このページでは1981年サイパンを訪れたときの写真を載せました.
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サイパンは太平洋戦争で日本兵と在留日本人55000人,米兵3500人,チャモロ人900人もの犠牲者を出したことで知られる激戦地だった.私はシュノーケリングなどの観光で訪れたのだが,先ずは亡くなられた方々のご冥福を祈りたい.
現在サイパン島はアメリカ合衆国自治領である北マリアナ諸島の中心的な島で,南太平洋地域の平和記念公園として整備され,慰霊碑や寺院が建立され,崖周辺にある多数の供養塔とともに、観光地の1つとなっている.日本軍司令部がサイパン島北部(この写真で上部右端半島状に張り出した辺り)にあったそうだ.そして米軍の投降勧告に応じず,「天皇陛下万歳」と叫び80m下の海に身を投じて自決した人は1万人と言われ,この悲劇の断崖(岬)はバンザイクリフと呼ばれているという.本当に悲しいことだ.
現在は上述の南太平洋地域平和記念公園的視点や紺碧の美しい海から観光地の1つとなっている.そして島全体もゆったりリゾートライフが楽しめる土地になっていると思う.
なお写真湾内に浮かぶ島はバード島(Bird Island)と呼ばれ海洋保護区になっているそうだ.島の切り立った岩肌には長年の風雨で穿かれた適度な穴が営巣に適しているようで多種の鳥が集まるようだ,
ホテルの名は覚えてないがビーチサイドで,リゾートとしてなかなか良いロケーションだった.もちろんプールも備えていた.そしてビーチもプールもゆったり空いているのが良かった.
ここも紺碧の海がきれいだ.空の色もグリーン成分が少し弱いが紺碧に近いくらい濃い青ですね.
椰子の葉のビーチパラソルはなかなか風情があるが,細い柱一本なので台風に対して心もとないかな.台風予報を見ながら根本から引き抜くのであろう.ただ折り畳めないのでパラソル収納倉庫は大きいのが要るな~
私はシュノーケリングが好き(だった)なのでシュノーケル,マスクと多分曇り止め,フィンを持って行った.そしてホテルビーチで潜ってみた.特別ダイビングスポットというわけではないが,サンゴ礁は少し在ったかな....小さな熱帯の色鮮やかな魚はそれなりに泳いでいたと思う.
プールサイドにはパラソルの他にバナナやヤシの木陰もある.ひと泳ぎの後ここでビールを飲むは格別だ.
パッケージツアーだったので他も案内してもらった.
司令部のあった場所だけに激しく攻められたことでしょう.前述のように日本兵と在留日本人合わせて55,000人亡くなられた.そのなかでかなりの方はこの辺りで落命されたのでしょう.
これは日本軍の装甲車(または軽戦車)だ.写真中央を見ると銃弾で貫通された多数の跡が見える.多分この頃は劣化ウラン弾のように超硬度のものは無かったので,通常弾であろうが,これほど小口径のもので貫通されたのに驚く.
大正時代,松江春次(1876ー1954年)という実業家の方が居られたそうだ.当時沖縄や東北で深刻な人口過剰問題となっており,貧困からの脱却を求め,特に沖縄県人が開拓移民としてサイパンに渡ったそうだ.しかしながらサイパンではそれまでいろいろな農業や産業が試みられるがどれもうまくいかなかったという.だが松江春次氏は自ら地下足袋で先頭に立ち未開の地を開きサトウキビ栽培を成功させたそうだ.
また氏は砂糖精製や角砂糖製造も行い,さらに深いジャングルを切り開き,起伏が多い地形をぬって鉄道を敷設したという.その蒸気機関車が右の写真だ.
やがて氏は地元人から功績が認められ,信頼され,シュガーキングの名を冠せられるに至ったそうだ.そして跡地周辺は砂糖王公園(シュガーキングパーク)となり,松江氏の像が立てられている.
ジャングルの入り口辺りで歩いていた.かなり大きい,多分ヤシガニであろう.ヤシガニと言うがカニではなくヤドカリの仲間だそうだ.ただ殻はその辺で拾ってくるのではなく,自らの殻を脱皮しながら成長するのだそうだ.それをヤドカリと言うのかな....???
ヤシガニは色々食べて毒も蓄積しているので素人は食べないほうがいいみたいだ.また大きなハサミは人の指を千切るほど強力で持ち上げたりしないのが無難なようだ.
ということでお陰様でサイパンは楽しめた.いいところだ.
(2023/12/02記す)