巡礼11日目:サン・ファン・デ・オルテガ修道院へday 11:Monasterio de San Juan de Ortega
この巡礼11日目:サン・ファン・デ・オルテガ修道院編では,2019年5月22日ベロラドのアルベルゲで朝を迎え,簡単な朝食後トサントス辺り,ビジャンビスティア辺り,エスピノサデルカミーノ辺り,ビジャフランカモンテスデオカ辺りを順次通過し,その後長い無人区間を歩きサンファンデオルテガ修道院に至るとき,および同修道院でのミサや夕食の写真を載せました.
サンファン付近のGoogleマップmap around Monasterio de San Juan de Ortega
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離21.37km,歩行時間5h1min.
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ベロラドの朝morning at Belorado
アルベルゲで朝食
5月22日朝を迎えた.サンタマリア教会直属アルベルゲの一階のダイニングルームに行くと既に幾人かが食事中だった.私もテーブルに着き朝食を頂く.
ベロラド郊外へ
アルベルゲを離れると,ベロラドの街を西に歩き,そして郊外に出た.微か朝焼けの空を見ると,今日も天気良さそうでうれしい.足も軽いであろう.
ティロン川を渡る
郊外を少し行くと川があった,ティロン川(Rio Tiron)というそうだ.川には車道用,巡礼路用各専用の橋が架かり,これを渡る.
この時期のティロン川は大した流量はなく,川底の上を浅く流れる程度で,露出した底石が見えている.多連アーチの石橋は太鼓や三角ではなく平面だ.比較的近年の建造であろう.
シューズ履き犬を連れた巡礼者
橋の先に行くと犬を連れた巡礼者が歩いていた.犬も長距離歩くと足を痛めるのであろう,4つ足共にシューズを履いている.ベストやレインコートを着た犬はどこでも見かけるが,シューズ履きは初めてだ.サンティアゴまで気を付けて,ブエンカミーノ!
トサントス辺りTosantos
トサントスの村を通過
暫く歩きトサントス(Tosantos)の村になった.バーの看板が目立つ.村の建物を眺めながら,割と新しいタイプの家が多いな~などと,思っているうちに,村外れになり,通過してしまった.
教会などの見どころはどうやら,巡礼路から少し逸れたところに在ったようである.
トサントスを過ぎ麦畑を行く
トサントスを過ぎるといつものように麦畑だ.麦はすくすく育ち,瑞々しい.
先方には土が露出した畑があるが,今まで植えられていた別の作物が収穫された後なのでしょうか.
ビジャンビスティア辺りVillambistia
ビジャンビスティアに近づく
麦畑を行くと,ビジャンビスティア(Villambistia)の村に近づいてきた.一段高く見えるのがビジャンビスティア村の教会鐘楼であろう.そしてその手前赤い屋根が教会本堂であろう.
ビジャンビスティアに入る
ビジャンビスティアの村に入ってきた.入り口には給水塔が立ち,水が垂れ流されていた.味はどうだっかな~
そして手前でも見えた石造りの教会が建てられていた.ビジャンビスティアセントジェームズ教会(Villambistia church in Saint James)と呼ばれるそうだ.聖ジェームズ(Saint James)は聖ヤコブつまりサンティアゴの英語圏で使われる呼び名だ.サンティアゴを守護神として祀っているのであろう,
エスピノサ・デル・カミーノ辺りEspinosa del Camino
エスピノサ・デル・カミーノに入る
ビジャンビスティアを過ぎ,畑の中を歩きエスピノサ・デル・カミーノ(spinosa del Camino)に入ってきた.入り口の家には村の名前が表示され,バーの看板も出ている.
検索してみると人口44人ということで,小さな村のようだ.
村にはロマネスク様式の聖母被昇天教会があったようだが,だんだんいい加減になってきたようで,思い出せない.まあいいことにしよう.
アルベルゲもあり
あっという間に村の出口に差し掛かった.そしてアルベルゲがあることにちょっと驚いた.壁には手押し車のオブジェが飾られ,凝っている.ただ周囲にお店とかないので予め覚悟(食べ物の準備など)の上泊まるのがいいと思う....いや出過ぎたことか.
ビジャフランカ・モンテス・デ・オカ辺りVillafranca Montes de Oca
またまた畑の巡礼道を行く
バカの一つ覚えよろしく,またまた畑の巡礼道を行く.実際そうなのだから仕方ない.でも私はこうした風景を眺めながら歩くのは好きだし,気に入っている.まあ,カミーノを歩く人はそうした人が多かろう.
この辺りでは濃淡2種の緑,菜の花のような黄,耕された土色,パッチワーク状に地面に貼られ,おもしろい.
昔の礼拝堂跡か
この辺りには,巡礼路脇に小さなレンガ造りの廃墟があった.昔の礼拝堂跡でしょうか.それとも巡礼者の避難小屋とかだったのでしょうか....
林を抜ける
巡礼路は小さいながらも林を通り,そこを抜けた.こうした変化も楽しい.
そしてこの辺りで年配のアジアン女性に会う.彼女が話すに,コリアンで,クリスチャンだが不真面目で70歳という.ではキムさんでしょうか,と言うとその通りだが,どうして判った,と不思議そうだ.私はコリアンならキムさんと言えばかなり当たるので言ったまでだ.
また今朝は結構遅くスタートしたと言うが,もうここまで歩いている.荷物が少ないので,半ば駆けてきたのか.訊いてみると,飛んできたのよ,とのことだ.えっ,ヘリで?と言ったら,いやバスでということだ.路線バスが通っているのだそうだ.またザックは搬送サービスを用いて,次のアルベルゲに送ったという.
でもザックがなくとも,今現在歩くのが大変.ここに出かける前は,例えば北の道とか,ポルトガル人の道とか行ってみたいカミーノが他にもいろいろあったのだが,もう無理かな....と弱気になっている.ゆっくり歩くようにしたら大丈夫ですよと励まして,私は先に行った.
小川も渡る
林には小川も流れていた.いや小川があるので,その近くに林が形成されたのでしょうが.そして細い橋を渡る.
ビジャフランカ・モンテス・デ・オカの村に入る
そしてビジャフランカモンテスデオカ(Villafranca Montes de Oca)というこれまたバカ長い名の村に入ってきた.スペインの地名はどうしてこうも長いんだ.
この右側の建物は壁の看板を見るとアルベルゲとかオスタルであろうか.いずれにしても建ち並ぶ家々は比較的近代タイプが多いようだ.
ビジャフランカ・モンテス・デ・オカの教会
少し歩いているうちに教会に出合った.外観は四角四面というか,スッキリサッパリデザインだ.ビジャフランカサンティアゴ教会 (Iglesia Santiagl de Villafranca) ということだ.たまたま検索でヒットした先の言い回しの違い(英と西)があるが,前述ビジャンビスティアセントジェームズ教会(Villambistia church in Saint James)と同じ守護神を祀る教会であろう.
ただしこちらはバロック様式で,18世紀に建てられたというから,かなり新しいようだ.
サン・ファン・デ・オルテガ修道院Monasterio de San Juan de Ortega
ビジャフランカ・モンテス・デ・オカを出る
ビジャフランカ・モンテス・デ・オカから先は,サン・ファン・デ・オルテガ修道院まで長い距離人家のない地帯を歩く.最初暫くは落葉樹の林を歩く.
1936年の碑
1936年と記され,白い鳩の描かれた碑があった.白い鳩なら何となく平和が訪れた記念碑かな....と思わないでもないが,1936年はスペイン内戦が始まった年らしい.で何のモニュメントかな....
なおこの辺りからは松林が多くなる.松は曲がりくねらず比較的かなり直線的に伸びている.
トーテムポールの広場
次いでトーテムポール(のような)の広場があった.近くに村や街はないし,一体誰が利用するのか.いや休日やシェスタの時間帯に,車で子供連れで来るのでしょう.なにしろこの辺りは土地が十分にあり,巡礼道もそういったための車道を兼ねているようで,現在は未舗装ながら幅広い.
ちょっと正確な位置は不明だが,手持ちミシュランマップではこの辺りで1,162mの峠を越える筈だが....とにかく全般に勾配がなだらかで,私には特定できなかった.
サン・ファン・デ・オルテガ修道院が見えてきた
ようやくサンファンデオルテガ修道院が見えてきた(道の右側).またその先には村も見えている.ここからは二者近くに見えるが,実際は結構離れている.
要は一旦サンファンデオルテガ修道院のアルベルゲ(Albergue de peregrinos del monasterio de San Juan de Ortega)に入ると,村や街には簡単には行けないのだ.
サン・ファン・デ・オルテガ修道院に至る
長~い無人区間を歩きサンファンデオルテガ修道院に到着した.いや修道院は教会の付属で,サンファンデオルテガ教会が正しいのかな....いずれにせよいかにも堅固な石造りで,要塞のようにも見える.
この教会は1,100年代中頃,巡礼者のためにオルテガの聖ヨハネによって建立されたとされるそうだ.そして修道院が併設され,僧は避難所や薬局,救護院を開設し,巡礼者に役立ったそうだ.しかしそのうち地域の人口は減り,修道院は干し草置き場などに転用されていったらしい.
そして1980年代以降になると,再び巡礼者数が増加に転じ,やがて私達が今夜泊まるアルベルゲ(Albergue de peregrinos del monasterio de San Juan de Ortega)や,夕食を頂くカフェが設けられるようになったという.
サン・ファン・デ・オルテガ修道院の前庭
私が到着したときはまだ,レセプションが開いておらず,1:00PMからというのでドア前にザックを並べて開館を待つ.マップではここの標高は1,040mと記されており,気温そのものは低いのであろうが,陽射しが強く,木陰のベンチに退避.
この中庭で待つ前,そしてその後,香港のカップルに出会い,話す.男性は56歳で,ちょっとか弱そうだが優しそうな奥さんの荷物も含めて背負い歩く.相補的ご夫婦だ.レセプションで登録後,再び会ったときは,私も既に飲んでいたがビールを勧められありがたく頂戴した.
なにかの拍子に中国語や漢字の話題になり,乏しい知識に拘わらず幾つか話を交わした.例えば東京で「チャーシューめん」と言ったら通じたことなど話す.実は私もイギリスで漢字のメニュー(英訳付き)で「チャーシューハン」(丼ではなく皿にご飯とチャーシューが載っていた)と言って通じた感激の経験があり,共感が呼び起こされ,日本が漢字を導入したメリットを改めて認識した.
そして話は飛ぶが,氏は8月にカイラスに行く予定だそうで,私の経験など交えて話を交わす.現在香港自体も大変だし,チベット行きもいつ自由でなくなるか判らないし,8月はカイラス最適時ですし,行けるうちに実行がいいですね.
また男性はお気に入りというカミーノアプリを紹介してくれた.直ぐダウンロードしてみたが,私には少し難し過ぎて使えなかった.せっかくのご紹介に対してすみません.
アルベルゲのベッドルーム
これがクレデンシャルとパスポートを提示し,宿泊料9ユーロ,夕食代10ユーロ(要る人のみ)支払い入れてもらったアルベルゲのベッドルーム.レセプション脇には1ユーロと安く缶ビールを販売してくれている.他は特段覚えていることがないということは,まあごく普通のアルベルゲであったということかな.私は歳なので下段でいいのだが,上段の若い方々すみません.
そして,偶然お隣は3日前ナヘラのアルベルゲで隣同士だった白髮,立派な髭のオランダ人Apさんだった.またよろしく.Apさんの話によるとこの日の宿泊者はアイルランド人,オランダ人,サンフランシスコのアメリカ人などが多そうだ.
サン・ファン・デ・オルテガ修道院のいろいろな祭壇
サン・ファン・デ・オルテガ修道院(教会)を見せてもらった.この教会は大きく,幾つもの祭壇を備えている.主祭壇は夜ミサで訪れるので,それ以外の以下のような幾つかを掲げてみた.右端は,全く同じ絵柄のパネルが左右合わせて4つ掲げられ,こうした形式は初めて見るのでちょっと驚いた.
こうした絵や彫刻の他に,サンファン(San Juan)その方でしょうか,石棺や慰霊堂なども備えられていた.
巡礼者のミサ
ここは巡礼者以外,アルベルゲ運営者や僧職以外の人は皆無だ.そして夜のミサは実質的に巡礼者が対象で,村や町の人の参加はほぼないようだ.
ということで,よく解らないままにまたミサに参加した.
この日は3人もの僧職の方が聖書ページの朗読や賛美歌,それに参加者各国言語での主へに言葉(多分),握手,それにまた間違えていた薄いお煎餅....など,相変わらず理解は少しも進んでいなかった.すみません.
こちらがミサを執り行った僧職ご三方
私のように全く無知な連中も含めた相手に対し,ミサを執り行った僧職ご三方がこちら.そしてそうした人にも理解をと写真撮影をと促して下さった.
左の方が手にした赤表紙の印刷物が言語別賛美歌と祈りの言葉が記されたリーフレットで.残念ながら日本語版はなかった.他国の巡礼者に比べると日本人カトリック教徒は圧倒的に少ないのだと思う.
夕食に行く
ミサが終わる少し前ころから夕食が始まったようで,私がカフェに行ったときには.かなり席が埋まっていた.そしてトレイに皿を載せ並んで,カウンター向こうの炊事担当者に装ってもらう.こちらの担当者も概ねカトリックのボランティアということだ.
幸い香港ご夫妻のテーブルは空いており.ここに座らせてもらう.ありがとうございます.
サン・ファン・デ・オルテガ修道院の夕食
夕食は写真のように,豆入りスープ,野菜サラダ,ポークチョップ,パスタなどだった.しかしワインがないのは些か驚く.多分これまでワインもビールもないところは無かったような....でも水は付いていた(バーではビールも,ワインも,水も大差ない値段だ).これが本来の巡礼旅スタイルなのかな....
ところでどこでも多いコリアンの皆さんはここでは全く居らず,びっくりした.キッチンを備えてないのが不人気の理由の一つかも知れない.一般にキッチンのあるところでは,半ばコリアンの皆さんに占拠されてるように見えるケースがあるのだ.