巡礼14日目:イテロ・デ・ラ・ベガへday 14:Itero de la Vega
この巡礼14日目:イテロ編では,2019年5月25日オルニージョスのアルベルゲで朝を迎え,ここを出て,オンタナス,サンアントン修道院(遺跡),カストロヘリス,モステラレス峠を順次経て,イテロに至ったときの写真を載せました.
イテロ付近のGoogleマップmap around Itero
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離31.45km,歩行時間7h4min.
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オルニージョス・デル・カミーノの朝Hornilles de Camino
オルニージョスを離れる
5月25日の朝が明けた.Nhさん,Stkさん,Ctkさん方が出かけたのに,引き続いてオルニージョス,正しくはカミーノのオルニージョス(Hornilles de Camino)のアルベルゲを離れた.
雲は多めだが天気はまずまずかな.
オルニージョスを抜け野道に入る
短いオルニージョスの村を抜けると野道に入った.周囲は麦畑がメインのようだ.ところで暫く前からブドウ畑はなくなっている.
オンタナスHontanas
下り道に入りオンタナスの村が目に入る
下り道に入りオンタナス(Hontanas)の村が目に入ってきた.一般に村は少し高台に位置していることが多かったように思うので,ちょっと変わって見えた.
オンタナスの村に入る
オンタナスの村に入ってきた.道は比較的狭く,両側の住宅は石造りが多い.ただし道路の傾斜は少なく,村は概ね平らであるように見えた.建物からするとかなり歴史がありそうだ.
村の教会とカフェ
オンタナス村の中程に行くと教会があった.撮り方がまずく,全体が見にくい.ヌエストラセニョーラデラコンセプシオン教区教会(Parish Church of Nuestra Senora de la Concepcion)という長い名だそうだ.でも聖母受胎聖堂のように解釈してもよさそうだ(尤もそれでもなお難しいが).
元々はサンタマリア教会として,14世紀に新古典主義様式で,(現在もあるのかどうか不明だが)ビショップと村長の宮殿に隣接して建てられたようだ.
現在横はカフェだが,この辺りにビショップの館があったのだろうか....
オンタナス村を抜け麦畑
オンタナス村を抜けると当然麦畑だ.実に美しい.
そしてこの辺りで,最初プエンテラレイナで出会った青年Kdさんに再会した.Kdさんは大手電機メーカーのエンジニアで,旅好きだったが,やはり若いうちにもっと世界を見なくてはと,この年の1月に会社を退いて旅に出たということだ.私も資金など諸条件を満たすなら,旅に出るのがいいのではないでしょうかと思う.前述した女性のKtさんは,以前働いて作ったお金で(親の支援とかなく)既に6,7年旅を続けているというので,Kdさんも可能でしょう,と思います.
サンアントン修道院Monastery of San Anton
畑の道は続く
畑の道は続いた.ポプラ並木も見えて,それに青空が出て広がってきた.嬉しい.
そしてKdさんに,「このペースで歩くと,カストロヘリス(私の宿泊予定地)には11時前に着いてしまいますよ」とアドバイスされる.それは困る,早く付くとアルベルゲが閉まっているので延々と待たねばならなくなる.
舗装道になり,サンアントン修道院を目指す
巡礼道は舗装道に変わった.周囲の眺めは引き続き素晴らしい.そしてサンアントン修道院を目指す.
さて宿泊予定地カストロヘリスはどうしようか.手持ちのミシュランマップでは標準宿泊地でない,中間にアルベルゲがあるというイテロ,正しくはイテロデラベガまで行ってみようか.....そうしよう.
Kdさんはこの日は間合を取りながら,Nhさんたちとシンクロして歩いている様子なので,Kdさんにイテロまで行ってみますと告げて歩いた.
サンアントン修道院に至る
巡礼道は廃墟であるサンアントン修道院に至った.通過するアーチなどはとても大きなものだ.本修道院はときのレオン王による1146年建立というからとても長い歴史があったようだ.
サンアントン(聖アントン)は,聖アントニウス, 聖アントニオ,大アントニオスとも呼ばれ,3世紀のエジプト生まれで,敬虔な両親にキリスト教徒としての教育を受け,生涯修行に励み105歳の長寿を全うしたという.そうした観点から修道士生活の創始者と言われるようだ.また難病治療に尽力したので,そうした病の守護神,そしてなぜか動物の守護聖人でもあるらしい.
ということで,この修道院もそうした病気の治療に当たっていたが,なぜか14世紀には閉鎖されたとのことだ.
現在廃墟の一画では電気や水道がない,往時のプリミティブな巡礼を体験できるアルベルゲがあるようだ(私は見てない)
先方にカストロヘリスが見えてくる
サンアントン修道院からお花畑に沿い暫く歩くと,先方にカストロヘリスの小山が見えてくる.
街は山の麓に形成されているようだが,てっぺんに尖った屋根が見える.どうやら城塞,あるいはその廃墟のようである.小山は独立峰なので,理想的な山城が築けたことと思う.ただ完全包囲されたときは兵糧攻めのリスクも高かったであろう.
カストロヘリスCastrojeriz
カストロヘリスに近づく
カストロヘリスに近づいた.ただ山の麓に至るまでは人家がなく,緑の畑で,とてもきれいだ.
カストロヘリス入り口の教会
カストロヘリス入り口になった.ここには教会が建てられている.マンザノの聖母古代教会(Our Lady of Manzano ancient church)と呼ばれるようだ.Manzanoはりんごの木の意で,サンティアゴがりんごの木のマリアを見て,馬が後ろ脚で立ち上がった,とか何とかの言い伝えがあるらしい.....
マンザノの聖母古代教会入り口
この教会は1,200年代初頭にできたとされ,この入口は改修されルネッサンス様式のようだが,全体的にはゴシック様式でできているようだ....私にはロマネスク様式と区別付かず..
アーチ上の2つの像の左は聖母マリア,右は大天使ガブリエルらしい.
カストロヘリスの街を行く
カストロヘリスの街は小山の麓にあるので,少し坂の場所が多い.道脇の家々は石造りの味わいありそうな建物が目立つ.かつて城下町だった面影も少し残しているような気もする.
カミーノの道標
石造りの家の壁にカミーノ道標がはめ込まれていた.とてもきれいです.
壁のドクロマーク
また別のお宅の壁にはこのようなドクロマークが付いていた.どういった意味合いなのでしょうか.病院の放射性アイソトープ検査室のドアにあったりしてもおかしくないですが,ここは普通の民家のようですし....
この辺りは新市街であろう
街を曲がりながら進むと,やがて広い通りで,新しい建築の目立つエリアになる.この辺りはカストロヘリス新市街になるのではなかろうか.
とは言っても,歩道はもちろん,車道も石畳で,なかなか立派なものだと思う.
もう一つ教会あり
カストロヘリスの街ががそろそろ終わりになろうかと思われる辺りに,また立派な教会が出現した.多分サンファン教会(Iglesia de San Juan)という名かな~と思ってる.
入り口は道路と反対側にあり,そこに行ってみることにした.
サンファン教会の礼拝堂
裏手に回ると入口ドアが開放されており,他の人も入っていたので,私も入れてもらい見物した.
礼拝堂の天井は高く,窓も十分に設けられ,堂々たる身廊と祭壇だ.
カストロヘリスは大きな街なので,大きなカトリック教会は少なくとも2つはあるわけだ.他にも小さな礼拝堂があるかもしれません.
カストロヘリスを過ぎると緑の海
カストロヘリスの街を過ぎるとまた緑の海に入った.それに青い空,流れる白い雲,いや~美しいですね.
緑の海の向こう側には大量の風車が設置されているのだが.....この写真ではよく見えない.山の上ではなく比較的低い位置にあり,やはり広大な民家のない無人エリアがあるから可能なのであろう.羨ましい.
モステラレス峠Alto de Mostelares
川の手前
暫く行くと橋があった.橋の初めの区間は陸の上で,水の流れは先方だけである.また流れている区間には並行する歩道橋も設けられている.
今は流れの量は少ないが,季節によっては川幅が増し,また水位が上がるのであろう.
また歩道橋は低い位置なので所謂潜水橋ではなかろうか.
歩道橋から眺めた流れ
歩道橋を渡り,中程で眺めると穏やかな流れが見える.今Googleマップを見るとオドラ U オドリリャ川と載っているが,何か変な名だな.....誤訳というか,誤変換というか....
峠への上りに入る
オドリリャ川を過ぎるとモステラレス峠への上りに入った.地元の旅行者であろうが,親子3人組の中のお子さんが元気に私を追い抜いていった.かわいい.
モステラレス峠頂点塔と十字架
そして標高910mのモステラレス峠(Alto de Mostelares)に到着した.峠には頂点を示す塔(と思うが,これまでこうした類があったためしがないので違うかな.....)と十字架が立てられ,休憩小屋やベンチを備えていた.一応大きなマップ板も立てられているのだが,落書きがいっぱいで見ずらい.
もちろん周囲に妨げるものはなく,よく見渡せる.いや~これがメセタですね,と改めて感じ入る.
モステラレス峠から下りに入る
モステラレス峠から下りに入る.区画された麦畑に,雲の影が投射され,きれいですね.
さて目指すは予定変更し,新規目標地イテロだ.
イテロ・デ・ラ・ベガItero de la Vega
モステラレス峠下の平原
モステラレス峠から反対側に下ると,平原となり,その砂利道を進む.先方に林が続いているのは,これまでの経験に照らすと,その近くに川が流れている可能性が高かろう.
巡礼路脇の雑草
巡礼路脇の雑草は可憐な花を咲かせ,和ませてくれる.
ピスエルガ川
はたして川がありました.名はピスエルガ川(rio Pisuerga)で,大きな石橋が架けられている.
水嵩が増えたときに持ち堪えられるように重量級設計になっているようだ.
イテロの村に入る
イテロ,正しくはイテロデラベガ(Itero de la Vega)の村に入った.
午後2時頃の街並みは殆ど人影なくひっそりとしている.村の入口と,アルベルゲ近くの2箇所にバーがあったが,他はあまり見当たらず地味なことこの上ない.
アルベルゲは直ぐ見つかる
アルベルゲ(Albergue municipal de Itero de la Vega)は直ぐ見つかった.予定変更の狙い通り頃合いはちょうどよくドアは開いていた.
アルベルゲのベッドルーム
アルベルゲのドアは開いていたが,レセプションがどこか分からない.入り口脇にベッドルームがあり,レセプションらしきテーブルがあった.しかし担当者はいない.
さてどうしたものかとうろちょろしていると,パリからのTGVで向かい席だったコリアン男性が,お久~,空いているベッドにザックを置けば,そのベッドが自分のベッドになりますよ,と教えてくれた.グラシアス.私は西部劇のガンファイターになった気分で,3,4台残っていたベッドの一つに素早くザックを置いた.別に私以外新参者はいないので急ぐことないのに......でも少しして現れ,ベッドは埋まっていった.また担当者も現れ,パスポートとクレデンシャルを提示し,登録し,スタンプを押してもらった.
ここは珍しいことに2段ベッドではなく,一段で,また比較的疎に配置され,ゆったりした感じだ.
アルベルゲのお向かいは教会
アルベルゲのお向かいは教会だ.ただミュニシパルのアルベルゲだが,この教会付属とか,直系とかいうことではないようだ.それどころか教会のドアは閉ざされ,巡礼者に積極的に開放する方針ではなさそうだ.
鐘楼の上にはコウノトリが巣を作っている.コウノトリは聖書でも現れ,キリスト教と親和性が高いし,身近にいるにはうれしいことだと思う.
遠くのバーに行く
さて私にとって夕方(当地では真っ昼間)になった.そしてアルベルゲ近く開店していたバーに出かけた.すると,暫く休憩に入るのでサービスできない,だって.まさかバーまで閉じるとは,バーだけは閉じることないと信じていたのに....
そして彷徨っていると,その近くでKtさんに出会う,ブルゴス以来だ.彼女は近くの小さなアルベルゲに滞在し,食材は予め用意(あの65リットルザックにですね)してあり,調理するようだ.この村では正解であろう.また私は早く食べて早く寝るのだが,こちらのスタイルに合わせ遅い時間に食べるのもいいと思う(それができる人は).
そして私は村入り口のバーにいった.入り口と言っても大した距離はなく直ぐだ.料理はできないが,ビンや缶の飲み物とありあわせのタパスなどであれば出してくれるというので,先ずはビール(これがこの時間は小瓶だけ)にハモンを出してもらう.後でトルティージャ(具入りオムレツ)や追加ビールなど頼んだと思う.
カミーノ,特に都会以外,レストランが夕方営業してないのは年寄りには堪える.