポピーは雑草として生えているが,ここでは大面積で他の植物と混じってない.栽培されたポピーなのであろう.圧倒的な量で,実に素晴らしい.

ところで,ポピーは切り花として出荷するのであろうか,それとも種子になってから収穫するのか...弱そうだから後者かな...

そしてこの辺りでポルトガルのLiさんに久しぶりに出会う.ただ昨年歩いたというポルトガル人のカミーノなどおしゃべりしながら歩いているうちに道標を見落とし,曲がるべきところを真っ直ぐ行ってしまった.しばらくしてだれも歩いていないことから,間違えたことに気付いたのだが,戻るのも癪なので先まで進み,ビリャトゥエルタに向かう道に来たところでそちらに折れ,やがて巡礼道に戻った.


ビリャトゥエルタ辺りVillatuerta

ビリャトゥエルタ辺り

ビリャトゥエルタ村入り口の橋

ポピー畑からしばらく行くとビリャトゥエルタ村(Villatuerta)入り口辺りになり,古い橋が架かっていた.太鼓橋だがその弧の半径は小さめで,時代の古さを感じさせる.

そしてこの辺りで少し腰を下ろして,橋を歩く巡礼者を眺めているとき,ザック脇のポケットに入れておいた薄いサンダルと軽量傘がないことに気付いた.古いブラックダイヤモンドのポケットのゴムが弾力を失い,保持力がない.そこでそれらをまとめたビニール袋を強力洗濯バサミで止めておいたつもりだったが,甘かった.


ビリャトゥエルタの聖母被昇天教会

聖母被昇天教会

歩いていると教会があった.Iglesia De La Asuncionとのことだが,意味合いは聖母の被昇天(Asuncion de Maria)に由来するようで,聖母被昇天教会ということになろう.日本では聖マリア教会と称されることもあるようだ.この名のカトリック教会は世界各地にあるようだが,スロベニアブレッド湖の教会は(観光地として)よく知られている.


聖母被昇天教会礼拝堂

聖母被昇天教会礼拝堂

教会のドアが開けられていたので覗かせてもらった.主祭壇は大きな窓が設けられ,明るい.そして区画されたパネル中央には聖マリア像,上にはキリスト像,下は杖を持ったサンティアゴ像が見える.左右のパネルにはキリストの生涯に関わる物語であろうか.

全体的に色のコーディネートが落ち着き,またシックであると思う.


ビリャトゥエルタ村先の穀物タンク

ビリャトゥエルタ村先の穀物タンク

ビリャトゥエルタ村を過ぎると,こうした大きなタンクが並んでいた.小麦などの穀物貯蔵タンクのように見えるが....正確なところ分からない.

巡礼路にはいささか無粋な感じだが,穀物貯蔵ならそんなこと言ってられまい.


エステージャEstella

エガ川が沿う

エガ川が沿う

エガ川(Ega)が巡礼道に沿うようになった.この辺りはこの日の宿泊地エステージャのエリアのようだ.

この辺りは堰になっているようで,緑がかった流れの水面は静かだ.実際の清浄さは分からないが,結構いいのかな?


エステージャ入口側の教会群

エステージャ入口側の教会群

エステージャの街入り口辺りには,教会や修道院が複数建っている(ように見える).ただ道路に面しているのは聖墳墓教会のようである.

アルベルゲに落ち着いたら後で行ってみよう.


エステージャの街の通り

エステージャの街の通り

狭い石畳の通りがエステージャのメインストリートだ.そしてアルベルゲがあるかな~と歩いているうちに,終端側に出てしまった.メインのエリアは意外と短いのだ.

短いが中世的香りの漂う街並みで,巡礼者や観光客が歩くにはいいと思う.

それと大変ありがたいことに,スポーツ店があり,開店していた.そして失ったサンダルと傘を探した.サンダルはアルベルゲでは必須でこれがないとベッドルームに入れない.嵩はあるが軽量のものがあるのでそれを買った.ザックのポケットには入らないでの,紐で外側に括り付けることにしよう.

傘も販売されていた.しかし無くしたモンベル軽量タイプと比べると結構重い.重量が増えると今度は肩が大変になりそうだ.むしろ軽量傘を失ったのは負担を軽減せよとのサンティアゴのお告げであろう....と無理やり自分を納得させ,買うのは止めた.明日から雨のようだが,まあ,カッパだけで大丈夫でしょう(カッパの方はないと致命的だが)


エステージャのアルベルゲ

エステージャのアルベルゲ

ここが行き過ぎて戻りチェックインしたエステージャのアルベルゲ(Albergue de peregrinos municipal de Estella).メインストリートの入り口に位置していた.写真のとおり質素と言うか,標準的というか,そうしたアルベルゲだ.

ここは早い者勝ち制で,写真奥側若干右寄りの一段ベッドがあったのでそこにシーツを張り確保,なので今夜は地震がなく安心して眠れる.細かいこと言えば,電源の差込口が傍にないのが不便かな.ところで上段の人は梯子がなく,脚立だけだ.すみません.


エステージャのカトリック施設群

エステージャのカトリック施設群

さて上述したように街の少し手前には教会のような修道院のような....カトリック施設が固まって存在している.アルベルゲの辺りから少し戻って,丘に上るとこの写真のように見える.

一番左側が通り真横に位置し,また大きいが,門は閉じており,普通の人は入れない.サンペドロ教会でしょうか....


エステージャ山側の教会

山側の教会

山側の建物の前に立つと,入れるように開けてあり,中を見せてもらった.極めてシンプルでキリスト像すらなく,数人の人物が散らばりながら座っている.

こりゃただの教会とかではないな,と逃げるように去ったのだった.今思ってもここは何の施設だったのでしょうと思う.


エステージャのサンペドロデラルア教会(Iglesia de San Pedro de la Rua)

サンペドロデラルア教会

次に進行方向先方外れにあるサンペドロデラルア教会(Iglesia de San Pedro de la Rua)を訪ねた.ここはエステージャ最大の教会なのでカテドラルかと思ったが,司教座はないのでそれには当たらないということだ.本教会は丘の上にあり,階段を上る.また近くにエレベーターも設置されている.

階段を上りファサードを望むと,同心円アーチの入り口模様などからロマネスク様式のように見える.ただ遡れば本教会は12世紀の建立で,その後はロマネスクを経て,より新しいゴシック様式などの工法が開発されたのでそうした様式もミックスして今の状態が残されているようだ.


サンペドロデラルア教会礼拝堂

サンペドロデラルア教会礼拝堂

ここが主礼拝堂正面だ.キリスト十字架像の両側に数体の像を据えた意外とシンプルなお堂だ.それと窓やステンドグラスも備えられ,これは後期ロマネスク様式とされるようだ.

ところでここは城塞でもあったそうで,1521年にはカスティーリャ軍によって破壊された記録があるそうだ.

もひとつ,サンペドロ(San Pedro)はよく知られた聖ペデロでしょうが,その後ろのラルア(la Rua)とは何でしょう.ググってみたが分からなかった.


サンペドロデラルア教会回廊

サンペドロデラルア教会回廊

礼拝堂の向こうには立派な回廊がある.元々4辺から成る回廊だったのだが,上述のカスティーリャ軍との戦いで,2辺は破壊され,この2辺が残っているということだ.右側,角から4番目の柱だけがひねられているのが不思議ですが,どういった意味合いなのでしょうか.


エガ川に架かる三角橋

エガ川に架かる三角橋

エステージャの中心部には対岸に渡る三角橋があった.渡る時は急勾配で驚くほどだ.デザイン的には紛争で破壊され,再建されたモスタルのスタリモスト橋と似ている.

対岸は少しだけ歩いてみたが主に住宅が多いようだった.


アルベルゲお向かいのバー

アルベルゲお向かいのバー

さてエステージャ見物を終えたので,アルベルゲお向かいのバーに行った.普通にビールから始めて,チーズやサラミのようなありふれたつまみを食べたと思う.当たり前だがお刺身とか枝豆とか...ないのだから.

最初知っている人は居らず,スポーツができそうな女性が食事していた.話しかけるとブラジルから来て自転車でカミーノを2週間で駆け抜けるそうだ.食事は小皿料理にただのパン(バゲット)を添えて,エネルギー補給はしっかりしているようだ.やはりガッツを感じますね.それとブラジルの巡礼者はとても大勢いる.自転車は大変なので頑張って下さいね.

そこへ初日ロンセスバージェスレストランで隣席だったプサンの女性が入ってきた.ここで一緒になるということは同じような日程でここまで歩いてきたのでしょう.彼女はジャガ入りオムレツなど食べていたので,どう?と訊くと,まあと言う返事だった.私もたまに出合うが,まあ,が妥当なところだと思う.

次にポルトガルのLiさんが現れた.Liさんとは時々一緒になることだし,一杯いかかが,とビールを勧めたが,飲まないのだそうだ.そうか,白人は皆アルコールに強いものとの先入観があったが,そうでもないんだ~とちょっと驚いた.