巡礼24日目:ビジャフランカ・デル・ビエルソへday 24:Villafranca del Bierzo
この巡礼24日目:ビジャフランカ編では,2019年6月4日モリナセカの朝のアルベルゲを出発し,ポンフェラーダ,フエンテスヌエバス,カンポナラジャ,カカベロス,ピエロスをケ経由し,ビジャフランカに到着するときの写真を載せました.
ビジャフランカ付近のGoogleマップmap around Villafranca
濃い赤線がこの日歩いたトラック.歩行距離30.98km,歩行時間7h27min.
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モリナセカの朝Molinaseca

モリナセカの街を去る
6月4日朝が来た.まだ薄暗い中,モリナセカのアルベルゲを出て,その前の道をそのまま西に向かう.
この辺りはほぼモリナセカの郊外になり,住宅は贅沢に離れており,また緑豊かだ.

徐々に明るくなり,向こうの街が見えてくる
暫く歩くうち徐々に明るくなり,向こうの街が見えてきた.ポンフェラーダの街であろう.
徐々に高度を下げているように見えるが,ポンフェラーダの標高は523mということで,モリナセカより幾らか低いであろうか.
ポンフェラーダPonferrada

ポンフェラーダはまだ目覚めてない
そしてポンフェラーダの街に入ってきた.でも街はまだ目覚めた気配はなく,ひっそりしている.それはそうですね,まだ7時過ぎですから.
街並みは少なくともこの辺りは普通の現代建築が並び,一般的な近代都市に見える.

ロステンプラリオス城
幾らか上り加減で進むと立派なお城が目に入った.ロステンプラリオス城(Los Templarios Castle)と呼ばれる城跡で,12世紀初頭~14世紀初頭に影響を与えたテンプル騎士団の拠点として建設された城塞ということだ.
テンプル騎士団はヨハネ騎士団や十字軍と同じように大きな存在で,元はエレサレム巡礼団を守る修道士の組織だったが,やがてキリスト教会,国家を支配するほどの実権を有するに至った経緯があるようだ.

聖アンドレス教会
ロステンプラリオス城周りを歩いていくとこの教会に出合った.17世紀バロック様式建築で聖アンドレス教会(the Church of St. Andreas)ということだ.聖アンドレス(St. Andreas)はイエスの使徒の一人,シモンペトロの兄弟で,ペトロと共にガリラヤ湖で漁をしていたときに初めにイエスに声を掛けられ,弟子となった人物.弟子のリストではペトロ,ヤコブ,ヨハネに次ぐ4番弟子とされているようだ(3高弟は概ねこのようだが4番目以降になると諸説あるようだが).
ということでその聖アンドレスを祀った教会ということになろう.

ロステンプラリオス城は続く
ロステンプラリオス城は続いていた.石を肉厚の漆喰で固めた構造で,ちょっとやそっとの銃撃では何ともなさそうである.それに城壁の周囲は堀が張り巡らされ,今は乾いているが当時は水があったであろうから,攻撃は厄介だったに違いない.

城から下る
ポンフェラーダに限らず城は山に在るのが定石だ.谷にある城は....あるであろうが,思い当たらない.
という訳でロステンプラリオス城から下る.下り道は現代スペインそのもので種々グラフィティを眺めながら歩く.

大きな緑地公園を行く
階段を下り,しばし行くと巡礼路は緑地公園を通るようになる.マップを見るとコンコルディア公園のようだ.この公園は名前もいいが,それに留まらず緑豊か,広くていい公園だ.なお右側には小さなシル川(Sil)が流れている.
ところでこの辺りで初めて藤沢のSrさんに出会う.Srさんは同行二人の菅笠を被っておられるので直ちに日本人と判り,声を掛けた.Srさんは四国遍路で言う区切り打ちのスタイルで,去年はサンジャンピエドポーからブルゴスまで歩き,今年はその続き,ブルゴスから歩いて来たそうだ.
ご本人は浄土真宗だが奥様がカトリックで,まあ代理で歩いていると解釈して良さそうだ.小さなことに拘らず歩いているのが多くの巡礼者の実態だと思う.

公園が終わり自然路に
コンコルディア公園が終わり,自然路に入っていった.でもこの辺りは植物が多く爽やかだ.この後,高速道路を越えたりする.
前方赤いザックの一人前,菅笠がSrさんだ.遠くからでも識別できますね.

ポンフェラーダ郊外になる
やがてポンフェラーダ郊外になり,中高層建築が比較的疎らに建つ地帯になる.直ぐ傍や少し離れた位置に聳える山がいい雰囲気だ.

ブドウ畑が現れ始める
リオハワインの産地辺りを過ぎてから久しくブドウ畑が途絶えていたが,再び現れ始めた.やはり地形や気象条件がこれまでの牧草(や麦)地帯から変化したのでしょう.ブドウの葉が瑞々しい.
フエンテス・ヌエバスFuentes Nuevas

フエンテスヌエバスに入り大きなコウノトリの巣
畑の巡礼路を歩きフエンテスヌエバスの村に入ってきた.そして大きなコウノトリの巣専用ポールがあり,巨大な巣が載っていた.少し先に教会の鐘楼が見えるが,その屋根の傾斜がきついので専用台を設置したのであろう.何度眺めてもその巨大さに驚く.

聖母教会
フエンテスヌエバスの村を行くと教会があり,この鐘楼の屋根にはコウノトリの巣が見えた.屋根は斜めでしかも狭いのにかなり頑張って巣を作ったように見える.
教会は聖母教会(Iglesia de Nuestra Senora)で,石造り,きれいなスレート屋根葺きだ.

聖母教会礼拝堂
聖母教会の内部を見せてもらった.壁は石の素材をそのまま見せ,梁や天井,垂木もそのまま見せるデザインだ.聖母マリアを主題とする主祭壇はピカピカで,ちょっと驚く.
そして主祭壇の左右にもかなり立派な副祭壇が設けられており,こちらも賑やかだ.

フエンテスヌエバスを抜け牧草地帯
フエンテスヌエバスを抜けると牧草地帯だった.もちろん牧草以外の作物やブドウ畑も見える.巡礼路は広く舗装された農道だ.
この辺りだったと思うが台湾女性に出会った.台湾男性Snさんとはしばしばお会いするが,女性は初めてだ.女性はこれが最初のカミーノだが,なかなか楽しいと話していた.ほんとその通りですね.
カンポナラジャCamponaraya

カンポナラジャに入る
農道を行くうちにカンポナラジャ(Camponaraya)の村に入ってきた.村の建物は伝統建築は少なくなり,現代建築が多くなってきた.
写真,歩道先の高い塔は聖イルデフォンソ教会(Church of Saint Ildefonso)の鐘楼という.

聖イルデフォンソ教会礼拝堂
聖イルデフォンソ教会(Church of Saint Ildefonso)の礼拝堂を見せてもらった.建築自体モダンデザインで,最近建てられたように見える.主祭壇もキリスト像,他数体配した簡潔なスタイルで,これまで見てきた典型的カトリック様式からは随分と離れたものだ.

カンポナラジャの水場
カンポナラジャの村中で水場があった.ここでは昨日一緒に坂道を降ったSwさんに再会.私はモリナセカに泊まり,彼女は気合いを入れてもっと先,上述のポンフェラーダに泊まっていたのだ.そして早く起きようと思っていたが,結局起きたのは8時,従って出るのも遅くなり,こんな時間にようやくカンポナラジャになってしまったそうだ.
ここのバルブは足踏み式(結構固い)で,彼女はジャンプしてポーズをとってくれたのだが,これは着地してしまった後のようだ.スマホのタッチシャッターはいつまで経っても慣れない.

カンポナラジャを抜け麦畑
カンポナラジャの村を抜けると麦畑になっていた.しかしメセタ辺りと比べると,樹木が育ちやすい気候環境にあるためか,畑の広がり方には限界があるかな....
麦と相性のいいアマポーラは相変わらず共存している.でも実のところ麦の方は嫌がっているかな.....
カカベロスCacabelos

カカベロスの村に入る
カンポナラジャの後はカカベロス(Cacabelos)の村に入った.
通りは双方向車道両側に歩道が設けられ,そこが巡礼路になっている.
建物は新しいが,非常に特徴的だ.つまり2階部分が道路側にはみ出た構造で,5月23日眺めてきたブルゴス旧市街の建物と似たような形式であろう.なお前日見てきたばかりのエルアセボ村住宅形式,つまりバルコニーだけが張り出したタイプも見える.多分バルコニーを張り出すなら,部屋丸ごと出した方がいいだろうと進化したのであろう.

聖ロケ教会
カカベロスの村を行くと聖ロケ教会(Iglesia de San Roque)に行き当たった.石造りのコンパクトな教会だ.

聖ロケ教会礼拝堂
入り口が開けられており,見せてもらう.主祭壇では赤い装束の人物像が目立つ.この方が聖ロケ(San Roque)でしょうか?
聖ロケ(San Roque)は1,295年フランス生まれのカトリック聖人.ローマへの巡礼途中,イタリア北部で多くのペスト(黒死病)患者を看護し,癒やしたことからペストの守護聖人とされ,古くからヨーロッパで崇敬の対象となってきたそうである.

カカベロスの村を進む
カカベロスの村を進む.この辺りが中心部になるのか,バーやレストランがあり,教会前広場もありそうだ.
教会はサンタマリア教区教会(Parroquia de Santa Maria)と呼ばれるようだ.

サンタマリア教区教会礼拝堂内部
サンタマリア教区教会(Parroquia de Santa Maria)も開放されていたので見せてもらう.全般にシンプルでモダンなインテリアだ.主祭壇は花で囲まれたキリスト像だけでスッキリしている.
巡礼者一人がザックを置き,お祈りしている.これが本来の巡礼の姿であろう.

エジプシャン壁画,落書き
白い壁があった.落書きには最適だ.そして実際そこにエジプト風絵画が描かれていた.これは落書きか? いやこれはアートとして描かれたように思える.

クア川を渡る
カカベロスの村をさらに行くとクア川(Rio Cua)に交わり,この橋を渡った.
この橋の辺りは1809年スペイン独立戦争(半島戦争とも言われ,ナポレオン戦争中イベリア半島でスペイン軍,ポルトガル軍,イギリス軍の連合軍とフランス帝国軍との間に戦われた戦争)でカカベロスの戦いの場面となったところらしい.

ブドウ絞り装置
橋を渡ると木製の大きなブドウ絞り装置が展示してあった.写真が見難いが,下の絵は解り易い.
現物で驚いたのは巨大な木製ネジ(ボルト)だった.所定強度を満たすためとても太く,きれいに精度良くネジ加工が施されている.当時当然ブロンズも鋼もあったであろう筈なのにどうして木材にしたのか.金属ではネジ切り加工(普通旋盤で行う)ができなかったのであろうか.

ブドウ絞り装置説明図
見出しはワインのワイナリーでちょっと変に思えるが,要はブドウ絞りレバーだ.左端がレバー支点で,右端がネジ式の力点,中央が絞るブドウを圧縮する作用点になっている.
ネジを回すのに3人がかりなので相当圧力を掛けないと絞りきれないようだ.

ブドウ絞り装置のQRコード
ここに限らず,観光スポットや教会には時々QRコードが貼ってある.これは上ブドウ絞り装置のQRコードで,少し詳しい説明のサイトが開ける.もちろんこの画面をスマホのQRコードリーダーで読めば,音声付き西,英,仏三ヶ国語のページが開ける.

カカベロス村外れのキンタアングスティアの聖域(Santuario de Quinta Angustia)
カカベロス村外れに至るとキンタアングスティアの聖域(Santuario de Quinta Angustia)と称される教会があった.正しい日本語ではないかな....変わった名だ.
でそのQuinta Angustiaを引いてみるのだが.....難しくて解らなかった.でも外観は一般的な教会とさしたる違いはないように見える.
ピエロスPieros

ピエロスのエリアに入る
カカベロスを過ぎるとピエロスのエリアに入った.
この辺りはブドウ畑が多い.上で古いブドウ絞り装置を見てきたが,伝統的にワイン造りが盛んなエリアなのであろう.
そしてこの辺りからかなり雨が降るようになり,一時的にはかなり激しく降る.

道標を無視して間違い道を行く
ビジャフランカに至る前,道標は真っ直ぐの矢印だった.そして暫くその方向に進んだのだが,左手に大きな村が見えるので,多分そちらが近道かなと思い,一旦分岐点まで戻り,そちらに向かった.雨でなるべく早くビジャフランカに着きたいという思いがあった.
しかしそれはやはり誤りだった.暫く歩くと街に入ったが,それはビジャフランカではなく,別の街だった.そしてたまたまそこの住民の方に出会い,ビジャフランカへのルートを訊いた.そしてその街から右手に折れる道に入り進んだ.バカなことをしたもんだ.
ビジャフランカ・デル・ビエルソVillafranca del Bierzo

ビジャフランカの大邸宅
結局間違えた道からはビジャフランカの先の方の巡礼路に戻った.目指すアルベルゲはビジャフランカ入り口付近に位置しているので,先ずは逆方向に歩いた.
そして上り坂の途中に立派なお城のような建物が見えた.15~16世紀の建設らしいがまだちゃんと使われているようで,前庭の芝刈りを行っている様子も見える.すばらしい.昔さる伯爵の邸宅だったらしいので,現在はその末裔の住まいであろうか.

なおも坂を上ると教会とアルベルゲ
大邸宅からなおも坂を上ると教会と目指すアルベルゲ(Albergue de peregrinos Ave Fenix)が見えてきた.ホッとした.
アルベルゲとは互いに目と鼻の先の教会はサンティアゴ教会(Iglesia de Santiago)であるが,あいにく入り口は閉ざされ覗き見できなかった.悪趣味と察知され未然にシャットアウトされたかな.

アルベルゲ入り口
主に石造り,所々木材も組み合わされた構造で,ここが入り口.なぜか日本語で「アベ フェニックス サンティアゴ巡礼の道」の表札も架かっている.

アルベルゲのレセプション
玄関を入って左手がダイニングルーム,売店を兼ねたレセプションとなっている.パスポートとクレデンシャルを提示しチェックインする.写真を撮ろうとするとオスピタレオのおじさんが,ちょっと待て!と言ってピエロの鼻を付けてくれた.面白い方です.そして夕食,明日の朝食込みで16ユーロということでとっても安い.
シャワーやランドリー,ビール自販機....など聞き,割り当てられたベッドに行き,ザックを下ろす.

アルベルゲの中庭
ここはアルベルゲの中庭.アルベルゲ全体はかなり古く,例えば電源がベッドサイドに無かったので,中庭に面した通路を見回し,差込口を探して充電した.
それでも庭はきれいに保たれ向こうには山も望める.結構いい.

アルベルゲのビール
中庭にはビールの自販機もあり,1ユーロと安い.味は安くとも変わりなく美味しい.

巡礼者の連れてきた犬
このワンコは巡礼者が連れてきたもので,アルベルゲの犬ではないそうだ.確かにシェルマークのバッグを背負っているのは変だな~とは思っていた.
後で飼い主,ひげの男性巡礼者に訊いたら,犬は6歳で,シェルマークのバックパックは単なるファッションと思いきや,何と救急セットが入っているのだそうだ.ただし救急セットが背負っている犬用なのか,ご主人用なのか聞き漏らした.

細い道,階段を降りる
雨が上がり,青空が出てきた.大きな教会もあるので見てこようか,と細い道,階段を降りた.でも教会には着かない.元々感覚が弱いのだ.それに加齢もあるし....
尤も教会は低い場所ではないので,下りながらも,その辺で上り返すポイントに出合うはず....とは思っていたが,思うだけで見つけられず.

ビジャフランカの広場
教会には至らず着いた先は広場だった.そして広場をうろついていると偶然ばったり,今朝ポンフェラーダでお会いした藤沢のSrさんに再会した.
そしてビールでも飲みましょうか,ということでパラソルの下でジョッキのビールを飲む.そのうちパラソルがあると陽が当たらず(それが目的だもの)寒いので畳んでもらった.

2杯目はバーの中で
パラソルは畳んでもらったが陽の位置が低くなり,陽射しがなくなった.ということでバーの中に入り,2杯目大生やオリーブをオーダー.
Srさんとは面白い話をたくさん交わしたのだが,直ぐに酔っ払い,また例によって加齢も助太刀し,殆ど思い出せない.カトリックの奥様には毎日電話することとか,浄土真宗とカトリックの違いや共通点とか....だったかな~

アルベルゲ手前から望むビジャフランカの街
ということで,アルベルゲの夕食があるので,また坂を上り引き返した.
途中ビジャフランカの街を眺めると青空の下で輝いている,美しい.

アルベルゲで夕食
夕食はスペインスタイルで8時からだった.私は2,30分遅れてしまった.も一人遅れたドイツ男性が居られ,残り物を一緒に中庭で頂くことになった.野菜サラダにビーフパエリアだった.ビーフは骨付きだったので,骨の欠片が残るのだ.そしてそこに上述のワンコが傍らに来たので,それを与えたら喜んで食べる.ほんと美味しそうで,尾っぽを振ってくれる.
しかし同席のドイツ男性が言うには,この調理された料理は犬には濃すぎる味,塩分が多すぎるという.そして自らドッグフードを探してきた.多分ワンコオーナーからでしょうか.ドッグフードは一応小さな骨の形になったビスケットで,人の子供が間違えて食べないよう工夫してある.
しかしワンコはこのビスケットには見向きもしない.言わば「猫またぎ」の犬版,つまり「犬またぎ」なのであろう.相変わらず私の顔を見て尾っぽを振る.私は困って,1,2個だけスキを見て,落とし与えた.ワンコは明日もせっせと人並みに歩かなければならない.栄養が要るのだ.神よ,これはやはり罪になるのでしょうか.仏教では慈悲でもありそうな.....