巡礼17日目:ベルシアノス・デル・レアル・カミーノへday 17:Bercianos del Real Camino
この巡礼17日目:ベルシアノス編では,2019年5月28日レディゴスのアルベルゲで朝を迎え,ここを発つとテラディージョス,モラティノス,サンニコラス,サアグンを経由し,ベルシアノスに至り,この村のアルベルゲで宿泊したときの写真を載せました.
ベルシアノス付近のGoogleマップmap around Bercianos del Real Camino
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離27.65km,歩行時間6h09min.
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レディゴスの朝Ledigos

レディゴスの朝出発
5月28日レディゴスに朝が来た.そして少し早めだったがアルベルゲを出発した.最初暫くは西ではなく,北に進んだ.

車道並走路に入る
車道脇の歩行レーンを少し行くと,左側に専用巡礼路が現れ,そこに入る.前日に引き続き,今日もこうした区間が多いのだろうか(後でログを見ると,独立した区間が多かった)
テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスTerradillos de los Templarios

テラディージョスの村に入る
テラディージョス,正式にはテラディージョス・デ・ロス・テンプラリオス(Terradillos de los Templarios)の村に入る
村の名前にTemplariosが付いているのはテンプル騎士団に関わる大邸宅であり,また金の卵を産むニワトリの伝説に絡む寺院があったためらしい.現在の人口は70人程度で小さな村に過ぎないようだ.

アルベルゲの看板
アルベルゲの看板があった.胸の十字はテンプル騎士団の印で,かつて当地を治めていたことに由来するようだ.
テンプル騎士団は,1119年エルサレムで結成され,ヨーロッパで活躍した騎士修道会であって,十字軍活動以降,いくつか生まれた騎士修道会中で最も有名ということだ.

テラディージョス村を抜け非舗装路
テラディージョス村を抜けるとまた非舗装路となった.とは言ってもとてもきれいな道で歩き易い.
この辺りでグーテンモルゲン,ドイツ3女性に追い抜かれる.いや~彼女らもエラいスピードだ.

給水設備ある休憩ベンチ
巡礼路は木陰に入った.そして大変稀なことに石の休憩ベンチ,その脇に給水設備があった.まだ朝のうちで不要ではあるが,午後日照りの中を歩いてくればほっとできそうだ.
モラティノスMoratinos

モラティノスの村が見えてきた
やがてモラティノス(Moratinos)の村が見えてきた.
うまい具合に左側にバーがあるようなので,営業していれば寄ろう.
それと右側には,麓に幾つかの入り口らしきが,そして上には煙突のようなものが突き出ている小山が見えている.はて何だろう.

モラティノスのバーは開いていた
モラティノス(Moratinos)入り口のバーは開いていた.そして庭のテーブルでは台湾のSnさんがコーヒーを飲んでいた.やあやあ久しぶりですね.これまで予定通り順調に進んできたそうで結構だ.
私は中に行き,コーヒーにジュース,トルティージャかボカディージョあたりをオーダーする.すると脇から日本の方ですね,と声を掛けられて驚く.
ひとまず表のテーブルに座り食べ始めた.声を掛けてくれたのは香川のMs.Sdさんで,私の姿形で日本人と判ったそうだ.まあ,そうなんでしょうね.
Sdさんは還暦記念で,このカミーノを含めて2ヶ月の予定で出かけてきたそうだ.西日本最高峰,岩の鎖場を登る石鎚山など含め,山にはよく出かけられるようだ.

小山に行ってみる
Sdさんとバーと反対側の小山に行ってみた.説明板があったが,現在は食料貯蔵庫などとして使われているようだ.温度変化が少なく,比較的低温に維持されるので好都合であろう.
こうした洞窟は住居としてもエアコン無しで,夏は涼しく,冬は暖かい環境が得られるので,元々は住居用に掘られたのかも,いや現在もそうかな.カッパドキア(トルコ)などではこうした洞窟住居は原則禁止になっていると聞くが,ここはどうなんでしょう.

モラティノスの村を行く
モラティノスの村を進んだ.レンガ造りの建物が多いようだ.この写真で,右側は教会だが,これもレンガ色だ.
この教会はサントトーマス教区教会(Parish Church of Santo Tomas)と呼ばれ,身廊一つのみでアーチ形天井のやはりレンガ造りで,16世紀に建立されたそうだ.

モラティノスのこも巻き風アート
モラティノスの村を行くと,いろいろな生地を木に巻き付けた,言わばこも巻き風アートがあった.もちろん虫除けではないだろう.なかなかおもしろい.
以前同じような趣向の木をヴィリニュス(リトアニア)で見たことがあった.偶然の一致か....

モラティノス村を抜ける
モラティノス村を抜け,また野の一本道になった.とても広く,時々巡礼自転車が脇を通り抜けて行く.この辺りならほぼ平で,見通しもいいので安全だ.
この辺りは山吹色花の,多分雑草が多い.
サン・ニコラス・デル・レアル・カミーノSan Nicolas del Real Camino

サンニコラスの村と教会
サンニコラスの村に入ってきた.村の名前からしてサンニコラス(San Nicolas)を祀る教会がありそうだ.そして写真中央に見えるのが教会で,サンニコラスオビスポ教会(San Nicolas Obispo Church)と称するそうだ.16世紀レンガ造りで建てられたようだ.
なおサンニコラス(San Nicolas)は,よく知られるサンタさん(サンタクロース/Santa Claus)のことらしい.

大きなトラクタ
サンニコラス村を抜けるとまた畑の中の巡礼道になった.道脇ではトラクタドライバーの男性が引っ張る農機具を整備していた.日本でよく見かけるトラクタに比べて一般に大型だ.広い畑を扱うには大きくないと日が暮れてしまうのだろう.
サアグンSahagun

古い橋を渡りサアグンのエリアに
古い石とレンガの橋を渡りサアグンのエリアに入ってきたようだ.マップを見ると,バルデラドゥエイ川( Rio Valderaduey)のようだ.
川を渡ったところ,左上木の陰に橋の聖母の庵(Ermita de la Virgen del Puente)と呼ばれる礼拝堂が建てられている.

二体像のゲート
礼拝堂から行くと,巡礼道を挟むように二体の彫像が立つ.一方はこの辺りに埋葬されているレオン皇帝アルフォンソ6世,他の一方はサンベニート修道院2番目の修道院長とサハグンとか....私にはいずれにしても守護神というか,ガードの騎士と言うか....まあそういった類で配置されているように見える.

穀物貯蔵庫か
サアグン郊外になったようで,大きな構造物が見える.穀物貯蔵庫であろうか.この辺りは麦畑ばかりで,生産量も半端ではないであろうから,その収穫物の貯蔵庫も大容量であろう.

鉄道を越える
鉄道を跨ぐ橋を渡った.線路が集まっており,切り替え線もあるので駅間近であろう.そこでマップを見るとこの風景の反対側にサアグン駅が位置しているようである.

サアグンの街
サアグンの街の一部に入った.道標にいろいろあるので,これまでの小さな村とは違ってそれなりに大きな街なのであろうと思われる.

サアグンの聖ヨハネ教会
白いファサードを持つこの教会はサアグンの聖ヨハネ教会(若しくはサンファン教会Iglesia de San Juan de Sahagun)と呼ばれるそうだ.17世紀ネオクラシック様式で建立されたそうである.側面を見るとレンガ色なので,煉瓦造りと思われる.

サアグンの街を行く
巡礼道はサアグンの街を通過する.街の建物は現代風エクステリアが多いように見える.

大きな教会
サアグンの街を歩いていて出合った教会の一つ.煉瓦造りでかなり大きく,ググってみたが判らなかった.
いずれにしても教会の多い街だと思った.

サンティルソ教会
この教会はサンティルソ教会(Church of San Tirso)と呼ばれ,この街で代表的な教会であるようだ.
教会は790年代というとても古い時代に建立され, 聖Thyrsusを祀るとのことだ.古い建立だが1521年のオビエド(この教会の本山に相当するところ)の大火,それと18世紀の再建により元の教会の殆どは失われたそうだ.そのためであろう,今ここに見る姿はドーム下部など一部を除きレンガ製で,些か迫力を欠く(個人的印象).

廃れた教会
これは上記サンティルソ教会の近くにあった廃れた教会.王立サンベニート修道院跡(Monasterio de San Benito)ということだ.
どういった理由で廃れたか解らないが,レンガ造りであるからそう古くはないように見えるが.....でもこれを見ると,古代ローマ遺跡を見るようでちょっと寂しい気もする.それでも木造建築の日本と比すれば遥かに長く持ち堪えていることには感心するばかりだ.

サンベニート門
上記廃れたサンベニート修道院と隣接して建てられている.サンベニート門(Arco de San Benito)ということだ.
上記サンベニート修道院は1835年に破壊されたそうで.サンベニート門は,それまで凱旋門として教会の顔だったそうだ.現在門は街の主要道路の1つが横切り,私達もそこを通っているところだ.サンベニート修道院は半島にあるベネディクト会の代表的なモデルだったが,独立戦争と幾度が遭った火事で破壊したとのことだ.

郊外に出てクエサ川を越える
サアグンの街を越え,郊外に出た.そしてあまり大きくはない川があり,その橋を渡った.川はクエサ川(Rio Cueza)のようであり,橋はこの辺りでは石材産出量が豊かではないらしくレンガのようだ.
また橋の袂には十字架が立てられている.
ベルシアノス・デル・レアル・カミーノBercianos del Real Camino

ポプラ並木の下は白い初雪のよう
サアグンを過ぎ,巡礼道は続く.ポプラ並木のエリアを通ると,道脇が淡い初雪のように白くなっているところがある.しばらくなぜ白くなるのか解らなかったが,誰だったか思い出せないが,ポプラの花の綿毛ですよと教えてくれた.

ポプラの花
そして垂れ下がったポプラの枝を引き寄せてみると,粒状の緑の花弁の間から白い綿毛が出ていた.間近に見ないと分からないほど地味な花だ.

巡礼道続く
当然のことながら巡礼道は途切れることなく続いた.この道も並木が植えられているが,まだ日が浅いためか小振りだ.でも何もないのと比べれば圧倒的に気分を良くしてくれる.

ベルシアノスの門
さてベルシアノスのエリアに入ってきたようで,門があった.トタン屋さんが板金加工で作った作品風だ.素材はトタン(亜鉛引鋼板)ではなく,ステンレス鋼板で,円筒や屈折接続加工など腕のいい職人さんの仕事だ.

ベルシアノスの村に入る
そしてベルシアノス,つまりベルシアノス・デル・レアル・カミーノ(Bercianos del Real Camino)の村に入ってきた.
村の通りは広く,建物は密ではない.比較的新しい村なのであろう.

ベルシアノスのアルベルゲに到着
ベルシアノスのアルベルゲ(Albergue parroquial Casa Rectoral)は入り口とは反対側,つまり出口辺りにあり,そこに到着した.レンガ造り瓦屋根構造に見える.
一階にレセプション,ダイニングルームやキッチン,礼拝室,プライベートルーム,二階にベッドルームやバスルームを備えている.また建物左には物干し場を備えた広場があり,キャノピーの下が手洗い洗濯場になっている.
前述のように村外れで,周りは畑だ.

ここで受付けてもらう
逆U字形ドアを開けると直ぐにレセプション.左がオスピタレラの女性だ.私の順番が来て,まずクレデンシャルとパスポートを確認.すると,お~日本人か,じゃあこれを見てと左腕を差し出して,どうだいいでしょうとタトゥーを見せてくれる.
彼女はイタリア人でボランティアとしてここで数年働いているのだが,ローマに居た時,日本人彫師に彫ってもらったという.右手にもあるが,それはその以前にイタリア人が彫ったようで.それと比べるとグラデーションのある精緻なデザインで確かに上等なようだ.ただすみません,カトリックのボランティア女性と云うと尼さんとか修道女のイメージ(先入観)があり,タトゥーとサングラスには若干違和感を覚えるのですが....

二階のベッドルームに上がる
二階に上がると3つのベッドルームがあり,割り当てられたベッドの部屋に入る.内部は古い木材をリユースして作ったのであろうか,柱や筋交いは軸組構法で組まれ,古民家の趣だ.
覚えてないが,多分指定されたベッドに来ると,不織布の枕カバーとシーツを掛けたであろう.シーツは特に張るとき破け易いので要注意だ.

村の公園でビール
手洗いで洗濯し,紐に掛けたので今日の仕事は終わりだ.バーを探してランチにしよう.
ということで,アルベルゲを出て間もなく,バーの在り処を通りかかった人に訊いた.その人は大変親切な方で,先ず最初に曲がる場所近くまで歩いて誘導し,その場所であそこを右にXXmくらい行った道路左側にあるよ,と教えてくれた.ありがとうございます.
そしてそのとおり歩き始めると,すぐ公園があり,そして小さな食料品店が目に入った,そうかここでビールとつまみを買っていくか,と心変わりし,幾つか買って公園のベンチに腰掛けた.公園は子供も,ジジババ(自分は除く)も誰も居らず,さらに通りかかる人も見ない.咎められる心配はなさそうで気兼ねなくビールが飲める.

アルベルゲの礼拝室
アルベルゲには小さいながら礼拝室を備えていた.夕食前に数人の人が入り,お祈りしていたようだ.
私はたまたまUSB充電ケーブルが壊れ,スマホが使えなくなり困って,上述のオスピタレラ女性に売っているお店がないかと問い合わせにいったとき,ちょうどお祈りの前で,お祈り室を開けていたので見えたのだ.
この村でUSBケーブルを売っているところなどないので,取り敢えず私のケーブルを使って,と貸してくれた.グラッツェ.
そしてこの先ケーブルを売っていそうな大きな村を尋ねると,彼女の予想ではマンシージャなら大きい街があるから売っているのではなかろうかということだ.マンシージャはミシュランマップでは標準宿泊地の先になっている.遅く到着し宿が取れないとエラいことになる.そして厚かましく彼女に,宿を予約して頂けないでしょうか,とお願いした.そしてサンジャンピエドポーの巡礼オフィスで頂いたリスト中のマンシージャのアルベルゲに電話し,一軒目は満杯,二軒目は可ということで,予約してもらった.ほんとにありがとうございます,グラッツェです.

アルベルゲの夕食会始まる
ここのアルベルゲはドネーションで成り立っているのだそうだが,手前は散々お世話になったイタリアン女性,左二人はやはりボランティアのスパニッシュ男性で,ご兄弟だそうだ.調理やビデオカメラマンとして活動されている.
しかも夕食,朝食まで付いているのでありがたいことだ.
夕食では先ずスペイン語の食事の讃歌.事前に歌詞が配られるもクチパクでごまかす.

ワインにパエリアの食事
ワインに,スタッフの皆さんが大鍋で作ってくれたパエリアを頂戴する.今回の旅に出て最初に口にする米だ.ありがとうございます.

問題はこれ,各国の歌だ
食事が終わると,各国参加者は,その国の歌を歌わないといけないという,とんでもない掟があるのだそうだ.
写真はカナダ人3人がカナダの歌を唄っている場面.うち二人は5,6年前カナダに移住した元コリアン男性だ.
次いで,イタリア,スペイン,コリア....など二人以上のグループが唄う.そして独りだけのコロンビア女性が,最初は嫌がっていたが,唄い出すと調子が載ってきて,ダンスを交えてパフォームする.そして困った,私の番が回ってきた.最も簡単そうなさくらさくら....を始めたのだが,その後の歌詞が暫く出ず,恥ずかしかった.いつぞやオルニージョスの教会ミサではStkさんの音頭でクチパクで済ませ(Stkさんすみません)ることができて良かった.なつかしい.
なおコロンビア女性は席が隣だったので,コカインの話を持ち出したら,ん,まあ....と口を濁した.失礼だったかも.すみません.