このカンボジア2000は主によく知られるアンコールワットなどの見物に訪れた.カンボジアは下マップのようにインドシナ半島南側に位置し,西側はタイランド湾に面している.正式国名はカンボジア王国(Kingdom of Cambodia)であるそうだが個人的には大量虐殺を行ったポル・ポト政権,それに続く独裁国家の印象が強い.
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この頃シュムリアップ直行便はなかったので往復とも羽田→関空→ホーチミンシテイ(サイゴン)→シュムリアップで飛んだ.着いた空港お手洗い<の汚さは強烈でとんでもないところに来てしまったな~と思ったものだ.それでも空港を後に巡ったところはシュムリアップ付近だけ,カンボジアのほんの一部だったがそれでもなかなかおもしろかった.
今回のツアー(JTB)はカンボジア(とサイゴン共に)私たち2人だけで専属ガイドと運転手付きだった.
以下巡った場所リスト
アンコールワット正面外観
お堀と森で囲まれ12世紀頃にヒンドゥー寺院として建立され,アンコール王朝終焉と同時に隣国のシャム(タイ王国)に攻め入られ16世紀ごろには仏教寺院(上座部仏教)へと改宗されたようだ.そして百数十年前深い密林で発見されたと云うことだ.で相当傷んでいる.なおタイでは寺をワットと呼んでおり,現名はその名残であろう.
なおカンボジア国旗中央は本アンコールワット,青は王室の権威,赤は国民の忠誠心を表しているという.(王室の名を借りた)権威と忠誠心,そのまま独裁体制を表現しているような....
建材の石が黒化しているので相当傷んでいるように見えるが,表面以外や構造はかなり精度良く維持されてきたように見える.石材は砂岩とラテライト(赤いという)が使われたようだ.ただ私が見た範囲では赤色はなかったのでほとんど砂岩であろうか.砂岩は水分や空気中の酸素によって鉄分が酸化され黒色(や赤色)に変色することがあるそうだ.
アンコールワット壁部にはアンコールのヴィーナスとか東洋のヴィーナスと呼称される美しいレリーフ像が複数体嵌め込まれている.皆立派な胸やプロポーションである.
スリランカの有名な壁画シギリアレディの体型とよく似ていると思う.シギリヤは,シンハラ王朝が5世紀に建設したそうだからそうした美術要素が伝えられたのであろうか.
さて次は急な階段上りだ.見た目では大した勾配があるように思えないが実際は急だ.私は手も使って上に出た,やれやれ.
階段は現在の観光客想定などという考えは全く無かったであろうから当然であろうが.
なお話は飛ぶが観光客はどこでも大勢いる日本人や他のアジアの国以外に,旧宗主国だったためフランス人も多いようだ.パッケージツアーがまだなかった江戸時代,日本人侍の落書きが回廊の途中に残っている.祇園精舎と重い仏体を寄進したとか何とか.....
上に上って下を眺めると周りは森,ジャングルだ.こりゃ長い間隠され放って置かれたことがよく解る,尤もだ.
上で石材表面の着色は専ら黑か灰色と断言したが,どうやら少し赤みも帯びているようだ.やはり酸化鉄も含まれるのであろうか.
アンコールトム(Angkor Thom)は「大きな(Thom)都」の意でアンコール朝が12~13世紀に建設し周囲12km,高さ8mの城壁で囲まれていたそうだ.そしてその中心寺院がバイヨン寺院だったということだ.
この広い通りは多分バイヨン寺院へ続く参道で脇には牛(のように見える)に続く兵士の行軍であろうか.もし牛だとすると仏教のアンコール朝はヒンドゥー伝統の一部を受け継いだのであろう.
バイヨン寺院
そしてこれがバイヨン寺院の本体.オレンジ色部分はレンガによる修復部分か.全体では大変堅固で均整のとれた構造に見える.
ところでこの建物は私には仏教寺院には見えない,ヒンドゥー寺院の様相だ.上述のアンコールワットは政権者の変化でヒンドゥーから仏教に変わったのでほぼヒンドゥー様式で残っているのは当然だ.ただバイヨン寺院は最初から仏教徒が建設したというのにどうしてだ.
アンコールトムにあるバイヨン寺院の一画
そしてここはバイヨン寺院の一画.写真中央少し右寄りに大きな仏頭が見える.観世音菩薩像だったか.他に仏像や王と仏陀が合体したといわれる仏王像などもあったが識別が難しかったかな~
ちょっと驚いたのは一般に上座部仏教では仏陀オンリーで,菩薩像などあまりないものと思っていたが....北側から大乗仏教要素も入って来たか....
頭に込み入った模様の被り物を載せている.これが果たして前述の仏王像であろうか?
そしてそんな思い込みで再度眺めると,菩薩の顔には見えず娑婆世界の権力者的に見える(私見です,もち)
バイヨン寺院にもアンコールのヴィーナスが嵌め込まれていた.
着衣像であるが現代のインドヒンドゥー女性のへそ出しルックに少し似ている.
サンダルとソックスの模様が黒いのは砂岩でなく,そうした色の石を用いたのでしょうか.
殆ど劣化がなくとてもきれいだ.総大将が象に跨り,その周りを褌一枚の兵士が槍など携えて行軍する.大きなドラなども見える.
Siemはシャムすなわちタイのことでreabはそれをはね返す,という意と聞いた.昔からタイには攻めまくられていたのでしょう.
朝方兵士の乗ったジープが待機しているので,何事かと尋ねれば,たまたまフンセン第一首相が私たちと同じ日に泊まったようだ.ホテル名は失念したが首相が泊まるくらいならそれなりの宿だったのかな.
アジアでは結構普通のことだが蚊が出た.金鳥を持って行ったので何とか助かった.国によってはテントでは匂いが着くから禁止のところもある.ホテルは普通大丈夫だと思う.
肝腎のお店が写ってない.普通の野菜市場や雑貨店が並んでいた.通り反対側のオレンジ花は火焔樹か,きれいだ.
大きな道を離れて脇の小路や藪に入ると不発地雷の危険があるとガイドさんに注意を受けた.街の一画にはこうした事故やポルポト軍に殺された人の頭骨をたくさん収めた慰霊碑などもあった.
上にシュムリアップは反シャム(タイ)と書いたが現在は有効的関係になったのか.
食べ物は一般に美味しい.ビールは大びんで普通に美味しい.
二部制だそうで,遅い方は午後2時から始まると云うことた.ポルポト時代教師は反政府的とされ処刑された.そこで教師も少ないのであろう.
アジアの学校らしく制服があるようだ.またこの頃シュムリアップには高校までで大学はないと言っていた.今はきっと,多分複数の大学があるのではなかろうか.
まだ家庭でPCを買える人が多くないのと,観光客への利便のためにであろうE-mail & Internetの看板を掲げている.ネパールなどでも同様であった.ただ近年はスマホの時代に変わったのでこのビジネスは殆ど無くなったのかも知れない.
タプローム遺跡は12世紀後半カンボジアを統治していたクメール王朝により建立された仏教寺院,ということだ.タプロームそのものは「梵天の古老」と記され,古代インド思想でのブラフマンを神格化したものらしい.日本でも梵天以外に帝釈天,四天王,吉祥天,弁才天などよく聞く.でもさっぱり理解できてないが.
ガジュマル大木の根が<石積みの構造物に絡みつく.石は侵食され,合わせ目に入り込み,そして構造物は破壊され崩れ込む.
ただ近年は建物を破壊するだけでなく,建材を支えている面もあるそうで議論されているのだそうだ.
タプロームは幾重もの壁や堀で囲まれており,その中心にこの寺院本体が建てられている.
主な建築材料は砂岩で,周壁や住居建築にはラテライトも多いいようだ.この写真の赤い部分はきっとラテライトであろう.スタンダールのような色の組み合わせがきれいだ.
なおこの辺りの地盤はラテライトだそうで建材調達は比較的容易だったのであろう.とは言っても大きな石ブロックの切り出しや運搬は大変そうだが.
タプロームの数多い壁の一つだ.レンガ製だそうだ.たまたま赤や黄色の袈裟を着たお坊さんが中へと進んで行った.
黄と赤の僧衣は概ねタイのお坊さんだそうだ.私たちには判らないが,カンボジアの方たちが見ればその豊かそうな身なり/振舞いから一目で判るとガイドさんが申してた.へえ~そうなんだと少し感心する.
これは見事に破壊された一例.根っこが石ブロックの合わせ目隙間に楔のように侵入し,太く成長し崩れさすそうだ.
近くに乗り合い像バスが待機していた.そうバスと言ってもいいほど巨大なのだ.インドの象やネパールの象に乗ったことがあるが,一頭立て4人乗りだ.方やこちらは一体全体何頭の像が大きな枡席台座を引くんだ,驚いた.
シュムリアップから南10kmに位置し琵琶湖の4倍の大きさ(アジア最大)で,さらに雨季には拡大し岩手県強の大きさになるという.私達の訪れた5月中旬は乾季から雨季に移行する頃だったようだ(あまり意識してなかったが)
車でトンレサップ湖に着きボートに乗った.この辺りは泥湖で「クルージング」のイメージとはちと離れるかな.
ただ今回は人々の暮らしを見せてもらうのでこれでいいのだ~
これは随分狭く簡素な掘っ建て小屋だ.水嵩の多くなる雨季に備えて高床式になっている.それでも追いつかないほど水位が上がる年は家ごと移動し引っ越すという.そのための小型軽量,組み立て分解容易構造という.
この辺りでは漁業や雑貨の小売などで生計を立てている人が多いようだ.
湖上住宅は丸ごと船で流れ防止の竿に係留したもの.もう一つは係留竿に通す穴の空いた大きなフロートで,フロート上に柱や屋根を載せたタイプがあるそうだ.フロートは何で作るんだろう.
生業はやはり漁業や小売業が多いようだ.水上生活は ベトナムハロン湾の水上集落, ミャンマーインレー湖の水上住宅, マレーシアのペナン島辺りでも見られるがトンレサップ湖上住宅より造りがしっかりしているように見える.
魚は一般に陸の加工専業者で樽で塩漬けされ出荷されるという.確かに陸の周辺の家々では大きな樽が見られる.臭いには閉口するが.魚は相当高価で全国からアンコールワットに来る国内参拝客,観光客がお土産として買って帰るということだ.
なお湖上で生活している家庭では,実質的には学校に行けないようだ.どうしても行かせたいときは陸で下宿するという.何とか改善されるといいですね.
こちらは湖の一部をそのまま使った養殖場.仕切りには多数の竿(と多分ネット)を用いる魚網のようだ.
養殖場には養殖魚のための餌のおこぼれに預からんと大きな鳥が常に待機している.鴨などより遥かに大きくはて何という鳥かな.
観光客が来るとこの小さな女の子,5歳くらいか,が餌の小魚を投げ入れてくれる.大きな養殖魚(鯉などより大きいか)もバシャバシャ集まり,上記大型鳥も横取りに来る.そして女の子が防御する.しっかり者だ.
こちらのお宅は観光客向けお土産も販売してた.女の子の餌やりショーに感心し,天秤棒両端に魚と大型鳥を配したモービルを買った.
二人とも私達がシュムリアップび到着し,そしてそこを離れるまで私達専属でお世話してくださった.ありがとうございました.ガイドさんはいろいろ説明できるが,こちらからの質問には質問自体の理解はまだ不十分である.ガイド学校も費用がかかり苦労するようだ.でも若いのでこれから伸びるでしょう,手にした蓮の実を分けて頂いたが食べたのは数十年ぶりだった.
ドライバさんは普通問題ないが特別なケースではやはり地雷に神経を使うという.どうぞお気をつけて.
(2023/12/02記す)