巡礼9日目:サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダへday 9:Santo Domingo de la Calzada

この巡礼9日目:サントドミンゴ編では,2019年5月20日朝ナヘラのアルベルゲを出発し,アソフラ,シルエニャの両村を経て,サントドミンゴデラカルサーダに入り,カルサーダ大聖堂を見て,そしてアルベルゲ周辺を歩いたり食事したときの写真を載せました.

サントドミンゴ付近のGoogleマップmap around Santo Domingo de la Calzada

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離21.42km,歩行時間4h55min.

↑ マウスでズーム,移動.  

ナヘラの朝morning at Naiara

ナヘラの月と雪山

ナヘラの月と雪山

ナヘラのアルベルゲの朝,お手洗いに行くと,その前のダイニングルームで何人かの人が出かける準備をしていた.ちょっと早めだが,目が覚めたのだから私も準備して出よう.

そして表に出て歩き始めた.幸い今日は天気で始まった.南の山の頂上は雪が残っているようだが,真上からの月明かりでくっきり見える.


東の空が赤くなる

東の空が赤くなる

6:30AM東の空が赤くなってきた.きれいだ.いつまでたっても日が暮れない分,夜明けは遅い.スペインの人たちは宵っ張り好みだから,かなり時間帯が後ろにシフトしているのだ.


用水チャネル

用水チャネル

畑の巡礼路を歩いているとコンクリート製用水チャネルが走っていた.この辺りでは降雨量が少なく,他から供給する必要があるのだろう.でも水源はどこなのだ,遠くの山からか?あるいは地下水の汲み上げか?

そして道の向こうに村が見えてきた.アソフラであろう.


アソフラAzofra

アソフラの教会

アソフラの教会

アソフラ(Azofra)の村に着くと,一段と高いところに位置するアソフラの教会,名称がChurch of Our Ladyということで,最近火災事故があったノートルダムと同じ,聖母教会であろう.

元々赤い石で建設されており,朝日に照らされ一層赤く輝いていた.

ここは単に脇を通り抜けて行っただけだった.


壁に彫刻の掛かる家

壁に彫刻の掛かる家

アソフラの村にこのような格調高い家があった石とレンガを組み合わせた構造で,エントランスは並の家には見えず,その上に何やら怪しげなレリーフが対で掛けられている.エンブレムというか家紋というか,まあそういったもので,中世貴族の館といった趣だ.


これは十字架でしょうか

これは十字架でしょうか

アソフラの村を過ぎたところにこのような柱,ただし上部に4方向に角が出ている.2方向であれば十字架に間違いなかろうが,4方向だと....

横に解説があったのだが,読めなかった.


地下水汲み上げポンプ

地下水汲み上げポンプ

このときは動作してなかったが,多分これは内燃機関で駆動される地下水汲み上げポンプではなかろうか.上で用水チャネルを見て水源はどこか不明だったが,地下水はその一つでありそうだ.


シルエニャCiruena

公園で休憩

公園で休憩

公園があり,傍らにコークやコーヒーなどの移動販売(ドネーションだが)車が停まっていた.で,ここで休憩することにした.


ボガデージョを食べる

ボガデージョを食べる

移動販売車でコーヒーを買ってきて,ザックからボガデージョを取り出して頬張る.コーヒーはインスタントか,これまでになく不味かった.


可愛い子犬が寄ってくる

可愛い子犬が寄ってくる

移動販売車の子犬か,実に可愛い顔で,私の手元のボガデージョを見つめる.少し千切って,落とすと直ぐに食べて,また顔を上げる.数回で底を突いた,ごめん,もうないんだ.


抜き残りサンティアゴ像

抜き残りサンティアゴ像

さて緑地公園から少し進むと大きなサンティアゴ像の道標があった.四角い板厚ある鉄板をくり抜いたもので絵柄はセンス有るデザインだ.

打ち抜き加工は,多分一品生産なので,ガス切断,アーク切断,レーザビーム切断....などあろうが,今はNCが容易なCO2レーザなどで加工されたであろうかと思われる.


そしてシルエニャに入る

そしてシルエニャに入る

そしてシルエニャ(Ciruena)に入ってきた.シルエニャは所謂新興住宅街だそうで,規模的には小さいが,日本語の村はしっくり当てはまらないであろう.駐車スペースや庭を備えた立派な住宅が並んでいる.ただしこれら建売り住宅の売れ行きは芳しくないそうで,未だ空き家が多いということだ.


抜かれたサンティアゴ像

抜かれたサンティアゴ像

そのうちに,先ほどの鉄板道標の抜かれた側のサンティアゴ像が現れた.こちらもひと目でサンティアゴと判る像で,両者合わせてなかなか素晴らしい発想のデザインだ.偉大なアーティストを生んだスペインらしさを感じた次第だ.


同じアイデアのシェル道標

同じアイデアのシェル道標

こちらは同じコンセプトで制作されたサンティアゴのシェル.もちろん撃ち抜かれたシェル道標はこの少し後に立てられていた.


メセタは続く

メセタは続く

メセタの大地は続いた.そして大地を覆う麦のうねる光景は,あたかも浜辺に押し寄せる大波を連想させ,なかなか飽きさせず素晴らしい.


サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダへgo to the Cathedral of Santo Domingo de la Calzada

丘を越えサントドミンゴデラカルサーダ望む

丘を越えサントドミンゴデラカルサーダ望む

メセタの丘を越えると,サントドミンゴデラカルサーダ(Santo Domingo de la Calzada)と云うバカに長い地名の街,そこが今夜の宿泊地であるが,を望むようになった.

地質が変わったのかそれまでも砂利道であったが,教会や建物に比較的目立ったような赤色系だったものが,一般的なグレイに変わってきたように見える.道脇のポピー(アマポーラ)は相変わらず多く,きっと今が花季なのでしょう.


サントドミンゴデラカルサーダ新市街になる

サントドミンゴデラカルサーダ新市街になる

やがてサントドミンゴデラカルサーダの外周部,従って新市街に入ってきた.道幅は広く,また建物は当然現代建築だ.


サントドミンゴデラカルサーダ旧市街に入る

サントドミンゴデラカルサーダ旧市街に入る

前を行く巡礼者にくっ付いて行くうちに旧市街に入った.つまり道幅は狭くなり,両側の建物は歴史がありそうな雰囲気に見えるのだ.

たまに壊れた建物など見ると,石を積み上げ漆喰(セメント)で繋げた構造が多いが,石は圧縮強度は高いので問題ないとして,横揺れには耐えられない気がする,多分地震がないのでしょうね.


アルベルゲにチェックイン

アルベルゲにチェックイン

旧市街を歩いているとアルベルゲ(Albergue de peregrinos Casa del Santo)の前になった.ただまだ前扉は閉めたままで,何人かの人が門前で待っている.暫く待ちそうなので,周囲の街の様子を見て回った.カテドラルは直ぐ先を右に折れたところに位置している.後で訪ねてみよう.

そして頃合いを見てアルベルゲに戻り,チェックインした.割り振られたベッドは3階で,エレベータはあったような気がするが....はっきり覚えてない.

ここでは偶然台湾のSnさんも一緒になり,二段ベッドの上下が割り当てられた.またシャワーは十分数もあり,また熱い湯が出るので助かった.


中庭の洗濯場,干場,ニワトリ小屋

中庭の洗濯場,干場,ニワトリ小屋

中庭には手洗いの洗濯場,干場,ニワトリ小屋があった.早い時間で天気も良いことだし,ここで手洗いし,紐に掛ける.シャワーと違って熱い湯が出ないのがちと惜しいが.

また右寄りの赤いケージはニワトリ小屋で,存在理由は次の通りだ.


ササントドミンゴのニワトリへ

サントドミンゴのニワトリ

赤いケージには何羽かのニワトリが飼われている.ただここのニワトリはただの家畜ではなく,隣のカテドラルで重大な意義を有するニワトリなのだ.

ここのニワトリは,後述カルサーダ大聖堂奇跡のニワトリの交代要員として飼われているという.大聖堂奇跡のニワトリケージは狭く,絶えず多くの人目にさらされるのでストレスが溜まるので,定期的にそこに交代で出場するのだそうだ.


サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂the Cathedral of Santo Domingo de la Calzada

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂ファサード

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂ファサード

アルベルゲからすぐ近くのカルサーダ大聖堂,正式にはサントドミンゴデラカルサーダ准司教座聖堂(Cathedral of Santo Domingo de la Calzada)の前に立ち眺めてみた.12世紀にロマネスク様式で建立されたそうだ.今見ている姿が当時のままか,改修されたものかよく分からないが,スッキリしたデザインだ.


カルサーダ大聖堂鐘楼

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂鐘楼

鐘楼が本堂より少し離れて建てられている.こちらは18世紀になってから,バロック様式で建てられたそうだ.特に頂部の複雑に曲線が絡み合うデザインはバロック的に見える.

さてこのサントドミンゴデラカルサーダ准司教座聖堂であるが,先ずカルサーダ(Calzada)はこの石畳道りに因む村の名称,聖ドミンゴ(Santo Domingo)はこの周辺に巡礼のための道路,橋,救護院などに尽力した人物だそうだ.

准司教座聖堂の准司教座は付くのか,付かない(つまり普通のカテドラル)なのかは実はよくわからない.参照したものではいろいろだった.


サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂内部

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂内部

拝観料を支払い(巡礼者は3ユーロだったか),中に入る.大聖堂には博物館も付属しており,そのお代も込みである.

入ると天井は高く広い窓がふんだんに設けられている.当初のロマネスク建築技術では不可能であったであろうから,後の世に改修されたのであろう.

写真は主礼拝祭壇であったと思うが,こちらは構造材以外あまり目立たずシンプルですね.


サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂側面の祭壇

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂側面の祭壇

大聖堂は上から眺めると十字になっているのだと思われ,その横棒方向の祭壇の一つがこの湾曲パネルで,区切られたレリーフ毎に大勢の人物が登場している.よくわからないが,イエスの生涯に関わる物語でしょうか.


サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂側面の彫刻

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂側面の彫刻

こちらはちゃんと説明書きが刻まれているのだが読めない(涙)

やはりここに直接関わり深い聖ドミンゴ(Santo Domingo)の涅槃像でしょうか.

金ピカでなく,石の素材そのものもきれいで,いいものですね.


サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂博物館

サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂博物館

大聖堂横に博物館というか宝物殿というか,そういった施設が付属しており,聖堂ゆかりの品,絵画や彫刻,ミニチュア街模型など展示されている


油絵の例

油絵の例

例えば油絵ではこのようなものが展示されていた.イエスが磔刑に処され,倒された十字架から下ろされたイエスの死を悲しむ人たちの様子を描いたものであろう.

遺骸は聖母マリア,および他の関係者が引き取ったというので,絵はそうした人たちであろう.


地下室入り口階段のニワトリ

地下室入り口階段のニワトリ

地下室入り口階段上部にはニワトリ小屋があり,実際つがいのニワトリが飼われている.写真両側は絵であるが,その間の明るい縦格子から元気な姿が見える(写真では飛んでしまったが)

そしてこれに関する伝説がある.昔夫婦とその息子3人でサンティアゴ巡礼の途中この地に立ち寄った.ここで息子は窃盗の非ぬ疑いが掛けられ,即時死刑判決が下され(窃盗で死刑とは厳しい),直ぐさま磔刑に処された.夫婦は深い悲しみの中で,せめて巡礼は果たそうと,サンティアゴまで辿り,そしてこの地に戻ってきた.そして息子の十字架を見ると,何と息子は聖ドミンゴに下から支えられ生きていた.両親は直ちに息子を十字架から下ろすよう死刑執行した役人に願い出た.すると食事中だった役人は,そんなバカなことなかろう,それは恰もこのローストチキンが生き返ってコケコッコーと鳴くようなものだ,と言ったそうだ.するとローストチキンは生き返り,コケコッコーと鳴き,息子は無事十字架から下ろされ,無実の罪が解消されたということだ.

そのニワトリの言い伝えの下に,この二羽がここで飼われているのだそうだ.また交代要員がアルベルゲ庭に飼われているのは上述の通りだ.


カルサーダ大聖堂地下に聖ドミンゴの墓室

地下に聖ドミンゴの墓室

階段を下った地下室は聖ドミンゴの墓室になっており,室中央奥側に遺骸を納めた石棺が据えてあった.


カルサーダ大聖堂聖ドミンゴ墓室の壁画

聖ドミンゴ墓室の壁画

墓室の壁壁にはレリーフやモザイク画が貼られている.写真は正にローストチキンが皿の上で生き返り,ときの声を上げているシーンだ.男性は死刑判決を下した役人であろうか.....絞首刑もしくは自殺場面のようであるが....

ところでローストチキンが生き返る奇跡で無実の罪が晴らされるストーリーはポルトガルにもありますね.こちらは,若い旅の僧が,宿が見つからず困っていたが,ようやく若い後家さんが部屋を貸してくれることになり,助かった.そして後家さんは僧に言い寄るのだが,いやそれは....と相手にしてくれない.すると後家さんは怒って,司法官に,せっかく宿を提供し親切にしてあげたのに,家のものを盗んだ,と訴えた.そしてこちらも死刑判決が下された.死刑執行日,司法官はこの世最後の思い出にと,僧を食事に招いた.そして最後に言い残すことはあるか?と訊いた.僧は「では,もし私が奇跡を起こせば私の無実を認めてくれますか」と言い,司法官は,いいとも,と応じた.そして僧は皿の上のローストチキンを生き返らせ,コケコッコーと鳴かせ,無実の罪を晴らした.カトリックにとって奇跡は極めて重大なことで,近年ではマザーテレサの奇跡について話題になりましたね.


アルベルゲ周辺around the Albergue

大聖堂向こうのエスパニア広場

大聖堂向こうのエスパニア広場

大聖堂向こうにはエスパニア広場があり,その周囲には役所や小学校がある.スペインでは小さい学童は親に送り迎えの責任があるようで,時間になると主にお母さん方が集まってきて,子供を連れ帰っていた.

私が驚いたのは写真のようにスカーフ姿,つまりモズレムの人が多いことだ.昔イベリア半島はムーア人(モズレム)に支配されたが,その後レコンキスタでクリスチャンが奪回した.その後はモズレムの人は居なくなったか,著しく少なくなったと勝手に思っていたが,そうでもないのでしょうか?それとも近年移住してきた人々でしょうか.後者かな.....


ビルヘンデラプラサ教会

ビルヘンデラプラサ教会

アルベルゲ周辺には,広場もあり,比較的小ぢんまりしたビルヘンデラプラサ教会(Ermita de la Virgen de la Plaza)もあった.

16世紀にゴシック様式で建てられたそうだ.一般に教会は古い教会や礼拝堂の上に建てられるが,ここも古く小さな礼拝堂の上に建て替えられたという.またその後も改築されたようだ.


ビルヘンデラプラサ教会礼拝堂

ビルヘンデラプラサ教会礼拝堂

ビルヘンデラプラサ教会の内部を覗かせてもらった.礼拝堂祭壇はライトを当てた聖母マリアと何枚かの人物像が飾られた比較的シンプルなタイプだ.


新市街方面まで歩いてみる

新市街方面まで歩いてみる

ビルヘンデラプラサ教会の脇を進むと,暫くは旧市街的街並みが続き,そして写真のような新市街に入ってくる.この辺りは空き地や樹木も整備され,いい街だと思う.


旧市街のピザ屋さん

旧市街のピザ屋さん

旧市街に戻るとピザ屋があった.美味しそうだったのでビールと共に買って,お店の前のテーブルに広げてみたが,既に冷えていた.日本のコンビニなら温めてもらうことができるが.....アルベルゲに戻って温めよう..


アルベルゲのキッチン

アルベルゲのキッチン

アルベルゲに戻り,キッチンに行くとレンジがあり,これで温める.自販機のビールもあり,しかも安い.


アルベルゲのダイニングルーム

アルベルゲのダイニングルーム

温めたピザを持ってダイニングルームに行く.そしてピザとビールにありつく.

ここにはSnさんがビールを飲みながら懸命にノートに記していた.ダイアリーだそうだ.全部漢字でびっしり手書きだ.さすがSnさん某大手会社のマーケティングマネジャーだっただけあり,只者ではない.

Snさんがポテチを勧めてくれたので,それもかじる.昨夜はワイン2本空けたという愛飲家でもあるのだ.

この後,裏庭の洗濯物が飛ばされてないか見に行く.飛ばされてはいないが偏っていたので修正.そこで早足3人組,奈良のNhさん,埼玉のStkさん,千葉のCtkさんに出会う.そしてStkさんがこれからレストラン調査に出かけ,選定してきますので,7:00PM一緒に行きませんか,と誘われる.もちろん喜んでご一緒させて下さい.


夕食のレストラン

夕食のレストラン

ここが7:00PM出かけたStkさん選定の夕食レストラン.アルベルゲからとても近い.そしてそれぞれ思い思いのメヌー詳細をオーダーする.

そしてこの日,3人の皆さんが道間違いでエラい思いをしたことを聞く.皆さんは歩く速度も速いが,出発する時刻もとても早く,まだ真っ暗だったそうだ.


先ずワイン,そしてサラダ(かスープ)

先ずワイン,そしてサラダ(かスープ)

先ずワインが出てきたので,飲みながら,話を聞く.

早朝暗かったが,明かり(ヘッ電かな)もあるし,道標らしきも見えるし,何よりこの方向に間違いないはずだという,確信を抱いていたそうだ.そしてその確信する方向にどんどん進んだが,やがて崖のような行き止まりになり,ようやく間違いと認識したという.そしてそこから元に戻ろうとするのだが標準的なマップには載っていない場所なので,戻るのも一苦労,大まかには全部合わせて3時間のロスになったそうだ.

でも遅い時間にならず,明るいうち(尤も10時くらいは明るいが)に無事到着できて良かったと思う.多少疲れたことでしょうが.


薄いラム

薄いラム

私はラムを選択したようだった.薄いラムを,と言った訳ではないが薄いです.そしてデフォルトでジャガイモが付いてくる.も少し高いものだと別の野菜も添えてある.ここはきっと安かったのだと思う.でも安いのは助かる.

デザートは多分アイスクリームだったと思う.一般にそれが一番無難,とこれまでの経験から学んだ.

ということでこの日は終わった.明日も天気いいといいな~