近年インドネシアは新幹線建設の一方的キャンセルなどであまり印象が良くないが,1998年当時はまだそうでもなく,11月そろそろ寒くなってきたので暖かそうな同国に行ってみることにした.ここでは特にボロブドゥール遺跡に興味があった.若い頃からパルテノン神殿,メスキータ....などと並んで仏像があの鳥かご状プロテクターに収められたデザインが不思議というか面白いというか,興味があった.
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成田からガルーダインドネシア便でバリ島①のデンパサールに飛び,見物し,次いでジャワ島ジョグジャカルタに飛び見て回る.帰りは逆ルート辿り成田に戻った.
成田からジャワ島のデンパサール空港に飛び,降り立った.そして先ずはホテル(Hotel Wina)に行き荷をおろす.ホテルはウブド(Ubud)でクタ(Kuta)海岸に近いようだった.
ここで注目は道中,写真右寄り階段上の左右スパッときれいに割られた門に出合った.こうした割れ門はCandi bentarとかsplit gatewayと呼ばれ,宗教施設,宮殿,ホテル,墓地の入り口などに設けられ,バリ島だけでなくジャワ島にも多いそうなのだ.つまりバリはヒンドゥー,ジャワはイスラムなので必ずしも特定宗教だけのものではなさそうだ.
絵画コレクターNeka氏がウブド地区に建てた美術館で,インドネシア人画家とバリ島ゆかり外国人画家の作品が展示されているという.
一つのゲートであるこの建物の一画には工房が備わり,数人の男が伝統工芸品など造っている様子だった.
美術館は6つのパビリオンから成り,ここはその一つの入口.
梁にはガルーダ(だと思う)が載っている.ガルーダは古代インド神話や叙事詩に登場する半人半鳥の姿をした霊鳥だ.ヒンドゥー教三大神の一柱であり,世界の維持を司るヴィシュヌ神の乗り物だという.
ということでガルーダインドネシア航空は,ガルーダ→インドネシア航空,ヴィシュヌ神→客に置き換わったエアラインということかな.
また正面壁と天井にはバリダンスのレリーフが嵌め込まれ,左右にはヒンドゥーの守護神であろうか,日本の仏教寺院の仁王様のような二体が置かれている.
細い竹の貼られた天井もユニークで美しい.
次にウブド王宮を訪れた.ウブド王宮(プリサレン/Puri Saren Agung)はウブドの中心に位置し,かつての王政時代政治経済の中心だったそうな.
バリ島はかつて群雄割拠の時代を過ごしていた中,16世紀になりウブド朝が抜け出てウブド王政が始まったようだ.以来1908年からオランダの植民化が始まるまで続いたという.そして最後の王チョコルド・グデ・スカワティが亡くなった後は,その子孫と親族が暮らすプライベートルームが王宮内に設けられ,一部は公開されこうして観光客を受け入れているのだそうだ.
オランダ植民地時代,ウブド家はオランダ政府の重職を担い,西洋文化に親しんだウブド王家は,バリの伝統芸術に魅了され移住してきた外国人アーティストを庇護し,やがて「芸術の村ウブド」と称せられるに至ったそうだ.
ただこの宮殿の造形物や上述ネカ美術館で目に触れる作品は純バリ風で,オランダ美術との融合といった印象は受けない.特にドロドロしたところなどのインパクトが大きい.
手前の青果店はじめ種々小さな店舗を構えている.アジア諸国どこでも見られる光景だ.
王宮西南には物見の塔があり(現在もある),かってウブド王はここから正面に見える市場を眺め,治世に反映したそうだ.万葉集にも宮殿から民家の朝餉準備の様子を見て治世に反映....といった作品があったかな~と調べてみたがなかった.
次にガイドさんに棚田に案内してもらった.「テガララン ライステラス」と呼ばれる地方のようだ.バリの棚田は南側斜面に広く分布し,ウブド近郊の棚田は谷の急斜面に張りつくように造られている.段々畑と比べて区画された面は水平を保ち水を張る必要があるので大変だ.今は稲の成長期なのか緑が瑞々しい.田の段差は非常に大きく,幅(区画)は狭い.よく知られる中国雲南省の棚田と比べても一層狭い気がする.稲作にかかわる仕事は神事として位置づけられ受け継がれているということだ.
次いでバリダンス鑑賞に出かけた.バリダンスは幾つかの種類があるが写真は「ケチャックダンス」または「ケチャ」と呼ばれるようだ.
古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」のヴィシュヌ神生まれ変わりのラーマや,女神の娘シータ姫,黄金の鹿キジャン(魔王ラワナの化身),猿の神様のハヌマーンなどの神話がテーマのようだ(それでなくとも難解なインドストーリーに化身とかがいっぱい現れ全く理解できないが)
この写真でいま二人の女性ダンサーが舞い,その周りに多数の裸男性が座り,両手を頭上にかざしながら「ケチャ!ケチャ!ケチャ!ケチャ!」口で奏でる.女性の腕や手先のしなやかな動きや男性のリズム感あるお囃子はやはり当地の伝統を感じさせるものだった.
街を歩いてみた.白い壁に赤い屋根の家,まあ普通に南国のきれいな通りだ.
左のおばさんの大きな荷物の手支えなし頭載せが見事だ.頭載せ荷運びの習慣は他でもあるが,比較的温かい国だけで寒い国ではあまり見ない気がするな~
ホントは両側の揃った割れ門が写っていれば良かったが,片側だけだ.
何か怖そうなドロドロした感じの守護神が守っている様子だ.同じ壁にはやはりドロドロ感のある色々な外形のパネルが貼られてる.
でも割り門の内側(写真左面)はきれいな平面ですね.
タトゥー屋さんの看板だ.針なし,無痛,最大限2週間(施術時間のことか?),7日間保証とか書いてある.タトゥーが7日間保証ってあまりにも短い.これは肌に写し絵のように絵のシールを貼って転写するとか,あるいは絵の具で描くだけか.
まあその方がちょっと楽しむに手軽でいいだろう.良心的なお店だ.
バリの魅力の一つは海だ.でクタビーチに行きちょっとパシャパシャしてみる.そして海岸で寝転んでいると,マッサージとか,ペディキュア,装身具とか色々売り込んでくる(特に女性に)人,大体おばさんが寄ってくる.売り込みはちょっと煩わしいかな.
ホテルのテーブルには旅行社のチラシが置いてあった.ジャワ島ジョグジャカルタ見物に往復するプランもあり,何の理由か覚えてないが少し割り引くから電話を,とのチラシもあった.で電話すると,何とかこうとかの割引理由を言うが,途中で金額を現地通貨とUS$とかを切り替えて説明し,明らかにごまかそうとしていると思った.でも金額に大した違いは無さそうだし,ガイドや車の手配に抜かりないとのことでその会社に決めた.
写真左はフマキラーだが,蚊取り線香であったかな.
で,バリ島デンパサールからジャワ(Java)島ジョグジャカルタ(Yogyakarta)に飛んだ.Javaはプログラミング言語だ,少し名前が似ているJavaScriptはこのページでも使っているクライアント側インタプリタだ.で,なぜJavaの名が付いたのかな?Java開発プログラマーが集まるコーヒーショップのメニューにjava coffeeがあり,それに決めたという.ロゴにはコーヒーの絵も含まれている.
一方JavaScriptはブラウザ用に開発されていたが,当時人気の高かったJavaにあやかり名付けた,いやパクったようだ.言語の文法には全然関連がないようだ.
ということでジョグジャカルタ空港に着き,ガイドさんにピックアップしてもらい,さっそくボロブドゥール遺跡に案内してもらった.
ボロブドゥール遺跡は8~9世紀この地を支配したシャイレーンドラ朝が780年頃から建設を始め,792年に竣工したという.日本では奈良時代終わりころか.ただ新しい王の時代になると増築工事が成されたようだ.
しかしシャイレーンドラ朝の歴史は続かず,9世紀ヒンドゥーを信仰するサンジャヤ家に実権が移り,さらには920年ムラピ山の大噴火降灰,イスラム勢力の侵入でボロブドゥールは密林に埋もれ,忘れ去られてしまったという.中身は違うが政権宗教が変わり密林に埋もれたのはカンボジアのアンコールワットのようですね.
ただこのビューだとヒンドゥー寺院のように先の尖った尖塔が目立ち,期待した伏せた鳥かごが見えずまだまだだ.
上写真のようにボロブドゥールには数層の方形壇が階段ピラミッド状に重ねられている.層間には溝状の回廊があり,回廊の前後壁には皆レリーフが埋め込まれているようだ.
ボロブドゥールの回廊は総延長5kmに達し,例えば一番下の層は右写真の如く無数とも言えるレリーフ像で満たされている.資料を見るに仏教説話やインド神話に基づく人物,鳥獣,想像上の生き物,鬼面など1460面のレリーフが時計回りに収められているのだそうだ.気の遠くなりそうな量だ.また等身大仏像が回廊外壁に432体,円形壇に72体収められているそうだ.これまた膨大な数だ.
またこうしたレリーフの黒化は少なく,かなり岩石の色が保たれている
このバードケージ状ストゥーパ(仏塔)(内部仏像のプロテクターケージを多数伏せたように見える)景観こそが長年憧れ,思い描いていたものだ.ヤッター.しかもこれらは壊れたところは少なく,石の黒化も少なく想定以上の美しさだ.ただプロテクター内部の仏像の殆どは奪い去られ,収められているのはごく僅かだ.ケージの穴から覗くと仏陀坐像だった.
密林に埋もれたボロブドゥールが1814年再発見されたとき既に多くの仏像は失われていたようだ.他の部分も相当破損していたが,写真で白っぽい石のように1973年からは10年かけて修復されたようだ.
ストゥーパは72基あるそうだが,その網目デザインは同じではなく皆違っている.斜め格子が多いがこの写真のように縦横チェックパターンが一番好きかな.
写真左端が私達のジョグジャカルタのガイドさん.イスラム服はもちろんスカーフも付けてない.ジョグジャカルタの街も案内してもらったがイスラムファッションの女性はあまり見なかった.最近TVニュースで時々首都ジャカルタの様子が流れるが,スカーフ女性が多くて驚く.やはりイスラム化が強力になっているのであろうか.
ボロブドゥールから車でプランバナンを訪れた.広大な土地に大きなストゥーパが幾つも聳えている.ここには仏教とヒンドゥー様式が融合した寺院群が点在しているそうだ.9〜10世紀ヒンドゥー教を奉ずるサンジャヤ王朝により造営されたらしい.
しかし当時の支配者たちはとても複雑な血縁関係と支持宗教が異なり,仏教とヒンドゥーは融合というかごちゃ混ぜになっているようだ.なおこのごちゃ混ぜは現代でもある.とりあえず天を突く大ストゥーパは仏塔とヒンドゥー聖堂て宇宙の破壊,創造,維持をつかさどるシヴァ,ブラフマ,ヴィシュヌの3神が祭られたヒンドゥー神殿があるそうだ.しかしどれがどれであるかは全く思い出せない.
この寺院建立時代は上述の大乗仏教(これにはちょっと驚く,東南アジアは皆上座部仏教と思っていた)を奉ずるシャイレーンドラ朝のボロブドゥール寺院建立と時期を同じくしており,いろいろ入り組んでいたようだ.早い話,大工,建設作業員,ドライバの奪い合いとか....
ここは遺跡の回廊だ.高い尖塔の回廊か,低いヒンドゥー寺院の回廊か思い出せない.先述のボロブドゥール回廊のように溝状になっているようだ.そして溝側面壁には色々な立体像が収められている.
背後の大きな尖塔はとても込み入った構造のデザインだ.ゴシック様式カトリックも敵わないであろう.また並んだ石像もレリーフではなく3次元だ.まあ全てに手が込んでいる.
破壊と創造を司る神シヴァ像があった.高さ3mととても大きい.建立に関わった王様の顔に似ているとの説もあるらしい.
この像の下にはヒンドゥーに奉じた王様の遺骨が埋葬されているそうだ.なのでプランバナン寺院は王墓であるとも言えるようだ.
回廊には込み入ったレリーフあるいは立体像が途切れなく据えてある.ボロブドゥール同様仏教説話やインド神話に基づくストーリーが続いているのであろうか.
いずれにしても現代インドネシア人殆どはイスラムで,仏教徒ではないし,バリの人を別にすればヒンドゥーでもない.そこでボロブドゥールもプランバナンも壮大な寺院ではあるが殆ど関心を示さないという.まあそうでしょうね.むしろイスラム他国の例からすると以上述べた膨大な人物や動物のレリーフや立体像が偶像禁止の対象であろうから破壊されないで済むか心配だ.
インドネシア ろうけつ染めとかジャワ更紗とかとも呼ばれているバティックがよく売られている.バティックは熱して液状になった蝋(ロウ)を入れ,図柄を描く.そして生地を染め液に浸す.すると蝋が塗られた所は染料で染まらず,無い部分は色が着く.次に蝋を熱湯で洗い落とし,乾かす.これを色ごとに繰り返して複雑な模様に仕上げる.なかなかきれいだ.
これで概ね見物は終わった.そしてバリのデンパサール経由で成田に戻った.憧れのボロブドゥールは上まで上って見えたし,バリのドロドロ割れ門なども興味深かった.おしまい.
(2023/12/02記す)