巡礼4日目:プエンテ・ラ・レイナへday 4:Puente la Reina

この巡礼4日目:プエンテラレイナ編では,2019年5月15日パンプローナに朝が来て,旧市街,新市街を抜け,朝の村を抜け,ペルドン峠に至る.そして今度は反対側に下り,午後の村々を通過し,プエンテラレイナのアルベルゲに到着し,アルベルゲ付近の繁華街に出かけたときの写真を載せました.

プエンテ・ラ・レイナ付近のGoogleマップmap around Puente la Rein

濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離23.99km,歩行時間6h25min.

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パンプローナの朝morning in Pamplona

パンプローナの道路散水車

道路散水車

5月15日朝パンプローナ旧市街のアルベルゲを出発した.早い時間ながら街には道路散水車が動いていた.空気を冷やすための打ち水ではなく,またホコリ防止でもなく,路面洗浄のためのように見える.ノズルから高圧噴射し,石畳の目地のチリを水とともに下水溝に流し込むのではなかろうか.ということはやはりホコリ防止の一種かな....


パンプローナ新市街になる

新市街になる

少し歩くと新市街になった.建物は普通の近代建築になるが,とても広い緑地帯も備えている.そしてもちろんそうしたところにカミーノ道標があり,気持ち良く歩ける.


アルガ川支流を渡る

アルガ川支流を渡る

小さな流れに,アーチが一つだけの太鼓橋を渡った.流れはアルガ川の支流のひとつのようだ.橋は小さいながら,これまで通ったより大きな橋と同じ様式で,多分同じような年代に建設されたのであろう.


パンプローナの端辺りになる

パンプローナの端辺りになる

やがてパンプローナの外側を囲む環状道路の辺りに来た.これでパンプローナとお別れになろう.

そしてこうした郊外の住宅街は静かで,街路樹も豊かで住みやすい環境に見える.


朝の村a village in the morning

麦畑地帯に入る

麦畑地帯に入る

パンプローナを出ると,砂利道の農道となり,一路ペルドン峠を目指す.そして先ずは麦畑地帯に入って行った.緩やかな傾斜地なので麦が適しているのであろうか.いや日本でどこに行ってもコメの田んぼがあるように,スペインでは麦が多く消費され,それに見合う生産,つまり需要と供給のバランスということだろう.

飛行機雲の下,丘の上には白い風車が多く並んでいる.この辺りの農家は農地(麦畑)から離れており,風車設置最大の課題騒音問題は大丈夫なのであろう.スペインで風力発電は総電力の20%くらいを占めるそうで,かなり多い.


通過した村の一つサリキエグイ

通過したサリキエグイ村

小さな村は複数あったかも知れないが,ここはその一つZariquiegui(サリキエグイ)と壁に記されている.麦畑のオーナーが多く住んでいることだろう.


サリキエグイのサンアンデレ教会

サリキエグイのサンアンデレ教会

サリキエグイにはSan Andres church(サンアンデレ教会)があった.暗褐色の石造りで開口部は少なく,砦と見紛うような極めて堅固な建物に見える.

そして入口ドアが開いていたので中を見せてもらった.内部も装飾が少なく,質実剛健な印象だ.主祭壇パネル状の中で,中央の人物が聖アンデレであろうか.聖アンデレはイエス12使徒の一人で,マルコの福音書ではペトロ,ヤコブ(今回目指すサンティアゴ),ヨハネに次いで4番目の位置付けということだ(別の説もあるようだが).

そしてクレデンシャルにスタンプをもらい,ザルにコインを入れた.


砂利道歩きを再開

砂利道歩きを再開

村を出るとまた砂利道になり,少しずつ高度を上げながら進む.

日陰があったので腰を下ろしサンドイッチを頬張っていたら前日一緒に教会巡りした品川のMtさん,Tnさんが上ってきて,話を交わす.

Tnさんは上りは大丈夫なのだが,ペルドン峠を下るとき,急斜面と聞いているので膝が心配という.若干痛くなっても若いから回復は早いと思う.


ペルドン峠Alto del Perdon

上り見晴らし利く

上り見晴らし利く

結構上ったようで見晴らしが利くようになった.麦畑,その一画の村の建物,向こうの低い山並み...天気がよく大気もクリアで,なかなかだ.

そしてこれがまたしばしば耳にするメセタ(Meseta)若しくはメセタセントラル(Meseta Central/中央台地)の一部を成していることを実感する.なおメセタの平均標高は700mくらいということなので,まあこの辺りはそれに相当しよう.

そしてこの辺りで早足3人グループ奈良のNhさん,埼玉のStkさん,千葉のCtkさんに出会った.3人は一緒に並んで歩いているわけではなく,同じ場所を目指し,個別に歩いているそうだ.


ケルンにハートの石並べ

ケルンにハートの石並べ

ペルドン峠(770m)に到着した.今日のメインイベントが無事達成され嬉しい.トレイル脇には小さなケルンが積まれ,ハートの置き石があった.ハート左下の黒い小石の部分は何だろう?イエスの磔刑で槍で突かれたが,それを表しているのか?

ところでペルドンとは英語のパードンと同じで赦しを請うときの言葉だそうだが,一体どういうことだ.

中世の頃ここに,赦しの聖母(Virgen del Perdon)僧院が建ち,ここまで至ればサンティアゴに到着するのと同じご利益があり,サンティアゴまで行けずも,すべての罪が赦される,ということから名付けられたということだ.サンティアゴまで相当ある,つまり遥か手前なのだが,いいのでしょうか....まあ,硬いこと言わずも.....


中世巡礼者(ペレグリーノ)モニュメント

中世巡礼者(ペレグリーノ)モニュメント

ペルドン峠(丘)には中世巡礼者(ペレグリーノ/Peregrino)の鉄板をくり抜いたモニュメントが建てられている.歩く人に加えて当時(現代も僅かにいるそうだが)はロバや馬での巡礼も盛んだったようだ.なお現在は多く見かける自転車は当時存在しなかったようで,そうした鉄板シルエットも見えない.

歩く人は前屈みになっている.この日はほぼ無風だったが,背後にたくさんの発電風車を見るように,概してここも風が強いのであろう.

なおここは定番写真スポットになっており,ネットや書籍でよく見かける.ここでたまたまサンジャンピエドポーのアルベルゲで同室となったカルガリーのWyさんと4日振りに再会した.そして互いにスマホで写真を撮りあった.


反対側に下るgo down to the other side

峠の反対側に下る

峠の反対側に下る

さてペルドン峠で腰を下ろし,チーズなど食べ,反対側に下ることにした.自転車の女性は急なので最初乗るのをためらっていたが,そのうち果敢に乗り始めた.

カルガリーWyさんとしばらく一緒に歩いたが,少しゆっくり歩きます,と言うので私は先に進んだ.ブエンカミーノ.

上るときよりやや急勾配だが,見下ろす景色はなかなか素晴らしい.品川のTnさん,まだ峠には着いてなかったが,ゆっくりストックを用いて下れば大丈夫だと思う.


下って最初の村

下って最初の村

峠を下って最初の村に入った.他の村々同様通りに人影はなく静かだ.右の建物にはいろいろな旗が掛けられtいるので村役場であろうか.

ゴミコンテナーは一般にどの自治体のものも大きい.ゴミ収集車も大型なのであろう.それとこうしたコンテナーではなく,ビニ袋にゴミを詰め,並べてネットを掛けているような光景は見ない.これには感心した.


麦畑のアマポーラ

麦畑のアマポーラ

麦畑の中や畦に赤い花が多く咲いている.農家にとっては雑草になろう.通る人に訊いたら,アマポーラです,ということだ.ググってみると,ひなげし,ポピーなど,はたまた虞美人草など同じか,あるいはその仲間のようだ.虞美人草と言えば漱石が思い浮かぶ(単に名前だけ)が,またまたググってみると虞美人は秦の頃,項羽の愛人だったとか....

いずれにしてもきれいな花だ.


小鳥の集合住宅

小鳥の集合住宅

トレイル脇の一本の木に,小鳥の巣がいくつも下がっている.まるで集合住宅の様相だ.残念ながら既に巣立っていったようで,姿を見ることはできなかった.この木には営巣上何らかの大事な魅力があるのでしょうね.


午後の村afternoon villages

畑地帯を過ぎると大きめの村

畑地帯を過ぎると大きめの村

畑地帯を過ぎるとちょっと大きめの村に入った.オバノス(Obanos)のようだ.やはり人影は殆どない.既にシェスタの時間になったのも一因かな.

アルベルゲの看板も見かけた.ただ周囲にはお店が見えないので,泊まっても不便かも知れないですね.


石畳の上の道標

石畳の上の道標

石畳の道にはシェル柄のカミーノ道標が埋め込まれている.この村の方針で統一されているのだろう.パンプローナ市内の道標もこんなデザインだったと思う.


オバノスの教会

オバノスの教会

村の中を行くと,石の壁はまっ平らなので比較的新しいと思うが立派な教会があった.サンホアンバティスタ教会(Iglesia de San Juan Bautista)と言うらしく,前面のアーチ列などが特徴的な形態だ.だがドアは閉ざされ中を見ることはできなかった.

聖ホアンバティスタという方を祀った教会なのでしょうが,さてどのような人なのでしょう.


鉄板切り抜き型モニュメント

鉄板切り抜き型モニュメント

サンホアンバティスタ教会からさらに進むと,ペルドン峠の切り抜きとは反対に穴の外側を残したモニュメントがあった.歩道の真ん中にあるので,ペレグリーノでも誰でもくぐり抜けて下さいと言っているようだ.


ブドウ畑

ブドウ畑

オバノス村を抜けるとまた農業地帯になった.麦が多いが,写真のようにブドウ畑もあった.雑草は抜かれ,ブドウの木は良く手入れされ,太い茎に対して,枝や丈が制限されている.

それと驚くのは土に石がゴロゴロ混じっていることだ.ブドウの育成には支障ないのだろうが,結構強力なトラクターでないと耕せないであろう.この先こうした石ころだらけの畑はブドウ畑に限らず現れ,その度に感心した.


アルベルゲに到着arrive at the albergue

プエンテラレイナのアルベルゲに到着

プエンテラレイナのアルベルゲに到着

プエンテラレイナの入り口になるのであろうが,写真左側のアルベルゲ(Albergue de peregrinos de los Padres Reparadores)に到着した.壁にペレグリーノのアルベルゲと書いてある.早速チェックインして,ベッドを確保したのだが写真がなかった.元は修道院の一部の施設だったかな....

右に見えるのはその教会の鐘楼だ.


アルベルゲの教会

アルベルゲの教会

荷物を置いてその教会の前に行ってみた.ドアは閉まっていたが,たまたまそこの管理人であろうか,ここには重要なイエスの磔刑像がありますから見て下さい,と案内してくれた.

そして礼拝堂に入ると,主祭壇にこの磔刑像があった.普通クロスは十字型であるが,この像はY字状で,ドイツから来たものだそうだ.立体Y字状十字架は世界にドイツとここの二体しかないのだそうだ.絵やレリーフはあるのかも知れない.

一般にカトリック教会にはイエスの他に,聖マリアや聖人などいろいろ像や絵が掲げられているが,ここの磔刑像一つだけというのは,完全に対極を成すものだ.


アルベルゲ付近の繁華街main street near the albergue

プエンテラレイナでアルベルゲ付近の繁華街に行く

プエンテラレイナでアルベルゲ付近の繁華街に行く

アルベルゲの教会を出たところで,久しぶりに台湾のSnさんにばったり出会った.そしてここを真っ直ぐ行ったところがメインストリートですよ,と教えてくれる.

メインストリートはカミーノの一部でもあり,中世から続く通りと建物群のようで,狭い通りながらクラシックな香りが濃く漂う.そして残念ながらシェスタの時間に相当するようで,殆どの店舗は閉まっている.特別買うものはないのだが皆閉まっていると侘しい.

ただ右側に鐘楼であろう尖塔が見えるので,開いていたら寄ってみよう.そして少し歩きドアが開けてあったことを確認した.


サンティアゴ教会礼拝堂

サンティアゴ教会礼拝堂

さて13世紀ロマネスク様式で建立されたというのは,その名もサンティアゴ教会(Eglise de Santiago)と称するそうで,一応巡礼者として寄らないわけにはいかないでしょう.

礼拝堂に入るとロマネスク様式らしく窓は少なく,ステンドグラスもなく,暗めだ.そして主祭壇と両脇の円柱で囲まれたパネルは全般に,こんな言葉はないと思うがいぶし銀ならぬ「いぶし金」だ.だがこれはこれでピカピカ金と比べてしっとり,シックな印象を受ける.いいと思う.


メインストリートのバー

メインストリートのバー

殆どの店舗,レストランが閉まっている中でバー(バル)だけが開いていた.上教会の直ぐ先だ.

そしてこの通りのテーブルで食べている若い日本人,女性Ktさんと,も一人,男性Kdさんに出会う.ここ美味しいですよ~と声を掛けてもらい,バーの中を覗いてみる.

カウンターには小皿料理やサラダなどが並んでいる.


表のテーブルで食べる

表のテーブルで食べる

ソーセージや生ハム(ハモン)などいくつかのお皿とビールをオーダーし,表のテーブルに並べ,静かに食べた.まさか一人で騒ぐわけにもいかんだろうが.

上3人は,少し先にスーパーがあるので,食料を仕入れに行くという.そして皆さんが戻る頃私はビールをお代わりしながらまだ飲んでいた.スペインのビールも美味しい.


アルベルゲの裏庭

アルベルゲの裏庭

アルベルゲに戻り,裏庭の洗濯物を取り込んだ.よく乾いていた.それにまだ真っ昼間のように明るい.スペインはヨーロッパの西に位置し,私の嫌いな夏時間制を採っているのだ.でもさっさと寝ることにしよう.