このページは1976年Knさん,Kiさんと一緒に京都を訪れたときの写真を載せました.
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仁和寺に着いた.早速立派な二重門に出合う.これほど立派な二重門はめったに見られないと思う.
仁和寺は仁和4年(888年)に創建され,山号は大内山,本尊は阿弥陀如来,開基(創立者は宇多天皇で,現在は真言宗御室派の総本山という.天皇の開基と聞くと当時もその後も政治的な動向に大いに左右されたように感じられるが実際どうだったのであろう.
境内には国宝の金堂,五重塔や二王門など江戸時建立という建造物が並ぶ.1994年に世界遺産に登録されたそうだ.
徒然草に登場する仁和寺にある法師は石清水八幡宮参拝に出かけたが,付属の神社などを本体と勘違いし,肝腎な石清水八幡宮には参拝しないまま帰ってしまったそうな.いやこの仁和寺境内のようにたくさんの建物があればそんなことも起こりうるなあ~と現在の自分に重ねて思う.当時も今も認知機能劣化は歳と共に進むのだ.作者兼好法師はよく知っている人に聞けば失敗しないよ,と述べているようだ.確かに.
次に本能寺を訪ねた.本能寺と言えば信長が奥さんとともにここで火に包まれ果てた寺の印象が強烈だ.「本能寺の変」と言われるが,現代なら軍事クーデターだ.尤もあの戦国の世ではあちこちでこうした「変」が起こったが.
本能寺は応永22年(1415年)に現在とは異なる場所に日隆(室町時代の法華宗(日蓮宗)の僧)によって創建されたそうで,色々な揉め事や引っ越しがあり,やがて日蓮大聖人の教えを説く法華宗本門流の大本山に落ち着いたようだ.
現物は朱色を多く含むとてもきれいなお寺さんだが,写真は朽ちて色とグラデーションがなくなってしまった.仕方ないが.それでも手前の池とお堂の配置はなかなか見事に映る.
平等院は10円玉のレリーフ「鳳凰堂」で,世界遺産「古都京都の文化財」の1つということだ.永承7年(1052年)時の関白藤原頼通によって創建され,「鳳凰堂」はその翌年完成したそうだ.
平等院の山号は朝日山,本尊は阿弥陀如来であるが,特定の既存宗派に属さない「単位寺院」ということだ.ただし平等院の敷地内には浄土宗と天台宗系,両派を象徴する寺院を備えているのだそうだ.まあ神仏習合などあることを思えば,2宗派同居などおかしくないであろう.
次は神社,伏見稲荷大社だ.ここはやはりあの無限に連なる朱色の鳥居がインパクト大だ.
「お稲荷さんは全国に30,000社(凄いですね!)あるそうで,御祭神である稲荷大神様がこの稲荷山に鎮座したのは奈良時代の和銅4年(711年)で,今日既に御鎮座1300年余りとなるそうだ.商売繁昌,五穀豊穣の神様として篤い信仰を集め,安産や,万病平癒,学業成就などにもご利益があるそうだ.結構ですね.
次に私は殆ど耳にしたことのない高台寺だ.こうして眺めると切妻側外観は縦横格子状の柱と梁を組み,白壁を嵌め込んだ構造だ.柱と梁の交差部にはいくらかの装飾(と強化)の部材が見えるが,総じて質実剛健なデザインだ.
高台寺は1606年に豊臣秀吉の正室「北政所(ねね)」が、秀吉を弔うために創建したお寺だそうだ.伏見城など各所から数多の重要文化財が受け入れられているそうだ.つまり秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を持った寺院ということだ.また高台寺の名は北政所が出家後に名乗った「高台院湖月尼」に由来ということだ.
高台寺は臨済宗建仁寺派の禅寺で,山号は鷲峰山(じゅぶさん),本尊は釈迦如来ということだ.
既に舞台の上は参拝者(いや観光客?)でいっぱいだ.ここに至る参道も怪傑ゾロゾロ人が溢れていた.いや~当時から圧倒的に人気が高かったのですね.
清水寺は奈良末期778年に僧延鎮が開山し,平安初期延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したのが始まりという.現在残る建物の多くは1631年ころ徳川家光の寄進によって再建されたものという.
現在清水寺宗旨は北法相宗で,御本尊は「十一面千手観世音菩薩」(秘仏)という.近世までは興福寺(奈良)の末寺で, 北法相宗の本山として独立したのは1965年という.かなり最近のことで驚く.地の利もあり,檀家や観光客がふえたのでしょうか.
以上のようにまあ,ありきたりのコースを修学旅行以上に素早く(いや通り一遍に)に回った.ただこれ以外に古都に典型的京屋敷を構えるKnさんの叔母様宅を訪ね,奥行きの深い京屋敷構造現物をお見せしてもらった.時代劇の1シーン入ったようだった.また正座してお茶を頂いたのだが,30分ほどして立ち上がろうとしたら横に倒れて立てない,恥ずかしかった.そして宿の東急innに引き上げた.
ということでKnさん,Kiさんには大変お世話になりながらも京の寺社,街を楽しむことができた.ありがとうございました.
(2023/12/02記す)