昔の旅:ソウル1991

ソウルの街を歩いたときの写真を載せた.ただごく僅かな写真だけで,記憶も曖昧なのであるが.

ソウルのマップ

↑ マウスのコロコロで拡大/縮小,ドラッグで移動.


ソウル郊外のホテルに泊まる

ソウル郊外のホテルに泊まる

成田を飛び立ち金浦国際空港に到着した.当時はまだインチョン空港開設前だった.

泊まる宿はラマダオリンピアホテル(Ramada Olympia)といい郊外に位置していた.写真左側白い壁赤い屋根の建物だったと思う.金浦空港からはホテルのバスが運行しておりそれに乗った.山も見えていいところだ.

着いた日は近所を見て回り,夕食のためにちょっと違うかな~と思いながらもお店の前でウロウロしていたら,「どうぞどうぞ」と云う雰囲気で招いてくれたので入った.しかしここはバーで子連れの私達にはちょっと不向きで,ビール一杯で出た.

そして別の大きなレストランに入る前に観察し,入った.概ね美味しいし,問題なかったがお肉の注文が上手くいかず困った.すると隣席の日本語を話す女性が,こうこう言えばいいですよと話ながら,自ら注文して下さった.親切な人だった.ありがとうございました.

そしてホテルに戻り寝入り,次の朝が来た.ホテルレストランで朝食メニューを見たらステーキが載っていたので それにした.朝からステーキはあまり経験がないので,やはり韓国式朝食を試そうと思った訳だ.

このホテルは都心へのシャトルバスも運行していた.そしてそれに乗る.問題はここだ.バスドライバが何故か大声で烈火の如く私に怒鳴り散らす.言っている内容は全く理解できないが所謂反日感情が沸騰したような感じだ.家族で日本語を話していたからかな.....そして一緒に乗り合わせた大学生くらいの青年が何とかなだめてくれた.そういった非反日的な人も居られていくらかほっとする.ありがとうございました.


漢江(ハンガン)であろうか

漢江(ハンガン)であろうか

前日金浦からホテルに行くときに眺めた川だ.やはり有名な漢江であろう.

私は,言葉を聞いた程度なのだが,1950年からの挑戦戦争で産業施設がほとんど廃墟になってしまった状態から成し遂げた経済成長は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれるそうな.産業がこの漢江畔地帯を中心にはってんしたのでしょうか.


ガイドブック見ながら歩く

ガイドブック見ながら歩く

さて上述の怒りドライバのバスは都心に着き,降りる.そしてガイドブック片手に歩く.一部地下鉄にも乗った.

看板類は他のアジア都市と比べて控え目でおとなしいかな~

ただ地下鉄車内でストリート,いやサブウエイミュージシャンが演奏しているのには驚いた’.日本の駅前でもしばしばミュージシャンが演奏を披露しているが,車内で....とはちょっと想像外で驚いた.


移動式キヨスク

移動式キヨスク

地下鉄出口にはこうした移動式キヨスクがまま停まっている.新聞や雑誌,スナック類など並べている.新聞,雑誌は殆どハングルで,一部英字紙も見える.全部漢字紙は全くないようだが文中一部漢字の見出しは見かける.漢字の方が解り易い固有名詞であろうか.ただハングルは縦書きもできるようで,遠目では日本の新聞スタイルに似ている.

このように移動車店舗で駅前道路で営業すればその辺りの建物のテナント料なくして済むのでぼで初期投資や月々の固定費が安く済む,賢い.でも勝手に駅前で停めて営業していいのかな~


消失前の南大門正式には「崇礼門」(スンネムン)

消失前の南大門正式には「崇礼門」(スンネムン)

1398年に李成桂により都城門の一つとしてツクられ建てられ,600年以上の歴史を誇る国宝第一号という.木造三層でどっしりしたデザインだ.第二層バルコニーに監視兵を配し,怪しい奴と見れば提起していた弓の使い手背後から出てきて応戦したのであろう.

日本では室町の初めになるようで,首都が鎌倉から京都に戻ったときだ.京都であるから城門に相当するものは最初から備わっていたのであろうか.とにかく広くてびっくりする.

ところで本国宝1号2南大門は008年2月10日は放火による火災で全焼し,韓国のシンボル的存在だっただけに韓国内はもちろん,日本など他国でも衝撃を与えた.放火したのは70歳の男性で占い師だった.都市再開発事業で土地の立ち退きが迫られは立退き料として当局は建物も含めて1億ウォンと低額回答で交渉決裂.そして2006年3月に行政代執行が実施され,犯人は家から退去.そして社会への復讐心を募らせ,南大門と別の場所で放火事件を起こし,起訴され懲役と追徴金の判決が出るが,これが復讐心を増幅させ,南大門放火となったようだ.


ここも有名な南大門市場にやってきた

ここも有名な南大門市場にやってきた

とても雑多にお店が並び南大門と同様600年の歴史があるそうな.定番の青果や乾燥食品,キッチン用品,各種工芸品,衣料...加えて屋台ひしめき合っている.


ソウルの街歩き

ソウルの街歩き

よく解らないままソウルの街を歩いてみる.渋谷の街を歩いているような感じかな~

う~んやはりハングルだけでは全くどこか見当も付かない.またガイドブックのマップを開かなくては.


ソウル駅

ソウル駅

ソウル駅は高速多くの路線が乗り入れる陸の玄関(だった)という.まあ東京駅のような感じであろうか.1925年に着工し1947年に竣工したそうだ.スイスのルツェルン駅がモデルという.地上2階,地下1階ルネサンス式で東京駅のように赤レンガの壁やドーム屋根が特徴的だ.

この辺りでホテルに引き上げることにした.シャトルバスは怖いのでメトロにした.確かホームと電車間には安全ドアがあったと思う(日本では当時まだ殆ど無かった)

手にしたバッグはA4サイズ紙には小さく,B5にはちょうどういいくらいだった.上記名南大門市場で買ったものだったか,大韓航空の帰国便に忘れてしまった.気づくのが遅く家に戻ってから大韓航空に電話すると保管してあり,料金着払いで送るというのでお願いした.


まあそんなこんなで短い旅を終えた.怒りのバスドライバの件があったが,まあ特殊な人物で,次に訪れたとき人は概ね親切だった.ただ最近はまた悪化傾向強まった印象だが.


(2023/12/02記す)


Cannergy'sホームへ

Rev.1.0:2023/12/02